長編3-9_世界一のかっこつけたがり
ちかちかと、赤の眼眸に淡い光が集まる。
感情を持たないはずの鉄の人形は目先の獲物を逃さぬよう視線を注ぎ続け、照準を合わせる。
たった数秒で集まった光は人体を焼き切る程の質量を宿し、やがて一直線にそれを放とうとして──、
「ッの──!」
魔剣の黒閃が金属の体を二つに分かち、集まった光はロボット自らの体を食らう炎となった。
縦横に走った剣閃は三体のロボットを鉄屑に変える。私はそこで剣を下ろさず重心を傾け、踏み込んだ右足を軸に左足で地を蹴り付ける。そのまま反時計回りに身を捻り、背後に迫った硬質な身体を勢いよく蹴り飛ばした。
「や、やっぱり見た目通り固い……!」
ロボットの体躯は硬い壁に叩きつけられ、ギチギチと嫌な音を鳴らした後に一つ目から輝きを失う。考えなしに足技を使ったものの、やはり金属相手にそう何度も使えるものではない。
びりびりと痺れる足の甲をさする暇はなく、刃を翻して周囲に群がる新たなロボットたちを両断。同時に脳天目掛けて放たれた光を体を反らして躱し、その勢いのまま魔剣を振り上げ金属の体躯を分かつ。
そして文字通り切り開かれた道を、脇目も振らず一直線に駆け出した。
──リザルと別れ、単独で突き進む迷路のような地下空間。
視線の先には先ほどの無骨な砂と岩の空間とは違い、几帳面に整えられた道が伸びている。が、長い歴史の中で劣化したのか地表にはところどころに奈落へ続く裂け目が出来ていた。
一見同じような景色が続き感覚が狂ってきているけれど、頭に叩き込んだ地図通りに進めているなら目的地までは後少しのはずだった。
それを裏付けるように行く手を錬石場の監視ロボットたちが阻んでくる。おそらくこの地下空間は錬石場──ひいては時の神殿へと繋がっているのだろう。
地上で別れた主人がそこにいるのだと思うと、じわりと滲むような焦燥が胸の内を侵す。
「うるぁッ!!」
「──!」
と、その煩悶から引きずり上げるように、背後からラネールの喊声が上がった。
私の体を引き裂こうと唸る風音。踵を返し、振り向きざまに魔剣を掲げて巨大な刃を受け止める。
耳を劈く金属音が地下空間を震わせ、視界の隅に電流が迸る。私を見下ろすラネールが感心を示すように片眉を上げた。
「はんッ! この大剣もだいぶ捌けるようになってきたじゃあねぇか!」
「それは、ようございました……!」
私にとっては命懸けの応酬も、三龍ラネールにとっては修行の一環でしかないようだ。だがその状況に意を唱える余裕はない。
片腕だけじゃ到底支えきれない大剣の圧力にもう片方の魔剣を捻じ込ませ、両手両足で踏ん張る。一拍置き、前に預けた重心を一気に解放して開いた間隙を掻い潜り、体を縦断する刃を辛うじて避け切る。
しかし下ろした巨大な刃をそのまま遊ばせてはおかず、軽々と刀身を持ち上げたラネールの二撃目、三撃目が襲いかかる。刃を受け止めても逆巻く剣風が斬撃となり、私の肌を浅く斬り裂いた。
「そろそろ段位認定くらいはしてやってもいいかもなぁ!」
「別に欲しくないので、私が逃げ出す時間をくれませんかねッ……!?」
「それぁ力づくで奪い取るもんだなッ!!」
言葉と剣撃を交わし、重い剣圧をなんとか往なし切って再び地下通路を駆け出す。が、新たなロボットたちが進路に立ち塞がって思わず口内で舌が弾けた。
ラネールの攻撃を捌くだけでも精一杯なのに、進めば進むほどロボットたちの追跡は苛烈になり、思うように進むことが出来ない。
作戦はある。けれどまずはリザルとの打ち合わせ通り、私がカタコンベにたどりつかなければ勝ち目はないのだ。
「────」
「────」
「しつ、こい!」
言葉を持たず迫り来るロボット。その頭部と胴体の接合部を正確に狙い、なるべく一閃で決着をつけるように立ち回る。そして残る意識は全てラネールの猛攻を受け流すことに集中させた。
「ほれっ!! 次だ次だぃッ!!」
「っく……!」
長い裾を翻し、何度も振り下ろされる刃の豪雨。一撃一撃に全身が軋み、体ごと押し潰そうとする圧力に平衡感覚が奪われる。
煽られる両足を踏み締め、刃の嵐が止んだその瞬間を見定めた後、私は姿勢を低くとり真横に振るわれた大剣をくぐり抜ける。
そのままラネールの背後に回った私は姿を捉えられる前に地下道へ駆けようとして──、
「──ッくか、」
