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長編2-2_気まぐれなる剣と剣戟



 オルディン地方への往路は普段と変わらない曇り空が広がっていた。
 拠点が位置するフィローネの森から北へ数十キロ。丸二日かけて森と平原を抜ければ徐々に緑の気配はなくなり、黒や赤の岩肌が目立つ岩石地帯へと入る。
 昔──天地分離以前の大地になら人間がつくった街道が存在していたのかもしれないけれど、今はその痕跡すら残されていない。
 これまで何度か訪れて多少は歩き慣れた道筋だとは言え、己の足頼みで向かう他地方への遠征は毎回骨が折れる。

 現地で既に敷かれた監視体制に追加で投入される魔物たちは、昨晩のうちに出発をしていた。
 だから今回の道のりも主人と二人きりだ。私はひたすらに足を動かし、主人は面倒な道のりを瞬間移動で端折りながら目的地へと向かう。

 足の遅さと体力の無さを定期的に罵られつつも旅程通りに足を進め、いつしか踏みしめる地面には火山灰が薄く積もり始めてきた。
 数日前には遠く彼方に見えていたオルディン火山。今やその全景が視線の先で捉えられる地点にまで来ている。

 そうして目的地への到着を間近に控えた夜のことだった。

「あつい……」

 休息場所を離れ数分歩き、高低差のある岩場を踏み越えればそこには赤茶けた土と大小様々な小石が目立つ平地が広がっている。
 その場に佇み、蒸した空気を肌で感じながら私は小さな呟きをこぼした。

「……はぁ」

 一つ嘆息し、空いた片手で汗を拭う。もう片方の手で握る魔剣の剣先が固い地面に当たり、小気味良い音を立てた。
 ……軽い運動のつもりだったけど、これはまた水浴びをしないと寝られないだろう。

 普段から悪い寝付きがさらに悪く、主人と共にした寝床から抜けてきたのが少し前。
 胸のざわめきを紛らわせるようにしばらく剣を振るっていたけれど、気づけば思う以上に集中してしまっていたらしい。

 一度剣を収め、伸びをしながら顔を上げる。
 次いで目に飛び込んでくる光景に、私は肩を竦めた。

「……やな光」

 目線の先で高く聳えるオルディン火山、その上空。
 天を覆う雲を貫き大地に差し込むのは──薄赤色の光の柱だ。
 フィローネの森に注いだ白緑色の光と同じく、あの光も何かのための道筋を示すように真下へと降りていた。

 ……あれを見ると、嫌な胸騒ぎがする。
 明日に備えなければならないというのに、それでも剣を手に取った理由の一端はあの光にあった。
 奥底に眠る焦燥感が煽られ、掻き消そうとしても不穏な予感は燻り続けてしまう。

「……?」

 その時。ふと背後に何かの気配を感じ、渦巻いていた思考が静止する。

「え」

 それが誰のものなのか私はすぐに察した。
 が、その人がここへ訪れる理由が咄嗟に思いつかず、戸惑いの声が口を衝いて出る。
 振り返り視線が重なったのは、やはり予想通りの人物だった。

「……マスター?」
「主人の眠りを妨げておいて、不躾を体現したような顔をするじゃないか」

 呆気に取られる部下に対し彼──ギラヒム様が不満げに口端を歪める。文句を言われたものの、その声色を聞く限りご機嫌斜めというわけではないらしい。
 そして驚愕に見開いた私の目に映るのは、普段の赤いマントを羽織っていない主人の姿。そのまま視線を下ろし、彼の手にあるものを見て私はさらに首を傾げる。

「なんで、剣……?」
「このワタシが空のごとく広い心で駄目部下に付き合ってあげようというのに、その察しの悪さは冒涜と取っていいということかな?」
「へ」

 回りくどい表現の怨み言を耳にし、ようやく彼が魔剣を片手にここへやってきた理由を悟る。
 ……つまり、私の剣技の練習に付き合ってくれる、らしい。

 唐突すぎる主人の気まぐれに、私は数秒困惑する。何らかの意図があるのか本当に気まぐれなのか、その表情からは読み取れない。
 しかしここで何故かと聞いて彼のご機嫌を損ねれば、貴重な機会が無駄になってしまうだろう。

 疑問符が満ちる頭を切り替え、私はもう一度だけ主人と視線を交わす。そうして瞼を下ろし息を吐いて、

「……ぜひ、お手柔らかにお願いします」

 一振りの魔剣を携え、主人と対峙した。
 彼は緩く口角を上げ、同じく片手の魔剣を掲げる。

「その気になれば」

 絶対にそうする気がない笑みを最後に返され、一定距離を保ったまま沈黙が訪れた。
 鈍い鋼の光が互いの刃に反射し合い、刹那魅入られてしまいそうになる。耳を撫でるのは野に這う風の音だけだ。

