過去編1 始まりのはじまり
「おはよう、リシャナ」
自分が眠る空間に陽光が差し込んだことが目を瞑ったままでもわかった。聞こえた低い声にささやかな抵抗を示すよう、もぞもぞと動く。マットレスが固いせいでやっぱり体の節々が痛い。
思わず文句をこぼしたくなったけれど、それでもわたしは口を開かなかった。口を開いたら起きたことになるからだ。
しかし今さっきおはようと言ったその人物は懲りずすぐ隣にいる。意地でもわたしを起こすつもりらしい。
「朝だぞ」
不意に足音が遠ざかったと思えば、一拍置いて思いっきり窓が放たれる。今まで申し訳程度に差し込んでいた光を全身に浴び、わたしはお布団の中で苦鳴をあげた。なんてことを。
若干の怒りを覚え、わたしは口を開いたら起きたことになるという自分ルールを早々に破り、唸りながら抗議する。
「…………まだ起きてない」
「……起きているだろう」
腹の底から低い声が這い出たけれど、返ってくるのは普段通りの淡泊な反応だ。
わたしは指先すらお布団から出したくない一心で赤子のように身を丸くした。こうなれば徹底抗戦の構えだった。
「せんせいの気のせい。まだ起きてない」
「あんまりにも起きないなら置いていくぞ。この間もそのまま授業出なかっただろう」
「うーー」
もはや言語すら捨ててうめき声だけで抵抗を示すわたしに、重いため息が降ってくる。そこにはわずかなあきらめの気配が漂っていて、一瞬安堵をしかけるがまだ油断ならない。
ついにわたしの姿を見かねた彼は、渋々といったように口を開いた。
「……今日は午前、剣技の授業だぞ」
「む?」
たったそれだけの言葉を耳にして、わたしは徹底抗戦なんて単語も忘れてお布団から顔を出す。
目にした室内は予想以上にまばゆい光で満たされていて、わたしは盛大に顔をしかめた。が、剣技の授業というなら話は別だ。
わたしはベッドの横で佇むせんせい──褐色肌と、長い白髪。端正な顔立ち。名前はアウール──を不機嫌全開の顔で睨め上げた。
「それ先に言ってよ」
「毎回それで起きていたら、他の授業の時に起きなくなるだろう」
「……よくおわかりでー」
舌を出して悪態をつき、わたしは凝り固まった体をうんと伸ばした。
お外は室内から見てわかる通り、日差しが降り注ぐ晴れの日だ。太陽の光が苦手なわたしはあまり……というよりかなり気が進まない。
けれど剣技の授業が朝一ということと、そろそろ起きなければ本当にせんせいが愛想を尽かしてわたしを起こしに来なくなる。そう考えると、結局はどんな天気でも起きざるを得ない訳である。
この人が良すぎるせんせいが愛想を尽かすなんて、よっぽどのことがない限りあり得ないのだろうけど。
わたしの起床を見届け、せんせいは肩の荷が下りたと一息ついた。
「じゃあ、先にいってるぞ」
「ん、一緒に行かないの?」
「一緒も何も、今から着替えるだろう」
「あ、そっか。……せんせいのえっち」
「お前、それ言いたかっただけだろう」
どこまでも冷静なせんせいはわたしの悪ふざけを軽く受け流し、とっとと部屋を後にする。長い付き合いというものは常に新鮮味を犠牲にしているものなのだ。
「……さて」
せんせいが去った扉から目を逸らし、小さく息をつく。二度寝をしてまた変な夢を見てしまわないためにも、早く目を覚まそう。
わたしはあたたかなベッドから名残惜しくも抜け出し、ゆるゆると身支度を始めた。
* * *
「……う」
寄宿舎から出て開口一番うめき声が上がる。
意を決して踏み出した外の世界は、部屋の内から見える数倍はぎらぎらとした日差しが降り注いでいた。
わたしが踏み締める地面の、さらに下。そこにはあり余るほどの雲が果てしなく広がっている。だからもう少し上空に来て、何日かに一回とは言わず毎日太陽を隠してくれたらいいのに。
しかしそれは無理なお願いというやつなのだろう。
