「間抜けな面だこと...」

既に胴体と離れ去った首を拾い上げ、嘲るように言い放った。何度も見てきた表情だった。
返事が返ってくる筈もなく、一度鼻で笑ってから自分より少し離れたところに片膝をついている配下の方に転がす。
首は数回跳ねて、供手をしている男にごろりと顔を向ける。その顔はやはり間抜けだ。

「其れは此処の門前に曝しておけ」

は、という短い返事と共に、若い将校は走り去っていった。

「任は果たした、帰るぞ」

鄭鵞は連れていた数名の部下に軽く呼びかけ、主の許へ戻るべく、踵を返した。

黄巾の乱が鎮圧された少し後、御史中丞に就いていた韓馥のもとに仕官してきたのがこの鄭鵞であった。
新参の軍人であったが、指揮官としては天賦の才を持っていた。



世が大きく動いたのは、その、ほんの数週間後のことだった。
霊帝が崩御なされた。
ふと、そんな知らせが届いたのだ。

後継は弁、少帝だという。霊帝はもう1人の皇子 、協を立てようと考えていたと聞いたが、弁は大将軍・何進の甥にあたり、協には、背景となる勢力がなかった。
そして、西園八校尉の筆頭である宦官・蹇碩は、亡き霊帝の想いに応えるために何進の誅殺を謀っている。
また、何進もその宦官の動きを察知し、宦官殲滅を目論んでいたが、何進の妹であり、少帝の母である何太后が宦官を庇ったため、それを実行する事が出来なかった。故に、地方からも兵を集めるために帰洛命令を出した。


これから何が起きるか。
それは、目に見えて分かることであった。


吃りながら行き先を問うてきた通りがけの主に、にこりと笑みを浮かべ、短い答えを押し付けるようにして宮に足を進めた。



宮には、曹操や袁紹、袁術らの近衛軍が駐留している。
董卓は、洛陽の近くで駐屯しているらしい。
宦官たちは、危機感を募らせているようだ。何も起きない筈がない。

「む?お前は...」

黄金の身なりの男が、こちらに気づいた。

「たしか、韓馥のところの、あー...」

「...鄭鵞です、袁紹殿。何大将軍はどちらに?」



「何太后からの召し出しだ。西園八校尉は待機を命じられている」

その問に補足を付けて答えたのは、目の前の黄金の男ではなかった。振り向くと、声の主は悠然とそこに立っていた。

「曹操殿...」

外套を靡かせているこの男も袁紹も袁術も、既に兵たちを控えさせている。
宮中に入ってしまったのなら、何進を助ける事は出来ない。
宦官たちは、恐らく帝さえ擁していれば、袁紹が攻め入ることはないと思っているのだろう。ここに控える兵卒らの態勢を見れば目の色を変えるに違いない。

「して、貴様は何のために此処に来たのだ?」

曹操が私に問う。御史中丞の部下が、主も連れずにこんなところにいるのは自然な事ではない。

「む...よもや、帝を戴こうという訳ではあるまいな?」

袁紹がそれに続く。

この漢たちには、野心がある。
己の力で天を統べようという、野心が。
私や私の主にはない。そのままのことを、口から吐き出した。

「私も、主も、天下を...帝を手中に収めんとする考えはございません」

「なれば、貴様は何を求める?」

「...」

そんな質問をされたのは初めてであった。誰一人として、私にそう問うたことはなかった。
元々、弱くはなかった。軍に入っていて不自然だと思う者は少なかった。


「安息を」

この答えが、一番自然に馴染んだ。

「こんな情勢なのです。ただ何もせずにいれば、戦乱は訪れ、持っていたものは失うことになる。故に、」

「失う前に、飛び入ったか」

「...ええ」

風は煩悩を誘うように鳴き、背を冷たくする。平穏に終わりを告げるように。


四半刻もしないうちに、そのときはやってきた。
何進が宦官たちによって殺された。
宮中が騒がしい。

最初に袁術が兵を動かし、つづけて袁紹の兵も宮中になだれ込む。

瞬く間に宮は炎に包まれ、虐殺で流された血に紅く染められていく。


宦官たちの断末魔と共に、群雄割拠の時代が、産声をあげた。

黎明、始まりが終わる



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