その時何かが落ちる音がした。不動が目をやると、この前鬼道と肩を並べて歩いていた女が、わなわなと震えながらドアの側に立っていた。足元には鞄が落ちている

「……やっぱり…そういう事だったのね……」

女の鬼気迫る声に不動を見つめていた鬼道も、ようやくちらと視線を移した。不動は修羅場を感じた

「おかしいと思ったの…付き合っても明王の事しか聞かないんだもの……それでも愛してるって言ってくれたから信じてたのに…!」

不動は驚いて、泣きながらこちらを睨み付ける女と無表情の鬼道の顔を交互に見た。俺の事しか聞かない?………まさか、そんな。

「おいきど…「何が望みだ?」

不動の言葉は、鬼道の女への問いかけでかき消される。鬼道の声はあくまで氷の様に冷たかった

「キスして!今此処で!!じゃないと貴方が同性愛者だって学校中にバラすわ!!!」

今や般若の様な形相で叫ぶ女に、中々の美人だった頃の面影はない。強烈な愛はここまで人を変えるのかと不動は哀れだと思いつつも侮蔑の眼差しを女に向けた。当然鬼道は嘲笑して跳ね除けると思ったが、不動の予想は外れた


「…良いだろう」

そう言うと鬼道は即座に不動から離れると、機敏に女の方へ歩く。そして期待の籠った視線を送る女の腕を引き、乱暴に口付けた。それは一瞬で不動が声を掛ける暇も無かった。2人の唇が重なった瞬間不動は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。女が歓喜の涙を流しながら瞼を閉じると、対照に鬼道は不動に熱い視線を送りながら舌を絡める。それは明らかに不動を挑発していた。不動は鬼道のキスに釘付けになった。そして嫉妬の炎が燃え上がると同時に、そのあまりの厭らしさに慣れているはずの体が熱く火照った
鬼道が唇を離すと、女は目を開いた。鬼道は落ちていた鞄を拾い、女に出ていくように促した。女は恍惚とした表情のままドアに向かう。そして最後にちらと不動の方を振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべてから部屋を出ていった
再び静かになった部屋で、鬼道に視線を移すとポケットから出した高そうなハンカチで口元を念入りに拭っていた。不動はこの光景を女が見たらまた発狂するなあと思った
ようやく満足したらしい鬼道は何の迷いもなくハンカチを床に放ると、不動をじっと見つめた。不動はにやにやしながらソファーに移動し、再び深く腰掛けた。

「どうした?」
「んー?鬼道は童貞じゃなかったんだなって」

そう言うと鬼道は短く笑って、不動のソファーに乗り上げた。

「さっきの俺にも、してくれんだろお?」

不動は鬼道のメガネをそっと外すと、鬼道の首に媚びるように手を回した。その瞳は妖しく光る

「口直しだな」

鬼道が誘われるままに唇を重ねると、それは酷く甘美な味がした。おまけに眼前の挑発する様な視線に、更なる興奮を掻き立てられ、不動の腰を強く引き寄せた

「ンッ…は……ぁ…」

ぬめる舌を絡ませ、無我夢中に互いの口内を蹂躙する。鬼道が唾液を送り込むと不動は素直に嚥下し、尚も飲みきれなかったそれは不動の唇から首にかけてを濡らした。唇を離した鬼道が、余裕のない表情の不動を見つめてごくりと喉を鳴らすのが分かった

「…おい」

不動は長い睫毛を瞬きする度揺らしながら、自分の上で獣のように目をぎらつかせる男を見た。その雰囲気に流されそうになるが、どうにか冷静さを取り戻す。まだ肝心な事は何も聞かされてなかったからだ

「念のために聞くけど、お前は…その、俺の事……」
「好きだ」

曇りなき眼で即答されると今更ながら何だか照れる。不動はああそうと視線を反らした。

「じゃ、じゃあ、いつから?」

痛々しいカップルみたいな質問をする自分にうんざりしつつも、聞かずにはいられなかった

「そうだな…中3くらいからだと思う。自覚したのは高校に入ってからだが」
「中3!?」

不動は驚きつつ若干の疑いを持って復唱するが、鬼道は普通に頷いている。

「全然そんな素振り無かったじゃねぇか」
「俺はいつもお前を見てたんだがな」
「嘘ぉ…」

不動は額を手で押さえた。まさか鬼道が自分と同じ事をしていたとは…。正直不動は未だに夢じゃないかとも思ってる。だって絶対に手に入らないはずの鬼道が目の前で愛しげに自分を見つめてるなんてそんなの、想像もした事がなかった。恥ずかしさと嬉しさが入り交じる

「顔が赤いぞ」
「…うるせえ。お前だって顔緩みきってんじゃねーか」
「当たり前だろう。ずっとこうしたかったんだ」

鬼道がぎゅっと不動を抱き締める。鬼道の首筋からは香りの良い香水と鬼道の匂いがした。不動は目を瞑って静かに深呼吸した。どちらのものか分からない心臓の音が心地よかった

「じゃあもう1つ質問。何で直接俺の方に来ないで女と付き合ってた訳?俺の事聞いてたって」

「俺は確証のない賭けに出たりしない。だから情報収集をしていた。 …それと、おそらく嫉妬もあった。」
「はは、きどークンさいてー。女の敵だな」

俺よりよっぽどタチ悪いじゃんと不動が呟くと、鬼道は苦笑した。自分が言うのは全くのお門違いだが、こんな回りくどくて、人を利用して騙す戦略なんて最悪だ。サッカーの時のフェアプレイ精神は何処へ行ったんだかと思った。でもそんな鬼道をどうしようもない奴だと笑って流してしまう自分も、やっぱりどうしようもない。おまけに鬼道のこんな外道な一面を知っているのは自分だけだと思うと酷い優越を感じてしまうのだ。

「不動」

鬼道は不動の肩を押して少し距離を取ると、不動の緑の瞳を見つめた

「なに」
「俺と、付き合ってくれるな?」

不動は一瞬きょとんとしてから、すぐにいつもの人を食った笑みを浮かべた。

「まあ、いいぜ」
「そうか」

その言葉に鬼道は安堵し、嬉しそうに笑うと、再び不動の唇に口付けた。触れるだけのキスで幸せな気持ちになれるなんて初めて知った

「じゃあこれからは俺だけにしろよ。浮気したら殺す」

不動は互いの吐息が唇に掛かる距離でそう言った。ふざけ半分本音半分だった

「フ、元々俺はお前しか見ていない。貴様の方こそ俺から逃げるなよ」
「……よくシラフでそんな事言えんな…。だったらちゃんと捕まえとけ」

不動は言い終わると同時に、目の前の形の良い唇に噛み付いた。鬼道が驚いたように肩を揺らすと、不動は嬉しそうに目を細めた。負けじと鬼道も不動の細い腰を厭らしく撫でる。熱い吐息を吐き出す不動に再び激しく興奮しながら、勢い良くソファーに押し倒した。そして眼下の不動に力強く言葉を落とす


「望む所だ」

不動は今まで見た中で一番綺麗に笑った





∴プラトニックはいらない