何かが私の体を横薙ぎに吹き飛ばし、一気に思考の全てが刈り取られた。
数拍遅れ、ラネールの尾が振るわれたのだと認識し、ほぼ同時に私の体は固い地面に叩きつけられる。
声にならない呼吸がヒュウと肺からこぼれ、襲い掛かる鈍い痛み。たぶん、肋骨が何本か持っていかれた。
私の体は地表の裂け目に落ちる寸前のところに放り出され、追撃を受ける前に手をつき上体を起こす。──が、
「まだ立てるか、嬢ちゃん!!」
「──ッ、」
そう言葉をかけるなら息を吐く間もなくロボットに追い打ちなんかさせないで欲しい。
こちらににじり寄る駆動音を耳にしながら心の内で悪態をつき、私は歯を食いしばって魔剣を握り締める。
取り囲んだロボットが光を放つ前に斬り裂いたが、次に私の進路を塞いだのはロボットではなくラネールだった。
「人間の体でよく持ち堪えたじゃねぇか。骨の一本や二本はいっちまっただろう」
「……持ち堪えてるのか堪えてないのか、もう曖昧ですけどね」
「ふん、まだ減らず口を聞けるあたり、頑丈なのは魔族の血があるからってわけじゃあなさそうだな。精神力が化けモン並みってぇところか」
「うれしくないです……」
この体でも屁理屈を言えているのは皮肉にもこんな死地に慣れてしまっているからだ。
けれど慣れたからといってボロボロになった体が動かせるわけではない。そう何度もあの大剣を受け止めることは出来ないだろう。
「ここで人間の嬢ちゃんの
命まで取っちまうのはオレっちも本意じゃあねぇ。そろそろ潮時だと思わねえか?」
「ぜーんぜん、思えないですね」
正直危ない。限界一歩手前。と思うけれど、天邪鬼を発揮した私の強がりが口を衝いて出てしまう。それ以前に、主人と再び会えるまで膝を屈するつもりはさらさらないけれど。
痛みごと抱え込んで丸くなってしまいたくなる衝動を抑え、私は無理矢理口角を上げてラネールを睨め上げる。
「諦めの悪さだけなら、マスターに一度も馬鹿にされたことはないので」
「おめぇそれ、胸張ることじゃあねぇだろうよ」
うっすら哀れみを持った眼差しで頬を掻くラネール。この豪胆な性格の龍に哀れまれたのだから、よっぽどなのだろう。
たしかに、いくら強がりを嘯いても前はラネールが塞ぎ、背後には地表の裂け目がある。逃げ場のない、絶体絶命な状況には変わりない。
「しかしまあ、ここまでついてこられたことは褒めてやらなきゃならねぇな。……そんで、そろそろ決着もつけてやらなきゃならん」
「……!」
こき、と肩を鳴らす音。続き、微細な電流が私の周囲にバチバチと流れる。
また雷攻撃を仕掛けられるのかと内心で冷や汗を流し、私は魔銃に手を伸ばして、
「あ、え……?」
伸ばした手は銃に触れず──そのまま四肢の全ての力が抜け落ちたかのように、私はがくりと膝から崩れ落ちた。
地に伏した足は全く言う事を聞いてくれない。まるで足を丸ごと切り裂かれたかのように感覚がない。そして何が起きたのかを考える前に、その答えは告げられる。
「ちょっくら電流で神経を刺激してやった。心臓は通ってねえし、時間が経てば元通りだ」
「な……!」
先ほど走った微細な電流。あれは私の体の自由を奪うためのものだったのだ。
反射的に、昔読んだ本に脳から体への命令は電気信号によって伝わると書いてあったことを思い出す。それをこんなところで体感したくはなかった。
「ずるい、修行とか言ってたくせに……!」
「悪ぃな、嬢ちゃんにこんなところまで来られちまうとは思わなかったもんでな。何より──、」
そこで区切ったラネールの声に続き、短い風切音が鳴る。
目と鼻の先には鈍色の鋼。その刀身は一見朽ちているようで、近づくだけで皮膚が裂けてしまいそうなほどに鋭く研がれていた。
「おめぇら魔族をこれ以上野放しにしとくわけにゃいかんのよ」
「……っ、」
先ほどまで修行と称して私を追い込んでいた声音とは違う。人間ではなく魔物に対して向けられる、刺すような敵意。ラネールはカタコンベにたどり着く前に私を始末する気なのだろう。
すぐにでも逃げなければならない。しかしどれだけもがこうとしても足に力が入らない。唇を湿らせ打開策を求めて思考を走らせた──その瞬間。
「観念して、大人し『────』やがれ」
「……え」
ラネールの声音が不自然に途切れ、上塗りするかのように何かの音が耳に届いた。
