長編3-7_カタコンベ
「お嬢ッ! 右前方三体、ンで次二体だッ!!」
「りょーかい……!」
前方から叫ぶように飛ばされた指示に短く返答し、姿勢を低く取りながら片手の魔剣を構える。
揺れる視界に目を凝らしていると、予告された通りの数のロボットが立ち塞がった。
標的から視線を逸らさず、呼吸を止める。そして疾走する大トカゲがロボットを抜き去る瞬間──鋼鉄の体は二つに分かたれ、次々と地面に伏していった。
最後の最後にバランスを崩しかけた私は慌てて冷たい背中にしがみつき、吐息をこぼして顔を上げる。
「り、リザル先輩……さすがに敵の迎撃、私に丸投げしすぎじゃないですか……!? 荷が重いんですけど……!」
「ばァか、剣の腕は認めてやってッから丸投げしてンだろ? 適材適所ッてやつだよ。ほれ、次も来やがったぞ!」
「鬼……!!」
休む間も無く飛んできた次の指示。再び道を阻むロボットたちを私は一撃で斬り伏せていく。
迎撃するだけならともかく気を抜けば全力疾走しているリザルから振り下ろされてしまう危険もあって、一切油断は出来ない状況だ。おまけに、
「よくもやってくれたなぁ魔族ども!! やっぱりおめぇらはここで埋めてやるしかねえようだな!!」
「きた……!」
「チッ、もう追いついてきやがッた……」
背後から迫るラネールはあらゆる手段を使って行手を阻み、私たちを追い詰めてくる。立ち塞がるロボットたちも、ラネールが時空珠の効果範囲を操作して出現させた手下だった。
それに加え、奥に進めば進むほど地下空間は一層複雑に入り組んでいき、出口らしき場所は未だ見つかっていない。行き止まりに突き当たっていないのは奇跡としか言いようがなかった。
「私たち、今どこ走ってるんだろ!?」
「知らねェよ、地図なンて見てる暇ねェ……!」
走り続けるリザルも敵の迎撃に徹する私も冷静に道を確認する余裕はない。一方で霊体のため疲れ知らずのラネールは文字通り地の果てまで追いかけてくる勢いだ。
私を乗せて走り続けるリザルの体力も無尽蔵ではない。なんとか作戦を練って反撃の機会を作らなければならない。
必死に思考を巡らせようとしながら再び現れたロボットたちを魔剣で斬り裂くと、薄暗い通路を抜け、天井が低く奥行きのある広間に出た。
「ぬんッ!!」
「え……」
その瞬間、背後から唸り声が上がり、私は振り返る。見ればラネールが手にした大剣を天井へ深々と突き立てていて、そこを起点にあちこちに大きな亀裂が走っていた。
「て、天井!! すっごいヒビ入ってる!! 絶対落ちてくる!!」
「お嬢うるせェ! 口閉じてろッ!」
喚く私を一喝したリザルが呼吸を鋭く噛み締める。甲高い破砕音を鳴らし、天井が崩れ始めた瞬間、彼は一気にスピードを上げて広間を駆け抜けた。
「オォ──ッ!!」
降り注ぐ瓦礫を背に、咆哮を上げ一直線に突き進むリザル。その身は間一髪崩落を躱し切り、一拍置いて広間中に砂煙が巻き上がった。大先輩のおかげで、なんとかぺちゃんこから免れたようだ。
「リザルすごい! えらい! 愛してる! マスターの次に!!」
「お嬢の愛は俺にァ胃痛しかしねェから遠慮しとくッ! それより、今のうちに隠れンぞ!」
緑色の背中をぺしぺしと叩いて興奮する私に対し、ドライな反応を崩さないリザルが辺りを見回す。
霊体になれるラネールが瓦礫に埋もれることはないが、視界の悪い今が身を潜めるチャンスだ。
私たちは瓦礫の死角に狭い通路を見つけて潜り込み、そこで息を潜めながら広間の砂埃が晴れるのを待った。
「……行ったか?」
「たぶん……」
数分で砂埃は晴れ、開けた視界にラネールの姿は無い。耳を澄ませば遠くからロボットたちの駆動音が聞こえてくるため、手下を使って私たちを探しているのだろう。
そう長くは潜んでいられないが、なんとか追っ手を撒くことには成功したらしい。
「リザル、疲れてない?」
「すっげェ疲れてッケド、音を上げてる場合じゃねェだろ」
リザルは壁にもたれかかり軽く息を上げている。その様子も心配だが、彼の言う通り今はラネールに対抗するための作戦を練らなければならない。
