ZEXAL_dream | ナノ

 飲み干すイデア

「お帰りなさいませ、W様」
 屋敷へと帰宅した彼をいつものように出迎え、恭しく頭を下げる。私の主であるW様は何も仰らず、私を一瞥するとそのままX様の居るリビングへと向かった。その後を数歩分開けて着いて行く。W様の歩幅に足を合わせると自然に燕尾服の裾が舞った。彼の歩みはいつも早い。あの、年齢にしては低い背丈ではあの速度を保つのも大変だろうに、と内心で思いながらも決して口には出さない。
 やや乱暴に扉を開け、W様がリビングへと足を踏み入れる。その音にX様は読んでいた書物から顔を上げ、立てた物音を咎めるような目でW様を見据える。幽かにW様の纏う雰囲気が揺らいだ、ように見えたのは恐らく気のせいではないのだろう。この、年頃な私の主人はとても粗暴で、傲慢で、性悪で、我が道を行く俺様だ……と本気で信じている人間は一体どれだけいるのだろう。少なくともこの屋敷に住まう人々――トロンも、X様も、V様も、そして私もそうは思っていない。強がって意地を張っているお子様。それが私の主、W様だ。
 X様が本を閉じ、W様へ注意を口にする。するとW様は即座に反抗し、乱雑な口調でX様に言い返した。そうしてまたX様が諭すようにW様へ言葉を投げる。その行為を何度か繰り返している内にV様が現れ、双方を咎めるとW様はバツが悪そうに乱暴な足取りで部屋から出て行ってしまわれた。とても見慣れた光景だ。
(全く、手の掛かるお子様だ)
 呆れたような顔のX様に、心配した表情を浮かべるV様。トロンが現れない所を見ると、彼はこの日常の一コマに参加する事より趣味であるカトゥーン・アニメの鑑賞を優先したらしい。X様とV様に頭を下げて私も退出し、W様の後を追う。暫く廊下を歩くと、少し先にW様の後ろ姿が見えた。この方向からすると彼は玄関に向かっているらしい。兄に叱られた腹いせに“ファンサービス”でもしに行くのだろう。何処までも勝手なお方だ。
「W様、どちらに行かれるおつもりですか」
「うるせぇ、執事風情が俺に指図する気か?」
「私には皆様について把握している義務があります。V様をお連れせずファンの方と交流を楽しまれるのなら、私が付いて行きます」
 私が声を掛けると案の定彼は歩く速度を速める。この程度で振り払えると思っているのなら片腹痛い。彼と私では足の長さが違い過ぎるというのに。不機嫌を隠そうともしない声に、私は至っていつも通りに言葉を返す。私の言葉に彼が唇を噛むのが見えた。
「そんな義務、いらねぇんだよ!」
「貴方に必要か、不要かなど関係ありません。これはトロンからの命です」
 こう返せばきっとW様の神経を逆撫でするだろう、そう予想して放った言葉は期待通り彼の逆鱗に触れたらしい。急に足を止め、W様が勢いよく振り返る。赤紫の美しい瞳は、今は憤怒に彩られていた。射殺さんとするばかりの視線に、無意識に口元が緩みそうになるのを抑えて私も立ち止まる。
 互いの距離は歩数にして3歩あるかないか。片方が手を伸ばせば簡単に届く距離だ。こうして至近距離で見ると改めて彼の瞳は美しいと思う。そこいらの宝石よりも色濃く、湛える強い意思はより一層輝きを放っている。
 W様は私を睨み据えたまま口を開いた。
「ムカツクんだよ!……っ、いつもいつもトロンの命だXの命だ……テメェの口はそれしか言えねぇってのか?」
 一歩、W様が踏み込む。彼の手が私の首元へ伸ばされ、その綺麗な指がYシャツの襟首を捻りあげた。若干の息苦しさを覚えながらも私は彼の手に自分の手を重ねて素直に答えた。
「事実なのですから仕方がないでしょう。私にとっての主はW様だけではありません。その件は何度もご説明した筈ですが」
 この返答では更に機嫌を損ねるだけだろう。それ位は短い付き合いとは言え心得ている。けれど何一つ間違っていない以上反論も出来まい。案の定W様は盛大に舌打ちを一つ逃がし、襟首を掴む手を緩める。――これだから詰めが甘い。
 私は重ねていた手でそのまま彼の手を掴み、その体ごと引き寄せる。私より頭一つ分は小さいW様はいとも容易く私の腕の中に納まってしまった。
(こうも無防備では、困るのですが、ね)
 彼にはもう少し極東チャンピオンとしての自覚を持って頂きたいものだけれど、まだ子供である彼には難しい話なのかもしれない。世の中には貴方のように美しい方を好む方は何万と存在して、その中には性的に貴方を食べてしまいたいと思うような不埒な輩も大勢存在するのだと。誰も彼もが善人ではなく、邪な考えを抱き、それを実行する人間が大勢存在するのだと。きっとこの幼い子供は、知識としては理解していても現実としては何一つ認識していないのだろう。世の中には善意でも悪意でもない感情が存在するのだ。まぁ、どちらかと言えばそれは悪意に分類だれるとは思うのだが。
「W様」
「っ……なんだよ」
 私の腕の中の納まったW様は何が起こったのか即座に理解出来なかったのか、唖然とした表情で私を見上げていた。その無防備な表情は愛らしい。私はにこり、と微笑む。
「全ては命だからどうしようもないのです。私にとっての主はW様、貴方ただ御一人だけ。私にとっての生きる意味はW様そのものなのです」
 そっと目を伏せながら掴んだ手の甲へ口付けて、私はそう紡ぐ。薄目で様子を探れば、彼の肩が小さく震えたのが分かった。く、と小さく喉が鳴る。そのまま口付けた手の甲へ歯を立てがぶりと噛み付いてやった。
「――そう、答えて欲しかったのですか?W様は」
「ッ……!」
 瞬間、思い切り頬へ痛みが走る。噛み付いた手は振り払われていた。じん、と熱を持った箇所が痛みを訴える。目前では耳を真っ赤にしたW様が、先程よりも殺意の籠った瞳で私を見上げていた。彼の手が私の頬を打ったのだ、と漸く理解して、私は打たれた頬へ己の手を添える。
「理想と現実は異なるのですよ。望んだ全てが得られるとは限らない。望まない物が与えられる事は間々あるのです」
 頬を打った事を咎めはせずに私は言う。思いもよらぬ反応だったのか、W様は僅かに狼狽えるように視線を逸らした。
(そう、貴方の望む理想など何処にもないのですよ。W様)
 彼が私に求めているものを、私は知っている。自分だけの従順な執事。トロンもX様もV様も全て見限って、自分だけを愛し、慈しんでくれるような、唯一の存在。己を庇護下に置いてくれるモノ。W様の望む、私の理想。
 けれど私は理想通りに在りはしない。現実は何時だって非情だからか?否、単純に――そう、単純に。私が彼の望みを叶えたくないと想い、彼の望みを叶えられないと思うからだ。何故か。その理由すらもまた単純だ。何故なら、私は。
「W様」
 名を呼び、その十字の傷へ手を添えて上を向かせる。血のように深く、アメジストのように濃い、美しい瞳。先程の強い意志は何処か薄れ、そこには戸惑いの色が浮かんでいた。揺らぐ瞳には私だけが映し出されているけれど、今彼の瞳に何が映っているかなどは些細な問題だ。ただ、この美しい瞳を私だけが占領している。その事実にどうしようもなく笑いが込み上げる。
(馬鹿な、人だ)
 ゆったりと口元に弧を描き、私はゆっくりと彼の宝石のような瞳を舌でなぞった。W様の両の眼が大きく見開かれる。びくり、と震える肢体。縋るように私の上着を掴む手はまさに子供のようで、私は勝手に浮かぶ笑みを消せないまま耳元で告げたのだ。
「あまり無防備にされると、このように望まぬものを与えられてしまいますよ」
 その言葉に彼が何かを言う前に、その赤い唇を塞ぐ。ああ、ほら、忠告をしたのに馬鹿な人だ。なんて自分の行動を棚に上げて、私はまた笑ったのだった。



【私もまた、悪意の塊なのですよ、】(120903)

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