ZEXAL_dream | ナノ

 α_01

「どうやら、Wとも仲良くなれたみたいだね」
「えぇ、……そうトロンが仰るのならそうなのでしょうね」
 薄暗い部屋。モニターに映し出される様々な映像を眺めながら、少年と女は言葉を交わす。画面を見るフリをしながら、少年は傍らに立つ女を見た。モニターの明かりに映し出される、彼女の首に刻まれた赤い跡。ぐるり、と彼女の首を半周ほど染めた赤を隠すことなく、彼女は少年と同じようにモニターを眺めていた。正しくはそちらへ視線を向けているだけで映し出されている映像を観てはいないのだが。
 少年の言葉に、彼女は事も無げに答える。ともすれば嫌味にも聞こえそうな言葉だが、其処にはさしたる感情は含まれていなかった。
「雪」
「はい、何でしょう。トロン」
 少年の言葉に呼応するように彼女は少年へと向き直る。少年が手招きすると、彼女は迷いなく足を踏み出し距離を詰めた。それから片膝を付き、少年へと傅く。それがさも当然とでも言うかのような行為に、少年は僅かに笑った。もしもこの場面を、彼女の主である内の一人が――その首に痣を刻んだ張本人が見たら、一体どんな顔をするのだろう。
 首の赤へ、少年が手を伸ばす。彼女は拒まない。少年の小さな手が、彼女の首へ添えられた。
「ねぇ、雪」
「はい、トロン」
「もしも僕が今君の首を絞めて殺したら、雪はどうする?」
「トロンの手を振り払うでしょうね」
 小首を傾げて尋ねると、彼女は薄く微笑んで答えた。慈愛に満ちた笑み。彼女は少年の手に己の手を重ねて、それからその手をゆっくりと引き剥がした。
「雪は僕の駒なのに、僕の命令を聞けないの?」
「えぇ、申し訳御座いません。自分以外に殺されるな、とW様から命を受けましたので」
「ふぅん」
 勿論、その事は知っていた。この屋敷の中で起こる事はその殆どを把握している。だから、先程Wが彼女の首を絞めた事も、そうして口付けた事も、全部全部少年は、トロンは知っていた。雪も、トロンが把握していると知っている。それでもさも今初めて聞いたような風を装うトロンを、雪は咎めない。
 雪は、トロンの全てを肯定する。例えトロンが何をしようと、……それこそ今目の前でWを殺したとしても、雪は決してトロンを責めないだろう。けれど、トロンは今まで一度もそんな命令をした覚えはない。だからこそ何故雪が自分に付き従っているのか、計りかねていた。W達のように家族として慕っているから、という理由ではない。雪はトロンにとって血縁者でも何でもない赤の他人だ。なら、何故。
「……ねぇ、雪」
「はい、トロン」
「どうして雪は、僕の傍にいるの?」
 トロンがそう尋ねると、雪は少しだけ驚いたように目を丸くして、それからおかしそうに小さく笑った。
「またおかしな事を仰る。貴方が命じたのでしょう?この屋敷で働くように、と」
 言われてみれば確かにそうだ。それはトロンの命じた内の一つであって、彼女が完遂する必要のあるものだ。だが、そういう言葉が聞きたかった訳ではなかった。
「じゃあ、雪は僕の事を、嫌いにならない?」
「えぇ、無論です。私がトロンを嫌いになる筈など無いでしょう」
 あっさりと、悩む間もなく雪は答えた。それが彼女にとっては当然だ、とでも言うように。先程トロンへ傅いた時のように、淡々と彼女は言う。あまりにも、呼吸をするかのように容易く行うものだから少しだけ意地悪をしたい気持ちが沸き上がった。トロンは小さく笑って、雪へ問う。
「なら、例えば――僕が君の記憶を全て捏造していたとしても?」
 トロンの問に、雪が黙る。だから、だろうか。トロンは自分でも無意識の内に、言葉を紡いでいた。
「君の持つ、過去の記憶。妹の事も、家族の事も、Wの事も、全部僕が作り出したもので、本当は全く違う幸せな生活を送っていたのに僕がぶち壊したとしても。君が怪我をして、僕が拾った所まで全て僕が仕組んだことだとしても――それでも、雪は僕を嫌わないでいられる?」
 ――無理でしょう。そう、繋げる言葉だけは飲み込んだ。けれど、もしもこれが事実だったとしたら到底受け入れられる話じゃない。実は彼女の両親は彼女を厭ってなどいなくて。可愛い妹など存在しなくて。友人や家族や環境、全てに恵まれた何一つない不自由な生活を送っていたのだとしたら。そうしてそれをトロンが全て残さず根こそぎ奪ったのだとしたら。
