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長編1-8_answer



 一閃の瞬きは刹那だった。
 しかし光の残像が完全に網膜から消えてなくなるまで、そこには束の間の沈黙が訪れていた。

「はぁ……ッ、」

 鋼は固い地面で小気味の良い音を鳴らし、喘ぐような吐息がその場に落ちる。
 荒い呼吸を整えながら、それでも緑衣の騎士は戦場に立ち続けていた。

 空色の目は今にも消えそうな光を宿し、辺りを見回す。
 女神の力を帯びた一閃が目の前の敵を消し飛ばしたのだと理解して、微かな安堵が表情に滲んだ。

 ──そうしてあまりにも無防備な油断に浸り、警戒が緩んだその背後で、

「ッくぁ……!!」

 ギラヒムは勇者の後ろ首を片手に捕まえ、強引に自らの元へと引き寄せた。

「残念。捕まってしまったねぇ……?」

 細い喉笛が嫌な音を立てて締め付けられ、勇者の呼吸は強制的に留められる。神経が麻痺した手からはするりと白銀の剣が抜け、地に落ちた。
 生存本能に駆られるまま勇者が爪を立てて足掻くが、虚しいほどに無力な抵抗にしかならない。

「しかし、あの力を使えたことには少しだけ感心したよ。まだまだ不完全で、容易く避けてしまえる程度のものではあったが」

 空から与えられた女神の力を帯び、質量を持った刃を放つ。
 祝福を受けた選ばれし若人──かつての『勇者』が使った力だ。
 おそらく、彼の中にその自覚はない。しかし過去の『勇者』の片鱗は確かに存在していた。

 最も、それが通用するかどうかは全く別問題。
 力を集約するまでに長すぎる時間を要したそれは、瞬間移動によりあまりにも容易く避けられてしまった。

 ……だがいずれ、彼がこの力を使いこなすことが出来たとしたら。
 頭の片隅にわずかな懸念を抱き、ギラヒムが視線を細めた、その時だった。

「────、」

 分厚い壁に閉ざされたその先。戦闘の最中から意識を向け続けていた気配が、たった今途切れた。

 ギラヒムはその方向へと視線を寄越し、魔力の糸を探る。答えは悪態と共に漏れ出た。

「……馬鹿犬め」

 ……思った通り、巫女の気配が消えている。
 この広間を抜けた先に存在する、魔族を寄せ付けない空間。そこで同時に行われていた戦闘が終焉したらしい。
 その場に取り残されている部下──リシャナの魔力から、結果は考えずとも推し量ることが出来た。

 無意識にも小さなため息がこぼれる。だがここでの目的は大方達成した。今が引き際だろう。
 ギラヒムは再び勇者の耳に唇を寄せ、“お別れ”を口にする。

「悪いね、少年。時間切れのようだ」
「ッ……!」

 言いながら首の拘束を解くと、その身体は糸が切れたように地へ崩れ落ち、渇望していた酸素に溺れて噎せ返る。
 そうしながらも、空色の目は仇敵を鋭く睨み付けていた。剥き出しの敵意に対し、ギラヒムは微笑を返す。

「威勢は褒めてあげようか。ただ……そのまま考えナシに突っ込んでくるのはオススメしない」
「!」

 立ち上がろうとする勇者を制するように、彼の首の傍らに魔剣の切っ先が添えられる。

 少しでも動けば首を刎ねる。
 その意図はすんなり伝わったらしい。顔を歪めて悔しそうに歯噛みしたが、彼が再び立ち上がることはなかった。

「──さよなら、空から来た少年」

 怨嗟に染まった空色の視線を受けながら、最後にふと気がつく。
 そういえば、彼の名前を聞くのを忘れていた、と。

 我ながらあまりにどうでも良いことだと再び嘆息をこぼし、ギラヒムはその戦場を後にした。


 * * *


 ──神殿内部での魔族長と『勇者』の争いが終わりを迎える、少し前。
 静寂を尊ぶ泉は、シーカー族の老婆と半端者による張り詰めた緊張の渦中にあった。

『────』

 淡い光で出来た甲冑と、意思のない三つの視線。老婆が作り出した兵士が掲げるのは、魔力で形作られた剣だ。

「──ッ!!」

 一呼吸を置き、一体の兵士が先陣を切る。振り下ろされた剣を魔剣で受け止め、私は小さく舌を弾いた。
 やはり、重い。この重圧を何度も受けて、耐え抜く自信は正直無い。それに、

『────』
「うぐっ……!」

 正面で相手をする兵士の影から二体目の兵士が剣撃を仕掛け、私はもう片方の魔剣でそれを防ぐ。……いくら“致し方ない”とはいえ、女の子一人に対し一斉攻撃とはいかがなものか。

