空を真紅に染め上げていた太陽は、既に暗がりに身を潜ませていた。
だが、闇を照らすのは白銀を冠する三日月だけではなく、焔を灯す松明が幾つも見える。

向うは曹操のもと。捕らえるためではない。冀州に入れなければいい。少し、恩でも売ってみようかと、そういう気になっただけだ。
馬上で外套に身を包み、仮面を着ける。得物は使い慣れた槍と長剣ではなく、一本の刀を剥ぐのみ。簡単なものだが、この暗闇の中ならば十二分に変装として成立する。
さっさと追いついてしまおう。
さらに馬を速めた。


眼前に、三つの青が見えた。それを追う幾つかの人影も。雑兵だ。

一閃。鮮血が散った。
青がこちらに気が付く。

「貴様...何者だ!」

その声を無視して真ん中を駆ける小柄な男に話かける。

「お久しぶりですね。曹操殿」

「お主は、...儂を捕らえにでも来たか」

声だけで私であるとわかったらしい。この上なく忌々しげな様子であった。

「恩を売りに、ですが」

「...そなたの主はもう董卓の家臣であろう。儂の事は既に伝わっている筈だが、」

「豚に垂れる頭はない、というのは失言ですかね。取り敢えず、貴方はこんなところで終わるべきではない。そうでしょう?」

「だが、」

「それとも捕らえて欲しいのですか?」

「いや、...まあ、よい。頼もしい援軍が来たものよ」

その言葉に、先ほどの男がまたも吼える。

「なっ...!孟徳!これが罠だったらどうするつもりだ!」

「そのときの為に貴方がたがいるのでしょう?幾千の兵も、猛将二人には敵いますまい」

「ああ、儂もそう言おうとした。気が合うな、鄭鵞よ」

曹操がにやりと笑みを浮かべる。微笑み返す。

「はっはあ!こりゃ期待に応えねぇとな!なあ、惇兄。鄭鵞っつったか?初めましてだな。俺は夏侯淵。字は妙才ってんだ!」

「淵!」

「よいではないか、夏侯惇」

「......ちっ、...俺は夏侯惇、字は元譲だ」

「私は鄭鵞と申します。以後お見知りおきを。道案内をいたしましょう。こちらへ」

この先にある間道にはどれくらいの兵がいるかなどを伝えながら、関所や砦を躱して進んだ。


それから数刻。
巡回の兵をあまり見かけなくなった。
こちらを追う松明もかなり減っている。

「ここからはもう、安全でしょう」

「ああ、助かったぞ。...ときに、鄭鵞よ」

その場を去ろうと馬の鼻をたてなおしたところから、顔だけを曹操の方へ向けた。

「そなたの才、儂の許で揮ってみぬか?」

「孟徳!」

夏侯惇が叱りつけるように怒鳴った。曹操は、もう慣れているのか、気にも留めない。

「...魅力的なお誘いですが、私には、主がいますので」

「ふむ、それは残念だな...」

「はは、もしそのときが来たら、精一杯お仕えしますよ」

「ふ、ならばまた逢おう」

「勿論。では」

「おう!じゃあな!」

「...ふん」

軽く一礼して元きた道を返した。
兵をまとめて戻ったら、少し休もう。
それから張コウ殿を鍛錬に誘おう。

血潮の焔




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