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長編2-6_『友達』



 ──その為だけに、生かされた存在だった。

 *

 魔族と戦士、石橋を挟んで対峙する両者。その視線を一身に受けた緑衣の騎士──『勇者』リンクは、戦士を背にして前線へと出た。

 わずかな戸惑いを滲ませながらも正義感に染まった空色の瞳。それは背後の赤色と肩越しに視線を交わす。

「ええと、敵……じゃない、よな?」

 どうやら彼らは初対面であるらしい。咄嗟の状況を見遣り、敵味方を判断したのだろう。
 空色に見つめられたインパは数秒考え、彼を値踏みするように顎を引いた。

「……話は後だ。ここはお前が引き継げ。私はゼルダ様を探しに行く」
「! ゼルダに何か……!?」

 求めていた人物の名を聞き、リンクの焦燥が露わになる。が、問いを向けようとする彼を制するように赤い瞳が冷たく細められた。

「説明している暇はない。……お前は遅すぎた」
「……!」
「あの御方は私が必ずお守りする。……お前はあれと戦うことだけを考えろ」

 インパは淡々とそれだけを告げ、促すように視線をギラヒムの方へと向ける。リンクは何か言いたげに唇を震わせたがきつく抑え込むようにそれを結び、一度だけ頷いた。

「────」

 決意に塗り固められた空色の双眸が、かつての戦いの場で自身をいたぶり生殺与奪の権すら握った存在を射抜く。
 その姿を見遣り、インパは勇者の背から距離を取ると、強く地を蹴り火山内部へ至る道を駆けていった。

 ──それをギラヒムが追うことはなく、腰を落として白銀の刀身を掲げる『勇者』と視線を交わす。

「せっかく再会出来たというのに、つれない表情をするものだ」
「…………」

 嘆息をこぼして弧を描いた唇を見せつければ、空色の中に滲んだ敵意はさらに鋭く研ぎ澄まされる。
 力の差は森での一戦でわからせてあげたはずだ。にも関わらず、未だ一片の曇りすら見せないその意志には呆れるとともに素直に感嘆した。
 無論、それを口にしたところで彼が額面通りに受け取ることもないのだろうが。

 ギラヒムは一度自身の髪を梳き、両眼でその姿を捉え直す。

「ちゃあんと君を楽しませるための舞台も考えておいてあげたというのに。少しは敬意を払ってほしいものだね?」
「……誰が、お前に」

 予想通りの反駁と共に、静かな激昂の気配が漂う。
 平静を保っているようで、先ほど告げられた巫女の行方が彼を駆り立てているのだろう。

 そうありながら彼がここで踏みとどまっているのは使命感によるものなのか、それともあの数瞬でインパの言葉を信用したからなのか。
 どちらにせよ、交戦の意志があるならこちらにとっても都合がいい。

「……いいよ、また遊んであげよう。今度は最初から剣を交わしてね」
「────、」
「ただ、こちらも時間が限られているんだ。あまり長くは構ってあげられない」

 時間の限界──つまり、禊が終わり、あの戦士が巫女を見つけるまで。

 禊が完全に終われば女神の魂は目覚めの時を迎え、巫女は生贄として足り得る存在へと至るだろう。それを逃してしまえば後々厄介なことになるというのは容易に想像がつく。勇者との戯れに興じるのは禊が終わるまでが上限だ。

 ……あとは、あの馬鹿犬がインパと接触したとしてどれだけ渡り合えるか、だが。

「────」

 そこまでを考え、それは懸念するまでもない些末な問題だと気づく。
 あれがインパと戦い勝てるか否か、生き延びられるか否か。それを主人がどう考えようが、問いかけようが──どうせあの不躾な部下は主人にとって最善である道にしか興味がない。

