回診が終わり休んでいても、太陽の心は静まらなかった。嫌な予感がするのはあの夢のせいに他なら無い。ただの夢だと分かっているのに、胸騒ぎが止まないのだ。太陽はすっかり暗くなった窓の外を見つめた。今頃天馬は家に帰って、夕御飯でも食べているかも知れない。そうだったら良いけど…。

「…よし」

暫し考えた後、太陽は毛布を退け、ベッドから降りると、スリッパの隣に置かれた運動靴を履いた。しっかりとりぼん結びをして、次にハンガーに掛かった上着を取った。袖に腕を通しながらドアへと向かう。
そして音を立てぬようゆっくり扉を開くと、廊下の様子を伺った。誰も居ない事を確認して、太陽は静かに病室を後にした。



太陽は早る気持ちを抑えられず、小走りで電灯も疎らな路地を進んだ。
脱走の常習犯である太陽は、当然ナース達から目を付けられている為、脱出は容易では無かった。いくら彼女達何人かの休憩時間を把握しているとは言え、病院関係者には何度か階段や廊下で擦れ違った。その度に太陽は、酷く心臓に悪い思いをした。どうにか誰にも見られず急患用出口から外に出たものの、実は夢で見たあのアーケードが何処なのか、正確には把握していなかった。稲妻総合病院に入院する際に両親に送って貰った車の中で、通り掛け何となく見た程度である。おそらくこっちだろうと言う根拠の無い理由で進んでいると、幸運にも前方にそれらしき物が見えて来た

「案外近かったな…」

やはり頭はずきずき痛むし、呼吸も少し苦しい。まずいなと思いつつも、太陽は走るのを止めなかった。アーケードに近付くにつれ、太陽の嫌な予感は妙に確信を帯びて行った。天馬が危ない。心臓が早鐘を打つ
ようやくアーケードの入り口に到着すると、太陽は明るいその通りを見回しながら、柱に腕を着いた。立っている事すら辛かったが、体に鞭打ち歩を進める。行き交う人々の中に天馬を探すが、見つからない。夢ではあっさり見付けられたのに。早く。早く。
再び太陽が近くのシャッターに片手を着いた時だった。人々の間に一瞬見えた茶色の巻き毛。

「天馬!!!!」

太陽は有らん限りの声で名前を叫ぶが、天馬には届かない。周囲の好奇の目も気にせず、太陽は走り出した。皆驚いて道を開け、気付かぬ者は押し退けて走った。視界が開けたはずなのに、天馬の後ろ姿と背景が霞んでぼやける。限界が近い事を悟った太陽は、更にスピードを上げた。

「天馬!!!!!」

天馬まで一直線となった時、太陽の声にようやく天馬が振り返った。天馬の瞳は夢で見た時と同じ様に、驚きで満ちていた。地面を蹴り、手を大きく伸ばす。頭上で酷い音がしたが、太陽は見上げたりしなかった。周囲のどよめきが起こったのと同時くらいに、太陽はその腕に天馬を抱き締め、勢いのまま前へ飛び込んだ


ドーーーーーーン!!!!!

地面に重なって倒れた2人の背後で凄まじい音と衝撃がし、砂塵が舞った。パラパラと破片が飛び散る中、太陽はゆっくりと目を開いた。自分の下で顔を歪める天馬。太陽は即座に目立った怪我が無いか確認した。

「天馬、平気?痛い所無い?」

その呼び掛けにぴくりと反応した天馬も、ゆっくりと目を開く。不安と驚きの入り交じった表情を浮かべる天馬は、ぎこちなくだが頷いた。太陽は安堵に微笑む

「太陽…?」
「良かった。君が無事で」

ぎゃあぎゃあと周囲が騒がしい。悲鳴や沢山の足音が聞こえる。安心した途端に体の痛みを思い出した。これでもかという程頭が痛くて、呼吸が出来ない。だめだ、苦しい。
太陽の異変に気付いた天馬が慌てて彼の名前を呼ぶも、太陽はそれに答える事無く目を閉じ、天馬の上にぐったりと倒れ込んだ。

「太陽っ!太陽!!!」

混濁する意識の中、太陽の耳には、自分の名を呼ぶ天馬の声が確かに届いていた





太陽がぼんやりと目を覚ますと、自分の眠るベッドに頭を突っ伏している天馬の存在に気付いた。おまけに手をがっしりと握られていて、凄く温かい。
あれからどれくらい時間が立ったのだろうか。呼吸する度音がする、鼻と口を覆う酸素マスクが少し煩わしい。ベッド脇の点滴は容器の中でぽたぽたと垂れ、そこから伸びた細いチューブが腕に刺さっている。かなり無茶な事をしてしまったから、また皆に怒られるだろうなあと何となく思った。少し身動きをすると、握ったままの天馬の手が僅かに反応した。それから彼はゆっくりと頭を上げると、眠そうに目を擦りながらこちらを見た。たちまち驚いて覚醒する

「たっ、太陽!大丈夫!?いま、冬花さんを呼んで…」
「待って。いい、呼ばなくて」

スーコースーコー、ううんやっぱり喋りづらい。でも外したら苦しいだろうな…
慌てて立ち上がる天馬を、太陽は繋がれた手をぎゅうと握り締め制した

「天馬こそ、あれから平気だった?」
「平気だよ、俺は。でも太陽が…」

天馬の瞳にうるうると涙が浮かぶ。太陽はそれを嫌だなと思った。

「泣かないで、天馬。君が無事ならそれで良かったよ。僕は今こんなになってるけど、全然大したことないから。本当だよ。だから笑って?」

その言葉に天馬は益々顔をくしゃっとしたが、唇を噛んでどうにか堪えた。そして乱暴に目元を腕で擦ると、精一杯にぃと笑った。

「これでまた君とサッカー出来るよ。ちょっと入院は延びちゃうかもしれないけど、待っててくれるよね?」
「当たり前…だよ」

天馬はズズと鼻を啜った。太陽は口元を緩める。
病室には穏やかな朝日が差し込んでいた

「どうしてあの時来てくれたの?」

天馬は、太陽の手を両手で包みながら問うた。白くて細くて、綺麗な手だと思った

「ふふ、君の事が好きで好きで堪らなかったから、かな。」

それじゃ駄目?と太陽は言った。天馬ははぐらかされたと知りつつも、首を横に振った。

「おれも、俺も太陽が好き、だから…」

必死に言葉を紡ぐ天馬の瞳から、ついに堪えられず涙が零れ、繋いだ2人の手に跳ねた。天馬の涙を拭ってやれない事を残念に思いながらも、太陽は優しくありがとうと言った。





魂こがして