ZEXAL_dream | ナノ

 u_04

 雪さんは、W兄様が好きになる人だ。――最初から抱いていた疑念。そう、あのW兄様が彼女を、雪さんを嫌うなんておかしいのだ。

 W兄様は人形が好きだ。特に西洋人形がお気に入りのようで、W兄様の部屋にある特注のガラスケースの中には綺麗に何体ものドールが並べられている。ただ無造作に置いてあるのではなく、椅子に座っていたり、寝そべっていたり、立っていたり、まるで一枚の美しい絵画のようにW兄様のドールは飾られていた。どの人形も衰えぬ美しい肌に、絹のような髪を持ち、硝子の瞳は無機質で――怖い程に綺麗だ。
 整い過ぎた、完成された美の結晶。僕にとっては幼い頃からあの、無表情でまっすぐに此方を見つめる瞳が、纏う仄暗い雰囲気が、人ならざる美しさがそれはそれはとても恐ろしく感じたものだけれど、W兄様はその恐ろしい程の美しさを好んでいるらしい。
 だからこそ、W兄様は雪さんの外見を僕達兄弟の誰よりも“欲しい”と思って当然なのだ。
 作り物のように整い過ぎた顔立ちに、滑らかな白磁を思わせる肌。硝子のように透明な瞳に、絹糸よりも細く柔らかな髪。月灯かりのように柔らかく涼やかな雰囲気に、何一つ無駄のないしなやかな体躯。その辺に居る――何処にでも居るような、W兄様に釣り合わない人間の女性とは違う。ぶよぶよとした無駄な肉もなければ、嫌悪を催すような媚びも、纏わりつくような視線の穢らわしさもない。彼女の外見は、どう見たってW兄様の好みそのものだ。
 中身だって、そうだ。父様のような安心する微笑み。X兄様のような家族を見守る柔らかな眼差し。そうして、亡くしてしまった母様のような、温かな心地好い愛情。惜しげもなく、僕の為だけに降り注がれる優しさが嘘だというのなら僕は何も信じられなくなってしまう。それ位、こんな僅かな時間で僕は彼女を好ましい、と感じてしまった。
 トロンが連れてきた女性。よく考えなくとも、その時点で僕達が好きにならない筈がない。あのトロンが選んだ人間を、僕達は嫌えないに決まっている。……いや、違う。正しく言うのなら、トロンが気に入ったのならば、それは僕達も気に入って当然なのだ。X兄様が彼女を受け入れたように。僕が、ほんの短い時間で彼女に絆されてしまったように。W兄様だって、彼女を好きになって当たり前。なのに、W兄様は彼女を拒絶する。
 それが、僕には分からなかったのだ。こんなにもW兄様の好みに合致する、僕達兄弟の気に入る女性が目の前に現れたのに、それを受け入れない。
 普段の、僕の知っているW兄様なら。誰よりも真っ先に彼女を欲しがって、何としてでも手に入れようとする筈だ。なのにW兄様はそれをしない。気に入らないと言い張って、雪さんを自分から遠ざけようとしている。
 ――もしかして、W兄様は、初恋のあの子のことを未だ。
 そう考えて、そんなことないか、と思い直す。きっとW兄様はもう、あの子のことを覚えていない。人形のように綺麗だったあの子。そう言う僕も、あの幼い日の思い出はまるで靄がかかったようによく思い出せないのだけれども。それに、あのW兄様が初恋を引き摺っている筈がない。だってもう僕はずっと昔に諦めてしまった。家族が離れ離れになったあの日、もう二度とあの子に逢うことはないのだと悟ってしまったから。
「どうして、かなぁ……」
 W兄様の気持ちが、分からない。僕も、X兄様も、トロンも、皆雪さんが好きなのに、どうしてW兄様だけ雪さんを拒絶するんだろう。
「おい、V。何してんだ?こんな部屋で」
「……W兄様」
 ぼんやりと考え事をしていると、いつの間にか大分時間が経っていたらしい。広いダイニングルームの中、普段僕が座っている席に腰掛けてぼうっとしていた僕に気付いたW兄様が声を掛けてきた。何処となく上機嫌な様子に、ああ、今日も何処かでファンサービスをしてきたんだ、と思う。僕はあまりW兄様の“ファンサービス”は好きではないけれど、W兄様にとってはとても楽しいコトの一つらしい。
「ちょっと、考え事をしていたんです」
「どうせまたくだらねー事でも考えてんだろ」
 W兄様は鼻で軽く笑いながら、手近にあった椅子を引いて尊大な態度で腰を下ろす。きっとこの場にX兄様がいたら行儀が悪いと窘めるだろう。けれど今X兄様はこの場に居らず、また、僕もW兄様を咎めるような気分ではなかった。
 飲みかけのグラスに口を付ける。するとW兄様は怪訝そうな顔で僕の手の中にある其れに視線を向けた。
「V、お前何飲んでんだ」
「え、っと……りんご、ジュース……です、が」
