ZEXAL_dream | ナノ

 i_04

 どうして、りんごジュースなのか。V様からの問い掛けに、私は一瞬だけ目の前が真っ白になったような気さえした。
 ――あれを用意した理由は本当に単純で、V様に告げた通りの用途を予想していた。紅茶だけでは口寂しいだろうと、たまには子供らしいものを飲んでも良いのではないか、と。要らない気遣いかと思ったが、提案した時のX様はとても穏やかな表情をしていたから、実行に移してみた。ただ、それだけの話だ。……復讐を誓った彼らに、成長した未来を想うなんて、とは思う。けれど、彼らは復讐を遂げた後も生きていくのだ。それが、私とトロンの約束。
 彼らの為に、私はこの手を汚す。V様を、W様を、X様を、護る為に。――あの、美しい魂がもう二度と穢されぬよう。あの美しい手が、赤い色に塗れぬよう。その為だけに、私は生きている。Dr.フェイカーが死んだ未来で、彼らが幸福な未来を歩めるように。
 だから、という訳ではないけれど、メイドらしく飲食物から手を加えてみたのだ。成長期の子供が偏った食事をするのはよくない。紅茶はとても気品のある飲み物だがカフェインの保有量を考えると常飲は避けさせたい。なら、と思い、果物を購入して自家製のジュースを作ってみた。別に、果物は何だって良かったのだ。オレンジだって、ぶどうだって、何でも構わない。なのに私が選んだのはりんごで、未だ私の無意識にあの子が住んでいるのだと思うと、どうしようもなく胸の奥がじくりと痛む。

 大切な、可愛い、私の妹。きっともう、あの子はこの世界の何処にもいない。笑った顔が可愛い、私の、唯一の宝物。
 あの子は果物のジュースが大好きだった。中でもりんごジュースがお気に入りで、私がコップにジュースを注ぐと嬉しそうににこにことした顔でコップが満たされるのを眺めていたことを思い出す。
 あの子が好きだった、飲み物。だから、だろうか。私の中で子供が好きなジュースというと真っ先に想像するのはりんごジュースで、だから、無意識に用意してしまったのかもしれない。

 私が見捨てたあの子。私のせいで殺されたあの子。――もう私はあの子の姉ではなく、トロンに仕える駒に過ぎないのに。死んだ人間は生き返らないのだから、何度想っても仕方ないと知っているのに。失った誰かを悼む気持ちなど、今の私には不要だと分かっているのに。
 トロンに拾われてから捨てた感情が今になってどうしようもなく疼くのは、きっと、彼らを見ているからだろう。一度引き裂かれて、再び引き合わされた兄弟。彼らを見ていると、どうしても妹を思い出してしまう。血の繋がった、私のたった一人の妹。特にV様を見ていると、私は心を偽れなくなる。
 あの子も、V様と同い年だった。V様とは違うけれど、可愛くて、優しくて。V様の、W様やX様を見つめる視線は私を見るあの子にとても似ていて、つい、面影を重ねてしまう。さっきだってそうだ。私の注いだりんごジュースを美味しそうに飲むV様に、あの子が重なって見えた。――どうしてあの子とV様がこうも重なって見えるのか、と言えば、それはきっと彼があの子の――……。
「雪」
「……トロン」
 不意に掛けられた言葉に思考を止め、私は声のした方へ視線を向ける。大分前にV様は出て行かれたので、今この場に居るのは私とトロンの二人だけだ。気付けば彼は随分と私の近くにいた。
「Vとは、仲良く出来たかい?」
 仮面で隠された顔からは言葉の真意を読み取れない。ただ、彼は先程まで私とV様が一緒に居た事を知っているようだ。私は素直に頷く。
「恐らくは、ですが。……嫌われてはいない、と思いたいですね」
「Wには嫌われても構わないのに?」
 ぽつり、と零した言葉にトロンが楽しそうに笑う。
(分かっている癖に)
 思わず苦笑が浮かぶ。どうにも彼には自分を偽れない。元より偽るつもりも無ければ、彼の前で自分に嘘を吐くのは契約違反だ。私と彼の間で交わした約束事は多い。一つは、トロンに対しては嘘を吐かないこと。それと、トロンの前では自分に嘘を吐かないこと。それ以外にも自害はしないだとか、そう言った内容も含まれている。そもそも私の過去を知っている彼に対して嘘を吐いても仕方がない。V様の置いていった空のコップを見て、私は答える。
「……そうですね。あの子に、……V様に嫌われるのは、避けたいんですよ。彼に嫌われたら、私は泣いてしまうかもしれませんね」
「随分と気に入ったみたいだね」
「そういう次元ではない、と貴方は識っているでしょう?トロン」
 私の言葉に、トロンは何も言わずに声も出さず静かに笑った。そう、私は彼にあの子を重ねている。あの子が“王子様”だと言った、可愛い彼に。
「まぁ、僕は君たちが仲良くしてくれればそれで良いんだ。これからも仲良くしてあげてよ、雪」
 そう言ってトロンは踵を返す。えぇ、と短くその背に向かって答えた。金色の髪が歩く度に揺れる。
 ふと、トロンが振り返った。扉に手を掛けたまま、彼は私を見ている。楽しそうに弧を刻んだ口元がゆっくりと開かれた。
「ねぇ、雪」
「はい、トロン」
「――代償行為、って、しってる?」
 とても楽しそうな声。子供のように無邪気な口調で発せられた単語には幾重にも棘が張り巡らされていて、彼はそれを知った上で私へ投げたのだろう。だから私は微笑んで彼の言葉へと応えた。
「存じておりますよ、トロン。――貴方と同じように」
 私の言葉にトロンは一層愉快そうに声を上げて笑いながらキッチンから出て行った。もうトロンが振り向く事は無い。
 代償行為。そう、そんな事は最初から知っている。私がこの場所に居るのも、何もかも、代償行為だ。満たされないモノを他の何かで満たそうとするだけの、自己満足で帰結してしまう自慰と同じようなモノ。く、と私は喉を鳴らして笑う。
「えぇ、えぇ。存じておりますとも」
 そう、あなたと、おなじように。呟いた声は、誰にも届かない。だから私はもう一度笑った。



【こえは、どこにもとどかない】(120604)

prev / next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -