「おい風介ここは何処だ」

「そんな事私に聞かれても知らない」

「はぁあ?お前があの電車だって言うから乗ったんだろうが」

「人のせいにするとは…やれやれ、君は相変わらず子供だな」

「死ね、この方向音痴が」


俺達は今、見知らぬ駅にいる。事の発端は数日前、久々に元お日さま園の何人かで会おうということになった。そこで場所をどうするかという時、緑川が独り暮らしをしているからうちではどうかと提案した。ならばとお言葉に甘え、俺達は緑川の住居に向かっていた訳だが…


「それにしても凄まじい田舎だな。ド田舎と言っても過言じゃない」


俺と風介は住まいも近い為一瞬に行く事になったのだが、これが酷い方向音痴だということをすっかり忘れていた。電車はこっちじゃないのかと手を引かれ乗っていれば、いつの間にか見渡す限りの広大な自然の中に、平屋の木造住宅がぽつんぽつんと建っているという何ともローカルな駅にいた。緑川の住所を書いた紙をもう一度取り出して見てみるが、明らかにこんな田舎ではない。むしろ名の知れた都会の街だ。途中までは合っていたはずなのにどうしてこんなことに。頭を抱える俺を他所に、風介は車内販売で購入した棒アイスをホームに備え付けのベンチに座って食べている


「おいどうすんだよ。約束の時間過ぎてんだけど」

「時刻表を見た所、次の電車が来るのは2時間後のようだ」

「は!?こんな暑い中2時間も待てるかよ!まじありえねー…」


真夏に駅のホームで2時間、キツい。キツ過ぎる。俺はじりじりと照りつける太陽を憎らしげに見上げた。何せ駅周辺が本当に見通しのいいもんで、生憎カフェで時間を潰す事など出来そうにない。自販機もコンビニも無いなんて殺す気だろうか


「鷹だ…何処かに獲物がいるのだろうか」


優雅に日陰でアイスを食べながら空を見上げる風介に、元はと言えばこいつのせいなのにと若干カチンときたが、文句を言ってもどうせ受け流されるだけなので、舌打ちだけに留める


「とりあえず、緑川達に遅れるって電話しねーとな。心配するし」


俺はホームから、あと2時間は使われない線路に降り立つ。靴越しにも、線路と石が太陽の照りつけで物凄い温度になっているのが分かった。嗚呼本当に暑い。携帯を開き、電話帳に入ってる番号をプッシュし耳にあてる。無機質なコール音はせず、ツーツーという、電波が届かないことを知らせる音が聞こえた。俺はため息と共にその場にしゃがんだ


「くっそ…本当とんでもねぇとこで降りたな…」


暗に風介を咎めるように視線を向けたが、やはりあいつは空を見上げたまま最後の一口を口に運ぶだけだった


「……暑いな」

「結局それかよ。お前はアイス食ってたからいいけどな、俺は何も食ってねぇから」

「じゃあ何処か涼む場所でも探しに行くか」


食べ終わったアイスの棒をご丁寧にティッシュにくるんでポケットに入れてから、よいしょと立ち上がった風介は、無人の改札にすたすた歩いて行った


「本当勝手な野郎だぜ」


今度こそ方向音痴の風介に任せる訳にはいかない。俺は走って追いかけた







駅を出るとやっぱり山山山で、セミの鳴き声が一層激しくなった。俺達は日陰を好んで歩いたが、風が吹かないからやはり暑い。一応舗装はされているものの、車一台通らないからどうしたもんかと思った。もう何度目かも分からない汗が首筋を伝ってシャツを塗らす感覚に、眉をしかめる事しか出来なかった。その時俺の後ろを歩いていた風介が唐突に背中に覆い被さってきた


「…暑い。疲れた。おぶれ」


最悪だこいつ


「暑いんだったら離れろよ!!だー!もー!汗で気持ち悪ぃんだよ!」

「無理。もう歩けない」


その時風介の熱い吐息が俺の耳にかかって、思わずビクッと反応してしまった。当然それに気付いた風介は、きっと意地悪くにんまり笑ったまま、「感じちゃった?」なんて言いやがった。ちくしょう


「死ね!もういいから離れろよ!」

「晴矢がおぶってくれたら離れる」

「おぶった状態でどうやって離れんだよ!」


ああツッコむ体力が無駄だ、と思った時に、だらんと降ろしていた風介が両手をぬるりと俺の服に入れてきた


「何してんだよオイ」

「何か晴矢顔真っ赤だし。ちょっと、ね」

ふざけるなこの変態!と言いたかったが風介が更に手を上に移動させて乳首をつねってきたから本当にキレた。俺は激しくもがいて風介の手を振り払い、背中でどんと押してやった。直ぐに何か言われるかと思って地団駄を踏みながら振り返ったら、予想に反して風介は無表情に近くの林の奥をじっと見ていた


