ZEXAL_dream | ナノ

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「ねぇ、知ってる?」
「うんうん、あの噂でしょ?」
「週末になると、仮面の男が現れて」
「一人で歩いてる人間を攫って行くって」
「怖いよね」
「うん、怖いね」

 くすくす、と密やかな笑い声。こわい、と繰り返しながらも何処か楽しそうな少女達はスカートの裾をはためかせて通り過ぎて行った。――最近ハートランドシティで流行りの噂だ。週末の夜、一人で歩いてると仮面の男……“ファントム”に連れて行かれてしまう、というのが噂の内容だ。否、正確に言えばこれは噂などでは無く偽りのない真実で、実際に起こっている事件だ。但し被害に遭ったと言う人間は一人残らず何があったかを覚えておらず、その足取りは依然掴めていない。被害者も暴行を加えられたり金品を奪われたりもせず、ただファントムに出遭い――目が覚めると自宅に居る、という流れだ。目的は全くもって不明。寧ろ中には家出中の子供が帰ってきたと喜ぶ親も居る始末で、被害届も出されていない。精々子供の夜歩きを戒める為に親が軽い脅しに使う程度だ。――そう、ただの一般人にとっては。
「……くそッ……!」
 薄暗い路地の中、思い切り煉瓦の壁を殴りつける。苛立ち紛れの行為は余計に怒りを増幅させるだけだった。それがより腹立たしい。腸が煮えくり返るとは正にこのことだ。
 誰も知らない、“ファントム”の目的。それは――
「ナンバーズ……っ!」
 そう、ナンバーズを回収する事があの男の目的だ。それを知ったのはつい数時間前の話で、それまでは彼――Wもファントムの目的など知らなかった。また興味も無かったのだが――目の前で、奪われた。自分がいつものようにファンサービスと称してデュエルを行おうと出向いた先、Wが目的地に辿り着いた時には既にナンバーズは男の手の中にあったのだ。
 顔の鼻より上を覆い隠す、闇夜では目立ち過ぎる白い仮面。身に纏う黒衣は、遠目から見ても上質なものだった。恐らくはオペラ座の怪人でも意識しているのだろう。唯一違うのは男の両目とも仮面で隠されていること位だ。――ああ、ムカツク。
 男、ファントムはWの姿を確認すると小さく笑った。それから足元に転がる人間の腕を掴むと黒衣を翻し、次の瞬間、その場から消えていたのだ。まるで紋章の力でも使ったかのように、跡形もなく。
「……気にいらねェ」
 そう、吐き捨てる。――ああ、気に入らない。イライラとした気分を抱えて帰路に着く。門を潜り扉を開くと、其処にはいつもと変わらず一人のメイドが立っていた。
「お帰りなさいませ、W様」
 いつもと変わらぬ口調。けれどその白い頬には微かに汗が滲んでいた。珍しい事だ。胸の内に抱えた苛々よりも彼女の事の方が気になり、Wは彼女の頬へ手を伸ばす。触れた肌は僅かにしっとりと湿っている。――まるで、情事の後を思わせるような其れ。嫌な想像が、脳裏を過る。……まさか。
 Wが口を開こうとするより先に、彼女は自身の頬に触れるWの手を取って薄く笑んだ。
「おや、……申し訳御座いません。急いだものですから、汗を掻いてしまったようです」
 先回りするような言葉。嘘かもしれない。けれど、自分を迎え入れる為に彼女が急いでやってきた、という台詞が事実ならばどれだけ幸福な事だろう。嘘でも良いと思った。何故なら、Wはその言葉を嬉しいと思ってしまったからだ。
「そう、かよ」
 内心を悟られないよう素っ気なく答える。彼女は気にした様子もなく、歩き出したWの後ろをついてくる。
「えぇ。……ああ、そうでした。W様」
「あ?」
「トロンからの言伝をお預かりしております。今日の報告は後でも構わない、と」
「――……、おい」
「トロンは既に就寝されました。W様もお休み下さい」
 どういう意味だ。そう問い掛けようとするのを拒むように、彼女は告げる。淡々とした声からは何の感情も読み取れない。――まるで、何も収穫できなかった事を既に知っているかのようなトロンの言付け。否、トロンが知っていたとしても不思議では無いのかもしれない。彼らと同じようにナンバーズを狙う輩の存在をトロンが知らない方がおかしい。けれど、ならば何故、直ぐにでもWを呼び出さないのか。得体の知れない相手と僅かでも邂逅したWから、少しでも話を聞こうとするのが普通ではないのだろうか。
 ――だが、トロンが言う事は絶対だ。トロンが後でいいというのなら、それに従う他ないだろう。トロンの真意は分からないが、それなりの理由がある筈だ。
 言われた通り、トロンの部屋ではなく自室へと進路を変える。部屋の前まで来ると、Wは立ち止まった。振り向き、後ろに立つ彼女の手を掴む。
「なら、テメェが“休ませて”くれんだろ?」
 ぐい、と掴んだ腕を引き胸の中に抱き寄せる。此処まで着いてきたなら、と思ったが直ぐに腕を容易く捻り上げられた。
「っ、ぐ……!」
「生憎とそういった類の“奉仕”は契約外ですので悪しからず。さぁ、お休み下さいませW様。寝る前のミルク位なら淹れて差し上げますよ」
 澄ました顔で彼女は言う。チッ、と舌打ちを逃すと彼女がWの手を放す。にこり、とおまけのように付け加えられた笑みが憎たらしい。
 数週間前、勢いに任せて彼女の首を絞めた。その時にもこうしてあっさりと振り払われてしまった事を思い出す。相変わらず女のものとは思えない力だった。荒事には慣れているのかもしれない。よく考えてみれば――……否、考えずとも、この屋敷で働く彼女がただのメイドの筈がなかった。ある程度の戦闘能力は有しているのだろう。捻られた箇所が馬鹿みたいに痛い。
「ガキ扱いすんな。……もういい、とっとと下がれ」
「畏まりました」
 いつも通りの恭しいお辞儀を一つして、彼女は部屋の中に入るWを見送る。扉が完全に閉まったことを確認してから彼女は踵を返し、薄暗い廊下の奥へと消えていった。闇に、白と黒の色が溶ける。
 ひらり、と黒い花弁が一枚零れ落ちて消えて行くのを見たものは誰も居なかった。



【現れたのは、】(120703)

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