 別に悪いことをしている訳ではないのに、何だか恥ずかしくなって声が徐々に小さくなってしまった。今僕の手の中にあるのは雪さんが持ってきてくれたりんごジュースだ。W兄様が来るよりもずっと前、此処にやってきた雪さんが僕の為に持ってきてくれた。
 僕の返答にW兄様は盛大に眉を顰める。W兄様は口にしないけれど、何を考えているのかは僕にも分かった。だから尋ねられる前に答える。
「雪さんが作ってくれたんです。紅茶ばかりだと体に悪い、と……W兄様も、何か飲みますか?」
 雪さん、と言った途端、ぴくりとW兄様の眉が動く。苦虫を噛みつぶしたような顔をして、W兄様は頬杖を付きながら吐き捨てるように言った。
「要らねェ。ンなガキくせーモン、誰が飲むかよ」
 別に、僕はりんごジュースを勧めた訳ではなかったのだけれど。それでもW兄様にとっては、雪さんが関わっているというだけで許せないのかもしれない。ほんの少し前まではあんなのにも機嫌が良さそうだったのに、今のW兄様の機嫌は最悪にまで落ちてしまったかのように顔を歪めていた。
 何が、気に入らないのだろう。何が、認められないのだろう。何が、W兄様をそうさせるのか僕には分からない。実の兄を理解できないことが寂しくて、僕はつい、尋ねてしまった。
「W兄様は、雪さんの何が気に入らないというんですか」
 刹那、空気が凍る。目の前のW兄様が纏う雰囲気は、僕の知るものではなく、得体の知れない、底冷えのするようなものになっていた。W兄様が僕を睨む。滲むのは敵意か、それとも、殺意か。
 僕のその言葉は、W兄様には責めるように聞こえたのかもしれない。けれど此処までW兄様が怖い、と感じたのは生まれて初めてで、僕は思わず身を竦ませてしまう。
「……V。言ったよなぁ?俺はお前らがどれだけあの女と仲良しごっこをしようがどうでも良い。だが、俺はあの女と慣れ合うつもりは無い、って」
「そ、れは」
 覚えている。雪さんが屋敷にやってきたあの日、W兄様は僕に言った。僕達がいくら彼女と仲良くしても構わない。だけど、自分はそうしない、と。
 けれど、おかしいと思ってしまった。だから僕は聞かずにはいられなかったのだ。W兄様が彼女を拒絶する理由を。気に入らない、なんて曖昧な言葉ではなく、明確な言葉で示して欲しかった。僕が納得できるような答えが、欲しかったのだ。
 だって、雪さんは優しい。父様のように柔らかい眼差しに、母様のような温もりを持った彼女。僕は、W兄様にも彼女と仲良くして欲しかった。彼女が、W兄様の好きになる人だからではない。ただ、僕は自分の好きな人達に仲良くしていて欲しかった。だから、その僕の希望を諦めるだけの理由が必要だったのだ。雪さんとW兄様を近付けないようにしなければならない、明確な理由。何の理由もなく、ただ“気に入らない”なんて曖昧な言葉だけでW兄様の為に動ける程僕は従順な子供ではないのだから。
「……それでも。それでも、僕は理由が知りたいんです。――W兄様が、雪さんを嫌う理由を、」
 ――ガン、と大きな音が響く。振動でテーブルが僅かに揺れた。
 W兄様がテーブルを殴ったのだ。びくり、と僕は肩を震わせる。それはW兄様が乱暴にテーブルを叩いたからではない。
「間違えるなよ、V」
 W兄様が、僕を見据える。赤い、血のような色の瞳。その奥にある獰猛な、獣のような――深い、深い、殺意が、僕を刺す。地を這うような低い声には怒気が孕んでいる。ぞわり、と怖気が走った。恐い。こんなW兄様は、初めて見た。確かな恐怖が僕の心に根差す。

「俺は、あの女が“気に入らない”んだよ」

 そう、吐き捨てるように言ってW兄様は席を立った。踵を返し、そのまま何も言わずW兄様は部屋から出て行く。扉が閉まり、足音が遠ざかるのを聞くまで僕はその場から動くことが出来なかった。
 ――怖かった。W兄様に対して怖い、と思ったのは初めてではないけれど、まるで心臓を鷲掴みにされるような――足元から竦むような恐怖を感じたのは生まれて初めてだった。何が、W兄様を怒らせてしまったのだろう。僕はただ、理由が知りたかっただけなのだ。けれどその行為自体がW兄様には許せないことだったのかもしれない。つまりそれだけW兄様は雪さんが気に入らなくて、認められなくて、受け入れられないのだ。
「……どうして」
 結局答えは得られぬまま、僕の言葉は空気に吸い込まれていった。



【正しい言葉は、】(120626)

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