聞いたことのある音。もしくは、声。ラネールにはそれが聞こえていないのか、何の反応も示さず私へ降参を促し続ける。
「潔く『────』れば『────』てやらぁ。この戦いが終わるまで、オレ『────』てやる」
何の音なのか、誰の声なのか、声だとするなら何と話しているのかわからない。ラネールが神経に電流を走らせた影響なのかとも思ったけれど、おそらく違う。
その声はどこか、聞き覚えがあるような。
『──まだだ』
「……!」
手繰り寄せた記憶が呼び水となったように、音は言葉となり、私の中に響き渡る。
同時に私は声の主が誰なのかを理解し、やがてふっと口角を上げた。
「……降伏なんて、鼻で笑っちゃいます」
「あん……?」
軋む骨と臓腑を庇いながら、私は挑発するように魔剣を掲げる。
苦痛に呑まれた頭は割れそうなほどに疼き、視界は朧気なものとなる。それでも、ラネールの驚愕の気配ははっきりと伝わってきた。
「潔く、なんて……それこそマスターに馬鹿にされるのを通り越して、呆れられちゃいます。私たち魔族は、ものすごーく諦めが悪いんですよ」
「おめぇ……」
「……いつだって、歴史に名を残した悪い人はこう、言うんです」
苦しみを押し殺し、笑みをたたえる。
悪者らしく、魔物らしく、何度でも往生際の悪さを見せつけてやるように。
──そして、
「“逃げるが勝ち”ってやつ、ですッ!!」
「!!」
瞬間、私は反対側の手を宙に差し出し、小さな青い石を目の前に放つ。
同時に真横へ走った一閃はその石──主人から授けられた時空石を、斬り裂いた。
私の予想外の行動に目を見開いたラネールは時空石から放たれたすさまじい青の光に網膜を焼かれる。
その視界から私の姿はもちろん、景色の全てが焼き払われて──、
「……時空石を目眩ましに使いやがったか」
数秒が経ち、戻ってきた視界に魔族の少女の姿はなかった。
あるのは点々と残された赤い血の跡。それは地表の裂け目へと続き、その主が身を投げたことを言葉なく告げていた。
「……悪知恵だけは魔族顔負けってぇやつだな」
黒一色の穴の奥を見遣り、ラネールは目を細めた。
* * *
『──まだだ。まだ、』
『──てやらない』
『まだ──てやらない』
「……う、」
意識を取り戻した私が最初に認識したのは、全身がざらざらとした粒子にまみれた不快な感触だった。
「うげ……砂、口の中に入った……」
口内を満たす埃っぽい感触を吐き出し、薄ら寒さに肌を擦り合わせる。
体の半分は砂山に埋もれていて、これのお陰で運良く落下の衝撃を免れたのだと理解した。
と、なんとなしに立ち上がろうとして、奪われていた足の感覚が戻ってきていることに気づく。ラネールが言った通り、電流が神経に与えた作用は一時的なものだったのだろう。
疼痛を訴える体を庇い、私は体中の埃を払って辺りを見回す。
景色は先程までと様子の変わらぬ地下通路。だが空気は冷たく澄んでいて、暗闇と不気味な静寂だけがそこに佇んでいる。
壁に埋め込まれた火の魔石は無機質な壁面を淡く照らし、奥へ奥へと来訪者を誘っていた。
『────』
「……こっち?」
暗闇を見つめる私を促すかのように、言葉無き声が耳奥に響く。
声の主がこの先のカタコンベで待っていることはなんとなくわかる。……それが、砂漠に来た時から夢に見ていた同族の魂なのだということも。
そうわかっても、冷えた空間を満たす陰鬱な空気に不安を覚えずにはいられなかった。
「…………」
靴裏が立てる音の反響だけを耳にし、体は意識ごと暗闇へと呑み込まれていく。気温が下がったからなのか、体中の傷は鈍く痛みを訴え続けていた。
呼吸音は徐々に浅く喘ぐようなものへと変わり、いつしか道幅は人一人がようやく通れるほどの狭さとなる。
閉塞的な空間をひたすらに歩き続け、心が不安に溺れて誰かに助けを求めてしまいたくなった、その時。
ようやく一筋の光を目にし、私は安堵の吐息をこぼす。
──はずだった。
「────え」
それは一瞬にして、目先の凄絶な光景に塗り潰される。
「これ、は……」
一気に開けたその空間には“壁がなかった”。正確に言えば、壁が見えなかった。
堆く聳え、壁を覆い、見渡す限り一面を埋め尽くすのは──夥しい数の屍たち。
地下墓地と称されるからには整然と棺桶が並べられた、ある種厳かな空間を想像していた。
