ZEXAL_dream | ナノ

 5/13(W)

 夕方。いつものようにファンサービスを終えて家路に着く。途中で何度かファンに囲まれたものの、いつものように紳士的に振る舞ってやるとどいつもこいつも嬉しそうな顔で去って行った。中には名残惜しそうな顔で誘ってくるような奴も居たが、今日はそういう気分になれず断って屋敷へと帰る。
 その途中でふと花屋を見つけた。店の前には普段よりも人が居り、どいつも似たような赤い花を抱えて店から出て行く。店頭に飾られたPOPを見て、ああ今日は母の日って奴か、と他人事のように思った。実際他人事だ。俺には無関係な行事。――そう思って、直ぐに考え直す。ここで赤いカーネーションでも買って帰ってやったら、あの女は嫌な顔の一つでもするんじゃないか、と。
(悪くはねぇな)
 花束一つでアイツの歪んだ顔が見れるなら安いモンだ。早速店の中へ足を踏み入れる。さて、どの程度の花束にしてやろう。両手で抱えきれないほどのカーネーション、というのは見た目が不恰好だし、恐らく店頭に見本として飾ってある程度の小振りな花束が丁度いいだろう。ああ、そうだ。いっそ赤ではなく、白のカーネーションでも贈ってやった方が一層楽しいかもしれない。ファンサービスでも無いというのに想像するだけで心が躍る。
 家に帰って、真っ先に。俺が普段ファン達にするような愛想の良いとびきりの笑顔で、花束を渡してやろう。其れは間違いなく愉快に違いない。
 そんな事を考えながら花を吟味する。嫌がらせとは言えこの俺が贈ってやるのにみすぼらしい花など御免だ。出来る限り上等な花が良い。それこそ贈られた一瞬だけ意図が分からずに喜んでしまい、次の瞬間意味を理解して絶望と落胆を味わったような表情を浮かべてくれるような。
(くそ、何でもっと早く気付かなかったんだ)
 そこまで考えて、次に自分の浅はかさを呪う。もっと早くにこんなにも楽しい事を思いついていれば、街角の花屋などではなくもっと上等な場所から仕入れてやったのに。だが今更後悔しても仕方がない。来年に後回しというのも考えたが、今思いついた事は今実行したい。第一来年もあの女が屋敷にいるかも分からないのだから。
 大体の吟味を終え、店員を呼ぶ。いつもの極東チャンピオンとしての笑みを浮かべながら口を開こうとした刹那、ふと別の花が目に映った。痛い程の、血のような赤。
「……すみません。あの花を包んで頂けますか」
「は、はい!あの、何本程に……」
「其処にあるモノを全部、お願いします」
 気が付けば口から勝手に言葉が零れていた。目の前の女は少しだけ驚いたような顔をして、すぐに店員として表情を取り繕い「かしこまりました」と告げて花を全て持っていった。――予定が狂った。が、今更訂正する気も起きない。あんなちゃちな花を贈るのなら、あの花の方が余程アイツに相応しいだろう。本来の意図からはずれたが、もうこの際どっちでも良い。
 そもそもあの女は俺の母でも無く、姉でも、妹でも、家族ですら無い。兄貴やVはアイツを家族のように想っているようだが、俺からすれば馬鹿馬鹿しいとしか思えない。いつだって剣のように鋭く、氷のように冷たく、トロンに仇名す全てを排除する為だけに居る存在。あの花と同じだ。棘だらけで、触れれば血を流さずには居られない。
 俺がアイツに抱くのは感謝でも何でもない。ただの、歪んだ感情。――母でも、姉でも、妹でも、家族ですらない女。俺がアイツに望むのは。
「………」
 く、と小さく喉を鳴らして自嘲を零す。この花束を受け取ったアイツが意図に気付いてその顔を歪めれば良い。そう考えて、俺はもう一度密やかに嗤った。



