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長編2-4_獅子の立つ陽炎



「何が、起きてるんだ……?」

 空色の瞳に、赤く燃え猛る山が映り込む。
 その全貌を捉えられるほど距離が離れているというのに焦げ付いた灰の匂いが濃く漂い、吹き付ける風は熱を帯びて身に迫った。

 恐れと共に美しさを感じさせるその光景を目にし、少年は小さく呟く。

「──ゼルダ」

 口にしたその名に、彼は何度でも奮い立たされながら。
 炎の土地へと、もう一人が足を踏み入れた。


 * * *


 人の身で抗えぬ災禍は女神と魔族、両勢力の分断により戦況を掻き乱す。

 岩の間を吹き抜けた熱風には細かな灰と砂が雑然と入り混じり、哄笑にも似た風音が響き渡った。
 しかし火の土地の狂乱はそう長くは続かず、しばらくすれば何事もなかったかのような平穏が戻される。
 地響きが収まり後追いの風が噴煙をさらえば、残されるのは地に薄く積もった灰のみだった。

「────」

 その呆気なさは、あまりにも不自然な形で目に映る。
 まるで何らかの意志を持って引き起こされた天災のように思えて、既に薄煙を吐き出すのみとなったオルディン火山の山頂をギラヒムは睨みつけた。
 想定できる可能性は一つだけだが、真偽を確かめている暇はない。今はそれよりも──、

「……おっと」
「ッ──!!」

 戦場から完全に目を背けていた仇敵に対し、戦士の薙刀が咆哮と共に空気を穿った。
 しかし矛先が体を貫く前に、わずかな動作でそれを躱す。
 同時に視線を戻せば、憎悪と憤怒に染まりきった赤い双眸の鈍く光る様が映り込んだ。

 虚空を貫いた長柄は即座に引き戻され再度の刺突を試みるが、次の瞬間ギラヒムは離れた地に足をつけていた。
 赤の刃は一切肉を断つことはなく、山の壁面だけを砕く。

「チィッ……!」
「護るべき対象を見失った腹いせかな? 随分とイイ顔をしているようだが」

 薙刀を構え直し、シーカー族の戦士、インパは表情を歪ませて振り返った。
 突き刺すような剣呑な視線に対し、悠然と微笑みをたたえ、ギラヒムは目を細める。

「安心したまえ、巫女の命は失われていない。それに、あの天邪鬼は主人の命令に逆らえないからね。殺しはしないさ」

 そう嘯き、指し示すように視線を送った先は歪な亀裂を刻み、無惨な形で崩落した山道の一部。
 噴火による地滑りに巻き込まれ、巫女とその体を抱えたリシャナは足場ごと下層へと落ちていった。

 何の抵抗もなく真っ逆さまに墜落し、二人揃って地面で潰れている可能性も無くはないだろう。
 だが、どうせあの部下はただで死にはしない。……主人の目の前以外で死んでしまわないよう、躾をしたのだから。

 無論、口先だけで希望を与えてやってもインパの鋭気は消えない。
 むしろそれが孕む激情はより色濃いものとなった。

「……魔族の話になど耳を貸す理由はない」

 低く、冷え切った声音が短く返す。
 鋭く研がれ、触れようものならすぐにでも肌を裂きそうな敵意を向けられ──ギラヒムはそれを、あえて揺らがせる。

「実に心外な態度じゃないか。君こそあの少女を囮として使ったくせに、ね?」
「!!」

 その言葉に、赤色の目が押し開かれた。
 辛うじて保たれていた平静が揺さぶられ、虚勢の殻が剥がれていく。内側に潜んでいたのは、インパ自身が取った選択に対する後悔だ。

 頑なに表に出ずに隠されていた感情は、一度引き摺り出してしまえば後は目に見える傷口に爪を立ててやるだけでいい。

「驚いたよ。まさか使命に生きる飼い犬の一族が自ら飼い主を危険に曝すとは。随分と思い切ったものじゃないか」
「────」

 噛んだ唇に、握った拳に、深紅の血が滲む。
 賞賛という皮を被った煽動は、インパの矜持を残酷な形で弄ぶ。

 その反応を見る一方で、囮の申し出がおそらく巫女の方からであったとギラヒムは推測していた。 
 これだけ感情を揺さぶられながらも事実を口にしない様子を鑑みるに、使命に生きる一族の執念は根深いものと言えるだろう。
 それを理解した上で、彼女が激情に駆られるまま立ち向かってくることを見越し、挑発を口にした。

 ──だが、

「……耳を貸す理由はないと、言ったはずだ」

 予想に反して返ってきたのは、動揺や焦燥の影すら見せぬ答え。
 ギラヒムが小さく目を見開けば、決然とした光をたたえた赤色が真正面からこちらを射抜く。

「あの御方は我が命に代えてもお守りする」

 インパは刃を携え、姿勢を下ろす。
 目先の使命のみを見据え生きるその姿は、獅子の如くそこに在る。

「そのためにも貴様をここで、討ち取る」

 殺意と敵意、それ以上の戦意。
 傷口に爪を立てても苦鳴すらあげず、牙を見せようとするその様に素直な笑みが口元に浮かんだ。

「ああ……いいね。嫌いじゃないよ、その顔」

 憎悪に呑まれながらも使命を道標として、ただただひたすらに戦い続けるその姿。
 行く末で使命が果たされるのならその身が、その心がどんな形になっていても構わないという気高くもあまりに愚かな生き方。

