ZEXAL_dream | ナノ

 5/13(トロン)

「あっはっは!へぇ、それは良かったねえ、雪」
「……そうですね、トロン」
 目の前で両手を叩き楽しそうにはしゃぐ彼に思わず溜息が零れる。声をあげ楽しそうに笑う姿は子供そのものだ。但し私の首を指差しながら笑うのは止めて頂きたい。血は止まったものの、W様に噛み付かれた箇所は未だじんわりとした熱と痛みを孕んでいる。V様に尋ねられたらなんと答えれば良いのだろう。躾のなっていない犬に咬まれた、とでも答えるべきなんだろうか。
「まぁ、首の傷はともかくさぁ。まさか3人とも花を用意するなんて思わなかったよ」
「そうなるように仕向けたのはトロン、貴方でしょうに」
「あっはっは!」
 相変わらずこの方は策士だ。朝からV様を買い出しに行かせたのも、昼にX様を街中に放り出したのも、恐らく母の日を認識させて意識させる為だろう。どうしてそんな事をしたのか、理由など分かる筈もない。トロンなりの私への感謝の表し方なのか、それともW様のように嫌がらせなのか、単純に花を贈るなんて人間染みた行為をする彼らが見たかったのか、――もしくは日常という名の思い出を彼らに与えたかったのか。
 例えトロンに問うたとしても答えは返らないだろう。だから私はただ黙って彼の傍らに立つ。笑われている事には若干の情けなさを覚えるものの、腹立たしいとは思わないからだ。
「まさか、噛み付かれるとは思いませんでしたよ」
「食い千切られなくて良かったね」
「ええ、全くです」
 あの反応は本当に予想外だった。ある程度の挑発は籠めていたものの、私の推測はそこまで外れていると思わなかったのだが……どうやらWという人間を私は読み間違えていたらしい。首を絞められ骨を折られなかっただけマシではあるが、V様はともかくX様までは誤魔化しきれないだろう。後で何を言われるのやら、想像したくない。
 気付くと私は傷跡へ触れていた。薄い瘡蓋が指先に当たる。
「ねぇ、それ剥がしてもいい?雪」
「トロン、貴方私が断れないと分かっていて言っているでしょう」
「あはは!うん、だから僕は雪のことだーいすき!」
 はぁ、と再び溜息を漏らす。私は彼の座る椅子の横に膝を付き、首を逸らして差し出した。彼の小さな、子供の手が私の首へ伸びる。ついで、がり、と彼の爪が私の喉を引っ掻いた。瘡蓋が剥がれると同時、強く掻かれた箇所がひり、と痛み眉を顰める。
「……これ、痕になって残ったらどうしましょうか」
「いいんじゃない?Wは喜ぶよ、きっと」
 じわ、と血が滲む感覚につい傷口を触りたくなるのを抑えて言うとトロンはそれはもう愉しそうに笑った。
 トロンの想像は正しいだろう。W様はこの傷が治るのが長引けば長引くほど、痕が深く残れば残るほど、悦ぶに違いない。全くもって歪んでいる。子供染みた独占欲の塊。消えない傷跡を刻んで、痛みと恐怖で支配して、自分だけを相手の瞳に映したい。自分なしでは生きられない――まるで人形のような存在を欲している、W様。もし彼が幼い頃のまま、何も起きずにすくすくと成長していたら。そう考えて私は嗤う。もしも彼がお日様の下で育ったのならば、私はきっと一生彼には出逢わなかったのだ。年相応に子供で、何処までも愚かで、とても聡明で、それ故に愛おしい彼に。
「ならば、何としてでも治さなければなりませんね」
 この傷が残って彼が満足するくらいなら、私はこの皮膚を切り裂こう。それくらい、引き金を引くのと同じくらい容易いことだ。
 私の言葉を聞いたトロンは笑う。それは憐れんでいるようにも、呆れているようにも、喜んでいるようにも見えた。
「あ、そうだ」
 不意にトロンが何かを思い出したように口を開く。首を傾げる私にトロンが何か差し出した。
「これは僕から雪にあげるよ」
「……白と赤のカーネーション、ですか」
 受け取ったそれは、赤いカーネーションと白いカーネーションが1本ずつ束ねられたものだった。花束と呼ぶには質素だけれど、一目見ただけでこの花が高価なものだと分かるほどに上等なものだ。
 赤いカーネーションは生きている母に。白いカーネーションは亡くなった母に捧げるのだ、と昔誰かに聞いた事を思い出す。私は受け取った花をもう一度見て、次にトロンへと視線を戻してから笑った。
「ありがとうございます、トロン」



 トロンの部屋から戻り、自室へカーネーションを飾る。V様から頂いたガーベラの花束は、私が一番慣れ親しんだ――居心地の良いキッチンへ。X様に頂いた胡蝶蘭は、常に彼の居る広く静かなリビングへ。W様に頂いた真っ赤な薔薇は、いつも彼を出迎える玄関へ。それぞれの場所へと置いてきた。
「お返しは、何がいいのでしょうね」
 誰もいないと分かっていながら私は自室で赤と白のカーネーションを眺めながら呟く。せめて少しでも感謝の気持ちと私の感じた嬉しさが彼らに伝われば良いのだけれど。――今日は久しぶりにゆっくりと眠れそうだ。ほのかに香る花の匂いを感じながら、私はそっと瞼を閉じた。


【あの子は僕の可愛い、】(120514)

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