ZEXAL_dream | ナノ

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「貌のないファラオを知っていますか」

「……あ?」
 背後から投げかけられた耳障りな機械音声に彼は眉を顰めて振り返る。振り返った先に居た男を視認して、彼は改めてその端正な顔を歪める。
「またテメェか、ファントム」
 顔の鼻から上を隠すようにつけられた純白のマスクにビロードの黒衣を纏った、オペラ座の怪人にも似た姿の男。その通称を彼――Wが口にすると、“ファントム”は愉しそうに口元を弧の形へ歪めた。それから恭しくお辞儀を一つWへ向ける。その演技染みた動作に反吐が出そうだ、とWは思った。
「おや、名を覚えて頂けていたとは光栄至極。……ですがデュエルディスクを構えるのはお止め下さいますか?」
 Wの手から伸ばされたデュエルアンカーの赤い糸を避けるようにファントムは後ろへ軽く飛び退き、白い手袋を嵌めた左手でアンカーの糸を払った。本来なら不可能な動作をあっさりと行われWは歯噛みする。デュエルアンカーを振り払えるからには何らかの能力があるのだろう、とは分かっているものの、Wは未だにファントムの能力を知らない。ただ知っているのは一つだけ。
 はらり、とファントムの左手から黒い花の花弁が一枚落ちる。漆黒の花弁はひらひらとその身を揺らし、少しずつ宙へ融けるように落ちて、地面へ触れる前に消えた。
 ――そう、黒い花びらだ。これが唯一Wの知るファントムの能力についての情報である。ファントムが何らかの力を使うと彼の手からあの花弁が零れ、宙へ消える。それに何の意味があるのかまではWには分からない。
「私には意味が無いと貴方も知っているでしょう。無意味な行為はお止め頂きたいのですが、ね」
 そう言ってファントムは笑う。何処か愉しそうな声色にWは舌打ちを一つ逃がした。とん、とファントムが軽く地面を蹴り更に後方へと飛ぶ。そのままWの身の丈よりも高い塀の上へと身軽に飛び上がり、彼はレンガ造りの塀へ腰を下ろした。長身の体躯はやや線が細いものの、Xと同等か、それよりも大きな彼がああも身軽に動けるのがWにとっては不思議だった。まるで重力など存在していないかのような身のこなし。何かまた不可思議な能力を使ったのかと思いファントムを注視するも、彼の身からあの黒い花弁が降る様子はない。
「さて、夜は長い。貴方もお暇でしょう?私めとお話など如何ですか」
 ファントムが距離を取ったのは単純にWと会話をする為だったらしい。もし相手が普通の人間であればどれだけ物理的に距離を置いても無意味だが、ファントムが相手ではWの紋章の力も意味がない。デュエルアンカーですら跳ね除けられてしまうのだ。Wが彼を捕まえる事は不可能に近いだろう。
「どういう腹積もりだ?」
「いいえ、いいえ。打算も計算も何の心算も在りはしません。ただ――そう、退屈だからという事ではどうでしょう。そのような理由はお嫌いですか」
 相変わらずの芝居がかった口調で、愉しそうにファントムは言葉を刻む。恐らく、真に退屈だから、等と言う理由ではないのだろう。けれどファントムに問うた所で真実の答えが返るとは思えない。
 ファントムにも聞こえるようにWは大きく舌打ちをする。それから近くの壁に背を預け、腕を組んだ。
 どうせ、Wも暇なのだ。――いや、正しく言うのなら少し前に目の前の男によって暇にされてしまった。今日もまた、狙い澄ましたようにファントムはWの狙っていた獲物からナンバーズを先に回収していたのだ。視線で人を殺せれば、等と考えながらWはファントムを見上げる。月灯かりを背にした彼の顔は逆光になっており、此方からはよく見えないのがまた余計に腹立たしく感じた。
「つまんねぇ話だったらぶっ殺すぞ」
「おや、これはこれは……また随分と物騒だ。それでは、貴方を退屈させないように気を付けてお話を致しましょうか」
 恐がる様子一つ見せず、ファントムがくつくつと笑う。それから彼は朗々とした、明快な口調で、明瞭な機械の声で――冒涜的に、舞台の幕を開ける。

――「Ph’nglui mglw’nafh Cthulhu R’lyeh wgah’nagl fhtagn」

 人ならざる、人工的に作られた声で紡がれた彼の言葉は何処までも醜悪で、何処までも美しく、何処までも冒涜的な響きを孕んでいた。



【混沌が、這い寄る】(120703)

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