「何だよ、何かあんの?」

とことんマイペースな風介に不機嫌になりながらも、俺は反射的に問う


「こっち」

「は?」

「来て」


突然意味の分からないことを呟いた風介は、汗ばんだ俺の手を握って林の奥にずんずん進んでいった。戸惑いつつも、方向音痴のこいつについて行ったらまたろくな事にならないと思った俺は手を振りほどこうとしたが、強固に握られていてそれはならなかった。声をかけてもずっと無視。諦めて仕方なくついて行く。林の中は先ほど歩いていた舗装された道より全然涼しく、相変わらずセミは五月蝿かったがさっきよりかなり快適になった。柔らかい土を踏みながら、同じ林でも前に一時期住んでいた樹海の林とは全然違うなと思っていた。木漏れ日があるのとないのでは大違いだ。あそこは一日中鬱蒼としていた

しばらく歩いた所でようやく止まった風介は、ほっと息を吐いて、握っていた手を離すと、向こうを指した。それに習ってそちらを見ると、綺麗な川が流れていて思わずおおと口に出した。こんな傍にいるのに川の存在に全く気付かなかったという事は、よっぽど疲労していたのだろう


「行こうか」

「ああ。…もしかしてお前、川の音を聞いてここまで来た訳?」

「君にいつまでも方向音痴と罵られていては尺だからね」


ふうん、と笑って俺は風介と川に近付く。川辺に来て水面を覗きこむと、とても清んだ色をしていた。太陽光を反射してきらきら光っている。木々と川のいい匂いがして、すーと肺一杯に空気を吸い込めば、何だか落ち着いた。俺は思い出したように屈んで、両手で水を掬う。そしてそれを躊躇い無く喉に流せば、久々の水分に体が震えた。冷たくて気持ちが良い。一気に汗が引いていくように感じられた。


「あー!うめぇー!生き返るぜ」


何度も何度も口に運び、ようやく喉が十分に潤ったところで、少し離れた所にいる風介を見た。両手で水を口に運ぶ。それだけなのに風介がすると何故か神秘的に見えるから不思議だ。元々の風貌のせいだろうかなどと考えていると、丁度目が合った。風介が目を細めてふっと微笑む。俺は瞬間的に胸が高鳴ったのが分かった。急にあんな顔をするなんて反則だ。さっきは道のど真ん中でセクハラをしてきた癖に。折角引いた熱が頬に戻ってきたのを感じ、慌てて顔を背ける。だが小石と砂利を踏む音で風介がこっちに歩いてきたのが分かった。


「はるや」

「…何だよ」


大丈夫だ、熱は引いたはずだ。と自分を奮い立たせ、横に立つ風介を見上げる。普段より甘い声だなと思っていたが、それ以上に風介の瞳が熱っぽい。


「立ってよ」

「……何で」

「キスしたいから」


率直な要求に益々体温が上昇する。俺ばかり毎度こんなにドキドキしてて狡い。女々しい思考な自分にうんざりしたのもあって、思いきって自分から仕掛けてみようと思った。すくりと立ち上がり、目の前にある風介のシャツの襟を引き寄せて勢いのままキスをした。これ以上ない程近くにある風介の顔を見ると、驚いた顔をしていて、してやったりと思った。だが次の瞬間には愉快そうに笑っていた。そして風介の舌が唇を割って入ってくる。ぬるりとした感覚に背筋が波打った


「…ふっ……んぁっ…」


あんまりにも風介ががっつくものだから、俺は思わず一歩後ずさった。だがそれがまずかった。川辺の苔の生えた石を踏み、仰け反って体勢が崩れる。あっと思った時にはもう遅くて、盛大な水音を立てて俺は水中で尻餅をついていた。幸いにも浅かったが、当然腰までビショビショだった。目の前で呆気に取られる風介を見つめながら、俺自身も口をあんぐり開けて茫然自失だった。真夏といっても、川の水は驚くほど冷たい


「…ふっ、はは!何やってるんだい晴矢」

「見りゃ分かんだろ!コケたんだよ!あークソ、ビショビショだ…さみぃ…」

「良かったじゃないか、暑かったんだろう」

「うるせぇうるせぇ」


羞恥とこいつの滅多に見れない爆笑に若干ふてくされながらも、落ちたものは仕方ない。俺は濡れた手で前髪をかきあげた


「ふふ、ねぇ、色っぽいよ」

「…そりゃドーモ」


俺は手で掬った水を、未だ緩みきってる風介の顔にたっぷりかけてやった。





∴むせかえる呼吸音