ここ、スカイロフトは冠するその名の通り、空に浮かぶ島なのだから。
わたしは日差しを極力避けるため建物の影をたどり、間を縫うように歩いていく。
向かうはわたしを含めてたくさんの若者が通う学び舎──騎士学校だ。
「……今日もうんざりするくらいの快晴ですこと」
天を仰ぎ屋根と屋根の隙間から覗く空はいつも見えている広さの半分以下。
空は広いと誰もが言うが、わたしにとっての空は狭い。一つの島から見える、切り離された一部だけがわたしの空だった。
翼があれば、というところまで考えてわたしはその思考を無理矢理振り払う。今日は剣技の授業なのだから、鬱々とした気分は捨てておこう。
剣技の授業は騎士学校の演習場で行う。
わたしは日差しから逃げ、遠回りをしながらもなんとか時間内に到着し、演習用の木刀を漁っていた。
「……うわ」
すると背後からどすどすと威嚇するような足音が近づいてきて、「面倒臭いことになったもう帰りたい」という感情を二文字で表した声が漏れた。そして、
「よお鳥ナシ!!」
背後から耳にきんきんと響く声が襲いかかってくる。
あいさつは大きな声でとスカイロフトの子どもたちは教えられているようだけれど、「節度を持って」の一文を付け加えてほしいと思った。……こいつはそれでもこの勢いなんだろうけど。
「……おはよう。…………変な髪型」
「ああん!? 朝から喧嘩ふっかけるたぁいい度胸だな!」
喧嘩をふっかけてきたのはどっちだ。
変な髪型……ではなく同級生のバドは、そのでっかい図体を揺すりながら鼻を膨らませている。
遠目に見ても目立つ赤の立て髪が意思を持ったように揺れていて、やっぱり変な髪型だなぁとしみじみ感じた。
体格の大きさと性格の図々しさゆえ子分を引き連れガキ大将をしている彼だが、これだけ大きな声を毎日出しててよく疲れないなぁとそこだけは感心する。
「今日の模擬戦、容赦しねぇからな!!」
言いながらバドは大袈裟に音を立てて木刀を漁る。ちなみにわたしがバドにこれだけ突っ掛かられるのは、剣技の演習で一度も彼に負けたことがないからだ。
日差しのせいでもともと体調万全でもなく、さらにこのテンションの相手をしてさすがに疲れてしまった。ので、早々に木刀を選び、バドの横をすり抜けて演習場へ向かう。
「容赦はいらないけど、女の子には優しくしないとモテないよー」
「んだとぉ!!?」
去り際の一言に喚くバド。子分であるラスとオストのなだめる声が背後から聞こえてくる。バドが木刀を選び終えるのを離れて律儀に待っていたらしい。取り巻きもなかなか大変だ。
演習場には既に同級生の顔ぶれが揃っていて、わたしもその輪の中へ自然と加わる。
しばらくすれば朝見た時と変わらない正装のアウールせんせいがやってきて、生徒たちのざわめきも潮が引くように静まった。
頃合いを見たせんせいが号令をしたら授業開始だ。
「予告していた通り今日は演習を行う。各自しっかり準備体操を行うように」
せんせいがよく通る声で伝える。
今日は演習の日。つまり、一対一で生徒同士が模擬戦をする日だ。ある意味未来の『騎士』を育てる上で重要な授業ともいえる。
とは言え平和そのものと言えるスカイロフトにおいて、剣を使った正真正銘の戦闘は滅多に起きない。騎士学校で教えられる剣技は過去の慣習を引き継いだ形だけのもの、と嘆く老人もいるらしい。
真偽のほどはわからないけれど、騎士学校で行われる実技の中では唯一わたしが参加できる授業だった。そういうわけで、凝った体を充分に伸ばし試合に備える。
試合形式は勝ち抜き戦。必然的に勝ち星がつけばつくほど試合数は多くなる。
わたしの一戦目の相手は──朝からなんの嫌がらせなのか、バドだった。
「お前、戦う前から嫌そうな顔全開にしてくんなよッ!」
「あ、ごめん無意識だった」