 だから、

「──せいぜい、愛狂しいと思う程には抗ってくれたまえ」

「──お前の思い通りには、させない」

 今は自身という存在が疼き指し示す方向に、素直に従えばいい。

 そして彼が一度でも無様な姿を見せたなら、此度はすぐさまその命を食い潰してあげよう。


 * * *


 ぐるぐる、ぐるぐる、回っている。
 回っている。回っていた。今も、以前も、この先も。

 いつから、だったのだろう。
 初めて受け止めるような感情で、過去に何度も手にしたような感触で、今までずっと持ち続けていた感覚だった気がする。

 いつ、それを自覚したのだろう。
 それは意識しなければ決して表に出ないもので、でもずっとずっと私の裏側で巡り続けていたものだった。

 ぐるぐる、ぐるぐる。
 回っていて、覗き込んでみればそれは。

 暗い暗い、穴だ。

 暗くて、何も見えなくて、視覚ごと呑み込まれてしまいそう。でも、不安はなかった。

 こわいという感情はあった。
 ただ、同時に安心をしてしまう、ほの温かい感覚があった。

 ぐるぐる、ぐるぐると巡りながら、違う彩りの赤色は黒へと近づいていく。暗闇へと迫っていく。

 いつか。いつかかえる、ばしょ。
 くらい、くらい道をたどって、自身の姿までも見えなくなって、そして魂だけになってたどり着く、ばしょ。

 ──つぎはきっと、わたしがあなたをそこで待つ番だ。

 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。
 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。

 ぐるぐる、ぐるぐる。


 *


「──の、」

 …………吐きそう。

 鉛のような意識が四肢を引きずりながらも浮上して、私は声にならない呻き声を上げた。
 頭どころか世界が揺れてる。座り込んで顔を伏せていてもこれなのだから、立ち上がるなんて絶対に無理だ。
 今しがた誰かに呼ばれたという認識はあったけれど、それが誰なのか考える気も起きない。

「──ぇ、──」

 はずなのに、声の主は再び話しかけてくる。
 見るからに体調最悪といった様子でいるのだから、ここは空気を読んでそっとしておいてほしかった。元気になれば、いくらでも相手はするから。
 どうせ、いつものようにマスターが無理矢理私を起こそうとしているのだろう。だとすればこの後頬を摘まむなり耳をくすぐるなり肉体的接触を図ってくるはずだ。けれどこの気怠さはそれすらも無視してしまいたいほどのものだった。

 しばらくすると、予想通り私の目の前へ誰かが歩み寄る気配を感じた。フードを目深に被って蹲った私の肩へ、その人が柔らかく触れる。

 瞬間、ほんのり甘い匂いが鼻を掠めた。
 傍若無人のくせにマスターのこういうところは本当にずるいなと心から思う。何なら私が彼に従ってる理由の一割くらいは良い匂いがするからとも言えてしまうかもしれない。本人に言えば遠慮なく軽蔑の視線を向けられるのだろうけど。

 ……でもこの匂い。
 嗅ぎ慣れたマスターの匂いとは違うような……?

「──ねぇ、大丈夫?」

 そうしてふらふらと迷子そのものと言える思考の変遷をたどっていた私は、鼓膜を揺らす声音をはっきりと認識した。

「…………え」

 同時にその声が持つ意味を理解し、私は弾かれたように顔を上げる。
 瞼を開いて飛び込んできた光景は予想の倍は眩しく、覚醒しきっていない頭へ直接負荷がかかったけれど、それどころじゃない。
 数拍置いて順応した視界は眼前にいる人影の輪郭を捉え、

「──!!?」

 それが可憐で愛らしい女の子であり──先ほどまで気絶していたはずのゼルダちゃんだと理解して、私は声も出せずに引き下がった。

 なにが、起きたんだっけ……!?
 予想以上に大袈裟な反応だったからか、距離を置いた私に戸惑いの視線を送るゼルダちゃん。
 その姿を見据えながら、私は眼球だけを動かし突飛な状況をなんとか把握しようとする。

 ゼルダちゃんの背後には白く無機質な石で象られた女神像が佇んでいる。神聖な存在を祀る台座を中心とし、そこへ至る一本道を除いた空間のほとんどは透明な水に浸っていた。
 光源は台座と道を囲む燭台のみ。けれど今目にしている景色は空間全体が温かな光に満たされたように明るく見える。

 ここは間違いなく、ずっと目指していた大地の神殿──その最奥にある禊の泉だった。
 その理解をきっかけに、だんだんと私の記憶も蘇ってくる。

「…………」

 ──たしか私はゼルダちゃんを背負って歩き続けて、なんとかこの泉に到着したはずだ。
 ゼルダちゃんは依然気絶したままだったため禊をすることも出来ず、数分悩んだ結果大人しく彼女の目覚めを待つことにした記憶がある。

