ZEXAL_dream | ナノ

 Sleeping

 ベッドの縁へ凭れ掛かるようにして眠る彼の頬に、そっと触れる。掌から伝うぬくもりは未だ確かに存在している筈なのに、その瞼が震えて、開かれることはない。彼と同じように、反対側に眠るのはX様。そうしてベッドの真ん中に眠るのはV様だ。
 ほんの少し前までは確かにその瞳は私を映し出していたのに。綺麗な、アメジストに似た色の瞳。赤にも紫にも見える其れはどんな宝石よりも美しく、どんな宝石よりも強い意志に輝いていた。
「……酷い、人」

 まだ、大会は終わっていない。それなのに彼が屋敷に戻ってきたという事は、彼の兄弟と同じように“眠り”につく為だ。彼は出迎えた私の顔を見て、笑った。
「泣くなよ、ばーか」
 そう言って私の頬を撫でて、また笑う。今までに見た彼の笑みの中で、それは一番優しくて、温かくて、どうしようもなく胸が痛かった。
「……酷な事を、仰いますね」
「お前が泣いてる顔なんざ見たくねぇんだよ」
 彼の指が、私の目元を拭う。ああ、本当に酷い人だ。V様と、X様を見守って、貴方まで見守らなければならない私の気持ちを知っていて、彼は言う。
 ねぇ、W様。私は、本当に貴方達に幸せになって欲しいんですよ。未来を歩んで、笑って、お日様の下で生きて行って、欲しいんです。例え其処に私が居なくたって良い。それなのに私が此処に居て、貴方が此処に居ないなんて、そんなのはあんまりでしょう。
「雪」
 滅多に呼ばない、私の名前を彼が呼ぶ。そんな特別なんていらないというのに。一生私の名など呼ばれなくとも、貴方が生きていてくれさえすればそれだけで十分だというのに。
 彼の指が、何度も何度も涙を拭う。本当はもう、眠たくて仕方がないだろうに。愛しい、大切な兄弟の傍で眠りたい筈なのに。残された短い時間を私如きに裂くなんて、本当に、なんて馬鹿な人だろう。
「笑えよ。最後に見たお前の顔が泣き顔、なんて、悪夢でも見そうだ」
 そのまま魘されて目覚めれば良いのに。心の中でそう呟く。嫌味にすらならない、ただの願望だ。貴方が悪夢を見て、目覚めてくれるのなら私はずっと泣き続けたっていい。最後だなんて言わないで。そんな悲しい事を、言わないで。
「……本当に、酷い人」
 喉元までせり上がった言葉を飲み込んで、私は涙を拭ってくれる彼の手を両の手でそっと包む。冷たい機械の手と、温かい生身の手。せめて、この温度を覚えていて欲しい。夢の中でも構わないから、私の体温を思い出してくれれば。貴方が私のことを頭の片隅にさえおいてくれるのならば、それ程に嬉しいことは無い。
 包んだ両手で彼の手を引き寄せて、その温もりを覚えるように自分の頬へあてる。もう二度と触れることの出来ない彼の手の熱を、感覚を、私は一体いつまで覚えていられるのだろう。
 零れる涙は止められなかったけれど、私は微笑んでみせた。それは本当に笑みの形になっていたかさえ怪しいけれど、それでも彼は満足したように目を細める。それから頬へ添えていた彼の手から力が抜けて、私の体に彼の体が凭れ掛かった。もう自分で立っていることすら出来なくなった彼の体を支えて、私はV様とX様の待つ部屋に彼を連れて行く。
 そのままV様の横たわるベッドの隣までお連れすると、彼は力が抜けたようにずるずると絨毯の上に座り込んだ。
「……あー、カッコ悪ぃな、ホント」
 自嘲する声にはもう覇気がない。それは彼が屋敷に戻ってきた時からずっとそうだった。まるで付き物が落ちたかのような、穏やかな声。もっと別の形でこの声を聴いてみたかった。それももう、遅すぎた願いだけれど。
 ベッドの縁に、眠るように凭れ掛かる彼の傍らで私も膝を折る。
「雪」
「……はい、W様」
「生きろよ」
 唇に、柔らかい熱が触れる。それは直ぐに離れて、次いで、彼は横たわるV様とX様に薄く微笑んで、そのままベッドの縁へと凭れ掛かった。もう、彼は目を覚まさない。眠る彼らはとても穏やかな顔をしていて、私はまた頬を濡らした。けれどもう、その涙を拭ってくれる人は眠ってしまったから、この涙は自分で拭わなければならない。
「……本当に、ひどいひと」
 唇に触れる柔らかな熱の甘さも、零れる涙を拭う手の優しさも、触れ合う肌の離れ難い温もりも、名を呼ばれる度に灯る愛しさも、貴方が居なければ知らずに済んだのに。私の胸に灯りを燈しておきながら、その灯りを消さないままそのまま居なくなってしまうなんて。
「W様」
 もしもまた、この目蓋が開かれて、あの血のように赤く深い色の瞳が私を見据えて下さるのなら。その時は一つだけ、お願い事をしても許して下さいますか。たった一つ。一つだけで良いのです。私が貴方の最後の命令を遂行できた、その時は、どうか。
「……おやすみ、なさい」
 眠る彼の目蓋に口付ける。彼の夢が優しいものであるようにと、ただそれだけを祈って。



【あなたのなまえを、どうか私に】(120604)

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