ZEXAL_dream | ナノ

 おやすみなさい

 ――眠い。
 困った。これは、とても困った。自分の身に襲い掛かる睡魔と言う魔物の存在を感じながら私は思う。困った。これは本当に――困った。
 恐らくここ数日立て続けで能力を使っているせいだろう。それに加え、私……もとい、“誰か”の活動時間は夜半も過ぎた頃だ。本来私は最低でも6時間、最長でも8時間は寝なければいけない体なのだが――人間として摂らなければならない等という次元の話では無く、実際既定の睡眠量を摂らないといけないという意味であり私がその時間寝たいという意味では無い――ここ数日はその約束を破っている。何とか薬でどうにか体を動かし続けていたが、そろそろ限界なのかもしれない。しかしそれを悟られてはいけないのだ。特に何も知らないW様には、絶対に。
「雪。顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
「……X、様」
 今日の食事の用意を。そう思い台所へと向かう最中、X様と鉢合わせした。彼は即座に私の様子を理解し、額へ手を添える。まるで子供にするような仕草に、私は小さく苦笑を逃がした。
「……私は小さな子供ではありません」
「分かっている。だが、自身の体調管理も出来ないようでは子供と同等に扱われても文句は言えないだろう」
 ぐうの根も出ない正論だ。何も言い返せない。つい押し黙ってしまうと、X様は怒りはせず――本当に小さな子供を諭すように、優しい顔で私の頭を撫でた。
「少し眠った方が良い。今日は屋敷に誰も居ないのだから、私の傍で眠りなさい。何時間か過ぎたら起こしてあげよう」
 そう言ってX様は私の返答を待たず、私の手を引いてリビングへと連れて行く。私はメイドの筈なのに、これではまるで本当に妹か何かのようだ。これはこれで困るのだが、それでもX様の申し出は有り難いもので私は大人しく彼の言葉に従う。
 私は、一人で起きられない。比喩でもなんでもなく、実際に目を覚ますことが出来ないのだ。自分の意思ではどうにも出来ず、メイドという身分にも関わらず毎朝W様に起こして頂いている。ちなみにW様が起こして下さる理由は単純にトロンが命じたからだ。
 決まった時間、眠らなくてはいけない体。同時に、決まった時間以上眠ってもいけない体。これが痣の作用なのか、それとも仮初の腕と足の後遺症なのか、私にはわからない。けれど厄介な体だ、と思う。だからこそ今日まで私は仮眠も摂れず、このような事態に陥っている訳だが。
 先にX様がソファへ腰掛け、それから私に隣へ座るよう促した。それから自身の太腿を軽く叩いて見せる。
「……あの、X様」
「どうした」
「これは、その。所謂、ひざまくらなるものですか」
「そのような言い方もある」
「……」
 小さく溜息を逃がす。この人、間違いなく私に断らせる気がない。もうどうにでもなれ、と強い眠気の中半ば投げやりな気持ちで私は彼の太腿へ頭を乗せてソファへと横たわった。男の人の太腿はやはり固く、寝るのには適していないような気がする。が、余程眠かったのだろう。横になった途端、より強い眠気が私を襲った。
「おやすみ、雪」
 最後にX様の声が聴こえて、私はそこで意識を放り投げたのだった。