 と、そこまでは良かった。
 魔力を消耗した上に全身を疲労させていた私は、聖域の空気にいつも以上に当てられ半分気絶したような状態に陥ってしまっていたらしい。
 捕まえた巫女の目覚めを待っていたはずなのに逆に自分が気絶しかけていたとは。魔力切れ、恐るべし。

 しかしそうして私が見張れない状態だったにも関わらず、目覚めたゼルダちゃんはここから逃げ出さなかった。
 逃げたところで泉の外は多くの魔物たちが監視をしている。そこを独力で抜けることは不可能だと判断したのだろう。
 ……そういえばその魔物たちが彼女の拘束用にと鉄の足枷を用意してきたが、断って正解だったと思う。気分的に。

「あ、あの」
「?」

 ふと小さく話しかけられ、巡らせていた視界を目の前の少女の元へと戻す。
 私がフードの下から視線を注いでいるとわかると、胸に手を当てたゼルダちゃんがおずおずと切り出した。

「……大丈夫?」
「え、」
「その……苦しそうにしていたから」

 彼女の唇から紡がれた言葉に、私は大きく目を見開いた。
 向けられたのは、心の底から目の前の人物に対する憂慮を滲ませた目。
 ……私が魔族長の部下だと、とっくにわかっているはずなのに。

「────」

 加え、私は先ほどの認識を一つ改める。
 ゼルダちゃんは魔物の監視を恐れてここを出なかったのではない。
 ──私の身を案じたから、逃げなかったのだ。

 呆気に取られる私に対し、彼女はその瞳にさらに強い意志をたたえて向き合う。捕まえているのが私で、捕まっているのが彼女のはずなのに、それを無視することは出来ない。
 フードで顔を隠しているのに、その中の表情すら見透かされている感覚を抱く。

 ……なんでこの子は。誰かに対して、自ら傷付こうとしてしまうのだろう。
 彼女に笑ったままでいてほしいと願う人は、大勢いるというのに。

「やっぱり、とっても顔色悪い」
「────」
「ここからわたし一人で逃げることはどちらにせよ出来ないもの。だから、貴方ももう少し座って休んでいた方が……」

 蒼色の中に、押し黙ったままの私が映り込む。
 その姿を見てしまえば心の底で押しとどめている何かが決壊してしまう気がして、私は耳を塞ぐかわりに無理矢理顔を背けた。そして、

「──禊」
「え?」
「禊、早く始めて。……じゃないと、剣を抜くことになる」

 無感情にそれだけを言い放ち、私は魔剣の柄に片手を添える。
 その様子に桜色の頬が微かに強張ったけれど、森で見せたほどの動揺を彼女が露わにすることはない。

 二、三度か細く呼吸をし、ゼルダちゃんは結び直した唇を静かに震わせる。

「……女の子よね? わたしと同じくらいの」

 問い質すような響きも、遠慮する素振りもそこにはない。
 彼女は彼女の中の予想──否、確信をただ口にしているだけだ。
 それに対し私が返事をすることはない。だが彼女は私に話しかけることをやめようとはしない。

「……わたしもね、知ってるの」

 透き通った無垢な蒼色がそこで一度区切り、私を真っ直ぐに見つめる。
 紡がれる鈴の声音は、歌声のようで、天啓のようで、糾弾のようにも聞こえて。

「何年か前に、わたしたちが住んでいた空の島から落ちてしまった同級生。……ううん、」

 小さく首を振って、彼女は何かの覚悟を決めるかのように瞼を閉じた。
 音もなく息を吸い、再びそこに広がった蒼色の鏡は静かに告げる。

「わたしの、友達」
「────」

 首に、喉に、心臓に、見えない手がかけられる。
 優しく柔らかな手のはずなのに、言葉にならなかったはずの呼吸音すら潰されてしまいそうな。

「貴方は……いいえ、」

 彼女が今から告げようとしているのは、この場で聞くにはあまりにも残酷すぎる言葉だ。口にしなければ、耳にしなければ、互いがこれ以上に苦しむことはないというのに。
 彼女はそれすらも知りながら、澄んだ泉に言葉を響かせる。

「……あなたの名前は、」

 ──蒼色の瞳の中には、かつて見たわたしの姿がただ映り込んでいた。