けれど目の前に広がるのは何千、何万もの亡骸の山。山。山。これではまるで──、
「まさか自力でここまでたどり着くとはよ。亡霊どもの声が聞こえたか」
「!!」
瞬きを忘れてしまうほど現実離れした光景に強制停止していた思考を、一つの声が突き動かす。
弾かれたように振り向くと、背後には大剣を肩に担いだラネールの姿があった。
「“カタコンベ”。おめぇらの仲間が眠ってる場所だよ」
咄嗟に魔剣へ手を伸ばしたが、ラネールからは先程までの戦意が感じられない。それどころか、あの豪胆な態度も別人かのように消え失せていた。
ラネールは無感情な眼差しをたたえ、屍の山を一瞥する。
「地下墓地って呼ばれてるけどな。ここはそんなに澄んだ場所じゃあねぇ。どっちかってぇと過去葬られた魔物たちがたどり着いた地獄みてぇなもんだ」
「地獄……」
そう、それはまさにこの光景を見た私が抱いた、率直な印象だ。
死者を慈しむことなく、捨て去るかのように乱雑に、亡骸を放り込んだだけの穴。魂を鎮めるなんて意味合いなど、最初からこの場所には存在しなかったのだろう。
魔物の魂でなくても、こんなところに葬られれば死してなお嘆きの声を上げたくなってしまうはずだ。
「……聖戦の果て、最後の最後の瞬間まで世界は魔族に奪われかけていた。だが結局魔王は封印されて、残った魔の一族も壊滅状態にまで追い込まれた。ここにある亡骸のほとんどはその時葬られた魔物たちのもんだ」
彼が語るのはある地では遠い昔の伝承として、ある場所では過去の傷跡として、ある人にとっては全ての始まりとして、幾度となく語り継がれた時代の話。
聖地に攻め入り、王を失い敗北を喫した魔物たちは、その果てにここで眠りにつくこととなったのだ。
時の神殿を見つめていた主人の何かを儚むような眼差しを思い出し、そこに内包されていた感情を想って私は緩く唇を噛む。
そして、
「魔族の敗北の歴史はそれだけじゃねぇ」
「……?」
「天地分離後、魔族は再興を遂げようと何度も争いを繰り返した。……が、王を失った一族の力は最盛期に遠く及ばず、敗北を重ねた。最後に生き残ったのは、あの魔族長だけだ」
「────」
歴史の裏側──つまり女神の一族が空の世界に隔離されてから今まで、魔族は大地で無為な時間を過ごしていた訳では当然ない。
一族再興のための途方もない戦いは、ずっとずっと続いていた。
想像を働かせたなら容易に予想がつく。が、史実としてはっきりと耳にしたのは初めてだ。その時間を生きた当人である主人の口からも語られたことはない。
それは伝承を継ぐ者がいなくなり、長い長い歴史の系譜に埋もれ、おそらく主人の中でも封じ込められた、忌々しい過去と呼ぶべき遺物なのだろう。
「一つ聞くぞ、嬢ちゃん」
一対の眼眸が私を見下ろす。
互いの視線は真っ直ぐに交わり、張り詰めた空気に呼吸を留め、私は大精霊の問いかけを耳にする。
「おめぇは本当に──あの魔族長を救えると思ってんのか?」
その問いかけに、息が詰まった。
言葉を失くし、押し黙る。何かを考える前に、思う前に、出来たのはそれだけだ。
「運命って言葉に従うのはいけ好かねぇし、オレっちの主義に反する。……けどな、おめぇらの前にあるのは綺麗事だけじゃあ砕けねぇ分厚い壁だ」
ラネールの言葉が脅しや誇張された表現でないことはこの屍の山を見ればわかる。
ここに広がる光景は、魔族の歴史そのものだ。何百、何千、何万と重ねた争いの結果がこの屍たちなのだ。
つまりそれは、魔族の長であるギラヒム様が積み重ねた敗北。幾度となく繰り返した女神への抗いの結果。
変えられなかった、運命の残骸だ。
「魔族の長に手を伸ばすってのは今おめぇの目の前に広がってるこの光景を、この運命を変えるってぇことだ。人間の小娘一人が捻じ曲げるにはあまりにも重すぎる」
皮肉ではない。同情でもない。はるか昔からこの地を見守ってきた大精霊は、事実しか告げていない。
──『どれだけ役に立ったとしても、いくら命を使ったとしても、結局あの場所に手が届かなければ……全部意味の無いものにしかならない』。
かつて主人が叫び、吐き捨てた呪いの言葉が耳奥で響く。あの時彼は、何を思い描いてその呪詛を吐き捨てたのか。
彼にしかわからない、もしくは彼自身にすらわからなくなってしまったほど過酷な記憶の一欠片がそこには映し出されていたのだろう。
