ZEXAL_dream | ナノ

 u_05

 例えば普通の女なら、首を絞められたら最低でも驚きの一つや二つはするんじゃねぇのか。いや、流石にそれは最低限過ぎるだろう。大体は驚いて、抵抗して、泣いたり喚いたり助けを呼んだり、反対に理解が出来ずに固まるなり、何かしらの反応はする筈だ。けれど俺に組み敷かれている目の前の女は、俺がその細い首に手を掛けても何の表情も浮かべなかった。
「テメェ、舐めてんのか」
 俺が本気でこんな事をする訳がない、とでも思ってやがるのか。人を殺す事が出来ない臆病者だと認識しているのなら、大きな勘違いだ。そう告げる代わりに首に掛けた手に力を籠める。肉に俺の指が食い込んだ。それでもこいつは軽く眉を顰めただけで、あの硝子のようなセピア色の瞳を真っ直ぐ俺に向けている。恐らく眉を動かしたのもあくまで加えられた痛みによって筋肉が無意識に動いただけであって、こいつの意思じゃない。それが俺を苛立たせる。
「何か言えよ……ッ!」
 ぎちぎちと首を絞めながら言った。自分でも無茶な要求だと思う。それでも言わずにはいられなかった。俺の言葉にアイツは呆れたように双眸を数秒だけ伏せて、それから首を絞める俺の手を掴む。瞬間手首に走った痛みは叫び声すらあげられない程で、気付けば首に掛けた手は外れていた。
「無理難題を要求するのは止めて頂けますか、W様」
 折れていないのが奇跡だと言える位に強い痛みを与えておきながらコイツは平然と咎めるような声色で俺に答える。相変わらず俺に組み敷かれたままで、だ。逃げ出しも暴れもしない。今俺の手を離させたのは単純に俺の言葉に答える為だけだとでも言うように、アイツはそれだけ告げると俺の手首を掴んでいた手をあっさりと解放した。それが、気に食わない。――違う。コイツの一挙一動が、俺は気に食わないのだ。気に入らない。反吐が出る。そう、殺してしまいたい位に。
 だから俺は首を絞めた。夜、廊下を歩いていたコイツの手を無理矢理引っ張って自分の部屋に連れ込んだのはVやXに見つからない為だ。俺が知らない間にあいつらは馬鹿みたいにこの女を受け入れていて、あまつさえ懐いていやがった。トロンが傍に置く女。殺したら咎められる、で済むかどうかさえ分からない。これからの計画に支障を来す可能性だって高かった。それでも俺は、殺したかった。それ位に俺はこの女が気に入らない。
「俺は、テメェが、気に入らねぇんだよ」
 吐き捨てるように言う。そう、気に入らない。その存在を目の前から排除してやりたい。その硝子のような瞳を刳り貫いてやりたい。その人形のように澄ました顔を人間のように歪ませてやりたい。血を流させて、傷付けて、壊してやりたい。気に入らないから、ただそれだけの理由で。
 けれど俺の言葉にコイツは顔色一つ変えずに肯定を告げる。「存じております」、と。それが余計に気に食わなくて、俺は盛大な舌打ちを逃がした。
「なら死ね」
「生憎と自害せよ、という命は受け付けられません」
「俺の言う事なら何でも聞くんだろ、テメェは」
「正確に言うならば貴方だけではなくV様やX様も含みますが……この場において正すべきは、何でも、という点になります。先程のW様のご命令は了承しかねます」
 申し訳ありません、と機械的にアイツは言った。馬鹿丁寧な訂正により一層腹が立ったが、それよりも俺はアイツの台詞を鼻で哂う事を優先する。
「ハッ、テメェも死ぬのは怖いってか?あぁ?」
 アイツの台詞は至極当然だ。何処の世界に主に死ねと言われて分かりましたと答える使用人が居るのだろう。誰だって自分の命を、こんなにも無意味に捨てさせるような命令を聞く筈が無い。誰だって死ぬのは怖いんだ。そう、こいつも例外じゃない。目の前に差し出された人間のような感情という綻びに胸が躍る。込み上げる愉悦に口元が勝手に歪んだ。発露した人間のような否定に、どうしようもなく、悦びを覚えた。
 けれど、アイツは容赦なく俺の喜びをぶち壊す。
「いいえ」
 ただ、一言。それだけで高揚した気分が一気に消えた。込み上げる苛立ちに唇を噛む。じわ、と鉄の味が口内に広がった。
「嘘だ」
「嘘ではありません。私は貴方達を護る為なら死も厭わないのですよ、W様」
 そう言って、アイツは目を細めた。その口元は僅かに笑っているようにすら見えて、訳もなく動揺が心の内に広がる。止めろ。止めろ。笑うな。薄い微笑みは人形が俺に向けてくるのと同じもので、一層俺は強く唇を噛み締める。

