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*夢主登場ナシ

「──アウール先生って、いつ騎士学校の先生になろうと思ったんだ?」

 真っ直ぐに向けられた空色の瞳の中には純粋な驚きに満ちた表情が映り込んでいる。
 アウールは目の前の生徒からの唐突な問いかけに目をしばたたかせ、一つの吐息をこぼした。

「……いきなりどうしたんだ?珍しいことを聞くじゃないか」
「そうかな?」

 空色の目の持ち主──リンクは首を傾げて数度瞬きを繰り返す。その両腕にはアウールと同じく明日の鳥乗りの実技で使う木製の的が抱えられていて、リンクはそれらを地に置き汗を拭った。

「ほら、もう少しで上級生の卒業式だろ? 自分たちはまだ先のことだけど……騎士学校を出た後のこと、考えててさ」
「ああ……なるほどな」

 それは学び舎に入った者なら誰であれ一度は抱く、言ってしまえばありふれた迷いのうち一つだった。特に卒業式を控えたこの時期は同じような悩みを抱える生徒も少なくない。
 とはいえ、寝坊癖はあるものの誰の目から見ても実直なこの少年に同様の悩みがあったことに、アウールは素直な驚きを隠しきれなかった。

「リンクは……卒業後も剣技は続けるつもりなんだろう?」
「そうだな。正直、それ以外はあんまり想像がつかない」

 リンクは顎を引き、迷いなくそう言い切った。つまり彼が悩んでいるのは剣を振る場所について。──騎士団に入るか。もしくは騎士学校で教師になるか、という二つの選択肢だ。
 もちろん、卒業生には剣を持たず騎士とは全く無関係の職に就く者も多い。むしろ平和に浸り切った現在のスカイロフトではその方が一般的ですらある。だが、目の前の少年は今のところ後者の選択肢を持っていないのだろう。

 アウールは腕を組み、しばらく過去の記憶を探る。そうしておもむろに口を開いた。

「私が教師になろうと思ったのは……ちょうど私が騎士学校を卒業する頃だよ。今の校長が推薦をしてくれたんだ」
「推薦?」
「私が学生だった頃はまだ教師もそう多くはなくて、鳥乗りを教えられる者がほとんどいなかったんだよ。人不足もあって、運よく声をかけてもらったんだ」
「……そうだったのか」

 騎士の卵が集う騎士学校は、スカイロフトの歴史や剣技の伝統を継承し次世代へ伝える機能を担っている。が、学校自体の歴史は意外にも浅い。数年後にようやく二十五周年を迎えるといったところだ。よってアウールや彼の双子の兄弟、ホーネルは最初期の卒業生にあたる。
 優れた卒業生をいくら輩出出来たとしてもその技術を伝えられる者がいなければ歴史も伝統も続かない。故に教師という役割は必要不可欠となる。──そうして選ばれたのが、アウールとホーネルだった。

 恩師の話を聞き、目線を下げたまま様々な考えを頭の中で巡らせている少年へ、アウールは小さく口元を緩めた。

「……最初は、断ろうと思っていたんだよ」
「え?」

 アウールがこぼした予想外の言葉にリンクが驚き顔を上げる。口には出さずその理由を目で問われたアウールは、肩を竦めて視線を天上へと移した。

「私もまだまだ未熟だったからな。……ロフトバードは我々にとっての守護鳥とは言っても人間と違う生き物だ。一歩間違えれば、互いに傷つけあってしまうことだってある」

 アウールの視線に導かれリンクが見上げた青空には、翼を目一杯広げて羽ばたくロフトバードと、その背に乗る人間がいる。鳥と人、全く異なる種族である二つの存在が一体となって、四方の彼方にまで広がる世界を泳ぐ。

 ロフトバードがどのような経緯で人間と共に生きることとなったか、様々な説はあるものの未だその歴史は紐解かれていない。だが多くの先人たちが信頼を築いてきたからこそ、現在の共生関係が成り立っていることは間違いないだろう。

「鳥乗りを教えるというのは──人と鳥、二つの命を預かることでもあるんだ」
「────」

 そこまでを話し、アウールは傍らから注がれる空色の視線に気づいて苦笑をこぼした。

「……と、生徒に話すべきではないところまで話してしまったな」
「ああ……いや、」

 堅実なアウールの意外な一面を垣間見て、呆気に取られていたリンクは小さく首を振る。そうして束の間逡巡した後、改めて言葉を継いだ。

「でも、それならどうして先生になろうと思ったんだ?」

 続いたリンクの問いかけに、アウールは「ふむ」と短く唸り一度両眼を伏せた。やがて考えがまとまったというように、ゆっくりと瞼を開いて唇を解く。

「それは……未だに私自身も答えが出せていないことでもあるんだ」
「……え?」
「もちろん、生徒たちが剣技や鳥乗りを通して騎士として成長していく姿を見るのは心から嬉しく思う。たとえ卒業した後に騎士にならなかったとしても、ここを巣立った生徒たちの立派な姿を見られるだけで報われた気持ちになるよ」

 振り返り、アウールが仰ぎ見たのはスカイロフトで唯一の学び舎だ。
 アウールが卒業した当時に比べ、生徒数は倍ほどにもなった。過去の卒業生は騎士団の上長に就任した者、温かな家庭を持ち一家で農業を営んでいる者、はたまた鳥乗りを極め大空の調査を独自で行っている者など、さまざまな道へと足を進めている。

「遙か昔の騎士は……生涯剣を持って女神様に命を捧げ戦うことを誓っていたらしい。しかし、今は違う」

 スカイロフト全体を見下ろす、この地の創造神を象った女神像。あの像が過去数千年に渡り見守ってきた者たちに比べ、今の騎士の姿は随分と様変わりをしてしまったのだろう。──だが、

「今のお前たちには無限に可能性がある。どんなに優秀な鳥乗りでもこの空の果てを見たことがないのと同じで、誰だって未知の可能性を持っている。可能性とはつまり、希望だ」
「──希望」

 それはたとえ剣を置いた者でも、鳥に乗らなくなった者でも。──最初から翼を持てなかった者でも。全ての命に等しく与えられるべき未来の名前だ。

「私は……そのことを後輩や生徒たちにも教えたいと思ったのかもしれないな」

 柔らかな眼差しが傍らのリンクに向けて注がれる。アウールは表情を崩し、生徒であり後輩である少年へ言葉を紡いだ。

「お前も卒業まで悩んだらいい。時間も選択肢も、まだたくさんあるんだ。焦る必要も自分の中で選択肢を狭める必要も無い。そうして答えを出せたなら……騎士学校の誰もが、お前の背中を押すよ」
「……わかった」

 どこからともなく吹いた穏やかな風が、空の学校とそこに佇む教師と生徒を祝福する。数年後、目の前の少年とその同級生である生徒たちが騎士学校を卒業し、どのように生きていくのか。

 その姿を脳裏に描きながら──アウールはリンクと共に青い空を見上げた。


(HD発売記念カウントダウンSS-アウール)