 しかし戦場での正当性を説くことほど不毛なものはない。勝って生き残るか負けて死ぬか、その不文律が存在するのみ。

 だから、剣技での御法度を私も容赦なく使う。両刀で受け止めていた剣を一気に解放し、振り下ろされた兵士の刃から身を引いて逃れる。続けて、

「……ッんの!!」

 かけた重圧に釣られて一体の兵士がよろめいた瞬間。下がった頭部に私は勢いよく横蹴りを食らわせた。

『────』

 兵士は呻き声も上げず、地面へと崩れ落ちる。
 足には実体があるのかないのかよくわからない感触が残ったけれど、見る限り物理攻撃は効くらしい。兵士の頭を蹴り飛ばした脛には痺れが尾を引いている。

『────』
「!」

 痺れに顔をしかめていた私へ、すかさず二体目の兵士が剣を振り上げる。
 私はそれが下される前に身をかがめて懐に入り込み、魔剣の刃を返しながら光で出来た身体の肩から首にかけてを一閃する。

『──、──』

 血は吹き出さず、光が途切れて分離した兵士の体は空気中に溶けるように消失。
 その終わりを私が見送ることはなく、左手の魔剣を振り上げながら体を転換させ、

「ッ重た……!」

 背後から迫っていた三体目の剣撃を受け止める。
 両腕で振り下ろされた凶悪な一撃に対し、魔剣を支える左腕が小さな悲鳴を上げる。だが、ここで押し切られれば声すら出せなくなってしまう。

 片足を軸に重心を傾け、キシキシと音を立てる刃を睨む。同時に後ろへ引かれた右足が地面を踏みしめ、競り合う力の総量を上げた。そして、

「ッふ……!!」

 肺を締め付けながら呼吸を捨て、一気にかけられていた剣圧を解放する。
 獲物の胴体を真っ二つにすべく切りかかった兵士の剣撃は歪な線を描いて横へ振り払われた。

 私は咄嗟に身を屈めて分断する刃を避け──そのまま魔剣の刀身を天へと振り上げる。
 防御に転じることが叶わなかった召喚兵の体は真下から断ち切られ、霧散した。

 実体を持つ兵士相手ならばそこで一度剣を下ろしていたことだろう。しかし、今の私にそうすることは許されない。

『────』
『────』

 視線の先では老婆が印を結び、集まった光が二つの人型を構築する。
 半ば予想はしていた。決して初めてではない召喚兵や実体を伴わない相手との戦い。それが数度の打ち合いで終わるはずがないと。
 一体一体の動きがそこまで速くないのは幸いだけれど、無限に出現するのだとしたら早いところ打開策を見つけなければならない。

『────』
「……っ、」

 立ち止まって考える間も与えてはくれず、完全な形を成した兵士たちが向かってくる。
 悪態をつきたくなる気持ちを抑え、私は再び魔剣を携えて相手の元へ踏み込んだ。

 光で象られた剣が振り上げられ、陽光に乱反射する。その光が角度を変える前に、兵士の懐へ飛び込み腕ごと剣を切り落とした。

「……!」

 瞬間、兵士を斬った感触の軽さに私は小さく目を見開いた。
 その感覚を頭の片隅に一度押し込め、すぐさま視線を逸らして二体目の剣撃を弾く。追撃を繰り返し、数瞬出来た間隙を縫って兵士の上半身へ刃を走らせる。

 上下に分かたれた胴体が光の粒となり崩れた──その向こうで、

「!!?」

 崩れた兵士に取って代わるように、低い位置から剣を構えていた三体目の兵士の存在があった。
 どのタイミングかわからないけれど、応戦していた兵士の影でそいつは生み出されていたらしい。

 瞬時に背後へ引き下がり、迫る剣撃を魔剣で防ごうとするが──間に合わない。

「ッァぐ──!」

 熱。続く、焼け付くような痛み。
 思考が全て、それらに刈り取られてしまう。

 しかしその痛みを忘れる時間を私は無理矢理作り出す。浅く呼吸を噛み締め、苦痛を訴える傷の存在を完全に無視し、兵士との間合いを詰める。
 そのまま魔剣を握りなおし、苦し紛れの一閃を放った。

「……くッ、」

 光となり溶けて崩れた兵士を見送りながら、堪えていた痛みに顔を歪めて吐息を逃す。

 浅いけど、脇腹に入った。
 裂けたケープの下では服が赤く染まり、熱を持った痛みは無視した分を取り戻すようにじくじくと疼いている。
 脂汗が浮かび、表情は意識していても強張ってしまう。