「無鉄砲と勇敢は違う。見栄だけでかっこつけて戦って、命を落とした奴なんざ腐るほどいる。おめぇが向かおうとしてるのはそれほど強固な運命だ」
「────」
「亡霊どもの声はオレっちには聞こえねえ。だが、あいつらも後悔してんだろうよ。変わらねえ魔族の運命に抗ったことをよ」
ラネールの言葉は、いわば予言だ。私も、主人も、このまま戦い続ければここにある屍たちと同じ存在になり得るかもしれない。
『──何のための牙だったのか』
響く、慙愧の声。私をここまで導いた魔物たちの嘆き。ここで願いが途切れた魔物たちの呪詛。
かつて主人と共に戦った魔物たちも、きっとここで眠っているのだろう。与えられたのは安らかな眠りではない。悔い続け、嘆き続け、永遠に覚めない悪夢を見続けているのだ。
「……今頃、時の神殿には勇者も合流してる。もうじき巫女は扉を開いて過去の世界に逃げることだろうよ。結局、魔族長は勇者に阻まれて巫女に触れられやしねぇ」
「……!」
ラネールが告げた言葉に私は小さく肩を震わせた。──リンク君が、既に時の神殿にたどり着いている。
想定以上に早すぎる到着だった。錬石場には火山の比にならない数の魔物たちが配置されていたはずなのに。
たしかに森から火山にかけての勇者の成長は驚異的なものだった。でも、もはやそんな陳腐な言葉では済まされない。明らかに、その速度は“異常”すぎる──。
「わかっただろう。魔族長を、魔族を救うってのはな──世界を敵に回すってことなんだよ」
「────」
もし、勇者が世界の運命に後押しされているならば、その異常な成長速度にも納得がいってしまう。
相応の試練を用意し、人間離れした力を与え、魔族と争わせる。そうして数千年前に描かれた軌跡を、再びなぞり直す。
『──何のための爪だったのか』
『──何のための剣だったのか』
何のため、だったのだろう。魔族は何のための存在なのだろう。
いくら抗っても地獄はそこにあって、たくさんの同族が嘆き続けている。これまでも、これからも、私たちも、ずっと。
『──何のための命だったのか』
歴史が証明する絶望を。どれだけ犠牲を払っても変わらない袋小路を。理想論だけでは打ち砕けない現実を。私は今、目の当たりにしている。
そんな障壁を、半端者の、ただの人間でしかない私が超えられるのか。彼を救う事なんて、出来るはずが──。
『──お前の生きる理由は、』
「──!」
ふいに、記憶の淵に声音が蘇った。
耳朶を震わせ、心を揺さぶり、今まさに私を捉えていた薄闇が晴れ渡っていく感覚を抱く。
私は一杯に開いた目で虚空を見つめ、その言葉を耳にした時の情景を思い描く。
そう、そうだ。同じ光景を、同じ絶望を、私はかつて目の当たりにした。叩きつけられた。
たしか炎に包まれた大樹の中で。自分の居場所を失いかけて、役目を果たせなかった惨めな自分の姿を見てしまう前に、灰と帰して消えてしまおうとした時。
彼は、こう告げた。
『──お前の生きる理由は、誰にも、お前にも渡さない』
雷龍の問いの答えは、既に与えられていたのだ。
灰と、熱と、炎に塗れながら、彼は私に告げていた。
「────」
私は一度喉を鳴らし、こみ上げる熱さを呑み込む。
やがてゆっくりと唇を解き、小さく呼吸して、
「私が、マスターを救う? ……そんなこと、」
振り返り、告げる。
「──出来るわけが、ないでしょう?」
雷龍さえも想定していなかった冷徹な結論を、口にする。
*
「……何を言ってんだ、おめぇ」
圧倒的な衝撃が、ラネールの余裕を突き崩していた。
今私が発した言葉は聞き間違いだったのではないか。そんな疑念がまざまざと伝わってくる。
だから私は、同じ語調で同じ言葉を繰り返す。
「『私があの人を救うことは出来ない』。……そう言いました」
それは本人が聞いたなら──否、誰が聞いても裏切りにしか聞こえない、酷薄な言葉だ。
私が否定をすると踏んで問いかけたラネールは心の底からの驚愕を見せ、気が触れたのかという疑いすら浮かべている。
「……ここだけの話」
ふっと吐息し、私は唇の前に人差し指を立てて静かに切り出す。
「……あの人を縛る剣の精霊の使命も、魔族の宿命も。全部全部壊してしまいたいなんて、今まで何度も思いました。私の手で救えたら、守れたらなんて何千回も、何万回も思いました」