「お帰りなさいませ、W様」
 家に着くと、いつものようにアイツは扉の内側にいた。門の外で待っていた事は一度も無い。あまり外を出歩くのを好まないのかもしれない。それならば今度無理矢理外に連れ出してやろうか、等と考えているとアイツは怪訝そうな顔で俺を見た。
「………W様」
「あ?何だ」
「その、花束は」
 黙っている俺にまた馬鹿か阿呆かなどと言葉をぶつけてくるのかと思えば、今日は違った。隠しもせず持っていた花束に視線を向け、目の前の女は何処か戸惑ったような様子で俺に尋ねる。本当は嫌がらせの為に買ってきた筈だが、もうそんな事はどうでも良かった。ずい、と花束を差し出す。するとアイツは反射的にその花束を受け取った。
 アイツの腕の中が深紅に染まる。大輪の薔薇は、俺の見立て通りこの女に良く似合っていた。血のような赤。
 腕の中の花束と俺を交互に見詰め、アイツが口を開く。
「母の日、ですか」
「……えぇ、そうですよ。普段貴女には大変世話になっているので日頃の感謝を示そうと思い、花を贈らせて頂きました。お気に召しませんでしたか?」
 思い立ったように紳士的な口調でそう答えてやる。意図がバレていたと分かり、正直気分も乗らない。半ば投げやりに笑みを浮かべて言葉を紡ぐとアイツは隠そうともせず溜息を吐いた。
「いいえ、ありがとうございます。まさかW様からも頂けるとは思っていなかったので少々驚いただけです」
「……あ?どういう事だ」
「V様とX様にも同じように、日頃の感謝をと花を頂きました。やはり兄弟だけあって考え方も似通っているのかもしれませんね」
 あっさりと返る言葉に俺は盛大に舌打ちを逃がした。気に食わない。あの兄貴やVと行動が被っていたことも、この俺が最後だったことも、何もかもが気に障った。踵を返し立ち去ろうとするアイツの右腕を掴む。するとアイツは足を止め、俺が口を開くより先に言った。
「捨てませんよ。V様から頂いた花束も、X様からの鉢植えも捨てません。どのような命を言われても無駄です、W様」
 先回りするような返答に反吐が出る。もう一度舌打ちを逃がすと、アイツはあっさりと俺の手を払い再び廊下を歩き始めた。その後ろを追いかける。
「ふざけんな」
「そのお言葉そっくりそのままお返しします、W様」
「俺の花より兄貴達の方が大事だってのか?」
「折角私の為にと用意して下さったモノを無碍にしろと仰るのですか、W様は」
「だとしたら何だ」
「別に、何も。先程も申し上げましたが、W様が何を言おうと私は頂いた花を捨てませんし捨てさせませんので」
 淡々と告げるアイツに段々と腹が立ってくる。否、正確に言えば最初から腹は立っていた。より正しく言うなら腸が煮えくり返りすぎて沸騰でもしそうだ、という所だろう。もう一度アイツの腕を掴み、思い切り壁にその背を叩きつける。それから逃げ場をなくすように両手をアイツの顔の横に着けば、アイツはまた溜息を吐いて俺を見た。
「子供の様に駄々を捏ねないで下さい」
「うるせぇ。テメェの主はこの俺だ」
「正しくはトロンを始めとしたこの家の方全てが私の主です。W様だけが私の主ではありません」
「その訂正がムカツクんだよ」
「間違っていたら正す、その何がおかしいというのです?」
 セピア色の瞳が真っ直ぐに俺を射抜く。正しさだけで構成されたような硝子玉のような瞳。きっとこの女は俺が幾ら言ったって、俺の言葉など聞かないのだろう。ぎり、と唇を噛み締める。じわり、と血が滲む感覚がした。
 ふと、目の前の女がその双眸を閉じる。それと同時にまた溜息が漏れた。それから瞼を開けた女は俺の頬へ片手を添える。
