ZEXAL_dream | ナノ

 一枚の絵画

 本を読みたい、とアイツが言った。言われた通りに、昔見たアイツの本棚を思い出して適当に見繕ってやるとアイツは何処か嬉しそうに目を細めて本を受け取る。そうして、アイツがしていたように。部屋の窓辺に椅子とテーブルを置いて、本を読んだ。
 きっとあれはアイツなりの癖だったのだろう。こうして側にいて気付いたことは幾つもあった。アイツが生きていた頃には気にもしなかった些細な動作、仕草。それを過去のアイツに見せつけられる度に、アイツが生きているのだと実感すると同時にアイツの死を見せつけられたような気になる。
「……」
 背筋を伸ばし、綺麗な姿勢でページを捲る。その手つきさえ優雅で、淡々と文字を追う所作は何度も見たアイツの姿そのままだった。
 ――これが、アイツなら俺はきっとすぐにでも邪魔をしたのだろう。少しでも此方に意識を向けさせたくて、わざとらしく物音の一つでも立てたに違いない。けれどアイツは俺に気がつくとすぐに本を閉じて、何事もなかったように俺と向き合うからそんなことをした覚えはなかった。
 そうして、今。俺は、その無駄のない静かな動作をただ黙って眺めていた。きっと俺が声をかければアイツはすぐにでも栞を挟んで此方へ寄ってくるのだろう。分かりきったことだ。だから俺は物音一つ立てないように、ベッドの上に横たわって寝たふりをしている。

 例えば、一枚の絵画にしてこの時間を閉じ込められたら。そうしたら俺は毎日でも飽きずにその絵を何時間も何十時間も眺め続けるに違いない。美しい絵画。――当たり前だ。アイツはただそこに居るだけで綺麗なのだから。人形のような不変の美しさ。ゾッとする位、怖い位にアイツは美しい。もし生まれた時代が違えば、きっとアイツは魔物として追い立てられていただろう。反対に、神の娘として崇め立てられたかもしれない。
 アイツが生きていた時にはその美しさを素直に受け入れることが出来なかった。同じ人だと思ってしまえばその瞬間にでも俺の理性が崩れて、人として超えてはならない一線を簡単に超えてしまいそうで、怖かった。アイツの人間としての尊厳も感情も何もかもを無視して、その吐息さえ全て奪い去って、硝子のケースの中に閉じ込めて。剥製にして、俺だけの永遠の人形にして、しまいそうで、怖かった。
 だから俺はアイツを人として見ないようにしていたのだ。俺とは違う、人形だと。人形ならば美しくて当然だ。愛しいと感じても、欲しいと思っても、何もおかしくはない。愛玩用のドール。
 アイツと出会ったばかりの頃はどうしてアイツを人形として見ようとしていたのか分からなかったけれど、今なら分かる。アイツを、殺したくなかった。ただ込み上げる衝動の侭殺して、本物の人形に成り果てたアイツを、人形のように愛したくなかった。俺は人として、雪を愛したかったのだ。だから、人形だと思い込むことで衝動を抑えた。けれど同時に愛したいという気持ちは消せず、だからアイツを人間にしたい、とも思ったのだ。――後者については単純にアイツがあまりにも人形染みた冷たさで感情を殺すから、それを発露させて掻き乱してやりたかったという理由も大きいのだが。
 ともかく、歪んだ俺は矛盾した感情でアイツを見ていた。その、独占欲にも似た衝動が消えるまでは。
 アイツと接している内に、雪は俺がどうこうしなくとも間違えようもなく人間であり、アイツにはアイツなりの感情と思考があるのだと気付いた頃には衝動も消えて、すっかり俺はアイツを好きになっていた。生きたままのアイツと、ずっと共に居たい。未来なんてどうだって良かったが、それでも、もしそんなモノが与えられるとするならば俺はアイツと歩みたい、と思っていたのだ。――結局その夢は、夢のままで潰えてしまったのだけれど。

「……あ、の」
「………あ?」
 ふと、頭上から声が降る。寝ているふりのつもりが、いつの間にか本当に寝入っていたらしい。目を開けると、小さな雪が俺の顔を覗き込んでいた。
「本、読んでたんじゃねぇのかよ」
 ちら、と窓を見る。テーブルの上には閉じた本が置かれており、窓の向こうは少しオレンジ色に染まっていた。確か、さっきまでは青かったような気がする。
「読み、終わった、から」
 そうアイツは答える。……ああ、思っていたよりも寝てたのか。そう理解し、体を起こした。それにしても、どうにもコイツの話し方は歯切れが悪い。あの明瞭とした話し方には程遠い喋り方。
「お前、もう少しハキハキ話せねーのか?」
 ベッドの縁に手をついて俺を見上げるアイツの顎へ手をかける。唇に指を添え、少し開かせた。小さな赤い舌が隙間から覗く。アイツは少しだけ戸惑って、それから俺の質問へ答えた。
「……そ、の。……あなたに会うまで、殆ど、人と話して、なかったから」
 だから、まだ上手く舌が回らないのだ、とアイツは言った。その言葉に納得する。コイツは俺が浚うまでそんなに人と話してこなかったんだろう。それなら上手く喋れなくても不思議じゃない。別に、焦る必要は無いのだ。此処には追手など来れやしない。時間もたっぷりある。
 少しずつ慣らしていけばいい。長い時間をかけて色々と教え込めばいいだけの話だ。
 そう結論付けると、欠伸が漏れた。どうやら俺の体は睡眠を欲しているらしい。顎にかけていた手を離して、代わりにアイツの腰に腕を回す。そのまま引き寄せると、アイツは呆気無く俺の上に倒れ込んできた。小さな体を抱き締める。
「寝るぞ」
「……うん」
 アイツは小さく頷いて、そのままもぞもぞと動く。どうやら眠りやすい体勢を探しているらしい。暫くして落ち着ける位置を見つけたのか、アイツは大人しく俺の腕の中に収まった。小動物のようで可愛い。衝動的に額へ口付ける。畜生、こんなのずるいだろ。なんて俺の心の呟きが聞こえる筈もなく、アイツは顔を上げて俺を見ると目を細めて少しだけ笑った。ぎゅ、と抱き締める腕に少しだけ力を込めてやる。
 抱きしめた体は柔らかくて、暖かくて、俺は僅かに安堵を覚えながら目を瞑った。


【忘れられない肖像】(120626)

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