肩をぽんと叩かれ振り向けば、花が開いた様な笑みを浮かべる松風が立っていた

「剣城っ、今日もお昼一緒に食べよう?」
「いつも勝手に付いて来る癖によく言う…」
「あは。じゃあ、また後でね!」

自分を追い越して行った松風の背中を、剣城は彼が廊下の角を曲がって完全に見えなくなるまで見つめていた。
剣城は騒がしい人間が嫌いだったが、それにも例外はある。松風の事は初めこそ疎んでいたものの、今ではすっかりチームメイトとして、結果的に馴れ合ってしまっている。今日みたいに昼食を一緒に食べるのは勿論、放課後兄の見舞いに行かない日は2人で下校したりしていた。松風の思うままにさせているのは、単にもうやめろ構うなと言う事に疲れたからだった。ただし、今日剣城は自分のお弁当に松風の好きなおかずを一品入れていた。昨日テレビで唐揚げの作り方をやっていて、気付いたら朝張り切って多めに作っていたのだ。別にあげるつもりなんて無いのに
ふと廊下の掛け時計を見ると、このままだと次の授業に遅れそうな時間だった。剣城は周囲に誰も居ないのを確認してから、階段を三段飛ばしで駆け下りた




「今日の練習は以上だ」

鬼道監督による激しい特訓が終わると、皆一斉にはああと深く息を吐いた。剣城はマネージャーに渡されたタオルで汗を拭うと、さりげなく松風の方に目を向けた。松風は地面に座って、西園達と楽しそうに喋っている。剣城は今の内だと思い、すぐにその場を離れた
今日剣城は兄に本を買って来るよう頼まれて、急遽病院に行く事になっていた。剣城は部室に行きさっさと制服に着替えると、鞄を持って扉の前まで歩いた。ウイーンと機械音がして、扉が横にスライドして開く

「あっ」

その瞬間、タイミング悪く部室にやって来た松風と正面からぶつかりそうになる。剣城は咄嗟に一歩後退してそれを防いだ。松風は驚いた顔をした後、目の前の剣城の制服姿に視線を這わすと、彼には珍しい眉を寄せるという行為を一瞬だけした

「何で先帰ろうとしてるの?」

松風のそれは咎める様な口調では無く、単純に疑問を口にするものだった。ただし剣城は、松風の声のトーンが普段よりほんの少し低い事に気が付いていた

「今日は急ぐんだ」

大体お前とは約束していない。という言葉は流石に飲み込んだ。すると松風は小さくへえとだけ言った。剣城は松風の事が若干気になりながらも、言葉通り急いでいたから、そのまま彼の横を通って部室を出た。
背後でドアの閉まる音がして、剣城は少し立ち止まってから、再び歩き出した。昇降口に向かう途中、キャプテンや先輩と何度かすれ違ってその度軽く言葉と会釈を交わした。
剣城は自分の下駄箱の前まで来ると、中から靴を出して地面に落とし、上履きから履き替えた

「剣城ーーーー!」

その声にばっと振り返れば、案の定廊下の向こうからユニフォーム姿の松風が手を大きく振りながらこちらに走って来ていた。剣城が驚いて怪訝そうに眉を寄せている間に目の前まで来た松風は、前屈みになって開いた両膝に手を当てると、ぜえぜえと乱れた呼吸を整えた

「何だよ」
「うん…あのね…」

松風はどうにか上体を戻し、未だ呼吸の荒い口元を隠す様に手の甲を当てながら切れ切れに言った

「今度、剣城の口からちゃんと、お兄さんに紹介して欲しいなって」
「……何て」
「え?ううん、そうだなあ。友達だよって」

松風が眩しいくらいの満面の笑みを向けると、剣城は思わず目を反らした。実際そうしたら兄の喜ぶ顔が容易に想像出来てこっ恥ずかしくなったのだ

「誰がするか」
「えー!してよお!」
「嫌だ」
「剣城は恥ずかしがり屋さんだねー」

恥ずかしがり屋さん。似合わない言葉に剣城の背筋は粟立った。にこにこ馬鹿みたいに笑う松風に何だかいらっとして、剣城は床に脱いだ上履きを乱暴に掴むと、そのまま自分の下駄箱に突っ込んだ。そして松風に背を向けるときびきびと歩き出した。待ってよ!という声が聞こえたが、そんなものは無視である。もう少しで外だという時に走って来た松風に追い付かれ、前に立ち塞がれれば、剣城は文句を言ってやろうと口を開いた。その時、するりと手が伸びて来て剣城の両頬に触れた
むにゅ。唇に柔らかい感触。それと有り得ないくらいの松風のどアップ。剣城は鞄をどさっと地面に落とした。松風の震える睫毛を見ながら、剣城は頭の中をガンガンとんかちで殴られる様な衝撃を受けていた。これは、世間一般で言う所謂…。
松風の瞳がぱっと開かれたかと思うと、その顔はすぐ離れて行った。剣城が呆然と松風を見下ろせば、松風は頬を赤く染め、後頭部を掻きながら困った様に笑った

「剣城のファーストキス、貰っちゃったー…」

それは何とも棒読みな一言だった。剣城が喉の奥からどうにか「おい」と声を絞り出せば、その途端松風は大袈裟に肩を揺らして、脱兎のごとく駆けて行ってしまった。剣城はそれを追い掛ける気にはなれず、その場にしゃがみ込むと顔を膝に埋めた





∴友達にキスする趣味はある?