 有り得ない話ではない。事実トロンは神代凌牙に心の闇を産み付ける為だけに彼の妹を傷つけさせ、デュエルの表舞台から追放した。それを雪も知っている。だから、もしトロンが雪という存在を――彼女の能力を手に入れる為にそういった行為を働いていても何ら不思議は無いのだ。そして、そうしていないという保証は何処にも無い。だって、記憶を弄ってしまえば誰にも真実は分からなくなるのだから。もし雪が真実をトロンの手で奪われていたとしても、彼女には分からない。全ては不確定で、誰にも否定出来ないのだ。そう、トロン本人以外には。
 雪は、詰め寄るだろうか。それは本当かと、掴みかかってくるだろうか。それともふざけるなと大声で怒鳴るだろうか。もしかしたら、ショックを受けて何も言えないかもしれない。泣くかも知れないし、自分の命を絶つ可能性だってある。さぁ、雪はどんな反応をするだろう。トロンは雪の顔を見る。
「……」
 ――そうして、トロンは反応を返せなかった。見下ろした先、雪は笑っていたから。それも、壊れた笑みではなく、微笑ましそうな――少しだけ楽しそうな、イタズラをした子供を見る母親のような、優しい笑みを浮かべて雪はトロンを見ていた。
「不安ですか、トロン?」
「――……」
「全く、貴方も仕様のない人ですね。W様も、V様も、X様も。この屋敷に住まう人は、皆様寂しがりの怖がりなんですから」
 ふふ、と柔らかい声が零れる。きっと雪の脳裏には今口にした彼らの姿が浮かんでいるのだろう。雪はトロンの手を取る。それから自分の頬へとその手を触れさせて、目を伏せて答えた。
「もし。――そう、もしも、先程トロンの仰った事が真実だとして。だから、何だと言うのです?今私にあるのは現実だけ。貴方と、彼らと過ごす日々だけが全てです。百瀬雪は、もう居ない。此処に居るのはただの召使いである雪です。例え百瀬雪が幸福な人生を歩んでいたのだとしても、雪である私には何ら関係のない話。そうでしょう、トロン?」
 手袋越しに触れた頬は暖かくて、トロンは笑みを繕う事が出来なかった。ただ無表情のまま、雪を見下ろす。何も言わないトロンを見上げて、それに、と彼女は続けた。
「あの日、拾われた。トロンのお陰で、私は今生きている。そうして、――……W様に、お逢い出来た。それだけで、私は十分なのです。それ以上、何も要りません。私が貴方に忠誠を誓う理由など、それだけで十分なのですよ」
 そう言って、雪はトロンの手の甲へと口付ける。忠誠のキス。それから彼女はもう一度、今度は不敵に笑った。
「愛しております、トロン。貴方の家族が、貴方に向ける情と同じように。例え貴方がこれから何を行おうとも、私は貴方を肯定し続け、傍に居続けましょう」
 雪が、トロンの頬へ、額へ、と仮面越しに口付ける。厚意のキスと、友情のキス。彼女は意味を理解してやっているのだろうか、と考えて、思うだけ時間の無駄だと悟る。言うまでもなく確信犯だ。トロンが意味を知っていると分かった上で、彼女は口付けている。
「ねぇ、唇にはしてくれないの?」
 雪の言葉には答えずに、代わりに尋ねた。すると雪はにこりといつものように澄ました笑みを浮かべて答えた。
「私から贈る唇へのキスは生涯一人だけ、と決めているものでして」
 それから雪は立ち上がり、トロンに向かって恭しくお辞儀を一つ向ける。
「それでは、失礼致します。御用がありましたらお呼び下さい」
 そう言って、迷いのない足取りで彼女は部屋を後にする。去っていく彼女の背を呼び止めることなくトロンは黙って見送った。
 嘘のない言葉。嘘を吐くな、と命じたのはトロンだ。だが、それを彼女が順守しているかなどトロンにはわからない。けれど、先程彼女が口にした言葉が全てなのだろう、とトロンは思った。彼女は過去に囚われていない。懐かしみ胸を痛めたとしても、彼女はその胸の痛みを復讐への糧としないのだろう。
「……君がもっと、つまらない女だったら良かったのに。ねぇ、雪」
 そうすれば、神代凌牙と同じように、Dr.フェイカーへ復讐する為の駒に仕立て上げられたのに。彼女の心の闇は、トロンには広げられない。例え広げたとしても、其処に復讐への念は生まれないのだから。

「――僕も、君を愛しているよ。Xや、Vのように、ね」
 言わなかった言葉を口に乗せる。けれどそれは当人には届かず、部屋の中に響く様々な映像の音声に掻き消された。それで良い。それで、構わない。この感情が伝わらなくても、それで、いい。全てを終えて尚、この気持が彼女へ届かなければ。
 トロンが笑う。暗い部屋の中では途切れることなく、映像が流れ続けていた。



【彼が彼女に望むもの】(120701)

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