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長編5-2_置いてけぼりの理由



 正直な話、巫女が時の扉を潜り、過去の世界に戻ってからの『勇者』の目的について、魔族側は一切つかめていなかった。
 とある一件から、彼が女神の用意した“精神の試練”とやらに挑んでいたことは耳に入っていたけれど、以降の動向は掴めないままだった。

 それがここに来ての急展開。
 一体、フロリア湖に何があるのだろう。

「……水龍の力を借りようとしている可能性は、高そうですよね」
「だろうね」

 上目遣いで主人、ギラヒム様に投げかけた質問はすぐさま肯定される。本音を言えば否定をしてほしかったけれど、現実逃避をしたところで良い未来は待っていないだろう。

 ──水龍フィローネ。かつて封印の地に巨大な氷柱を立て、長年魔王様の封印を見張ってきた大精霊。
 数年前に主人の手により氷柱は砕かれ、大精霊は深手を負った後に魔族の前から姿を消していた。しかし今ではその傷は癒え、私は一度遭遇してしまった水龍に「次は殺す」と死刑宣告までされている。

 続く三龍との争い。強敵である彼らとまたも戦わなければならないと考えると、胸の内に不安は蟠ってしまう。
 しかし、もはやそうも言っていられない状況だ。

「……怖いですけど、一度勝てた相手ですし、気合い入れて挑みますっ」
「…………」

 水龍も、今回は後回しになる空の大精霊も。主人の願いを叶えるためには必ず障壁となる存在だ。ここで怖気付くわけにはいかない。

 両手を握り、ふんっと鼻を鳴らして意気込みを見せた私。そんな部下を見た主人からお褒めの言葉が返ってくることがないことは承知の上だった。
 むしろいつも通り、馬鹿にしたような笑みが返ってくる……と思いきや、横目で注がれた艶やかな視線は意外に淡白なもので、

「……誰がお前を連れていくと言った」
「へ?」

 ギラヒム様はさも当然かのようにそう言い捨て、呆ける私へ言葉を継いで、

「お前は予定通り、空の探索に向かえ。……フロリア湖に向かうのはワタシだけだ」

「……え」

 そう一言、言い捨てたのだった。


 * * *


「へんな姉ちゃんキュ」

 ぽてぽてと、可愛らしい足音が耳に届いた。
 地面にかがみ込んでいた私とその足音の持ち主はちょうど同じくらいの高さで視線を交わす。丸くてつぶらな二つの瞳が私を見つめていた。

「おはよう、キューちゃん。薬草、ちょっとだけもらっていい?」
「キューちゃんじゃないキュ。マチャーだキュ。こっちにたくさん生えてるから、とって行ってキュ」

 短い手を振り、気前よく薬草のもとへと案内してくれたのは森に住む草食性の亜人のキュイ族。
 温厚な性格ゆえか、私のことを魔物と認識してないためか、怯えずに話しかけてくれる数少ない亜人族だ。

 森の奥に群生している薬草は傷の治療によく効く。そのため大きな争いが始まる前に摘んでおかなければと、訪れた次第だった。

 しばらくの間一心不乱に薬草狩りに勤しんでいた私。その様子をじっと観察していたのか、隣りから「キュー」と鳴き声が聞こえてきて、

「へんな姉ちゃん、お腹痛いキュ?」
「え?」

 マチャーの脈絡のない問いかけに、私は彼の丸い目に瞬きを返した。マチャーもマチャーで私の様子にどこか疑問を持ったらしく、しばらく二人して疑問符を飛ばし合う。

 私はと言えばスパルタ訓練の疲労は残っているものの、肉体的にはすこぶる健康だ。もしかしたら魔力が欠損しているこの状態を“お腹痛い”と言っているのかとも思ったけれど、そうではないらしく、

「いつもへんな兄ちゃんの話するのに、今日はしてないキュ」
「あらら……鋭い」

 彼が指摘したのはさらに核心。へんな兄ちゃん──ギラヒム様のことだった。

 彼らキュイ族の目には、魔物であれ人間であれ、人の姿をした一族はみんな同じに見えているらしい。だから、マチャーが私と同じく“へんな兄ちゃん”に対して警戒心を抱いていないことは知っていた。

 ……それにしても私は普段、心配されるほど主人のことを彼に話してしまっていたらしい。
 自覚をするとともに恥ずかしい気持ちが込み上げてきて、私は誤魔化すように薬草を摘み取りながら続ける。

「……マスターと、ちょっとだけ喧嘩しちゃった」
「キュー?」

 苦笑を浮かべて呟いた言葉。マチャーは首を傾け、ぱちぱちと目を瞬かせる。

「へんな兄ちゃん、わがままキュ?」
「わがままだけど……今日のはたぶん、私がわがままキュ」

 ──昨日、あの後。
 リンク君の次なる行き先がフロリア湖だとわかり、私は詩島を後回しにして主人とともにそちらへ向かうつもりだった。

 かつてと違いフィローネが氷の力を失っているとは言え、相手は三龍。しかも、ギラヒム様のことをよく知っている相手だ。
 私の力が加わったとて、三龍相手に出来ることは限られている。それでもそんな相手のもとに大切な主人を一人で行かせるわけにはいかない。

 しかし私の意志に反し、ギラヒム様は一人でフロリア湖へ行くと言い切った。
 普段ならば、問答無用で私を死地へと連れて行く主人が、だ。

 ここで何かしらの意図があると察せないほど私も鈍くないし、部下として生きてきた年月が彼に何かしらの考えがあると告げた。
 それに──、

「……リンク君の本当の行き先、絶対に勘付いてたし」
「キュ?」

 主人の様子を見て、私の空気の読めない勘はそこまでを察してしまっていた。

『勇者』であるリンク君が向かったフロリア湖。私の知る限り、フロリア湖周辺の女神側にとって重要な聖域は全て魔族に侵されている。
 リンク君が水龍に会いに行くだけならともかく、私の同行を却下する主人からは『勇者』が目指すその地に私を行かせないという明白な意志を感じた。……単に水龍に会わせないという理由以外の、固い拒絶の意志を。
 だからと言って素直に溜飲を下げることはできず、今に至る。

 薬草を摘む手はいつのまにか両膝を抱え、私の視線は地面へと落ちた。
 私は本当に“わがまま”をこぼす子どものように小さく縮こまり、喉奥から言葉を押し出して、

「何か考えがあってのことだってわかってるのに、素直に従えなかったんだよね」

 普段と同じ、主人からの無茶振りに対する天邪鬼ではない。
 部下として従順に、与えられた使命だけに目を向けるべき場面だったはずだ。余計な邪推も、私の意志も、不要だったはずだ。
 そう、わかっていた。だから、つまり──、

「……意地になってたんだろうな、私」

 灰色の空を見上げ、呆れにまみれた溜め息を投げ出す。
 主人に却下を言い切られ、勢いで森へ飛び出してきた時には既に自分なりの結論にたどり着いていた。

 その理由の根源にあるのは一つの言葉。

『──お前が、この世界に必要のない存在だからだ』

「────」

 私と同じ、『半端者』である影が告げた真実。彼が招いた反転世界を抜け出した後も、視力が戻った後も、その言葉は私の奥底に楔を打ったままだった。
 その楔を抜くことが出来ないのは、私自身それが否定出来ない事実であると認めてしまっているからだろう。

 気づけばもう、私の言葉は独り言にしかなっていなかった。
 マチャーはそれでも必死に理解をしようとしたのか、丸い体ごと頭を傾け、心配そうに「キュウ」と鳴く。

「へんな姉ちゃん、さみしいキュ?」
「ちょっとだけ。……いや、ものすごーく」

 少しだけ漏らした本音が、自分の制御を超えて溢れ出す。
 結局、そうなのだ。今は心配だとか、使命だとか、そんなものは建前の良い免罪符にすぎない。

 世界にとって不要な存在である『半端者』。そんな私の唯一の生きる道標である主人。
 私は唯一無二の存在から置いてけぼりを告げられ──急激な不安と恐怖に囚われてしまっただけなのだ。

 止め処ない煩悶に打ちのめされ、私は膝を抱える腕に顔を押し付ける。
 たとえ温厚なキュイ族の前であっても、今の自分の顔を見られたくなかった。

 のだけれど──、

「……あ」

 すぐ隣りで声が上がり、私は伏せていた両目を持ち上げる。
 何か、と振り向く前に、続くマチャーの声音が渦巻く私の思考を止めて、

「へんな兄ちゃんキュ!」
「へ」

 反射的に振り向く。視界に飛び込んできたのはスラリと伸びる、美しい二本の脚。
 そこから恐る恐る視線を上げると、剣のように鋭利な眼光が私を突き刺していて、

「ます、たー……」
「こんなところで下等生物と戯れているなんてね」

 主人、ギラヒム様は不機嫌全開のお顔で私を見下ろしていた。
 しばらく探し回ったのか、普段以上に苛立ち、弱者を屈服させる圧を放つ主人。状況のわかっていないマチャーも傍らで「キュ、キュウ……!」と体を震わせる。

「な、何でここに……!?」
「お前こそ、主人の命令に背いてこんなところをふらついているなんて。それ相応の覚悟をした上での愚行ということかな?」
「あの、えと! キューちゃんにお悩み相談してもらってまして!」
「へんな姉ちゃん、キューちゃんじゃないキュ。マチャーだキュ」
「どうでもいいよ、下等生物の名前など」
「キュー……」

 辛辣な返しに項垂れるマチャー。しかし主人の怒りは百パーセント私にしか向けられていない。

 ──それから数十分。
 私は主人の足に踏まれ地面に這いつくばりながら、「へんな姉ちゃん、オイラたちとおんなじキュ!」と怯えながらも何故か嬉しそうなマチャーに見守られ、お仕置きを受けるのであった。


 *


「へんな姉ちゃん、へんな兄ちゃん、またねキュ」
「うん、バイバイ」
「……へんな」

 マチャーの短い手を真似て、私も手を振りかえす。
 傍らに立つギラヒム様はその様子を見遣りながら低く呟いて、

「……丸焼きにして魔物の餌にしてあげようか」
「だめです。数少ない私の癒しなんですから」

 魔族の障害となるならともかく、キュイ族は魔族にとっても人畜無害な一族だ。私の心の安寧のためにも無駄な殺生は控えていただきたい所存である。

 ぴょこぴょこと跳ねるような足取りで森の奥へと消えて行くマチャー。
 彼の背中が見えなくなっても森の奥を見つめ続け、私は傍らの主人のマントを片手で握った。

「……マスター」

 呼びかけた私の声音に、主人の視線が返される。私は森の果てを見遣りながら、マントを握る力を少しだけ強めて、

「……絶対、無茶しちゃだめですよ」

 ギラヒム様はわずかに目を見開き、私の横顔をじっと見つめる。
 伝えたいことも、聞きたいことも、たくさんある。けれど今の自分が送れる言葉はそれだけだ。……きっと本音は、彼のマントを握る手から伝わってしまっているのだろうけど。

 ギラヒム様はしばらく唇を引き結んだ後、脱力するようにゆっくりと肩を竦める。次いで短く鼻を鳴らして、

「このワタシが失態を演じるはずがないだろう」
「……はい」
「……手のかかる馬鹿部下を、迎えに行かなければならないのだから」
「────」

 今度は私が彼に眼差しを向ける番だった。
 主人は私の視線を受け取らないまま、拠点に向けて一人歩き始める。

 ──寂しいのなら、隣にいたいのなら。私は自らの足で彼の傍らに立たなければならない。
『半端者』にとって、居場所は与えられるものではなく、掴み取るものなのだから。

 彼の背中を追いかけ、私も足を進める。
 傍らに立ち、ふと見た主人の横顔はほんの少しだけ口元が緩んで見えた。


 * * *


 ──そうして数日が経ち、穏やかな陽気に恵まれた日のこと。

「────」

 灰色の空を見上げ、部下は手の中で青く輝く魔力石の結晶を握り締めた。
 彼女は最終確認をするかのように腰の魔剣を撫で、ケープを払い、最後に主人の方へと振り向く。

「それじゃ、いってきます。マスター」

 目的は詩島の捜索。そして空の守り神である大精霊の撃破。
 彼女が魔剣で石を砕くと中に閉じ込められた魔力が弾け、淡い光がその姿を包む。

 最後に一度、大切な主人へ笑ってみせて──部下リシャナは、空の世界へと向かった。

「…………」

 転移の魔術の発動とともに散った魔力の欠片を見つめ、ギラヒムは音のない吐息をこぼす。

 その背後に、黄色の両眼で後輩を見送るリザルフォスが立った。

「……お嬢は相変わらず単純ッすね。あンたに見送られるだけで、どンなヤツにも負けねェッて顔しやがる」
「フン、このワタシがわざわざ送り出してあげているんだ。それくらい、持ち得て当然の感情だとも」

 そう言い捨てたギラヒムの横顔をリザルが横目で窺う。が、ギラヒムはその視線を無視し、拠点とは逆方向に踵を返した。
 彼の眼差しが捉えるのは、深い森の奥。見つめる先にあるのは、水龍が守る巨大な湖。

「軍の準備は出来ているんだろうね」
「万全ッすよ。後は、あンたの命令を待つだけだ。魔族長様」
「……ならば、行こうか」

 それはリザル──否、ギラヒムに仕える魔物たちにとって、随分と久しい感覚だった。
 魔族長の側近である半端者が下す間接的な命令ではなく、魔族長自らが下す号令。
 その言葉が持つ意味を語ることは許されない。下位の魔物たちはただ、長が歩く道を切り拓くだけ。

「目指すは──“地獄”の入り口」

 その背を目にし、リザルは確信した。
 ギラヒムがリシャナをフロリア湖へ連れて行かないのは、彼女を水龍と戦わせないためではない。

 ……彼女を、その先で待つ場所に近寄らせないためだ。

「……あの場所のことは、教えてあげない」

 リザルの考えを準えるように、ギラヒムは虚空に向かって唇を震わせる。 
 彼の行動の理由が時折あの部下に見せる過保護ゆえなのか、それとも奥底に根付く意図があるのか、下位の者であるリザルが知ることはない。

 ただ彼は、渦巻く感情を奥底に押し込めた瞳を閉じ、もう一度だけ呟いた。

「絶対に、ね」