互いに距離をとって、開始の位置についたバドが文句を言う。本当にわざとではなかったけれど、心の奥の感情が漏れ出てしまったのかもしれない。
両者が木刀を構え、せんせいがそれを見計らう。
そして「始めッ!」という号令と同時に、バドの大きな図体が迫ってきた。
「おりゃァアーーッ!!」
鼻息荒く突っ走りながら木刀を天に向かって振り上げるバド。ただでさえ大きな図体を大袈裟に広げて向かってくるのだから、その迫力には感嘆するところがあった。
が、それは後回しにし、わたしは大胆に広げられたバドの腕の下をするりと潜り抜ける。
「ぬおっ!?」
間抜けな声を出したバドが振り向く前に、わたしはだだっ広く無防備な背中に木刀を振るう。わたしもちょっとは朝の云々で苛ついていたみたいで、無意識にもフルスイングをかましてしまっていたのは後々反省した。
「ぐぎゃあッ!!」
「一本!」
バドの悲鳴とともにせんせいの声が空ヘと響く。チラッと視界の端に入ったラスとオストの目がやや笑っていたのは見なかったことにした。
「……よし」
まずは勝ち星ひとつ。調子は悪くない。
そうしてその後も何戦か戦ったり見学したりという時間を過ごして陽が高くなってきた頃。
本日の剣技の授業、最終試合を迎えた。
最終戦まで勝ち残ったわたしは同じように名を呼ばれて立ち上がった相手を目にする。
「────」
相手は陽光に煌めく金髪と空色の目を持つ、精悍な顔立ちの人物。
──同じクラスの、リンク君。
剣技の模擬戦で当たるのは初めてだ。
その青く真っ直ぐな瞳に見つめられ、わたしは反射的に視線を逸らしてしまう。リンク君はそれにかまわず、柔らかく口角を上げた。
「リシャナと当たるの、初めてだよな?」
「う、うん」
「よろしく」
迷いなく差し出された手におずおずと自身の手を交わすとぎゅっと握られる。
端から端まで真面目で実直すぎる彼に対し、自他ともに認めるひねくれもののわたしは傍から見てもわかるほどに動揺していた。
気を取り直すために深呼吸をし、木刀を握り直す。リンク君の試合を何戦か見ていたけれど、一筋縄じゃいかないだろう。
両者が位置について、剣先を向き合わせれば風の音だけが響く静寂が訪れる。
そしてせんせいの合図とともに──試合は開始された。
「はっ──!!」
真っ直ぐに駆け出したリンク君の、鮮やかな縦一閃が斬り下される。
その剣筋は真っ直ぐな軌跡を描いており、一言で言うなら教科書に載る、型に嵌った動きだ。
だがそれゆえに固くて、重い。同じものを返そうとすれば基礎体力の差で完全に押し負ける。
「──ッ、」
彼が正攻法で攻めてくるのなら、対する術は変化球だ。
わたしは数度にわたりリンク君の剣撃を弾いたあと、後方へ大きく退く。その勢いをバネに体勢を落として踏み込み、リンク君と同様一直線に懐へと潜り込んだ。
「──ッ!?」
瞬間、リンク君の息を呑む音が耳に届いた。
懐に飛び込んできたわたしが急に視界から消えたと思えば、身をよじって彼の脇へと回り込んでいたからだ。
わたしは腰をかがめたまま木刀をリンク君の横腹目掛けて薙ぎ払う。
そのまま一本を──とるつもりだった。
「させないッ……!」
「なっ!?」
予想外の展開に、今度はわたしの声が漏れた。
振るった木刀がリンク君の体にあたるくぐもった音がするかと思えば、木刀同士が当たる小気味良い音が響き渡ったからだ。
リンク君は真正面に下ろした木刀を瞬時に方向転換させ、わたしの斬撃を防いだのだ。
──普通この体勢から防いでくる!?
咄嗟にわたしの動きを見切った動体視力の高さと反射神経に驚きを隠しきれない。
「せあ!!」
「くっ……!」
力で弾かれ、体勢を崩したわたしの間合いにリンク君はすかさず入り込んでくる。
後方に押し切られよろめいた体を受け止めるため、木刀を持った片手は既に地面へと張り付いていた。
リンク君の斬り込みを受け止める術はない。このままだと、とられる……!!