 家の門を潜り、扉を開ける。屋敷の中へ足を踏み入れても、聞き慣れた声はしなかった。
「……あ?」
 普段ならばまず間違いなく俺が帰宅すればあの女は扉の内側に居て、「お帰りなさいませW様」みたいな台詞を口にしながら俺を出迎える筈だ。それなのに、辺りを見回してもあの女の姿はない。その上駆け寄ってくる足音さえ聞こえず、俺は舌打ちを逃がした。
(何処で油売ってやがる)
 ――この俺が帰宅したって言うのに労いも無しとは随分じゃねぇか。胸の内に広がる嫌な気分に眉を顰め、大股歩きでリビングへと向かった。今日のナンバーズ集めの成果を兄貴とトロンに報告する為だ。やや乱暴に重厚な扉を開く。本当は力の限り、思い切り扉を蹴り開けたい所だがそんな事をすればまた兄貴が煩いだろう。
「おい、今帰っ……」
 首の裏を掻きながら億劫な気分を隠さず口を開く。が、思わず固まってしまった。俺の声にゆっくりとXが読んでいた本から顔を上げ此方を見る。
「兄貴」
「どうした、W」
「“それ”は何だ?」
 兄貴の太腿を枕代わりにして横たわる女を指差し俺は尋ねた。否、こんな事聞かなくたって分かってる。見慣れた白と黒の裾の長いメイド服に、その容姿。何処からどう見たって、あの女だ。
 兄貴は俺の言葉に女へ視線を落としてから再び俺を見てさらりと答えた。
「雪だ。どうやら体調が優れないようだったので私が言って眠らせた。後一時間は寝させた方が良いだろう。W、起こさないように」
 思い切り釘を刺され、俺は舌打ちを零す。主人を出迎えないなんてどういう了見だ、と怒鳴りつけてやろうと思っていたのにXには見透かされていたらしい。仕方なく傍の壁に凭れ掛かる。さっさと部屋に帰れば良いと自分でも思うものの、このまま兄貴とあの女をこれ以上二人きりで居させるのは気に食わなかった。
 一体いつからああしていたのか。俺が家を出る時はいつものようにアイツは俺を見送った。つまりそれよりは後の事になる。――否、それよりもどうして俺は朝の時点で何も気づかなかったのだろう。思い返してもあの時のアイツは至って普通で、顔色だって何一ついつもと変わらなかった筈だ。俺の前では無理をしていた?なら、どうして兄貴には分かる。ああ、気に食わない。あの女の事となるといつもそうだ。ファンサービスを邪魔された時のような不快感が湧き上がる。叶うならあの頬を張り倒して飛び起こしてやりたい。だがそれをすれば兄貴が煩いだろう。何一つ思い通りにいかないことがより一層苛立ちを煽る。
 ――それからどれ位の時間が過ぎたのか。時計の針が動く音がやけに耳障りで、けれど部屋に帰る気にもなれずにそのまま壁に背を預け黙っているといつの間にか俺まで眠りに落ちていたらしい。聴こえた小さな声に閉じた瞼を開くと、相変わらずアイツは未だ寝ていた。
「……ん、……」
 だが起きる気配はない。単なる寝言かよ、と心の中で悪態を吐く。すると今度は兄貴の溜息が聞こえた。
「雪、時間だ。起きなさい」
 本へと落としていた視線を一瞬だけ俺に向け、それから兄貴がアイツの肩を軽く揺する。アイツは身動ぎを一つし、ゆっくりと体を起こした。
「……おはようございます、X様」
「あぁ、おはよう。良く眠れたか?」
「……はい。X様のお陰で大分楽になりました」
 優しげな兄貴の声に思い切り眉を顰める。覚えた苛立ちは間違いなく兄貴へのモノで、どうしてそんな感情が芽生えたのか俺にも分からなくて俺はギリと歯噛みした。アイツは俺に気付く事なく、これまた普段よりも――俺に向けるよりも随分と柔らかな、静かな声でそう言った。
 その瞬間、気付けば俺は足をソファへと向けていた。ヒールの音は分厚いカーペットへ吸い込まれ、アイツには届かない。
「主の手を煩わせてしまう等使用人としてあるまじき行為、誠に申し訳――………、W、様?」
 ソファに座り込んだまま申し訳なさそうな声を出すアイツの手を、思い切り掴む。そこで漸くこの女は俺の存在に気付いたらしい。セピア色の双眸が大きく見開かれており、瞳の中には俺の姿だけが映し出されていた。一瞬だけその硝子のような瞳を独占出来たと歓喜が湧く。けれどそれは直ぐに消え、代わりにふつふつと怒りが湧き上がってきた。
 珍しく、何処か狼狽したような顔。何を戸惑っているのか、なんて言えば当然兄貴の膝で寝ていた事で、俺は掴んだ腕をただ力の限り握り締めた。アイツは僅かに眉を顰める。それが余計に俺の中の怒りを煽った。
