ZEXAL_dream | ナノ

 狼とうそつき

 気に、入らない。
「……W兄様、まだ拗ねてらっしゃるんですか」
「うるせぇ、俺は拗ねてねぇ」
 呆れ交じりに呟くVに顔も見ぬまま答える。頬杖を付き眺めた窓の向こうは灰色に染まっており、空からは絶え間なく雨が降り注いでいた。
 Vが紅茶を淹れる。添えられた菓子はこの家で働くハウスキーパーの女の作ったものだ。けれど、その作り手は今この屋敷の中には居ない。
「雪さんも大学生なんですから、お友達と遊びに位行ってもおかしくないでしょうに」
 俺の向かいに腰を下ろしながらVが一人ごちる。
(そんな事俺だって分かってんだよ)
 口に出すとまたVに何か言われるだろうと思い、心の中でそう呟いた。俺だって、何も知らない世間知らずの馬鹿でも分別のつかないガキでもないのだ。大学生、という身分のアイツにはそれなりに友人というものが存在していて、俺達を中心に生きている訳じゃない。アイツが俺達の家で働いているのは父さんに雇われたからであって、決して義理や忠義なんてものは無かった。
 父さんの働いている大学に通うアイツは、親も親戚も居ない女だった。唯一居るのは年下の妹一人で、そいつを養う為だけにアイツはこの家で働いている。どうして父さんがアイツを雇ったのかまでは俺にも分からない。ただ、ある日「今日からお前達の世話して下さる人だよ」と紹介され、今に至る。
 アパートだと家賃が掛かって勿体ない、この家には沢山部屋が余っているから住み込みで、と父さんが言ったから、アイツらはこの家に住んでいる。同じ家の中に女がいるというのはそれだけで不思議な感覚がしたけれど、それでも今は随分と慣れた。アイツと一緒にやってきた妹は、今日も雨の中元気に出掛けているらしい。
「何をそんなに拗ねてるんです、W兄様」
 淹れたての紅茶にも、作り置きのクッキーにも口を付けずにいると相変わらず呆れたような目で俺を見ながらVが問い掛けてくる。まだ高校生にもなっていない癖に、なんて心の中で悪態を吐いた。きっと、高校生の俺よりも中学生のVの方がずっと大人なんだろう。だから未だガキの俺は、当然の事にさえ拗ねて気分を悪くしている。
「……気にくわねーんだよ」
「女友達と遊ぶ、と言っていたんですから気にする事もないでしょう」
「ンなの嘘か本当かわかんねーだろ」
 アイツが嘘を吐く筈がないこと位、俺だって知っている。それでも、アイツには嘘の自覚が無くても、真実ってのはあまりにも移ろい易い。真実が嘘に、嘘が真実に塗り替えられるなんてよくあることだ。だから、アイツを信じていない訳じゃない。信じていても嫌なものは嫌だ。ただ、それだけの話。
「……大丈夫ですよ。ちゃんと、日付が変わる前には帰って来ます」

 慰めるような、宥めるようなVのその台詞が嘘になるなんてきっとその時のVは思いもしなかっただろう。リビングに置かれた大時計が鳴り、時計の針が12時を過ぎたことを示した。真っ暗な部屋の中、俺は一人リビングのソファの上で膝を抱えて丸くなっていた。
 VもXも、とっくに寝た。父さんは未だ研究の続きをしているかもしれないけれど、この時間部屋から出てくることはない。末弟のトロンもアイツの妹もとっくにベッドの中だ。つまり今この屋敷の中で起きているのは俺だけで、アイツを待っているのも、俺だけだ。
 途中で何度か携帯を開き、何の連絡も入っていないのを確認しては手近に放り投げることを繰り返す。作った未送信のメールは送る前に消して、しまいには電源を落とす。どうせ、待ってたってアイツから連絡何て入りやしない。
 ――気に、入らない。
 他の奴はどうでもいい。せめて俺位には一言あったって、良いだろ。そう思ったって携帯の電波は何も受信しない。ただ時計の針の音だけが耳障りに響いて、時間が進むのを俺に無理矢理教えてくるだけだ。
「……付き合ってる、んじゃねぇのかよ」
 俺から告白した。アイツも俺が好きだと言った。だから、俺とアイツは恋人同士の筈で。それなのにこんな時間になっても連絡さえない。家を飛び出して捜しに行くには俺は有名過ぎて、同時にまだ子供で、18歳と言う年齢の壁が俺とアイツを否応なしに隔ててくる。19歳と17歳。たった2歳の年の差なのに、19歳のアイツはこんな時間に外を出歩いていても補導されることなく、17歳の俺はすぐに家に連れ戻されてしまうだろう。だから、待つことしか出来ない。
 ふざけんな、と言いたかった。誰にでもなく、アイツに。けれど、アイツが此処に居ない。
 膝を抱えて、顔を埋める。そう言えば俺がまだ、今のVよりもずっと小さい頃にも同じようなことをした記憶があった。あの日、Xは父さんの手伝いに付いて行っていて、Vは学校の行事で外に泊まっていた。トロンは、……どう、してたのか。覚えてないが、家に居なかったことは確かだ。
 この広い家に、一人きり。用意されていた食事を一人きりで食べて、そうして、ソファに座り込んでずっと父と兄の帰りを待っていた。けれど待てど暮らせど帰ってくる気配はなく、ただ時計の音がうるさくて、堪らなかった。
 誰かを待つのは嫌いだ。帰って来ないんじゃないか、と思ってしまうから。小さい頃二度と帰ってくることのなくなった母親のように、もう逢えないのでは、と一瞬でも嫌な想像が脳裏を過るから。だから、待つのは嫌いだ。
 唇を噛み締める。うそつき、と呟いた声に、幼い頃の俺が重なる。嘘吐き。早く帰ってくる、って言った癖に。夕飯は一緒に食べよう、って言った癖に。込み上げるのは感情か感傷か、浮かんだ言葉は誰に向けてなのか、俺にもよく分からなかった。
 かちゃり、とドアノブが回る音がする。僅かに扉が軋む音がして、俺は顔を上げた。暗闇にすっかり慣れた目は、すぐに入ってきた人物が誰かを識別する。見慣れたシルエット。ふわり、と揺れるスカートの影。
「……W」
 俺を呼ぶその声はいつもより少しだけ、感情に揺れている。戸惑いと、申し訳なさと、そうしてスプーン一杯程度の愛しさ。抱いていた自分の足を離し、俺はすかさずアイツを咎めた。
「嘘、吐きやがって」
「……ごめん。それは、私が悪かったよ」
 言い訳はせずにアイツは素直に謝った。ソファから降り、アイツへと近付く。瞬間、ふわり、と知らない薫りがした。何処かで嗅いだことのある、不快な、けれど慣れた臭い。――それが何かを理解したと同時に、俺は衝動的にアイツの腕を掴んでいた。いたい、と小さな悲鳴が上がる。
「何処、行ってやがった」
 掴んだ腕を思い切り、潰れてしまう位に強く強く握り締める。競り上がる怒りに喉が焼き付きそうだ。
 俺は、この臭いを知っている。胃の凭れそうな不快な薫り。楽屋やスタジオで幾度と無く嗅いだ、煙草の薫りだ。――なぁ、それ、何処の男の臭いだよ。
 腸が煮えくり返りそうな気さえする。怒りのままにアイツを壁に、叩きつけるようにして押し付けた。
「答えろよ。……っ、答えろ!おら、早く言えよ!」
 壁に縫い付けた手首をただ、強く握る。アイツは痛みに顔を歪めながら、それでも真っ直ぐに俺を見て答えた。
「何も、やましいことなんて、してない」
「だったら……ッ!」
「女友達との食事会だと思って行ったら、知らない男の子が何人か居たってだけ。……飲んでもないし、メアドだって誰とも交換してないよ」
 何だったら確認すればいい。そう言って、アイツは自分の鞄を視線で示す。それって合コンだろ、と言えば、そうだね、とアイツは無感動に同意した。
「……ごめんね、W」
「何に、謝ってんだよ」
 俺の知らない男と飯を食った事実に、だったら俺は容赦なくアイツの頬を打っただろう。けれどアイツが口にしたのは違う事だった。
「時間、遅くなって。……待っててくれたんでしょ、私のこと」
「っ」
「ありがとう、W」
 そう言って、アイツは笑う。すっと怒りが引いていくのが自分でも分かった。掴んでいた腕を離す。暗いから分からないけれど、恐らく痣になっているだろう。けれどアイツは咎めることなく、俺の頭を撫でた。
 まるで子供を扱うかのように頭を撫でてくる手を払い除けてやろうか、と思ったけれど、あんまりにもその手が優しかったから止めておいてやる。
 暫くするとアイツは俺の頭から手を放し、それから額に掛かる髪を掻き分けてから俺の額へキスをした。
「約束、破ったお詫びはまた後でしてあげるから」
 あやすような声に、俺の機嫌は大分治っていた。けれど俺から離れようとするアイツを見送りたくなくて、今度はその腕をそっと掴む。
「……何?」
 足を止めてアイツが振り返った。不思議そうな声に、俺は思ったままに言う。
「今が、良い」
 後、なんていつになるか分からない未来より、今触れたかった。コイツが嘘を吐いていないことは分かっている。それでも少し前まで会っていた知らない男の記憶を、俺と言う存在で完全に塗り潰してしまいたかったのだ。お前が寝る前に想う男は俺だけで良い。他の野郎のことなんて微塵も考えんな。
 そんな俺の気持ちをアイツが分かってくれる筈もなく、アイツはあっさりと俺の手を解いて離れた。
「だめ」
「何でだよ」
「どうでもいい男の臭いがWに移ったら、いやでしょ。私が」
 アイツが、笑う。――我慢できずに、俺はアイツを抱き締めた。服から、髪から、煙草の臭いが薫る。けど、そんなことはどうだって良かった。抱き締めて、顔が見られないようにアイツの肩口に頭を埋めて言う。
「俺は、テメェが他の男の臭いを纏ってる方が嫌なんだよ」
「……わがまま」
「うるせぇ」
 大体どっちが我儘だ。俺よりコイツの方がどう考えても我儘だろ。けど、それ以上何も言わずに俺はアイツを強く抱き締めた。
「服、捨てちまえ」
「お気に入りなのに?」
「俺が買ってやる」
「はいはい、流石売れっ子モデルの言う言葉は違うなぁ」
「だから、もう俺の前以外で可愛い格好すんな」
「……はいはい」
 ぽんぽん、とアイツの手が俺の背中を撫でる。だから、子ども扱いすんなよ。そう思っても今の俺は何処からどう見ても駄々を捏ねてる子供だ。それでももう、どうだって良かった。
「キス」
「していいよ」
「……テメェがしろよ」
「していいよ」
「……我儘女」
「その言葉、女の部分を男に変えて返してあげる」
 見せつけられる余裕がムカツいて、そのまま噛み付くようにキスしてやった。絡み合う舌からは当然のように煙草の味もアルコールの味もせずに、ただ、甘かった。貪るように舌を絡め、食み、唾液を啜る。暗い部屋の中に響くのは水音と時計の針が進む音だけだ。そっとアイツを引き寄せて、ビロードの絨毯の上に優しくアイツを押し倒す。アイツが何か文句を言う前に、もう一度その唇を塞いだ。
 他人の臭いが付いた服なんて、全部脱がしちまえばいい。髪についた臭いも、その内分からなくなるだろう。全部、全部、俺で塗り潰してやる。
「テメェは俺のモンなんだよ、雪」
 そう告げて、喉元へ噛み付いた。頭の上でアイツが小さく笑う。余裕なんてなくなっちまえばいい。なんて、きっと先に余裕をなくすのは俺に決まっているのだけれど。



【狼みたいな、可愛い私だけの犬の話】(120614)

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