「負けないッ……!」
「!?」
危機感を覚えたわたしは反射的に木刀を持っていない方の手を地面につく。同時に大きく身をひねり、詰められた間合いを横蹴りでなぎ払った。
リンク君はその動作に気づきわたしの足を肩で受け止める。鈍い音がしたが彼は意に介さず、追撃を防ぐために身を引いて再び二人の間には平等な間合いが生まれた。
……ちなみに今のは、正確にいうとわたしの反則だった。当然、剣技の授業で足技を使うのは御法度である。
が、観衆はそれに気づかずわたしたちの打ち合いに圧倒されている。
ちらりと横目で見たせんせいだけは苦い顔をしていたけれど、試合を止めようとはしなかった。
「……振り出しだね」
「そうだな……少し、疲れてきたけど」
「わたしも。でも……負けない」
「こっちだって」
周りに聞こえているはずの会話は二人だけの世界で交わされているようにも聞こえ、その空気を肌で感じながら双方は再び剣を交える。
お互いギリギリの攻防が続き、時間にしては短かったはずだけれど永遠に終わらないと感じられる時がそこにはあった。
しかし上がった呼吸と乱れてきた太刀筋から体力が残りわずかとなってきたことを理解する。最後の瞬間がきたのだ。
「────」
次で決着と、誰もがわかっていた。
もう小手先は通用しない。あとは純粋な剣技で正面からぶつかり合うのみだ。
わたしとリンク君は鏡写しのように木刀を握り直す。
そしてどちらからともなく、真正面に走り出した。
互いの刃同士が交わり、拮抗した力が一ミリでも勝った方の剣だけが弾かれずに残る。
──はずだった。
「……あれ?」
リンク君をあと数十センチというところまで捉えていた視界が、急に音もなく真っ白になる。同時に力が抜け、糸が切れたようにがくりと膝が折れた。
なにこれ、力が入らない……?
刹那明転した視界はじわじわと色が戻って、気づいた時にはリンク君の木刀が目の前に迫っていた。
わたしの四肢にはもはや力が入らず、ただただその様を呆然と眺めることしか出来ない。
やられる──!
「…………?」
思わず目を瞑った。が、痛みはしばらく経っても訪れない。
代わりにやってきたのは、
「リシャナ!!」
わたしの名前を叫ぶアウールせんせいの声。
最後に目に焼き付いたのは、あの瞬間わたしが気を失いかけていると気付いたリンク君が瞬時に攻撃の軌道を変えて、何もないところへと木刀を逸らした光景。
あんな技術を見せられたら、どちらにせよ負けだと思った。……悔しい。
それだけを思いながら、わたしの意識はプツリと絶たれた。
*
『──リシャナ』
誰かが、よんでいる。
わたしを。
誰が、呼んでいる?
『──リシャナ』
諭すような、でも有無を言わさない強制力を持った声だ。
誰、なんだろう。
『──リシャナ』
誰なのだろう。
なんでこの人は、わたしを、
──こんなに安心させてくれるのだろう。
*
「……………」
目を開くと、大きな木目が特徴的な天井が広がっていた。
わたしはベッドに寝かされていて、周囲は白いカーテンに囲まれている。その向こうで窓が開いているのか、さあさあという風の音とともにカーテンは揺れていた。
「目、覚めたか?」
「……せんせい?」
すぐ隣から声がして首を傾けると、そこにはせんせいがいた。
朝と同じ光景だと思ったけれど、わたしが横たわるベッドは自室のものより少し広くて、鼻の奥をツンとさせる匂いが漂っている。おそらくここは、騎士学校の医務室だ。
徐々に頭が働き出すと、眠る前までの出来事が蘇ってくる。
剣技の模擬戦。最後にリンク君と当たって、長い時間やりあって、それで──、
そこまでを思い出したところで、わたしの思考を遮断するよう唐突にせんせいは頭を下げた。
「悪かった、私の注意不足だった」
「……へ?」
全く予想していなかった彼からの謝罪に変な声がこぼれた。わたしがせんせいに怒られることは多々あっても、謝られることは滅多にないからだ。
「な、何でせんせいが謝るの?」
てっきり模擬戦中に足技を使ったことを咎められると思ったのに。
せんせいは少し困ったような顔を上げ、わたしの表情を窺う。わたしは混乱しながらもその珍しい表情をばっちりと心のウツシエに収めておいた。
「気づいてなかっただろ」
「?」
「日光の浴びすぎだ」
「……あ」
そういえば、そうだった。
戦いで疲れた体に苦手な日光をさんさんと浴びすぎて意識が飛んだんだ。