ここだけという言葉に嘘偽りはない。それは今初めて言葉として吐き出した、主人にも、親しい魔族の先輩にすらも告げず眠らせていた本心だった。
私は立てていた人差し指を下ろし、その手をぎゅっと握り締める。
「でも、違った」
「────」
「……あの人の地獄が。人間の、ましてや私なんかの力で守れて、救えるような生ぬるいものだったとしたら。そんなことで救える運命だったなら、あの人はとっくの昔に自分の力で地獄を乗り越えてる」
それは彼の部下として生きてきたからこそ至った、悟りにも似た諦念だった。
魔王様封印後。天地分離後。数千年。それは歴史上の時系列を指し示すための上っ面の言葉でしかない。彼はその時間を実際に生きて、戦い続けてきたのだから。
それを、わずか十数年生きた程度の人間風情が。たった数年隣にいた程度の半端者が。所詮は無知で無力で脆弱な小娘ごときが、覆せるわけがない。
──そんな存在がのたまう“救う”という言葉は、彼にとって冒涜的ですらある。
あまりに薄っぺらく、弱々しい存在が起こす奇跡ごときが、彼を繋ぎ止める強固な頸木を壊せるはずがないのだ。
「……あの時、二つ理解しました」
一度瞼を下ろし、映る光景。──わずかに緩んだ封印の杭を目にした、主人の横顔。
その光景は私の胸奥に突き刺さり続け、膿んだ傷口は今でもじくじくと痛みを訴え続けている。
でも、それは同時に私を二つの答えへと導いた。
「一つは、本当の意味でマスターを救えるのは、マスターの大切な人……魔王様だけなんだってこと」
素直な気持ちだけを吐露するならば、否定をしたかった事実だ。こうして言葉にすれば、何かに対する負けを認めているかのようで悔しくて、それでも腑に落ちてしまう。
彼のあの眼差しを見ていれば、誰にだってそれはわかってしまうから。
そして、
「もう一つは、どんなに強固な運命が立ち塞がっていたとしても、あの人は誰かに救いを求めたりなんてしないってこと」
本当はあの時。私は彼に、救いを求めて欲しかったのかもしれない。
なんて身勝手で独りよがりな、罪深いことを考えてしまったのだと、深く深く後悔をしている。
彼が誰かに救いを求めるなんて、あるわけがなかった。
何故なら──魔王様のために強くて美しくて絶対に負けない自分でいること。それそのものがあの人にとっての誇りで、幸せだからだ。
その生き方が何度も身を引き裂かれるほど過酷なものでも逃げることは許されないと、私に教えたのは他でもない彼なのだから。
私はそこで一度話を区切るように首を振り、無造作に転がる屍たちを見遣った。
「ここにいる魔物たちが何に後悔しているか、私も全ての声がはっきりと聞こえるわけじゃないです。でも私は……この魔物たちが運命に抗ったことを後悔しているとは思いません」
「……何?」
王を失い大地から青空が奪われた時、彼らの心は折れてしまったのだろう。その結果一族は壊滅状態にまで追い込まれ、たくさんの魂がここに葬られた。
けれど、きっと彼らの嘆きが向けられる矛先は、変わらない運命に対してではない。
「生き続けるって目的を失って、生きることに貪欲であるという誇りを失って……魔王様が封印されて、膝を屈した。そんな心の“死”を、彼らは悔い続けている」
「……!」
「魔族はそういう種族です。救いなんて求めてかっこ悪いところを見せるなら、生きて、生きて、生き続けるために戦う一族です。……これは先輩魔族の受け売りですけど」
初めてこの地に訪れた時、先輩大トカゲが語った魔族が戦う理由。
純然たる魔物である彼が語ったそれは、数千年の時を経ても魔物たちの中で変わりはしなかったのだろう。
「あなたがさっき言ってた『見栄だけでかっこつけて戦って、命を落とした奴』。……たぶん、魔族はみんなそれに当てはまっちゃうんだと思います」
おどけるように口元を緩める私に、ラネールは目を見開く。
馬鹿なことを言っていると告げる視線に、私は笑い、言葉を継いだ。
「そんな一族の長のあの人はたぶん……世界一のかっこつけたがりなんですよ」
──だから貴方は、貴方が脚光を浴びるべき舞台に私が立つことを許さない。私が貴方から目を離さないと知っているから、自分が舞う姿を特等席で見ていろと告げる。
貴方が貴方自身の美しさを信じているように──私が貴方のことを信じていると、欠片も疑っていない。
「いつだってかっこつけてて、美しさを見せつけて、自分の使命に誇りを持って、自分の大切な人のための強さを信じて疑ってない。だから、」
私は不敵な笑みをたたえて、結論を結ぶ。
「──私はマスターを救わない。マスターが切り拓く道に、着いていくだけ。そうして行き着く先が地獄でも、マスターがいるなら何も怖くないです」
最初から、この戦いの主役は彼でしかない。私が彼を救うための物語ではない。
“彼”が“彼の”願いを叶えるための、物語なのだから。
「馬鹿な、考えを……」
「ふふん、そうですとも」
私は呆気に取られるラネールに鼻を鳴らし、胸を張って、天上へと指先を掲げる。
ここから見えぬ空。その先にいる女神の一族にすらも表明してやるように。
「私は、世界一かっこつけたがりな魔族長様お墨付きの馬鹿部下で、」
その手を真っ直ぐに下ろし、今度こそパチンと指を鳴らして、宣告する。
「──私はそんなあの人を、世界一かっこいいマスターだと思ってるのでッ!!」
主人──憧れの人の真似は、私の胸に熱を生む。宣告は呪われた魂の坩堝であったカタコンベ中に響き渡り、既に生気が失われた屍たちにまで届いた。
同時に轟音が鳴り、バラバラと砕けた瓦礫と共にまばゆい光がカタコンベへと降り注ぐ。
ラネールが真上を見上げれば、見開かれた目に映ったのは青緑色の大トカゲ。彼はカタコンベの上層の壁に穴を空け、両手でようやく抱え込めるほど大きな時空石を抱えていた。
「──お嬢ッ!! かましてやれェッ!!」
リザルが叫び、その石を下層へ放り投げた。
重力に従い落ちてくる青の輝き。私はそれに向けて魔銃の銃口を突きつける。
「偉大な先輩方っ、お力借ります!!」
最大限の魔力込めて放った紫紺の弾丸は一直線に時空石を狙い撃つ。撃ち抜かれた石の中には青い灯火が生まれ、一拍置き、すさまじい光の洪水がカタコンベ中に溢れ出て──、
「まさか──!!」
時が、遡る。
かつてこのカタコンベが女神の一族にとっての祈りの場だった時代に。天と地が分離をする以前に。──ここにいる魔物たちが、貪欲に生を求めていた瞬間に。
光の軌跡は波紋のように弧を描き、広がり、景色は過去へと塗り変わっていく。
「お嬢ッ!」
上層から飛び降りたリザルは私の目の前に着地して振り返る。私は何も問わずその背に飛び乗り、ひんやりとした肌にしがみついた。
「死ンでも手ェ離すなよッ!!」
「うん……!!」
振り返らずそう叫んだリザルは人間の何倍もの跳躍力を見せ、時空石の光を浴びるカタコンベの壁を伝って上へ上へと向かう。
最後の最後、地の底へ視線を走らせ私が目にした光景は、
「────」
現代に蘇った、数千、数万の魔物たち。地面が見えないほどにひしめく彼らは大地を揺るがす雄叫びを上げ、一斉に雷龍へと飛び掛かった。
最大限の魔力を込めたとは言え、彼らが現代に顕現出来るのはほんのわずかな時間だけだ。
それでも彼らはたった数瞬の生に食らいつき、目先の敵に爪を立て、噛み付き、武器を振るう。
こんなことが、彼らの魂の慰みになることはきっとない。だからこそ、私たちは彼らの分まで生き足掻き、戦い続けなければならない。
やがて数多の魔物たちが渦巻くカタコンベは、砂に埋もれて見えなくなって──、
*
「──ぷは!!」
冷えた地下空間から脱出した直後の地上は、太陽が無くとも焼け焦げてしまいそうな暑さと明るさに満たされていた。
私とリザルは体中を砂まみれにしながらなんとか地上へとたどり着き、砂の地面に身を投げる。
地下にいたのはたったの数時間だったのに、外の世界の眩しさがひどく懐かしいものに思えた。
「本当にうまくいくなンてな……。俺ァ半分くらい、お嬢が魔物の餌になると思ってたンだがな」
「リザルがあと少し遅かったりしたらそうなってたと思う……まさかあんなにたくさん死体があるなんて思ってなかったし……」
息を切らしながらうわの空で言葉を交わし、私はカタコンベで復活した魔物たちへ思いを馳せる。
見慣れた姿をした魔物から、見たことのない種族まで、本当に多種多様な魔物たちがあそこにはいた。おそらく、過去の聖戦で戦った魔物たちの中には遠い地方から集められた者も大勢いたのだろう。
……私をカタコンベまで導いた魔物も、あの中にいたのだろうか。
「それにしても、いきなり時空石で叩き起こして戦ってもらうなんて、なんだか死体に鞭打っちゃった気分……」