持っていた地図を広げ、私とリザルは向き合って作戦会議を始めた。
「……普通に考えたら、あンだけわかりやすい弱点ぶら下げてンだからそこを狙うのが妥当だわな」
「そのための隙を作れたら、だけど……」
地上での戦闘を経て、ラネールに攻撃を通すには魔力を使って戦うか、こちらも時空石を発動させて同じ条件下で戦う必要があるということはわかっていた。
一番手取り早いのはギラヒム様のように魔力を込めた攻撃で正面から戦うことなのだが──、
「俺は魔力なンざからっきしだし、お嬢はギラヒム様並みのでけェ一発なンて撃ったら卒倒するだろ」
「……その通りです」
継がれたリザルの言葉に項垂れる。
二人とも飛び道具は一応あるものの主要な戦闘方法は剣術だ。どちらかというと肉体派の魔族部下ズにとって、その方法は現実的ではない。
「そうなりャ、こっちも時空石使ってやり合うしかねェッて訳だな」
時空石自体は遺跡中に散見される。聞いていた通り、特殊な力を持った鉱石でありながら砂漠では比較的よく見かける豊富な資源のようだ。
──しかし問題は、攻撃が通ったところでラネールを打ち負かすことが出来るのか、ということだ。
「……攻撃が通るとしても、弱点がわかってても、それでも勝てる道筋が全然見えないんだよねぇ」
「三龍だかンなァ。いくらやる気と根性があっても一般魔族の俺らが大精霊に勝てる道理はないわな」
軍を成して戦うならまだしも私とリザルの二人だけではどうにも限界がある。無鉄砲に突っ込んで勢いで勝てる相手でないことは、同じ大精霊である水龍と戦った自分が一番よく理解していた。
リザルは小さく肩を竦めて「つまり、」と前置き、続ける。
「俺らがここで出来ンのは、出来るだけ時間を稼いだ後に隙見て逃げること。……あの龍だけを置き去りにしてここを脱出出来りャ、最善なンだけどな」
簡潔にまとめられた結論は消極的なようで、最も現実的な策と言えた。私たちの目的はラネールを倒すことではなく、ラネールを足止めすることだ。
時の神殿に向かった主人の戦いが無事終わること。それが最重要事項なのだから。
「…………、」
そこまで考えて、再び胸の奥にちくりとした痛みが走る感覚を得た。
しかしそれを表情に出すことはなく、私はリザルが続ける言葉に耳を傾ける。
「脱出のために使える爆弾は一発だけ。ンで、下手なところで使えばラネール以前に俺らが生き埋めになる可能性の方が圧倒的に高い。いずれにせよ、脱出のチャンスは一回きりだ」
「……そうだね」
リザルの言う通り、場所とタイミングが合わなければ次こそ生き埋めだと思っておくべきだろう。脱出のための穴を空ける場所は慎重に選ばなければならない。
どこで爆弾を使うべきか、頭を捻らせながら地図をじっと見つめていると、
「……リザル、この広い場所、何?」
地図上で一箇所だけ、袋小路になっている広い空間を見つけた。そこに至るまでの道も一本道。いかにも何かが待ち受けていそうな配置だ。
私がその場所を指差すと、横から覗き込んだリザルが「ああ」と一言漏らした。
「噂の地下墓地だよ。昔の戦争で死ンだ魔物が眠ってる」
「え……」
「ギラヒム様から聞いたンだろ? ラネールが昔の魔王軍の拠点だったッてよ。天地分離が起こった後、地上に残った女神の一族が魔族を壊滅状態にして、鎮魂とやらのために死体を地下墓地に埋めたンだと。それがここだよ」
軽い口調で告げられた衝撃の事実に私はしばらく言葉を失う。
主人から脅し混じりに聞かされたのは、端から端まで本当の話だったらしい。しかもこの地下空間がそこに繋がっているなんて。
呆気に取られる私を横目に、リザルは一度区切って言葉を継ぐ。
「ちなみに、“カタコンベ”って言われてる」
「カタコンベ……」
「人間どもは立派な棺桶用意して必死に拝ンでりャ、勝手に魔物の魂が鎮まるとでも思ったンだろーな。そンな方法で恨み辛みが募った亡霊どもが大人しくなる訳がねェのによ」
遠い過去の戦争で、女神の一族に敗れた魔物たちが眠る場所。たしか主人は最近その亡霊たちが騒がしいのだと言っていた。
亡霊たちは再びの聖戦の始まりに勘付いているのだろうか。そして、ここに訪れる生者へ何かを訴えかけようとしているのだろうか。
