監督に頼まれた用があったから、俺は放課後剣城のクラスに赴いた。とりあえずドア付近から中の様子を伺ってみる。
剣城のクラスは俺の所と同じように、机を全て後ろに寄せて掃除の最中だった。教室の真ん中では、箒でちゃんばらを始める男子達を、ツインテールの女子が困り顔で咎めていた。さて、剣城はどこだろう。談笑するいくつかの輪の中には、当然だが剣城はいない。一年の中では背が高い方だし、あの制服だから容易に見つかるはずなのに。もしかしたらもう帰ってしまったのかも知れない。
俺は仕方なく踵を返そうとした時だった。ふわりと揺れるカーテンの陰から、特徴的な藍色の髪。俺は思わずあっと声を上げる。剣城だ。こちらに振り返った剣城の両の手には、黒板消しが握られていた。何となく似合わないなと思っていると、剣城はそれを傍の教卓に置き、今度は立て掛けられていた箒を持ってすたすた歩き始めた。俺は結構驚いて、思った事が自然と口に出ていた。

「掃除とか意外だなあ…」

まあクラスに所属している訳だし、授業も真面目に受けているらしいから当たり前と言ったらそうなんだけど、実際その光景を見ると余りにギャップが有りすぎて。あんな不良っぽい格好してるのに、ちゃんと屈んで掃き掃除してるよ……。
俺はこの貴重な光景をもう少し見ていたくて、さっとドアの陰に隠れた。
わあ塵取りもちゃんと使ってる…。
俺は剣城の一挙一動に一々感心していた。でも相変わらず、剣城は誰とも話さず黙々と床を掃いている。
ふと視線をずらすと、剣城の背後で落ち着き無くもじもじしている女子がいた。その子は寄せられた机と剣城の背中を交互に見ているから、たぶん机を運ぶのを手伝って欲しいんだと思う。俺は思わずドアを握る手を強めた。
大丈夫だよ、剣城は見かけに寄らず凄く優しいから、一声掛ければ絶対手伝ってくれるって!ほら、頑張って!!
心の中でエールを送るが、その子はどうしても声を掛けられないようで、口を小さく開閉させていた。焦れったくて、もう直接言いに行ってしまおうかと思ったが流石に堪える。
丁度全ての塵を取り終えたらしい剣城が、後方の机に目をやる。すると女子がぱっと弾かれた様に「あのっ…」と言った。俺は思わず生唾を飲み込む。気付いた剣城は、隣に立つ女子を見下した。

「…机、並べるか?」

おっ、…おおっ!!?
極極僅かな違いだが、剣城は気遣うように、普段より柔らかな口調で言った。途端に笑顔になって頷く女子に、剣城も頷き返して、直ぐに机の方に向かった。

「やっぱり女の子には優しいんだ…」

何だかんだ言って前に葵の荷物も持ってあげてたしなあ。剣城って紳士的だ。あれじゃ結構モテるんじゃないだろうか。
現に、あの女子だって剣城の事をぽわわんとした目で見ている。剣城は机を運びながら未だふざけて遊んでいる男子に目をやると、短く「おい」と言った。その声に忽ちぶるりと肩を揺らした彼らは、言われる前に自ら机を運び出した。剣城って凄い。

そこでやっと目的を思い出した俺は、教室の中に足を踏み入れる。一番後ろの席の机を運ぶ剣城に、前から近付いた。

「つーるぎっ」
「松風」

語尾を跳ねさせ、にこにこ笑顔を浮かべる俺に、剣城は懐疑的な表情を浮かべた。俺は目的の紙を手渡す。

「はいこれ。試験期間中の各自追加メニューだって」

試験期間中は部活が無いが、それでも基礎練習は欠かさずしなければならない。各々鬼道コーチが組んだオリジナルメニューを既に配られていたが、今渡したものは追加のメニューだ。俺は成績があんまり良くないから追加なんてされてないけど、剣城は頭の方も優秀だからそれを見込んでの事だろう。書類にざっと目を通した剣城は、サンキュと言ってその紙を折り畳んだ。
その際俺は、袖が捲られ途中まで露出した剣城の白い腕に、くっきりと青痣があるのを見つけた。直ぐに次の机を運ぼうと歩き出す剣城に、俺は待ったを掛ける

「その腕の痣どうしたの?」

自分の腕に一瞥をくれた剣城は、本当に些細な事だとでも言いたげに「忘れた」と言った。俺は剣城の側に寄ってその腕を掴むと、自分の見易い高さまで上げた。剣城は何故かぎょっとした顔をする。

「痛そ〜。ぶつけちゃったのか?」
「…ああ」

本当に白くて綺麗な腕だなあ。同じ様にサッカーしてるのに、どうしてこんな焼けて無いんだろ。白いから、余計に青痣は痛々しく目立っている。
俺はふと、幼い頃秋ネエに、怪我をしたらその箇所を擦って貰っていたのを思い出した。俺はそれが嬉しくて好きだったから、剣城にもやってあげる事にした。剣城の腕を労る様にそっと撫でれば、剣城はぴしりと固まって動かなくなった。

「早く善くなると良いな」

顔を見上げて言うと、剣城は益々眉を寄せて、何だかちょっと怒ってるみたいだった。もしかして触られるのとか嫌だった…?俺は冷や汗をかいて、慌てて手を離した。

「ごめん、やだった?」

剣城はゆっくり腕を下ろすと、俺を真っ直ぐ見つめて言った。

「お前、誰にでもそうなの」
「えっ。…そ、そうかも」

剣城の鋭い眼差しに気圧され、少したじろぐ。剣城はそんな俺の動揺に気付いたらしく、さっと視線を反らした。

「別に嫌な訳じゃない」
「あ、なんだ…」

俺は一先ず安心する。でも、じゃあ何でちょっと怒った感じだったんだろう。

「ただ…」

剣城は俺の横を通って、再び机を運び始めた。いつの間にかさっきの男子達が机を並べてくれたようで、残りはあと少しだけだった。荷物が沢山乗って重そうな机なのに、剣城はそんなの微塵も感じさせない。剣城が何か言いそうだったから、聞き逃さないよう、俺も並んで隣を歩く。

「もうあんまり触んな」

ぴしり。今度は俺が固まる番だった。真顔でそんな事を言われてしまって、俺は思わず足を止めた。その間に、剣城は所定の位置に机を置いていた。
嫌じゃないのに触んなってどういう事?……何か、どんな形であれ剣城に拒絶されたの、結構ショックだ。

「分かった」

何か言わなきゃと思って、けど出たのはそれだけだった。何で?とか聞いたらまた鬱陶しく思われそうだし。
剣城は振り返ると、机を運ぶ為かこちらに歩いて来た。そして擦れ違い様、ぽんと肩を叩かれる。

「じゃ、また明日」

えっ。剣城から俺に触るのは良いの?
俺は直ぐに振り返ったけど、案の定剣城は机を運ぶみたいだったから、俺も「また明日な」とおうむ返しをして、さっさと教室を出た。



廊下の壁に寄りかかって、然り気無く、叩かれた肩に触れた。そういえば剣城から俺に触ってくるのってかなり珍しい。いつも俺が勝手にべたべたしてたから。

「…あれ」

また明日、って言ったけど、明日は日曜日だ。何だ。会えないじゃん。用件が無くてもメールとかして良いのかなあ。

…俺、剣城の事ばっかり考えてるや。





∴檸檬の輪切りを覗く