「W、様」
 いつもと変わらない声色を装ったつもりでも、それが演技だということ位俺には容易く見抜ける。馬鹿にすんじゃねぇよ、このアマ。声の中に含まれた困惑が嗅ぎ取れない程俺は鈍くも馬鹿でも無い。更に言えば見なかったフリをしてやれる程、紳士でもお優しくも無かった。
「止めないか、W。雪が痛がっているだろう」
「うるせぇ、兄貴には関係ねぇだろ。行くぞ」
 ぐい、と力の限り掴んだ腕を引っ張ればアイツは足元を少しだけふらつかせながら俺の胸元へ飛び込んできた。抵抗も何もされないまま呆気なく手中へと収まってしまったことに内心で少しだけ動揺しながら、俺はそのまま兄貴の制止を無視してアイツの腕を引いた。
(――少しは嫌がれよ)
 黙ったまま後ろをついてくるなんて、どうかしている。いつもなら蹴りの一発や二発は入れられて、アイツは俺の腕を引き剥がす筈だ。それなのにアイツは何もしない。だからか、兄貴も何も言わなかった。リビングの外に出て、そのまま自室へと向かう。漸く辿り着いた扉の前で、アイツは口を開いた。
「……W様、お放し下さい」
「あ?何でだ。テメェが着いて来たんだろ」
「私とW様の部屋は合い向かいです。わざわざ振り払ってまで拒む必要はないと判断しました」
 その声色は既に俺の聞き慣れたものになっていて、俺は漸く振り返ってアイツの顔を見た。アイツは見慣れた無表情に近い顔で俺を真っ直ぐに見つめている。その事に内心で安堵を覚えた。もし振り返って、こいつがしおらしい顔でもしていたら、俺はどんな反応をすればいいか分からなかっただろう。
「お放し下さい」
 もう一度アイツが繰り返す。淡々とした感情のない声に、俺は答えた。
「嫌だ」
「何故ですか」
「それは」
 ――テメェが無防備に兄貴なんかの膝で、兄貴なんかの目の前で眠るからだ。なんて言える筈もなく、俺は舌打ちを零す。俺の態度にアイツは溜息を吐くと俺を見据えて言った。
「X様のお傍で眠らせて頂いたのは、使用人として過ぎた事だと思っております。しかし許可を出したのはX様であり、W様に咎められるべきとは思いません。何か不満があるのならトロンを通して下さい」
 その、変わらない口調に苛立った。テメェは俺を誰だと思ってやがる。ギリ、と歯噛みして俺は乱暴に自室の扉を開けた。アイツの腕を力の限り引っ張り、部屋の中へ連れ込む。そのままベッドまで歩み寄りシーツの上にアイツの体を力の限り放ると、思っていたより容易くアイツはベッドの上に転がされる。その様子を見て、改めて俺は兄貴の言葉を思い出した。――体調が優れない、と兄貴は言っていた。だからだろう。普段のアイツがこうも簡単に俺に引っ張りまわされる筈が無いからだ。ベッドへ横たわったアイツを見下ろすと、確かにその頬には薄らと汗が滲んでいた。
「寝ろ」
 何を、と言い掛けた言葉を遮って俺は言う。するとアイツは見たことのないような唖然とした表情で俺を見つめた。
「……W、様?」
「Xの前で眠れるんなら、俺の前でも眠れるよなぁ?ほら、とっとと寝ろ」
 毛布をアイツの体に投げつけるようにかけて、ベッドの縁へと腰を下ろす。アイツはただ唖然としたまま毛布を受け取り、言われるがままに体の上に毛布を掛けていた。こうして見ると確かに病人のようにも見える、と思う。いつもより肌は白く見えるし、氷のような瞳は何処かぼやけている。
 コイツの体調不良に気付けなかった事も、コイツが無防備にXの前で眠っていたことも、どちらにも同じように腹が立つ。胸糞悪い。眉を顰めると、アイツがほんの少しだけ笑ったように見えた。
「……かしこまりました、W様」
「朝になったらいつも通り起こしてやるよ」
「ありがとうございます」
 何処となく柔らかい声。表情はいつもと変わらないが、それだけでも心臓を掴まれたような感覚に唇を噛み締める。
「……W様、信頼していますよ」
 それから暫くすると心地好い寝息が聞こえてきた。どうやら寝入ったらしい。この女、本気で俺が何もしないとでも思ってやがるのか。そう思うものの、寝る直前に言われた言葉が脳内で再生されると結局何も出来ず、俺は自棄になってそのままコイツの隣に潜り込む。結局訳の分からない感情が渦巻いて眠れなかったことを、この女は知らない。



【“優しさ”に釘を刺す】(120527)

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