なんたるタイミングの悪さだろう。それに気づかないほどあの戦いに集中していたのか……。
久しぶりの演習だったし、あれだけ強い相手だったのだから熱中もするのも仕方ないと思ったけれど、同級生たちが注目する中一人勝手に倒れた恥ずかしさが頭にのしかかる。
その一方であの模擬戦が楽しかったという実感も残っていて、なかなかに複雑な心境だった。
せんせいはわたしの悶々とした表情を見遣りながら、静かに諭す。
「あと、止めなかったけれど足技は反則だ。リンクに謝っておけ。身体で受けてたんだから」
「それは……そうする」
やはりそこは怒られたけれど、たしかに申し訳ないことをしたので素直に頷いた。
リンク君とまともに顔を合わせるのがいつになるのかわからないけれど、しっかり謝っておこう。
一旦話が落ち着いたところでわたしはふとさっき見た夢のことを思い出し、せんせいの顔を見上げた。
「あのさ、せんせい」
「ん?」
「わたしがさっき寝てた時、名前呼んだ?」
「……? 呼んでいないが」
問いかけられたせんせいはわたし以上に怪訝な様子だった。「そっか……」と曖昧な受け答えだけをし、わたしは目を伏せる。
夢の中で聞こえていた声は、誰のものだったのだろう。
知らない声だったのに、あんなふうに名前を呼ばれるのは初めてじゃないような気がした。
「……?」
黙ったまましばらく考え込んでいると、遠く彼方からパタパタと可愛らしい足音が聞こえてきた。
やがて足音の主がこの部屋の前にたどり着き、扉を開く音がする。少し間を置き、ゆっくりとカーテンが開かれた。
「リシャナ!」
入ってきたのは、大きな瞳を持つ女の子だった。金色の長い髪を低い位置で一つに括り、本来桜色をした頬は走ってきた余韻で少し赤くなっている。
この子もバドやリンク君と同じ、クラスの同級生。──ゼルダ……ちゃん。
「具合、大丈夫?」
「う、うん」
透き通った蒼色の瞳にまっすぐ見つめられ、わたしはそれだけを返す。美人でクラスの人気者だからか、この子の前ではなぜか緊張してしまう。
以前呼び捨てでいいのにと言われたのに未だゼルダ“ちゃん”としか呼べないのは、そんな恐れ多さがあったからだと思う。
ゼルダちゃんはわたしの返事を聞き、心底安心したように「よかったぁ」と笑った。わざわざ心配して様子を見にきてくれたらしい。
「あのね、リンクがすごく楽しそうだったの。あんなにすごい技術の子と戦うのは初めてだって!」
ゼルダちゃんは自分のことのように嬉しそうな表情ではにかんだ。恐らくわたしが倒れていなくてもあの模擬戦はリンク君の勝ちだったはずなのに。
すごい技術だと言ってくれるのは、彼の性格からすると本心なのだろう。加え、それを心から分かち合えるゼルダちゃん。
その二人のどちらにも、わたしは素直に驚いた。
「だからまた、付き合ってあげてね!」
呆気にとられつつも、わたしは「うん」と一言答えてしまった。
美人で優しい女の子。彼女がクラスで人気者な理由は、きっとそれだけではないのだろう。
「じゃあわたし、授業の準備があるから、また後でね」
「う、うん。また後で」
ゼルダちゃんはそう言い残して手を振り、隣にいたせんせいへ一礼して去っていった。……思わず、かわいいなぁと呟きそうになった。
ゼルダちゃんが去り、隣に座っていたせんせいも気を取り直すように立ち上がる。
「さて。もう起きられるな、リシャナ」
「んえ、何で?」
「何でって……あと少しで午後の授業の時間だからだ」
かわいい女の子の空気に浸っていたわたしはせんせいの言葉に無理矢理現実へと引き戻される。
忘れていた気怠さが一気に押し寄せてきて、なんでもうちょっと気絶しとかなかったんだ自分と心の底から後悔の念が湧き上がってきた。
「無理気分悪い吐きそう。なので寝ますっ」
「嘘つくな。行くぞ」
「行かない! それでも行きたいって言うならわたしを倒してからにしてください!」
「私が行きたいんじゃなくてお前が行かなきゃならないんだ! ほら行くぞ」
「あああせんせいその持ち上げ方乱暴!」
「誤解される言い方をするな!」
せんせいは必死の抵抗を見せるわたしをなんとか引き剥がし、午後の授業へと連行する。
体調不良です死にます! と叫ぶわたしの声には皮肉にも気力が戻ってしまっていた。
始まりのはじまり
晴れの日。気分は悪いけど機嫌は良かった日。