 ……どこかで見た、生き方だ。心の底から愚かだと思うのに、嫌悪感は抱かない姿だ。

 だから、

「そのままの表情で、殺してあげよう」

 満たされた声音が熱を帯びた風に乗って、ギラヒムは黒き魔剣の剣先をその双眸へと掲げた。


 * * *


 広く暗い、洞穴だった。
 無機質な岩の壁が四方を囲うだけで、外界に比べて幾分か温度が下がったように感じる。
 空間自体は自然が作り出し、その後どこかの亜人が休息場所にと内部へ手を加えたのだろう。やけに整えられた地面が広がっていて──つい先ほど天井に穴が開き、降り注いだ瓦礫がその上に積まれていた。

「……無事、は伝えなくてもいいかな」

 ふと、空間内に一つの声と小さな羽音が木霊した。
 時折頭上から落ちてくる細かな砂や石の破片を瞳に映し、再び声が響く。

「じゃあ、これだけでいいや」

 山の上層から落ち、山積みになった瓦礫の上。そこにいるのは二人の人間。
 一人は陶器のような肌を青白く染め、眠る少女。そしてもう一人は、傍らで飛ぶ魔物へ言葉を続ける。

「──『巫女を捕まえました』って」

 魔族長の部下は眠る巫女の体を抱え、そう言い切った。


 *


「……息、ある」

 柔らかい体を抱え、腕の中で眠る彼女の顔を見遣る。
 頬の血の気はわずかに引いていたけれど、生気は失われておらず、綺麗な桜色は保たれたままだった。怪我の様子もなく、本当に気絶をしているだけのようだ。

「……う、」

 そこまで確認をして緩く頭を持ち上げると、不意に奇妙な浮遊感に揺さぶられ、私は逃げるように頭を伏せる。
 同時に指先が痺れるような感覚に陥り、手のひらを自らの額へ押し当てた。

「一気に魔力使ったらこんな感じになるんだ……うぇ」

 絶えず揺すられる平衡感覚をなんとか押し留めながら、その原因を口にして顔をしかめる。

 ゼルダちゃんと共に巻き込まれた地盤の崩落。
 気絶したゼルダちゃんの身を抱えたまま落下していた私は、咄嗟の判断で魔銃を手に取り、迫る地に向けて魔力を破裂させた。
 結果それがクッションとなり、私たちの体は硬い地面に叩きつけられず生き延びることが出来たのだった。

 しかし予想以上に魔力が削れてしまった反動が、今のこの酩酊状態に繋がっていた。
 もともと大した量がない自身の魔力を一気に使い込んだのは初めての経験だ。やりすぎたら命が削れるという主人の脅しは過剰表現ではなかったらしい。

 そうして思考を巡らせながら眩暈が落ち着くのを待っていると、二つの羽ばたき音が私の頭上をくるくると回った。

「ニンゲン、ウマソウ、ウマソウ」
「オマエヨリ、ウマソウ、ウマソウ」
「比べなくていいから……!」

 不自然な抑揚をつけながらも小馬鹿にする意図がはっきりと伝わる言葉が降ってきて、私はその正体を見上げる。

 私とゼルダちゃんの真上では、二匹の小さな動物──コウモリ型の魔物、キースが忙しなく飛び回っていた。
 繁殖能力が高く、どの地方にも生息している下位の魔物だ。耳にした通り未発達ながらも言葉を使うことが出来、伝令の手段によく使われる。
 とは言え知能が高いわけではなく、本能のまま餌に食らいつく性質は他の魔物と変わらない。目を離せば今にもゼルダちゃんにかじりついてしまいそうだった。

 私は飛び回るキースから目を離さず、再度命じる。

「とりあえず、マスターのところに戻って伝言お願い」
「ツタエル、ツタエル」
「オマエヨリウマソウ、ツタエル」
「それは伝えなくていい!!」

 主人の耳に入れば確実にいじられるであろう情報を持ったまま、二匹のキースは岩の隙間を潜って飛び去って行った。
 重要な部分をうまく伝えてくれるか不安は残ったけれど、最低限巫女が生きていると伝われば良いだろう。

 再び嘆息し、私は眠る少女の元へと視線を戻す。

「……さて、」

 この後はどうするべきか。
 先ほどキースが抜けていった岩の隙間から覗く山頂の断片は、ここに落ちる前よりもかなり遠ざかってしまっている。ほぼ最下層にまで来てしまったことは間違いないだろう。

 どちらにせよ、上層の神殿にある禊の場まで巫女を連れて行かなければならない。
 ここから神殿の奥地までゼルダちゃんを担いで行くのはかなり骨が折れるけれど、何もせず主人の迎えを待つ方が非現実的だろう。

「────」

 神殿内の聖域に二人で向かい、巫女に禊をさせる。
 ──そして禊を終えたらこの身をマスターに引き渡す。すべきことはそれだけ。

 深く息をつき、私はゆっくりと立ち上がる。
 気絶しているゼルダちゃんの体を起き上がらせて固定し、なんとか背負い込んだ。

 やはり、軽いと感じてしまう。
 意識のない人間は通常よりも重く感じると聞いたことがあるのにそれでも背に乗る体はあまりにも細く、軽いと感じてしまった。
 ……彼女が力ない少女であるから、と考えるより自分の体力がついただけだと考える方が気は楽なのかもしれない。

 私は一度瞼を閉じ、巫女の存在に打ち震える自分の血の存在を確認する。

「…………、」

 ふと、思う。
 私の中の魔物の血が今よりも色濃く存在していたなら、キースたちと同じ“欲”を私も持つことになったのだろうか。人の血に対し、“味”を感じることになっていたのだろうか……と。

 何気なく過ぎった嫌な想像。私は頭を振ってそれを霧散させ、巫女を抱えて歩き始める。
 敵同士であり、同級生であり──知人というにはあまりにも見知った間柄である二人が、禊の地へと向かい始めた。