 その一方で、何度目かの打ち合いを経て私は一つの確信を抱いていた。
 召喚され続ける兵士たち。──彼らの剣圧は少しずつ威力を失い、反撃がしやすくなっている。

 魔力を使った召喚故に、無限に現れる兵士を倒し続ける必要はないらしい。老婆の魔力が底を尽きれば兵士の出現も止まる。
 そうは言っても、消耗戦を仕掛けるにはかなり分が悪い。どちらにせよ長くは持たないだろう。

『──、──』
『────』
『────、──』

 再び三体の光の兵士が姿を現した。
 腹部から伝った血が地面を濡らす。温度のない目をした兵士と背後で控える老婆の敵意は揺るがない。

「…………」

 そして少し離れた場所で感じる慣れ親しんだ魔力。その持ち主が今どこで、誰と戦っているのか、自ずと理解は出来る。
 脳裏に浮かぶ姿はほんの少しだけ腹部の痛みを和らげて──、

「──っ、」

 同時に、戦う意志を強固なものにする。
 その意志が後押しするのは争いの終わりを迎える覚悟ではない。
 戦いを終わらせる決意だ。

「──!!」

 呼吸は一度。あとは声も音もなく、駆け出すのみ。
 向かうは迎撃に備える兵士たちの真正面。両手の魔剣を再び強く握り締める。

 光の剣が振り下ろされる前に間合いを詰めれば、刃に乗せるのは速さだけで良い。息を止めた刹那、放った三つの剣閃はそれぞれ獲物の胴体を斬り裂き、光の粒へと変える。

 そこで足を止めることはしない。まとめて一度に塵と化した兵士たちが再び生み出されるその前に、魔剣は次の標的を狩りに行く。

 ──召喚の術者本人のもとへと。

「何……!?」

 砦を失った老婆に焦燥が浮かび、新たな兵士を生成するための印が結ばれる。
 しかし、たとえ召喚が間に合ったとしても兵士の剣撃が私の進行を遮ることはもはや不可能。

 刃を手に駆け抜けた、その果て。
 ついに私は老婆と直接対峙をする──はずだった。

「…………え、」

 最後に阻んだその人影に、私の口から呆けた声がこぼれる。
 見入ってしまった目の前の光景は私の脳を揺るがせて、同時にそれは“庇われた”老婆にとっても同じことだった。

「──ゼルダ様ッ!!」

 裂帛の叫声が、その名を呼ぶ。
 彼女は恐怖の色に染まった表情を強張らせ、それでも決然とした意志をたたえながら両のかいなを広げていた。

 その姿を──老婆の前に立ちはだかった“旧友”の姿を目にし、私の足には一瞬の戸惑いが生まれて、

「ハッ──!」
「……っ!!」

 その隙を老婆は見逃さなかった。瞬時に魔力を込めて生み出された兵士は、私のすぐ目の前に出現する。
 息を呑み、突破しようと魔剣を構えた時には既に遅い。最大限の魔力を注がれた兵士は音のない咆哮と共に剣撃を放ち、私の体を突き穿つ。

「ッぁ──!!」

 剣撃自体は防いだものの、かけられた圧力に耐え切れず、私はか細い苦鳴を上げて体ごと吹き飛ばされた。

 鮮血が舞い、片方の魔剣は私の手から弾け飛ぶ。
 全身を貫いた圧力によって、私はこのまま地に体を叩きつけられ、敗北を示すのみという末路に迫られた。

「────」

 まるで、悪者だ。立ちはだかった旧友の目を見て、私は思った。
 否、最初から悪者だった。だから戦い続けていた。しかし今、揺らいだ意志と共に手から鋼が抜け落ちた。

 ──剣を失ったなら戦いは終わるのか。
 終わらない。終わらせたく、ない。獣なら牙で、ヒトなら四肢で、骨で、魂で。
 悪者ならば、いっそどんな手段を使っても、終わらせるべきではない。

 私は、そのために新しい武器を手にしたのだから。

「────、」

 吹き飛ばされた体が地面に打ち付けられる、その直前。冷たい鉛の感触を手にし、私は重力に逆らって身を翻す。
 歪んだ視線が捉えた獲物へ、魔銃の銃口は向けられた。

「──ッ!!!」

 ──銃声は複数。
 紫紺の弾丸は剣を構えることも許さず、立ち尽くす兵士の頭を光の粒へと変える。
 そして何倍にも感じられる瞬刻の時。銃身が捉えた標的は、砕けた光のその奥にいた。

「────、」

 咄嗟に目を見開き、獲物を見据えた視線が銃口の先にいる少女のものと重なる。
 蒼色の瞳の中に写る私の眼差しは冷えた黒色一色に染まっていて、

 澄んだ泉に、最後の銃声が響き渡った。