ふと気付けば太陽は、病院を離れ屋外にいた。そこは様々な店が軒を列ねるアーケードだった。太陽自身、自分が何故この場所にいるのか分からない。ここまで歩いて来た記憶が無いのだ。そして道行く人達の中に、見知った姿を見つけた。天馬だ。制服姿の天馬は学校帰りなのだろう、一人で歩いている。太陽は天馬の後を早歩きで追いながら、彼に声を掛けた。

「天馬!」

しかし天馬は聞こえなかったのか、立ち止まってくれない。少し距離が離れているからかも知れない。一瞬冬花の顔が頭を過ったが、太陽は医者に止められている走るという行為をした。丁度天馬も店のウィンドウに目を向け、足を止めている。

「てん、………!」

その時だった。頭上でギギィという軋む音がして、太陽は反射的に空を見上げる。信じられない事に、天馬が今いる場所の上に設置された看板が、錆びたボルトを降らしながらゆっくりと倒れて来ていた。太陽は全身の血液が凍り付くのを感じた。動かなければ。声を張り上げなければ。全てがスローモーションに見えた。太陽は地面を蹴って天馬に向かって手を伸ばした。天馬!!!!!ようやく天馬がこちらを振り返る。その瞳は驚きに満ちていた。そして...







勢いよく上体を起こすと、目の前には暗転する直前に見たままの表情を浮かべる天馬がいた。太陽は急いで天馬に手を伸ばそうとしたが、今自分がいるのは見馴れた病室のベッドの上だと気付いた。

「夢…だったのか」

太陽は小さく呟く。夢にしては余りにリアル過ぎた。まだ少し信じられず、天馬の顔を呆然と見つめていると、天馬は眉をヘの字にして小首を傾げた

「悪い夢でも見た?汗びっしょりだよ」

言われてみれば、パジャマは汗でじんわりと濡れ、肌に貼り付いている。嗚呼これはすぐに着替えなくてはならない。

「ごめん。折角天馬が来てくれてたのに、寝ちゃってて」

こんな不吉な夢を見て、天馬に心配を掛けてはいけない。太陽は質問には答えなかった

「良いんだよ。よく眠るのは体に良いんだろ」
「うん……。」

天馬はベッド脇の椅子に座り、慣れない手つきで林檎を剥いていた。その手にナイフが握られている事に、太陽は彼が怪我をしないかヒヤヒヤした

「それ…」
「ん?ああ、太陽に林檎剥いてるんだ。兎さんにしようとしてるんだけど、やっぱり難しいなあ」

よく見れば、切り分けられた林檎は所謂兎の耳に当たる部分から頭まで、赤い表皮が残してあった。耳は辛うじて立ち上がっていたが、左右長さがばらばらだし、耳が取れて落ちそうになっているのまであった。それでも天馬が自分の為に剥いてくれたのだと思うと、その不恰好さすら愛おしく思える。

「ね、食べても良い?」

太陽はサイドデスクに置かれた、林檎の乗る皿に手を伸ばした

「うん。味は美味しいと思うよ」

天馬は残りの林檎を剥きながら答えた。太陽はすかさず手前にあった兎林檎を掴むと、シャリと音を立ててかじった。咀嚼する度林檎の甘い密が口に広がる。舌の上の林檎はあっという間に無くなってしまった

「みずみずしくて美味しいね。兎も可愛いし!」

太陽はにっこり微笑みながら、皿上の兎を指でちょんと触った。天馬は僅かにはにかむと、最後に剥いた一つを、太陽に差し出した

「ありがと。ねえ、天馬ここの所よく来てくれて、僕本当に嬉しいよ」

天馬は日曜を除いて毎日、放課後病室に来ていた。普段から次はいつ天馬に会えるのかと期待して窓の外を眺めていただけあって、太陽は毎日幸せであった

「へへ、俺もだよ。今日で術後十日だね」
「覚えててくれたんだ。うん。僕凄い調子良いんだ。この分じゃさっさと退院出来ちゃうかも」

太陽は頭の後ろで腕を組むと、おどけた調子で言った。その言葉に天馬も素直に喜ぶ

「そっか。早く太陽とサッカーしたいよ。リハビリ頑張ろうな!」
「ああ!」

天馬が応援してくれるなら、頑張らない訳にはいかない。そもそも、太陽がここまで頑張れたのは天馬とサッカーがしたいという思いがあったからである。天馬には本当に感謝している

「…そういえば、今月のサッカー誌にいいシューズが載ってたんだ」

太陽は思い出した様にマガジンラックから一冊の雑誌を抜き出し、テーブルの上に置いた。ページの端を折ったはずだから、すぐに分かると思うが…

その時ドアの開く音がして、2人は揃ってそちらを見た。そこには冬花が立っており、いつも通り優しげな笑みを浮かべていた

「冬花さん。…もしかして、回診じゃないよね?」

太陽はあからさまに嫌な顔をした

「そうよ。先生がもう来られるわ」
「えー!今起きたばっかりなんだ。もう少し良いでしょ?」

まだ全然天馬と喋ってないのに!
駄々を捏ねる太陽に、冬花は困った様に眉を下げた

「だめよ。回診の時間は決まってるんだから」
「はあ。」
「太陽、明日も来るから」

天馬は鞄を持って立ち上がる

「うん…分かった。また明日」

いつだってこの瞬間は名残惜しいけど、また明日という約束があるだけで全然気分が変わる。
太陽は大人しくベッドに座ったまま天馬を見送った。ドアを開き、部屋を出る直前に天馬が小さく手を振る。それに太陽は口元を緩めて返した。

パタンと音がしてドアが閉まってしまうと、部屋は太陽と冬花の2人だけになった。太陽は仕方無く、伏せ目がちにパジャマのボタンを一つ外した