長編1-6_沈黙の狩り
「──ッ!!」
縦横に這い出した木の根が覆う壁の向こう。
標的である魔族の少女を捉えた襲撃者は自身の姿が悟られる前に、身の丈ほどある長い柄と先端に研がれた刃を持つ武具──薙刀を少女の足元へと投げつけていた。
空を裂き、地面へと突き立ったそれは少女の認知を得た刹那、赤き火の柱をたて獲物を捕まえる。
その炎は獲物に煉獄の痛苦を与えるためのものではなく、それすら感じる間も無く一瞬で全てを焼き切り苦しみから解放させるためのものだった。
故に高い火柱が上がったのはほんの数秒。燃やし、焼き尽くしたその後には煤と灰だけが残るはずだった。
「────」
立ち消える炎を見届けた襲撃者は、薙刀の突き刺さった地面へ音もなく飛び降りる。そのまま火の柱が消えた痕跡へと歩み寄り、黒く焦げ付いた地面を睨みつけた。
そこに、少女が灰と化した残骸は見当たらなかった。
襲撃者が視線だけで周囲を観察すると、足取りはすぐに見つかった。
床に這い出した木の根が絡み合った床。見れば、その根は鋭利な刃で乱雑に切り開かれ、それらを押しのけるようにして押し広げられた空間があった。大きさはちょうど人一人が通れるほど。
「────」
襲撃者は無言のまま地に突き立てられた薙刀を引き抜く。そして鈍い光を放つ刃を高く振り上げ、
「──ッ」
一閃が、根の壁を真っ二つにした。
切り裂かれたその奥。露わになったのは、隠されるように存在していたごく狭い通路だった。
* * *
「げほっ……」
ひりついた喉が上手く酸素を取り入れてくれず、私は肺を締め付けながら噎せ返る。
一滴でも水を口に出来れば多少は楽になるのだろうけれど、そう悠長なことをしている余裕は状況的にも物理的にもなかった。
深く息を吸って、私は中腰のまま体を引きずって狭苦しく薄暗い空間を這い進んでいく。
「狭い……焦げくさい……絶対ケープの端っこ燃えた……」
そこそこに不快指数の高い圧迫した空間に不満が口を衝いて出るが、それを吐き出せるだけまだ幸運だった。
襲撃者──おそらく女神側の、老婆とは違う敵による奇襲。
火柱が上がる直前、老婆たちの気配が不自然に途切れていることの意味に気づき、私は咄嗟の判断で足元に広がる根っこの隙間へ飛び込んだ。
一瞬でも判断が遅れていたら、今頃ケープの端どころか全身が黒焦げになっていただろう。まさかあんな罠にはめられるなんて。
しかし怪我の功名というやつなのか、潜り込んだ木の根の奥に小さな通路を見つけた。
なりふり構わずそこへ身を捩じ込み、そして今も奥へ奥へと進み続けている。
途中まで背後にあった追手の気配はいつの間にか消えていた。
内部は入り口と同様に木の根が侵食していて、その隙間から人の手で造られたであろう無機質な壁面が覗いている。
抜け道なのか本来人が通るための道でないのか、どちらにせよ長い間使われていなかった通路なのだろう。当然、向かう先がどこに繋がっているのかは全くわからない。
しかし前へ前へと進むうちにのしかかってきた気怠さが、皮肉にもこの先に待つものの確証を抱かせた。
そうして本能に従うまま進んだ道の果てに、
「……光?」
閉塞された空間の終わりを告げる薄明かりが差し込んだ。同時に私を迎えたのは澄み切った空気と柔らかな風の音だ。
どうやら私がたどってきた道はここから正規の経路に合流するらしい。やはりこの道は隠し通路だったのだろう。
光が溢れる向こう側の景色は、順応しきっていない目では捉えきれない。それでも私は迷うことなく光の中へと足を踏み入れた。
「…………、」
そこは、小さな泉だった。
神殿から外の世界へと抜け、木と木で囲まれたその先は天を望める。
空間のほとんどは透き通った水で満たされ、一本の道が中心へと伸びていた。その果てには慈愛の微笑みをたたえた女神像が木漏れ日を浴びて佇んでいる。
──そしてそこには、神聖なる地へ訪れた異質な存在に警戒を向ける目があった。
私は深く被ったフードの下から、追い詰めた老婆と巫女を目に映す。
*
「……やはり、ここへ立ち入ることも出来るか」
老婆はフードの下の私の表情すら見透かしたように、低い声音で告げる。
私から返す反応は何もなかったが、老婆が私のことを知っているという予想は確信に変わった。
「────」
二人の姿を目で捉えたまま、私は主人に命じられたことを頭で反芻する。
「しばらく泳がせておけ」と私に命じたギラヒム様の真意は、今目にしている光景にあった。
──空から落ちた巫女。魔族と同様、女神にとっても必要とされるその存在に、遅かれ早かれ使命を自覚させるための導き手が現れると彼は予想していた。
結果、その予想を準えるように巫女の前にはシーカー族の老婆が現れ、何かしらの目的を持ちここに訪れた。
彼女がここで何をしようとしているかは奥に佇む女神像から推測出来る。
──神殿を脅かす魔族に見つからずに隠され続けたこの禊の場で、巫女が持つ女神の魂を目覚めさせるための祈りの儀式をするのだと。
正直、ここはこれまで立ち入ったどの場所よりも気分が悪い。体内にある二つの血が激しく争い、巡って、気を抜けば自我までも食われてしまいそうだった。
この場所と彼女たちの姿を視認したことで、主人が立てた推測が外れていなかったことは充分すぎるくらい理解出来た。
だから、本来ならば私がこの状況で戦う理由は無いはずだった。──けれど、
「────」
私は腰に携えた一対の魔剣を両手で抜き、眼前の敵を真っ直ぐに見据える。無表情の老婆は顎を引き、ゼルダちゃんを庇うように前へ出た。
「貴女様は儀式に集中を」
「……!」
傍らに立とうとするゼルダちゃんを老婆が振り向かずに諫める。
刹那、彼女は何か言いたげな表情を見せたけれどすぐさま決意を固めたように口を噤み、女神像へと振り返った。
やがて戦場に立つのは、私と老婆の二人だけとなる。
「…………」
私の脳裏に、主人の後ろ姿が映る。
向こう見ずは、しない。マスターに命令されるまでは。
でも、後悔もしたくない。
これは命令されていない、私の意地だ。
「──ッ!!」
深い呼吸は一瞬。
老婆が片手をほんのわずかに動かすと同時に、私は地を蹴って走り出した。
飛び込む私を迎え撃つべく、無数の金の針が召喚され陽の光を乱反射する。森での初戦で向けられた針の幕は一層。対し、今向けられている幕は三層。
それでも私の足が止まることはない。怯まず正面を睨み付ける私を一瞥した老婆は、すかさず上げた手を翻した。
「ぅッ……!!」
私は足を止めて腰を落とし、魔剣を持つ手を握りしめる。そのまま迫り来る数千の切っ先へ刃を向け、自重を乗せて真横に斬り払う。
黒の鋼が黄金を散らし、視界が明滅する。重さを乗せた一閃で吹き飛んだ針は幕を形成していたうちの七割といったところか。そして残り三割は私の腕を浅く裂いて地に突き刺さった。
血はうっすらと滲んでいるものの、傷口は浅い。
あの針の群れは数が増えるほど一本が生み出す質量が軽くなるようだ。森で対峙をした時に立てた予測は当たっていた。
故に、逃げ道を奪う針を全て避けるのではなく、重さを乗せた剣撃で弾幕を吹き飛ばす。それがこの針の突破法だと読んでいた。……これで針の雨が止むのなら、だが。
「シッ──!」
「……!!」
私の生還を目視した老婆が、鋭い呼吸音と共に空いた片手を握り込む。
控えていた二層目と三層目。それらは私の視界の左右へを取り囲むようにばら撒かれる。
今度は剣撃だけじゃ防ぎきれない。音には出さず口内で軽く舌を弾き、私は後方へ飛び退く。
瞬時に切っ先は獲物へ向かい、一直線に放たれる。私の正面を埋め尽くす金の波。魔剣による剣撃では明らかに払い切れない。
なら、さっきの仕返しだ……!
針の群れが空気を切り裂く音を耳にしながら私は目を見開く。
振り上げたのは、先程針を払った魔剣を持つ手とは反対側。──剣と共に、火の魔石を握り締めていた手。
「……ッ!!?」
小さな鉱石の中に一定量の熱エネルギーを集約させたそれは、弧を描きながら金の幕の中へと投擲され、衝撃に耐えきれず破裂する。
小規模な爆発とはいえ、剣撃の倍以上の風を生んだそれは針の層をいとも容易く消し飛ばす。
その光景はつい先程、襲撃者に火炎攻撃を仕掛けられた時に思いついたものだった。
私は焼き切れた金の雨を掻い潜り、呆気に取られた老婆の方へと地を蹴る。
その間を一秒も満たさず老婆が再度召喚した針を飛ばすが、今度は立ち止まらずとも魔剣の刀身がそれらを弾き返した。
魔力を充分に込められていないからか、迎え撃つ金の針はごく軽い。
それでも私の足を止めるべく針の雨は降り続ける。切っ先が襲いかかる度に振り払い、貫き、雨を砕く。そして、
「!!」
最後に立ち塞がった幕を薙ぎ払い、大きく踏み込む。手にした刀身が次に刃を向けるのは金の針ではない。──針の召喚者本人だ。
「……致し方ない」
「へ……」
黒い鋼の剣光が陽光と混じったその瞬間、何かを悟ったような低い声が耳に届き、私は思わず目を見張る。
その瞳の中に映った老婆の表情に焦燥はなく、
「いッ……!?」
私が振るった刃を、白い鋼が受け止めた。
その鋼を持つのは淡い光で出来た兵士──つまり召喚兵だった。
間抜けな声をあげた私の剣撃を召喚兵は真っ向から弾き、こじ開けた間合いにすかさず斬り込んでくる。瞬時にもう片方の刃でそれを防ぐが、重たい剣圧は一撃で腕を麻痺させた。
続く攻勢に危機感を覚えた私は、二撃目を振り下ろされる前にそこから飛び退き大きく距離を取った。
「…………、」
老婆と私の間合いは振り出しに戻る。フードの下では、冷たい汗が一筋垂れた。
はなから簡単にはいかないと思ってた。
……でもまさか、第二ラウンドまで仕掛けてくるおばあちゃんだとは思わなかった。
私が魔剣を構えたその先。老婆が召喚した三体の兵士は、淡い光で造られた鋼を一様に獲物へと向けた。