魔族に暗い影を落とし続ける過去の聖戦の記憶。彼らが最期に何を抱いて眠りについたのか、知る術はない。
──だが、そこまで思考を巡らせ、私はあることに思い至った。
「リザル、考えたんだけど」
そこで区切り、注がれた黄色の視線に思いついたことをありのまま伝える。
リザルは最初に驚き、しかし口を挟まず最後まで私の話を聞き終え、その後、
「……ぶっ飛ンだこと考えンなァ、今時の若者は」
「何そのキャラ……!? そんなに無理な案だった……!?」
「……いや、」
予想外の反応に焦る私へ首を振り、リザルの両眼がもう一度地図を見遣った。
爬虫類特有の大きな目は瞳孔を細め、低い声音が続く。
「生きて出られる可能性としちゃ、一番高いだろーな。しかも上手くいきャあラネールを生き埋めにしてやれる」
「ほ、本当……!?」
「ああ。……そのかわり、上手くいかなかったら地上にも出られずお陀仏だケドな」
リザルの言う通り、私の思いつきの作戦にはいくつか乗り越えなければならない懸念点がある。全て上手く行くかどうかは、今の時点では未知数だ。
だがそれらを加味しても、やる価値はあるということなのだろう。
ようやく現実味を帯びた対抗策に覚悟を決めて唇を結んでいると、傍らのリザルから短い嘆息がこぼれ落ちてきた。
「……しッかし」
「?」
「前からわかってはいたケドよ。本当にお嬢は魔族長様のことになると狂ってやがるよな。フツーの魔物の神経じゃねェ」
「さ、散々な言われよう……!」
「いンじゃねェの。人間の価値観は知らねェケド、魔物の中で狂ってるヤツは大抵最後まで生き延びンぞ」
喜んでいいのか悪いのかよくわからない評価を下されたけれど、リザルからもらう同族意識はいつだって少し温かい気持ちになれる。
最後に私たちはお互いの役割をもう一度確認し、視線を交わす。
失敗したら、ここで亡霊たちの仲間入りだ。主人との約束を果たすためにも、絶対に生きて帰らなければならない。詰まるところ──、
「頑張ろう、苦労人魔族部下ズ」
「俺とお前を一緒にすンなや。俺はいつだってお前ら主従に巻き込まれる側だッての」
リザルのしかめっ面に苦笑をこぼし、立ち上がる。
目指すは地下墓地──カタコンベだ。
「────」
生者の気配を探り、地下空間を巡っていた雷龍ラネールはふとその場に留まり、道の真ん中に佇む存在を睨んだ。
そこに立ち尽くしていたのは一人の人間──魔族長の部下の少女。
彼女は逃げるわけでも無く、むしろこうして雷龍との対峙のために待ち伏せていたかのように見えた。
先ほどまで逃げ回っていたはずの少女との突然の邂逅。訝しげに眉根を顰めながら、ラネールは視線だけで辺りを見渡す。
「嬢ちゃん一人か」
「……先輩はお疲れだったので、私を囮にして逃げちゃいました」
その言葉通り仲間を放り出して逃げたとは考えづらいが、確かにあのリザルフォスが潜んでいる気配は感じられなかった。
少女は雷龍の鋭気に圧倒されながらも、腰の魔剣を抜いて身構える。掲げられた黒刃を目にし、ラネールは「ほお」と唸り片眉を上げた。
「今度は真っ向から正々堂々やり合おうってか」
ラネールは大剣を手にしてその戦意に応じる。身の丈を遥かに上まわる大きさの刀身に頬を固くした少女の姿が映り込んだが、その足は一歩たりとも退くことはない。
「人間とやり合うのは千年ぶりだ。悪くはねぇな、嬢ちゃん」
「……ぜひ、お手柔らかにお願いします」
そう、短い応酬を交わした後、
──大剣が地面を抉る断裁音が、地下空間に響き渡った。
* * *
「──さあ、足掻いて見せろッ!!」
無数に煌めく短刀が、インパの痩躯へと一斉に襲い掛かる。
四方八方の退路を経ち、全身を貫こうとする刃の弾幕。奥歯を噛み締めたインパは薙刀を地へ突き立て、周囲を囲う火柱を召喚して短刀の嵐を防ぐ。
一度上がった火柱の中で、インパは追い詰められた態勢を整えようとして──、
「ほぉら、隙を見せた」
「ぐッ──!」
嘲笑が耳に届いたその瞬間。正面の炎が大きく揺らぎ、壁を真っ二つに分かつように黒刃が降り下ろされた。
