ZEXAL_dream | ナノ

 紫の蝶

 W兄様の服の下は、沢山の痣が広がっている。
 少し前に借りた本を返そうと思い、W兄様の部屋へ向かった。ノックをして返答を聞いてから扉を開ける。と、偶然にも兄様は着替え中だった。逞しい身体は何処からどう見ても男性の其れで、僕の薄い胸板や筋肉の少ない体と比べてしまって少しだけ恥ずかしく、同時に悔しい気持ちになる。それからふと気づいたのだ。兄様の体中に広がる、真新しい紫の痕に。
 すると、急にW兄様はハッとしたような顔になり、強い声で僕に言った。
「おい、V。後ろ向け」
「は、はい。W兄様」
 有無を言わさぬ迫力に、僕は思わず言われた通りに背を向ける。それから少しして「良いぞ」と許可が下りてから再びW兄様を見ると、W兄様は白いシャツを着ていた。いつものようにだらしなく胸元のボタンを外して全開にする事なく、首元だけ軽く開けてそれより下のボタンは全て留めていた。
(どう、したんだろう)
 W兄様にしては珍しい、というか今までなら有り得ない行動だ。いつもなら例え着替え中でも僕を気にする事は無かったし、何より衆目の無い家の中でわざわざ服をかっちり着るようなことをW兄様はしない。……だから、だったのだろう。僕がノックをして招き入れ、暫くの間気付かなかったのだ。僕の視線が痣に向けられていると思い至るまで、W兄様は痣を隠すのを忘れていた。
(――僕に見られたら困るもの、だったんだろうか)
 思考を口に出さず、借りた本へのお礼を告げて、手近なテーブルへ本を置いて退出する。けれど、薄暗い部屋の中で見たW兄様の体に残る痣を忘れることは出来なかった。本当に出来たばかりの、真新しい――薄紫の痕。上半身しか肌を晒していなかったから下がどうなっているのかは分からないけれど、痕は疎らに、首から下へ幾つも刻まれていた。中には濃い紫や黒みがかった物もあって、それはとても生々しくて、ほんの少し短い時間しか見ていないのに脳裏に焼き付いてしまったらしい。

 それから、僕はW兄様のことが――その服の下が、気になって仕方がなくなってしまった。
 けれどあれ以来W兄様が無防備に肌を晒すことは無い。どころか、家の中でも肌の見えるようなだらしのない格好をする事がなくなってしまった。恐らくW兄様にとってあれは触れられたくない話題で、だからこそ徹底的に隠しているのだろう。
 あれは、W兄様の“ファンサービス”の過程でついたものなのだろうか。それともナンバーズ集めの最中や、デュエルでつけられたのか。……それとも、考えたくはないけれど。W兄様は誰かに暴行されて、いるのだろうか。もしそうなら、僕はその相手を殺すだろう。家族として、兄が理不尽な目に遭っているなんて認められないし許したくない。
 けれど、答えは分からない。W兄様はサディストだけれど、もしかしたら僕が知らないだけで本当はマゾヒストで、ああして誰かに痕をつけて貰っているの、かも。……それはそれで少し、複雑だけれど。でも、もしW兄様の同意の上での行為なら僕が口を出す事は出来ない。性癖だとすれば、寧ろW兄様に恨まれてしまうだろう。
 どうしたらいいのか分からなくなった僕は、少しだけ迷ってから台所へ向かった。
「雪さん」
 僕が声を掛けると、雪さんは夕食の仕込みの手を止めて僕の方へやってきてくれた。手を真っ白なエプロンで拭い、雪さんは僕に向かって優しく微笑んでくれる。
「どうなさいました、V様」
「あの、少し相談があって……お時間、良いですか?」
「えぇ、勿論です。どうぞ、椅子にお掛けになって少しお待ち下さい」
 僕の言葉に雪さんは即座に頷いて、近くにあった椅子の背を少し引いてくれた。それから慣れた様子で紅茶を淹れ、休憩用の小さなテーブルの上にカップを置く。白いカップの中に紅茶が満たされて、角砂糖が3つ落とされた。これは僕の分の紅茶だ。甘い紅茶を僕に差しだして、それから雪さんは自分の分に紅茶に砂糖を1つ入れた。
「それで、どうなさいました?V様。……あぁ、鍋の事ならご心配なく。後は煮込むだけですから、幾らでもお話し下さい」
 雪さんの言葉にありがとうございます、と告げて、それから僕は先程まで考えていた事を口にする。W兄様の肌を見たこと。体中に真新しい、生々しい痣が刻まれていたこと。その理由が分からずに、悩んでいること。雪さんは相槌を入れながら、僕の言葉を静かに全て聞いてくれた。少しも引く事なく、全部聞き終えた雪さんは冷めてしまった紅茶へと口を付ける。
「成る程。W様の体に痣、ですか……」
「はい。僕、心配で……W兄様は何かに巻き込まれているんでしょうか」
 それとも、性癖なんでしょうか。
 浮かんだ言葉を飲み込む。いくらなんでも女性に対してその問い掛けは無礼にも程があるだろう。けれど、雪さんはにこやかな笑顔で言い放った。
「V様、それはW様の性癖です」
 ……そこまではっきりと言い切られると、僕としてはどんな反応をすればいいのか分からない。しかし雪さんは僕をからかっている様子は無かった。元々雪さんは僕に嘘を吐いたり意地悪を言う人ではないけれど、だからこそ僕はどうすれば良いんだろうか。
「え、っと……雪、さん?」
「ですからV様はご心配なさらずとも問題ありません。確かに弟君としては実兄がマゾヒストであるという事実は受け入れがたいかもしれませんが……あのW様がそこまでやられて黙っているとも思えませんし、甘んじて受けているのでしょう。ならばそれは性癖以外に無いかと思います」
 つらつらと連ねられた言葉は確かに説得力のあるもので、だからこそ複雑な気持ちになってしまった。まさか、W兄様にそんな趣味があったなんて……!あまり信じたくはない。けれど雪さんの言う通り、そうでもなければあのW兄様があそこまで沢山の痣を付けられる筈もないだろう。
「……そう、ですね。……雪さん、ありがとうございました」
「いいえ、V様のお役に立てたのならばそれ以上の喜びはありません」
 にこり、と雪さんが笑う。とっくに冷めた紅茶を飲み干して、僕は席を立った。
「V様、お夕飯はどうなされますか?」
「……今日は、いりません」
「かしこまりました」
 ここ数日の疑問は解消されたけれど、何だか余計に心が重くなったような気がする。雪さんの言葉に力なく答えて、僕は台所を後にした。

「……あまり、知りたく無かったな」
 ――好奇心は猫をも殺す。そのことを身を以て実感した一日だった。



【真実は闇の中】<120506>

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