 ──そして、何度目かの呼吸の直後。
 私は地を蹴って主人の元へ飛び込み、一直線に魔剣を振り下ろした。

「──ッ!」

 甲高い音が暗闇を引き裂き駆けていく。
 重心を逸らさず自重の全てを乗せ下した刃。が、それを受け止めた彼の魔剣の刀身はびくともしない。数日間の特訓の成果はまだ発揮するまでに至っていないらしい。

 けれどそこで退いたりはしない。軽く往なされ崩れかけた体勢を即座に立て直し、次なる剣撃を仕掛ける。変化をつけず、再度正面から剣圧をかけた。

「さて、今日は何回でへばるか」
「最高記録、出したい、とこですけどねっ……!」

 鋼同士がかち合う金属音が、散らされる火花と共に響き渡る。
 閃く刃の軌跡は全て本気で相手を斬り裂くためのもの。それを弾き主人から返される剣撃も私の身を本気で裂くためのものだ。

 今が戦いの前であっても、相手が大切な主人でも。命を奪い合う戦場で戦い抜くための剣技は、命懸けでやらなければ身に付かない。
 それはこうして主従間で剣を交わす時の暗黙の了解となっていた。

「!」

 肩にのしかかる重い剣撃を辛うじて弾き切ったその瞬間、刹那の間隙が生まれる。
 そこを逃さず重心を落とし、主人の懐を目掛けて一気に刃を振り下ろした。──しかし、

「遅い」
「む」

 手の中の魔剣に伝ったのは想像していたものと違う感触。
 決め手のつもりで斬り下した刃をいとも容易く防がれ、見せられた嘲り顔に眉根を寄せる。

 すぐさま引き下がり、容赦なく迫る追撃を受け止める。何度も下ろされるのに、一撃一撃が重たい。……彼からすれば半分も力を入れていないのだろうけど。
 剣撃の雨をぎりぎりで往なしながらなんとか耐えきり、再度生まれた間隙に向かって刃を振り落とす。今度は先ほどより手ごたえがあったものの、一切攻撃は通らない。

 ──と、不意に形の良い唇が薄く開いた。

「そこで剣圧をかけたいなら、最後まで重心を逸らすな」
「……!」

 無感情で告げられた主人の言葉に数瞬目を見開き、一歩引き下がって体勢を立て直す。
 すかさず先ほどと同じ動作をなぞり、二度目の大きな剣閃が主人の魔剣にのしかかった。
 受け止められたものの、先ほどよりも高く響いた金属音。動かなかったはずの彼の魔剣の刀身がほんのわずかに震えた。

 即座に刃が弾かれ合い、双方が身を引いて距離をとる。呼吸が上がった私とは対照的に、涼しげな顔をした主人は綺麗な白髪を指で梳き、目を細めた。

「マシにはなったか。まだまだ軽いし遅いけれど」
「……あい」

 嘲笑と共に与えられた評価を素直に受け止める。
 相変わらずの蔑み顔だったが、一つ気付いたことがあった。

 ──おそらくギラヒム様は、私が正統派の剣術を習得しようとしているとわかって言っている。
 拠点で私が練習している姿は一度も見ていなかったはずなのに。

「…………」

 未だ彼の気まぐれの理由はわからないままだったけれど、これ以上に無い機会ということには変わりない。

 私は息を整えながら剣を構え直し、二戦目を迎える意志を示す。
 主人が剣を掲げれば、再び剣戟の応酬は開始された。

 打ち合いをしながら彼から与えられる言葉は罵り九割助言一割。体力に伴って精神までもが削られていく。
 それでも一本を取られることなく踏みとどまり、徐々に身体の運び方を覚えてきた頃。剣を振るっていた彼がふと口を開いた。

「で? 今さらお行儀の良い剣技を身に着けようとした理由は?」

 空気を真っ二つに裂く閃音と共に向けられた問いかけ。やはり予想は当たっていたらしい。
 私は両足を踏みしめ黒の刃を受け止めながら、小さく顔をしかめる。

「……恥ずかしいから聞かれたくないですって言うのは、」
「無いに決まっているだろう」
「うう……」

 呻き声と共に剣を弾き攻勢へ。攻守が転じないよう意識を保ちながら、私は渋々天望の神殿の戦闘で感じたことを伝える。
 鋼が鳴らす軽快な金属音の合間に、私の自白をするような声音が落ちていった。

「──以上です」

 そう締めくくったと同時に、二人の間に等しい間合いが生まれる。
 主人は一度鼻を鳴らしただけで、続く言葉は何もない。その様子を見ながら、私はわずかに顎を引いた。

「……怒らないんですか?」

 おずおずと向けたその問いかけに、主人の剣先がぴたりと宙に留まる。
 私の剣技。その基礎の基礎は騎士学校時代に学んだものではあるけれど、技法や戦法はほとんどがマスターの踏襲だ。
 故に、彼のものとは違う戦い方を習得することは自身で決めたこととはいえ教えに背くような後ろめたさがあった。