「馬鹿ですね、貴方は」
 顔と顔の距離が近付いて、女の舌が俺の唇の上を掠める。滲む血を舐め取ると、呆れたように幽かに笑って女は言った。見慣れない、何処か慈しむような微笑み。
「――そして、聡明です。私はそんな貴方が嫌いではありません」
 夢か、と思った。この女がそんなにも優しい言葉を紡ぐなんて有り得ない。けれどじくじくと痛む唇は嘘でも幻でも無く、目の前で薄らと微笑む女も現実だった。
「自分を愛し、慈しんでくれる――姉を求めるV様。変わらぬ愛情を注いでくれ、守るべき存在である――妹を求めるX様。お二人とも、恐らくは母性を求めているのでしょう。W様、貴方も」
 けれどその微笑みが自分だけに向けられている訳ではない事くらい、俺には分かっていた。この女は俺を通して、兄貴とVの姿を見ている。そのことに少しだけ苛立ちが増すも、俺は黙ってこの女の言葉を聞いていた。痛い位に正しい女の言葉を。
「けれど、そう。W様、貴方はとても聡明でいらっしゃる。V様のように包んでくれる姉を求める事を恥じ、守るべき妹など不要だと思っている。けれど母を願う事も出来ない。だから、貴方は――大切な家族の願いを叶えたいのでしょう」
 淡々と語る声を聞きながら、俺は眉を顰めた。何が言いたいのか、と問うほど俺は馬鹿でも無く、この女の言わんとするべき所が分かってしまった俺はまた唇を噛み締める。俺が何も言わないのを肯定と受け取ったのか、女は言葉を続けた。
「V様の願いと、X様の願い。その二つを叶える事の出来る方法を、W様はご存知です。……その自己犠牲の精神、私は好きですよ。とても」
 そう言ってアイツは俺の腕の間からすり抜けて行く。ああ、あいつの言葉は何処までも正しい。――だが、一つだけ間違っている。俺に背を向けるアイツの腕を三度掴んで、俺は思い切りその華奢な体を胸の中へ引き寄せた。ぐら、とその体は傾きいとも容易く俺の腕の中に納まる。
 何か、とでも言うようにアイツは振り返って俺を見た。そのすかした表情がまた癪に触って、俺は掴んだ腕へ思い切り力を籠めると僅かにアイツの顔が歪んだ。
「W、様」
「ふ、ざけんな。どうして俺が、テメェに勝手に決めつけられなきゃならねぇんだ。兄貴もVも俺には関係ねぇんだよ。俺が選んだ。俺が決めた。自己犠牲?笑わせる。この俺が、自身を犠牲になんてするとでも思ってんのか。だとすればテメェこそ手遅れの馬鹿だな」
 ハッ、と鼻で笑ってやる。勝手な想像を俺に押し付けるな。テメェの中で俺を自己完結させるんじゃねぇ。そんな事、この俺が許さない。
「雪」
「……W、様」
「テメェは俺のモンだ。俺が決めた。誰の為でも無く、俺の為だ。Vも兄貴も関係ねぇんだよ」
 通じない。噛み合わない。それが、何よりも腹立たしい。どうしてこの俺が兄貴やVの為にコイツを口説かなきゃならねぇのか。そこまで俺はお優しくも、自己犠牲の塊でもない。ただ、欲しいと思った。それの何が悪い。兄貴やVをどう解釈しようがコイツの勝手だが、俺の事だけは勝手に解釈して決めつけられる等到底認められるような事じゃない。
 後ろから抱き締めたまま俺は思い切りコイツの首へ噛み付く。犬歯が食い込むほどに力を籠めると、小さな悲鳴が零れた。
「ッ、……W様っ……!」
 じわり、とくっきり残った噛み痕から赤い色が滲む。揺らぐセピア色の瞳を見て、俺はざまぁみろ、と哂った。



【俺を見くびったテメェが悪い】(120513)

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