 人形のような女。機械のような女。だから、気に食わない。気に入らない。認められない。受け入れたくない。その理由なんざ、本当は初めから理解していた。

 セピア色の硝子のような眼は、西洋人形に填められた、美しい宝石のように透き通った瞳よりも鮮やかで。俺の所有する一番高価で一番気に入りの人形でさえ色褪せてしまう程に、この手で刳り貫いて、腐り落ちないように手を施してこの手の届く場所に飾りたいと思った。
 人形のように整った白磁よりも綺麗な肌を、刃物で切り裂き赤に、手で思い切り打って紫に、俺自身の手で色を刻んでやりたかった。その澄ました表情を人間のように歪めて、みっともなく泣き喚かせて、叫ばせて、心へ体へ恐怖を刻み付けてぐちゃぐちゃにしたいとも望んだ。
 気に入らない。その、人形のように完成された全てが、気に入らない。この俺の手で、目の前の恐ろしい程に美しい人形を、欲望に塗れた穢らわしい人間に堕としてやりたい。天使の羽をもいでしまうように。天女の羽衣を焼き捨ててしまうように。手の届かない、別の次元に居る存在を俺の居る場所まで引き摺り下ろしてやるように、この女を、雪を、俺と同じ人間にしてやりたいのだ。
 俺と同じ目線まで引き摺り降ろして、そうして、その全てを奪い尽くす。心も体も命までも何もかも。初めて出逢った時からずっと願っていたのかもしれない、と錯覚してしまう位に。

 ――いくら俺でも、雪が俺と同じ人間であること位は分かっていた。ガイノイドのように美しくても、目の前の其れが機械か生物か判別できない程俺の目は腐っていない。けれど、俺は雪を見た瞬間に“人形”と分類したのだ。人外。俺とは別の存在。死なんて概念は存在しない、破壊されても替えの効く、魂のないモノ。そう思わなければどうしようも無かった。その理由なんて分からない。分かりたくもない。だから知らない。……少なくとも、今は未だ知らないままで良い。
 なんて無意味なカテゴライズだ。それでも俺は雪を勝手に、俺の中の枠組みに当て嵌めた。俺の為に。にも関わらず、俺は自分で雪を俺と違う存在だと分類した上で、尚且つ俺と同じ人間という枠に引き摺り下ろしたいと思ってしまった。馬鹿馬鹿しい。最初から雪を人間だと認めて受け入れて居ればそんな必要も無いというのに。――今こうして組み敷いて、殺そうとしてでも人間らしい感情を引き摺りだしてやろうとしなくても、良かったのに。
 ぽたり、とアイツの頬に赤い滴が落ちる。俺の唇から滲んだ血液が白い頬を濡らした。血が、涙のようにアイツの頬を横に伝って絨毯の上に吸い込まれていく。
「W様」
「……何だよ」
「私はトロンから、自害をしないよう命じられています。ですので、先程の命令には答えられません」
 やっぱりか、と思った。コイツは俺達の命令を拒まない。まるで機械のようにその命を受け入れ、淡々と行う。知っていた。それでも死を受け入れないコイツに、俺は愚かにも僅かに希望を抱いてしまったのだ。死にたくない、と。生に縋るような人間らしい感情がコイツに存在したら良い、と願ってしまった。本当に、馬鹿馬鹿しい。
 左手が、俺の顔に伸びる。アイツの指がゆっくりと俺の唇をなぞった。冷たい指が血の滲む箇所をそっと押さえる。
「ですが、W様。私は貴方に殺されるな、という命は受けておりません。――ですから」
 右手が、俺の手を掴んだ。そうしてアイツは俺の手を自分の喉へと誘う。
「殺すのならば、どうぞ、お好きなように。私は貴方の手を拒みません、W様」
 そう言って、アイツはまた微笑んだ。優しい、母親のように慈愛の籠った――ように見せた瞳で俺を見つめながら。きっとコイツは言葉通り、俺が再びその首に手を掛けても振り払わないのだろう。俺の与える死を甘受して、息絶えるに違いない。俺は思わず笑っていた。
「そうかよ」
 突き付けられた事実に覚えたのは、どうしようもない絶望だ。幽かな希望を与えて、それを根こそぎ奪い取る。素晴らしいファンサービスだよ、雪。心の中でそう称賛して、俺はもう一度、より深く嗤う。それから唇に触れるアイツの手を取って、首へ添えさせられた手でアイツの頬に触れた。
「なら、俺以外に殺されるんじゃねーぞ」
 命令だ、と告げて、俺は首を絞める代わりに雪へ口付けた。ただ唇を重ねるだけのキス。初めて触れた其処は、人間らしく熱を持っていた。
 重ねた唇を離す。アイツは俺が首を絞めた時と同じ表情で、目を細めて答える。
「畏まりました、W様」
 返る了承の意は予想通りのもので、俺は黙ってもう一度唇を重ねる。自分の心臓が軋む音を、胸の奥に聴きながら。


【歪んだ感情の発露】(120626)

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