 主人は何かを推し量るように唇を結び、やがて一つ嘆息をする。

「別に。型だの形式だのに捉われて剣の本来の力を引き出せなければそれこそ本末転倒だからね」
「説得力で抉ってきますねー……」

 ……その剣本人が言うのだから、人間の私からは何も言えない。
 人が出来るのは剣が担う使命に応えること、それのみだ。

 会話を終えれば双方の間合いは再び詰められ、閃く黒い鋼が交錯する。
 夜闇の中でも二つの鋼は光を帯びていて、その残像を目にしながらいつか耳にした主人の言葉を思い出す。

 ──剣の精霊の使命と運命。
 使命とは、主の力の化身として主の願いを、希望を、欲望を叶えること。
 運命とは、主のためだけに全てを捧げ、主が朽ちる最期の時まで共にいること。

 その二つの言葉を語る時、彼の目は深く、形容しがたい感情に彩られる。

 そこに潜む真意は私にはわからない。……わかるなんて、絶対に言えない。
 精霊に比べ薄っぺらな人の身が。彼の本質を無遠慮に飾り立てて紡ぎ直すことは、あまりにも無粋であると言えるだろう。

 それは同じ存在にしか、あるいは彼の主にしか本当の意味で理解し得ないのだから。

「────」

 それでも、一つだけ理解出来るのは。

 彼が最も信頼する存在に使われる瞬間を迎える──それが彼自身の願いを叶える、絶対条件であるということだ。

「……そんなふうに気の抜けた間抜け面を見せるのなら容赦なく斬り捨ててあげるけれど」
「ッわ、」

 無意識にも溺れていた感傷を、主人の刃が文字通り断ち切る。
 間一髪のところでそれを躱して距離をとった部下に対し、彼は自身の髪を撫でつけ呆れ混じりの吐息をこぼした。

「もしくは、中途半端にやった結果戦力として使えなくなるくらいなら、剣技特化の魔物たちと組手でもさせてあげようか?」
「ええ……絶対嫌です……」

 心の底からの拒絶を前面に出しながら、彼の剣撃をなんとか堪え切る。無理矢理現実へ引き戻すように重い剣圧は、余計なことを考えるなとほのめかしていた。
 無事に生還できる気が一切しない組手も断固拒否の所存だけれど、剣技を教えてもらうならやっぱりマスターからが良い。これは単なるわがままだった。

 私は狭まった間合いを乱すように数度剣を交わし、劣勢だった戦況を振り出しに戻す。

「珍しく粘るね。生意気な」
「せ、っかく……マスターからの熱いご指導、いただいてますから。……それに、」

 鋼越しに言葉を交わし、足を踏ん張らせて最大限の剣圧で突き通す。守りの姿勢を崩されぬよう主人が数歩退いたが、無鉄砲な後追いはしない。
 その代わり、私は正面から対峙した彼と視線を交わし、

「……負けたくないですから」

 ささやかな意地を、表明してみせた。
 無論、それは目の前の主人に対してではなく、この手の鋼をいずれ向けることになる者たちに対してだ。

 数瞬目を見開いた彼は、一拍置き呆れ混じりに表情を崩す。

「口でなく結果で示せたのなら、格好がついたね?」
「あ」

 瞬間。防御不可能な位置まで詰められた間合い。
 間近で不敵な笑みをたたえる彼だけが視界に映って、

「──撃墜イチ」

 細い指が私の脳天を貫き、悲痛な叫びが夜の大地に響き渡った。


 * * *


 主従が翌朝の日の出を迎えたのは火山への山道入口に辿り着いた時だった。
 地形の半分以上が溶岩に囲まれた地と言うだけあって、火口から離れたこの場所も熱気と噴煙が立ち込めている。

「あ……ヒドカリ」

 そこで私の視線を縫い留めたのは、魔物らしからぬ見た目をし、前脚と頭だけを巣穴から覗かせた生物だった。
 この地に多く生息している魔物だけれど、とても臆病な性格の種族らしく近づけばすぐに巣穴の奥へ隠れてしまう。拠点で世話をしている子たちに比べると比較的温厚と言うべき魔物だ。

 ただ、以前オルディンに出向いた際に興味のまま近づこうとしたら、全力で火を吹かれて丸焼きにされかけたことがあった。……あれからちょっとは学習したから、今なら少しくらい触れるんじゃないだろうか。

 そうして「またくだらないことを考えている」と言いたげな主人の視線を屈んだ背中に受けながら、手を伸ばすか否かそわそわと決めかねていた──その時だった。

「──!」

 ぞわりと、自身の血液が意志を持ち何かに引き寄せられるように蠢く。
 咄嗟に息を呑んで振り返れば、背後に立つ主人と目が合った。

「……便利ですね、私の女神探査機」

 軽薄な口調とは裏腹に、主従の間で交わされる視線には冷たい覚悟が宿る。

 立ち上がり、己の血が指し示す方向を睨む。
 火と熱が支配する山道を抜けた先。その視線は──禊のための泉を探す巫女がいる方へと向けられた。