炎の熱さなどまるで無視をし、脆い壁を撫で斬るように下された一閃。
刃は咄嗟に身を引いたインパの肩を浅く斬り裂き、歪んだ赤目に魔族長の深い笑みが映り込む。
「先ほどまでの威勢はどこにいったのかなッ!? それとも、やはりお前たちは我らに蹂躙される定めなのかなッ!!」
反撃の隙も許さず、哄笑と共に何度も下される魔剣の追撃。インパは最小限の動作にして最大限の集中力で黒閃を弾き、受け止め、躱す。
迸る火花と甲高く木霊する金属音に頭を揺さぶられながら、足を踏み締め一際大きな一撃を掻い潜り、その勢いのまま赤い刃を貫かせる。
「残念。あと三秒速ければね?」
「チッ……!」
薙刀は空気の壁だけを虚しく突き刺し、瞬間移動で距離を取ったギラヒムが挑発を送る。
間を置かず、再び交わされ合う刃。互いに一歩も退くことのない攻防が続く。
「────」
荒々しい魔剣の重圧に耐えながらも、インパの意識は背後で佇む少女の元へと向けられていた。
鋼が奏でる合唱に紛れ、透き通った声音とハープのたおやかな音色が祈りの音楽を歌い上げている。
少女の目の前に佇む青い壁面は、まるでその歌声を祝福するかのように刻まれた文字へ淡い光を灯していた。
数千の時を超え、ようやく本来の役割を果たそうとしている知恵の遺産。
長きに渡る眠りが、二つの禊を経て神聖な存在へと開花した少女によって終えられようとしている。
「随分、余裕じゃないか」
「!!」
瞬間。空気を引き裂く閃音が響き、薙刀の柄に重い一撃がのしかかった。
片手のみで圧を掛けながら、魔剣を振り下ろした魔族長は含み笑いをこぼす。
「そう心配せずとも、全てが済めばあの少女も同じところに送ってあげるよ」
「くッ……、」
「認めてしまえばいいんだ。足掻けば足掻くだけ惨めになると。……そうすれば楽に逝かせてあげるから」
「ッあぐ……!」
優しげな囁きを落としながら、舞い遊んだ黒閃がインパの四肢を裂いて鮮血を散らす。
頬に散った血を舐めとり、妖艶な笑みを浮かべたギラヒムは刹那の間隙を縫って魔剣を引く。そして、
「だから、早く屈服してしまえ」
「があッ!!」
低く告げると同時に放たれた、苛烈な一撃。
魔剣の柄が薙刀ごとインパの体躯を突き穿ち、その身は宙へと放り出された。
「インパッ……!」
ハープを奏でる手を止め、ゼルダの悲痛な叫び声が上がる。
地に叩きつけられ、伏した従者の身に彼女は駆け寄ろうとして──、
「……虚しいものだとは思わないかい?」
「!!」
低く、無機質な声音で告げられた一言に、びくりとその足が止まった。
魔剣を下ろし、巫女へと注がれるギラヒムの視線からは先ほどまでの興奮の気配は霧散している。その敵意はそれまで見せていた弱者に対する余裕を孕むものではない。
「昔も今も犠牲を払い続け、希望なんて不確かなものに囚われて。……お前がしていることは所詮、過去と何も変わらない。幾千もの命を無駄に費やした、あの時と」
それは、かつての聖戦の果てで対峙した『女神』に向けた声音だ。
天地分離の時、彼女が犯したことを知る者として、彼はその罪の全貌を包み隠すことなく突き付ける。
何も答えず唇を結ぶ少女にギラヒムは短く吐息し、今度は皮肉げな笑みをたたえた。
「過去に向かって何をするつもりか、大方の察しはついているよ。……けれど、本当に“君”はそれでいいのかな?」
「……!」
少しだけ音程が上がった声音が、『女神』ではなくゼルダ自身に向けられた。
耳にするだけならば、穏やかにも聞こえるその口調。ゼルダは細い喉に息を詰めて、怯えるように身を縮こませる。
「このまま過去に向かって、女神の目論見を果たしたなら。君は……どうなってしまうのかな?」
歌うような問いかけに、蒼色の瞳が見開かれる。
しかしそれはほんの数瞬のこと。震えを噛み殺し、彼女は視線を逸らさず前を見据える。
「世界のためなら、怖くなんてないわ……!」
「……へえ」
意を決した反駁に、返されるのは薄い嘲笑だ。
ギラヒムにとって、この純粋無垢な少女が女神の目的を理解した上でその身を捧げることは予想の範囲内であった。
