ZEXAL_dream | ナノ

 水の色

 熱に浮かされる、と言うのは今のような気分を指すのかもしれない。そんな事を頭の片隅でぼんやりと考えながら目の前の女を優しく押し倒す。まるで数刻前の、好青年の仮面を被っている時と同じ所作に自分でも驚く。まるで壊れ物を扱うように、決して床へ触れる背が痛まないように、出来る限り優しく――等と言うのは自分に一番似合わないだろうに。
 嗚呼、本当に熱に浮かされている。
 浴びるように飲んだ酒のせい、だろうか。そう考えて、きっと違うと思った。きっと恐らくは、組み敷いた女のせいだ。あんな風に優しい手付きでこの女が自分に触れるなど考えた事もなく、また有り得ない事だ。けれど今日のこいつは全てがいつもと違っている。俺の痣に触れて、綺麗だ、なんて。あまつさえその痣に、膝を折ってまで口付けるなんて。
(……あんま、煽るんじゃねェよ)
 口付けられた刹那、ぞくりと仄暗い熱が背を這った。そうして口付けて、俺を見上げる瞳にまた熱を覚える。抱き締めたい。抱き締めて、口付けて、そのまま熱を奪いたい。これが情欲で無くて、何だというのか。目の前の女が言うように確かに数刻前にファンだという女を抱いては来たけれど、その時とは違う感情が胸の内を支配する。ただの欲の捌け口ではなく、純粋に目の前の女が俺を欲する声が聴きたい。その瞳が潤んで、上気した頬へ口付けたい。
 込み上げる衝動をそのままに行動してしまうのは、酒のせいにしてしまおう。事実理性や思考がいつもより鈍っているのは間違いなく、これも全ては酔いのせいだと言えばきっとこの女は呆れはしても怒りはしない。――尤も、俺は今まで一度もこの女が本気で怒った場面など見た事が無いのだが。

 深く、深く口付けを交わす。全てを奪い去るように、舌を絡め、唾液を啜る。けれどいつまでも口付けだけを続ける訳にも行かないだろう。頬に触れる一方、もう片手で柔肌を隠すタオルに手を掛ける。触れる唇が離れると、不意に髪を引っ張られた。
「いッ……テメェ……!」
 今更抵抗するつもりか。そう紡ごうと睨むも、見下ろした先そいつはあのセピアの瞳でただ真っ直ぐに俺を見据えていた。そこには怒りも呆れもない。何だ、と思っていると口を開く。
「W様」
「あ?」
「甘い匂いがします」
 そう言って、こいつは俺の髪へ鼻を近づける。すん、と小さく香りを嗅ぐと何か納得したように頷いた。恐らくは先程抱いた女の残り香だろう。一応シャワーは浴びてきたが、帰り際名残惜しそうに抱き締められた。そのせいでまだ身体に香りが纏わりついているのかもしれない。だからなんだ、と思う。
「何だ、嫉妬でもしてんのか?」
「嫉妬して欲しいんですか?」
 ハ、と鼻で笑って言えばあっさりとそう返される。その余裕が相変わらず腹立たしい。キスまでしといて顔色一つ変えないとか何考えてやがる、こいつ。
 けれど女は無理矢理俺を引き剥がす事なく、押し倒されたまま――まるで情事の後の時間のように、俺の髪へそっと指を絡める。それから何か思考するように視線を彷徨わせ、言った。
「髪を洗いましょう」
「……は?」
「ですから、髪を。洗って差し上げますから、浴室へどうぞ」
 そう言って女は、横たわったまま頭上を指差す。示された先には、浴室の扉があった。



「W様、痒い所は御座いませんか」
「……無ェよ」
 有り得ない。意味が分からない。理解出来ない。
 湯の満たされたバスタブの中に浸かりながら思う。結局いつの間にか流されるまま風呂に入ってしまった俺にも有り得ないと思うし、つい先程の出来事など無かったように俺の髪を洗っている女に対しても意味が分からないと思う。
 何だ、あれ。俺に抱かれるのを避ける為の口実か?それとも本当は嫉妬していて、他人の匂いが落としたかった?いや、こいつの事だから単純に、本気で
「髪が汚れているので、そちらを綺麗にする方が優先かと思いまして」
 とでも……、……。
「……ってテメェは他人の思考でも読めンのか!?あぁ!?」
「そんな訳無いでしょう。逆切れはお止め下さい、W様」
 考えていたことをそのまま口に出された。ムカツク。顔を上げて睨みつけると、アイツは涼しい顔でそう答えた。
 ああ、くそ、そうかよ。俺に抱かれるより何よりそんな事が優先かよ。ふざけんな。
 思い切り罵倒してやりたいのに、口からは何の言葉も出ない。それが余計に腹が立つ。がん、と浴槽の縁を蹴っては見たものの、苛立ちが解消されることはない。
 アイツは何も言わず、ただ黙って俺の髪を洗っていた。一度シャワーで流すと今度はトリートメントを付ける。
「折角の綺麗な髪ですから、大切になさって下さいね」
 何処か優しい、柔らかな声。まるでVと話す時のような、姉のような、母のような甘い声がやけにくすぐったくて俺は顔を上げなかった。やっぱり、今日のコイツは何かおかしい。普段なら絶対に、俺には優しくしないのに。こいつの中で俺はVのように庇護すべき存在へと変わってしまったのだろうか。――何故だ?部屋を間違えたから?キスをしたから?分からない。確かなのは、俺がその変化を嬉しく思えないという事だけだ。
 Vのように、コイツの弟になんてなりたくない。勿論兄貴――Xのように兄のように振る舞いたくもなければ、トロンのように従うべき主にさえもなりたくなんて無かった。そんな、ありきたりで変化のない存在なんて死んでもお断りだ。頬に、額に、鼻に、指に、掌に、手の甲に、その場所にしか口付けを許されない存在なんて俺は認めない。
 噛み付くように、その赤い唇に口付けて。誰も触れたことの無い場所へと痕を残して。傷つけて、傷つけられて、刻まれた傷が疼いてどうしようもなくなるような、そんな存在。優しさも甘さも何一つ要りはしない。ただあるのは、形容の出来ないどろどろとした甘くて苦い、毒に似た感情。それだけで良い。それだけが良い。誰にも理解されなくて構わないのだから。

 もう一度髪をシャワーで洗い流す。その手を掴んで、俺は言った。
「テメェ、ムカツク」
 その言葉にアイツは少しだけ驚いて、それから少しだけ笑って答えるのだ。
「光栄です、W様」



【其処にある感情は、誰にも分からない】(120512)

prev / next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -