*夜のオハナシの魔族長サイド「…………」
明るい窓の外。暑くも寒くもない室内。柔らかなシーツの感触。
いつからそうしていたのか曖昧なほどに、目覚めたばかりの頭は回っていない。
ただ上半身だけを起こし開ききらない視界を放置したまま。眠っているのかいないのか、朧気で静かな時間を過ごしていた。
定まらない視線をすぐ横に向ける。
昨夜連れ込み隣で寝かせたはずの部下の姿はそこになかった。
少し前に数回名前を呼ばれた記憶は薄く残っているが、起きる理由もなかったので半分眠ったままの自身が適当にあしらったのだろう。
いつも通りならば部下は朝の剣技の練習に出ているはずだ。おそらくそれが終わればまた主人を起こしにくる。
「…………、」
──それにしても。
再び上体をベッドへ投げ出し、数時間前まで部下が眠っていたであろう箇所に手を添える。
熱はとっくに残っていない。が、微かに漂う甘い匂いを無意識にも拾い上げてしまう。
そうしているうちに未だ頭は目覚めきっていないはずなのに体の奥底が疼く感覚を覚え、くしゃりとシーツを握り締める。
俯いて顔を埋めたものの、二度目の眠りの世界に入り込むことはもう不可能だった。
同時に朝からこんな気分にさせる生意気な部下に無性に腹が立った。本人に言えば理不尽だと反論してくるだろうが、知ったことか。
……帰ってきたらたっぷり虐めてやろう。
それだけを決めて、朝から芽生えた欲を捨てきれず部下の帰りを待った。
──が、今日ばかりはその思惑が果たされることはなかった。
あいつを虐めてやると決めたものの当の本人がなかなか帰って来ず、小一時間経った頃。
徐々に頭は覚醒し、それに伴い待つばかりの時間に限界を感じ仕方なくこちらから出向いてやることにした。
「…………ああ」
結論、リシャナは自室にいた。
そして武器と装備を整えたその姿を見て合点のいった声が漏れた。
……そういえば、今日はこいつに遠方へ行くことを命じた日だった。故に剣技の訓練を終えたその足で支度をしていたらしい。
正直ここでこいつを捕まえて欲を果たしてから行かせてもよかったが、最後の理性で何とか踏みとどまった。最優先事項を見失ってはならない。
「……マスター? どうしたんですか……?」
何らかの悪い予感を悟ったのかリシャナは訝しげな……というよりやや青ざめた、仕置きに恐怖する時と同じ顔を向ける。
その表情に刺激された加虐心が理性を砕きかけたが意地でなんとか堪えた。
「リシャナ」
「は、はい?」
「……帰ってきたらすぐにワタシの部屋へ来い」
自然と低くなった声でそう命令をすると、リシャナはようやく何かを察したらしく幾分か強張りから解放された表情を見せた。
ついでに主人から視線を外し、小さく呟く。
「…………一昨日したばっか、」
「何か、言ったか?」
「嘘ですッ! 大人しく仕事してきます!!」
逃げるように出て行った部下の後ろ姿を見送る。
相変わらずの不遜。どうやら夜にじっくりわからせてやるしかないらしい。
ワタシは一人溜め息をつき、その時を待ちながら一日を始めた。
* * *
──そして。
「…………遅い」
口を衝いて出た文句は何度目なのか、数える気すら起きなくなっていた。
現在。もはや夜更けと呼べる時間帯に差し掛かっている。
まだリシャナは帰ってきていない。
たしかに少々距離がある地方に出したが、それが主人を待たせる理由にはならない。
が、鬱憤を晴らす相手もいないため、苛立ちは舌打ちにのせて紛らわせるしかない。
この時間になると苛立ちの原因には待たされていることに加え、軽く襲いかけている睡魔の存在があった。
しかしこれだけ焦らされたのだ。素直に眠気に身を委ねるのも癪に障る。
「……チッ」
とは言えどうにもならない現状に舌打ちが再び弾ける。
待つ間特にすることも思いつかず、結局はベッドに横たわるしかなかった。
そうなれば突き放したはずの睡魔は再び手を伸ばしてくる。
…………眠い。
素直にそれだけ思った。
半分、思考が落ちかけている。
「…………、」
──ふと、気づいた。
今日一日、リシャナのことばかり考えていた。……結果的にではあるが。
そんな些細な事実に気付いてしまってまた腹が立った。部下の分際でおこがましい。
こんな苛立ちが募るのも、待たされるのも、全部あいつの所為だ。
──あいつが部下になってからだ。
頭が働くことをやめようとしているせいなのか、普段考えもしないことが泡のように浮かんでは消える。
そうしてそんな取り留めのない考えも次第に無意識下に沈んでいく。
そのまま……自覚の上に在るのかどうかすらわからない意識を、瞼を閉じることで手放した。
「──お邪魔しまーす」
「…………、」
一度は落ちてしまった意識が、緩く引き上げられる。
ぼんやりとしたままの頭でようやく部下が帰ってきたのだと知る。
いつのまにか微睡んでしまっていたらしい。深く眠り込むことはなかったものの、直前まで何を考えていたのかまでは思い出せなかった。
記憶の糸を手繰る前に、様子を窺う部下がワタシの眠る横までやって来た気配を感じた。
一日待ち望んでいた瞬間に、纏う眠気はあるものの体が渇きを訴え出す。
小さく声を漏らして目を向けると、少しだけ驚いたような表情で彼女はそこにいた。
「…………おそい」
眠る前にぶつけてやろうとしていた尽きぬ不満は一つだけしかこぼれなかった。
代わりに軽い力でリシャナの腕を引いて、すんなり引きずられ収まった体を包む。
こうして手が届くところにいればすぐ落ちてくるくせに。新たに過った不満を口にすることはない。
抱え込んだ熱の感触を肌で確かめながら、頭をもたげた欲を刻み付けるべく──目の前の唇を奪った。
ちなみに部下→寝つきが悪くて寝起きは良い(空にいた時はどっちも悪かった)、魔族長→寝つきめちゃくちゃ良い、寝起き最悪のイメージ。