「気にすンな。雷龍に一矢報いてやれたンだ。本望だろ」
作戦を思いついた時から若干の後ろめたさがあったけれど、純粋な魔族のリザルにそう言われると気持ちが軽くなる。
──と、その時。喉奥から何かが迫り上がり、私は口を覆って激しく咳き込んだ。
巻き上がった砂埃を吸い込んでしまったのかと思ったけれど、口を押さえた自分の手を見遣り、息を呑む。
「……!」
私の手のひらには、真っ赤な血がべったりと付着していた。
隠す間も無く傍らにいたリザルにそれを見られ、黄色の目が険しく歪む。
「……今ので結構魔力削れただろ。戦えンのか?」
「……うん、まだ戦える。マスターのところに早く行かないと」
私は手についた血を握り潰し、彼方に霞む時の神殿へと視線を送る。
女神の気配はまだ存在している。遠くから聞こえる争いの音が紛れもない証拠だ。
休んでいる暇はない。一刻も早く主人の元へ向かわなければ。
傍らのリザルから何か言いたげな気配を感じたけれど、彼は何も言わず口を噤み──そして、大きな目を唐突に見開いた。
「──!!」
途端、立っていられないほどの地響きが襲い、私たちのすぐ目の前の砂が柱を立てるように巻き上がる。
驚き、顔を上げる私たちの前でその柱から黒い影が現れ──、
「やってくれたな、魔族ども……!!」
粉塵が舞い、大気を揺るがす憤怒の気配が体を突き刺した。
時空珠の青い光は勢いを弱めて暗くくすんでいるが、その代わりに獲物を見下ろす眼光はより鋭利なものへと変貌している。
大精霊としての圧倒的な力を見せつける存在──雷龍ラネールは、蘇った魔物たちの猛勢を受けながらも再び私たちの行く手を阻んだ。
苦肉の策を破られ、焦燥とともに首筋に冷たい汗が流れる。
時間はほとんど残されていない。しかしここでラネールを仕留めなければ勇者たちに合流されてしまう。
絶望に浸る心中を噛み殺し、再び魔剣を抜こうとした、その時だった。
「……リザル?」
先に一歩前へ出た青緑色の背中を見て、私は唖然と目を見張る。
リザルはこちらに振り返らず、自らの片手剣を抜いて小さく肩を竦めた。
「わかってンだろ」
「え……」
「もしこうしてるうちに時の扉が動いたら、お前は二度とあの人に会えなくなる」
「──!」
淡々と告げられたその言葉に、心臓がどくりと鳴った。
最初からわかっていたことだった。
巫女が逃げ込もうとしている時の扉。もし主人がその後を追って一緒に扉を潜ったなら……彼には二度と、会えなくなるかもしれないと。
それでも自分の欲望を、あるいは考えたくない未来を口に出すべきではないと何度も言い聞かせて、心の内側で押し殺していた。
リザルは私の顔を見ていないのに、私がどんな表情をしているか全て見透かしたようにため息をつく。
「どーせお前はそれでもいいとか勝手に思ってンだろーな。ケド、その後立ち直れなくなった後輩の面倒まで見ンのは性に合わねェから御免だ。つか“ふらぐ”立ててまで約束したンだろ。守らなかったらめちゃくちゃ拗ねンぞ、あの人」
「リザル……」
「──魔族なら、最期の最後の瞬間まで強欲に生きろ」
先輩魔族は同族としての在り方を告げ、片手剣を携えラネールの元へと駆け出す。
ラネールの大剣が真正面からその身を迎え撃ち、二つの刃が鮮やかな金属音を響かせた。
「突っ込めッ!! お嬢!!」
「──ッ!」
リザルの叫び声にびくりと体が震え、私は唇を噛んで全力で駆け出す。
追いかけようと大剣を引いたラネールの身をリザルの猛追が迫り──ラネールはついに、魔族の少女の姿を見失った。
「……リザルフォスごときが余計な真似を」
「そのごときにしてやられたのはどこの三龍サマだよ」
下位のものならば竦み上がってしまうほどの覇気に、平然と嘲笑を返すリザル。牙をちらつかせ、凶悪な眼光で仇敵を射抜く。
同時に、彼が片手を上げれば周囲に待機していたリザルフォスたちが集まってきた。
ラネールは群衆をじろりと睥睨し、大きく鼻を鳴らす。
「わらわらと数だけ集めやがって。魔物共に与えてやる修行はねえよ」
「はッ、亡霊なンかに稽古つけられる生者サマはどこにもいねェッての」
そう吐き捨て、彼が突きつけるのは銀色の輝きを持つ片手剣。大トカゲは獣の本能を剥き出しにした黄色の眼で、獲物を睨みつける。
「魔族のしぶとさ舐めンな。──クソ龍が」