だから、それ故に見えてしまう少女にとっての核心を、彼は酷薄なまでに陵辱する。
「……憐れで見ていられないね。過去の世界で女神が勝手に背負った宿業に、本来ならば平穏無事に生きられるはずの少女が巻き込まれてしまう様は」
憐れだと嘯きながら、ギラヒムの表情に同情は一切滲んでいない。敵対する者として、残酷な事実を言い聞かせるだけだ。
「いや……巻き込まれたというよりは、君は最初からそうなるべくして生まれてきたのか」
乾いた声音は少女が目を逸らし続けた事実にまで無慈悲にもたどり着き、その心を掻き乱す。
短い笑みをこぼして告げられた言葉に、彼女は体を凍り付かせた。
「──君のその体は、生まれ落ちた時から生贄にされると決まっていたのだから、ね?」
「!!」
鈴の声音は、もう音にならない。
わかっていたことだった。突如として閉ざされ、奪われた一人の少女としての生き方。
そうなることは生まれた時から決まっていて、たとえ魔族の手に落ちずとも、世界のための犠牲となる身だと決まっていた。
──つまりそれは、どれだけ彼女が身命を賭して世界を守っても、守られた世界に彼女自身が戻る機会は永遠に訪れないということ。
本当ならば、何度も心を砕かれながら、少女が世界に尽くす理由なんて無かったはずなのに。
「────」
ついに蒼色の視線は地に落ち、白い手のひらは何かを堪えるかのようにぎゅっと結ばれた。
後は膝を屈して、涙を流して、残酷な運命に向けた呪いの言葉を叫ぶ。
もう彼女が立ち上がることなんて、出来はしない。
──そのはずだった。
「それでも、わたしは……嘘をつきたくない」
「────」
少女は、ゼルダは地を踏み締め、その場に立ち続けていた。
再び持ち上げられた蒼色の視線には、失われかけた光が宿っている。
その姿に、ギラヒムはわずかに目を見張った。
「生贄だとしても、この体が使命のものだとしても。わたしには大好きな人たちが、大好きな世界があるから。──大切なものを、運命だからって言葉で諦めたくない」
顔を上げて、背筋を伸ばして、毅然と胸を張って、震えはいつしか止まっていて。
彼女の胸に灯る光景が、いつか取り戻したいと願う居場所が、彼女に力を与え続ける。
そして息を吸い、ゼルダは凛とした声音で宣言する。
「みんなを守りたいって気持ちにも、一緒にいたいって気持ちにも、わたしは絶対に嘘をつきたくない……! 最後までその気持ちを手放したくないッ!!」
宣言は、高い高い空へと響き渡る。
耳にするのはこの場にいるたったの数人。
それでも、少女の意志に応えるかのように、分厚い雲からは淡い陽光が差し込んでいた。
──しかし、
「…………認めない」
低く、様々な感情がない混ぜになった声音が答える。
少女の宣告を聞いたギラヒムは目を伏せ、だらりと腕を下ろし、地に触れた魔剣の剣先が乾いた音を立てた。
「……そんな意志で、この運命を捻じ曲げられる訳がない」
続いた声は、誰の耳にも届かない。
ただ、再び持ち上げられた魔剣の刃が、降り注ぐ陽光を分かつように掲げられて、
「──ハァッ!!」
「ッ!?」
その背後に、隙を見たインパが薙刀を携え飛び込んできた。
意識の範囲外からの奇襲にギラヒムの意識は急速に引き戻され、振り返って視線を走らせる。横薙ぎに払われた赤い刃はギラヒムの腰を薄く裂き、その身の後退を強いた。
ギラヒムは顔を歪めて舌を弾き、反撃をしようとして──そのまま背を向け、インパとは真逆の方向へと駆け出す。
その先で立ち尽くすのは、驚愕に目を見開く一人の少女。
「ゼルダ様──!!」
インパの叫声が上がり、ゼルダの瞳が覚悟に揺れる。
身を守る者はおらず、対抗する術すらなく、ゼルダにとっての世界が静止をして──。
「大丈夫だよ」
止まったその時間を、温かな空のような声が穏やかに解きほぐした。
続いたのは、空間を真っ二つに分かつように放たれた無形の刃。それはギラヒムの足を留まらせ、魔剣の刃を弾き返す。
やがて耳に届いたのは、乾いた地を踏み締める一つの足音。
その主を誰よりも早く映した蒼色の瞳は、光を宿して一杯に押し開かれる。
「……間に合った」
緑衣の騎士が、白銀の剣を構えた。