痛い、痛い、失くした左眼が疼く。

あまりの気持ち悪さに、夏侯惇は飛び起きた。まだ空高いところに、月が掛かっている。
肩でしていた息を整えるとまるで悪夢でもみたような気分に苛まれた。

今でも、あの時の感覚が蘇る。一瞬にして、光を奪われた。
戦士として、亡くしてはならないものを亡くした。

思い出しただけで、情けなさと、苛立ちがこみ上げて来る。

寝台から下りると、月明かりを反射する鏡の破片を尻眼に、己の部屋を後にした。



季節は春、といっても既にそれも終わりかけていた。吹き抜ける風が、揺れる葉音が心地よい。
すぐさま詠いあげる己が主の姿が、脳裏に浮かんだ。

夏侯惇は微笑すると共に、目の前に、その主の姿を、そのまま映したように星空を見上げる人物を捉えた。

思わず立ち止まると、少女はこちらを憂鬱そうに見据えた。
夏侯惇は、特に避ける理由も無く、ぶっきらぼうに少女に話しかけた。

「冷えるぞ」

少女はその言葉に何か返す気もないらしく、再び視線を天の方へ戻した。

「......痛むの?」

夏侯惇は目を見開いた。何もかもが見透かされている様な気さえした。
いや、この女は、既に何もかも見透かしているのかもしれない。

「...いや、心配するほどではない」
「そう」

少女の、その紅い左目を隠すための仮面に、最近城内で流れている噂話を思い出した。

「呪い、などと言われてるらしいな」

そう、夏侯惇が目を失ったのは、この女が呪いをかけたから、などというくだらない噂が流れているのだ。

「...迷惑してる」

この少女のことは、少女が生まれた頃から知っているが、昔から己の首を絞めるようなことをせず、静かに生きて来た女だった。

「まだ、戦場に出るの?」
「当たり前だ。俺は、孟徳の覇道を斬り拓かねばならん」
「......」
「馬鹿らしいと思うか?」
「好きに、すれば」
「無論だ」

孟徳の覇道を斬り拓く。その言葉が、己に言い聞かせるような響きを孕んでいたことに、夏侯惇は驚いた。

いつになく、弱気だ。

それを今、ようやく自覚させられたのだ。

「すまんな」
「......なにが」

少し不快そうに目を細める少女の、その表情が、己の主であり、少女の父であるその男にそっくりで、思わず吹き出してしまった。

「いや...」
「......」

夏侯惇は、踵を返した。痛みはもう消えていた。
もうひと眠りしよう。そうして夜が明けたら、刀を振ろう。
少しでも早く、我が主の覇道を成す為に。そうすれば、あの少女が報われることもあるだろうか。



斬り拓く者、動かざる者





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