ZEXAL_dream | ナノ

 緋に囚われる

 体を洗い、シャワーを浴びて一日の汚れを落とす。シャワーの音だけを耳に聞きながら、こういう時は金持ちの家に務めているのも悪くないな、と思った。各自の部屋にある浴室は掃除するには面倒だけれど――と言っても当然のように掃除用ロボットが蔓延るこの世界では私が手ずから行う必要も無く、屋敷内の清掃に関しては私は全くと言ってやる事がないのだが――気兼ねなく風呂に入れるというのは良いものだ。
 使用人にしては、私はかなりの高待遇だと思う。トロンの部屋は別としても、V様達と私の部屋の大きさは大差ない。いや、実際に測れば違うとは思うのだがゲストルームの一つとして用意されていた私の部屋は、それなりに広く、それなりに豪奢だった。天井から釣り下がるシャンデリアは未だ見慣れない。
 それはともかくとして、この家の家主達は皆規則正しい生活を営んでいるようで、夜の10時を過ぎると呼び付けられる事は滅多にない。だからこそこうして真夜中にゆっくりとシャワーを浴びることが出来るのだ。唯一の例外はW様だが、彼は今日帰らないと言っていた。その言葉が一体何処まで信用性のあるものかは別として、真夜中に他人の香水を纏わりつかせて帰ってくる主をわざわざ出迎えてやる義理は無い。
 さて、そろそろ体も暖まったし寝る前にV様から借りたオーパーツについて書かれた本を読んで眠りに就こう。そう考えてシャワーを止め、扉を開ける。と、そこには。
「…………」
「…………」
 衣服を脱ぎ捨て、今まさに脱ごうとしていた様子で下着に手を掛けていたW様が居た。
「……W様。W様のお部屋は私の向かいです」
 思わず溜息が逃げる。軽く痛む頭を押さえるように額に手を当てるものの、いきなり目の前の出来事が夢だった――なんてことになる筈もない。この男は一体何度部屋を間違えれば気が済むんだろうか。W様はこうしてよく間違えて私の部屋にやってくる。とはいえ流石に風呂場で鉢合わせしたのは今回が初めてだが。
 いっそわざとだと言って欲しい。いや、恐らく半分位はわざとなのだろう。が、今日は本気のようだ。鉢合わせした瞬間の無言がそれを物語っている。珍しくほんのりと頬が朱に染まっている所を見ると、どうやら今晩はいつもより飲んできたらしい。未成年の癖に、とは思うものの言った所で彼は何も変わらないだろう。だが、私は言わねばならない。
 手を伸ばし、薄紅色の頬へ触れる。やはり少しだけ温かい。もう一度溜息を吐いて、私は言った。僅かに驚いたようにW様の目が見開かれる。頬よりもずっとずっと赤い、血のような色。
「W様、お酒を飲んだ後に風呂へ入るのは危険です。いくら飲んでも構いませんが、命に危険の及ぶ行為はお止め下さい」
 宝石よりも美しいその瞳を見ると、どうにもらしくない言葉を紡いでしまう。W様に対してストレートに忠告するのはあまり心躍らないのだが。と、急にW様に睨まれてしまった。ああ、やはり気分を害してしまったか――と他人事のように思っていると、次の瞬間顔に何か柔らかいものを叩きつけられた。
 ビックリしながら重力に従いずり落ちるそれを手に取ると、どうやらバスタオルのようだ。思わず目を瞬く。
「テメェは先ず隠すだの恥じらうだのあるだろうがッ!」
 ……どうやらこれで体を隠せ、という事らしい。訳が分からない。が、確かにこのままでは体が冷えてしまうだろう。好意に甘え、バスタオルを体に巻く。
「つい先程まで同じようなものを見たでしょうに……今更女性の体なんて僕見慣れません!止めて下さい恥ずかしいです!とかキャラの路線変更はどうかと思いますよ、W様」
「何処をどう捉えたらそうなりやがる」
 チッと舌打ちが聞こえた。どうやら私の適当な推理は外れたらしい。当たっていたら嫌なので安堵しておく。
「そうですか。いえ、まさかW様に女性を気遣う心が存在するとは思っても見なかったもので」
 肩を竦め、比較的素直に答える。ああ、それとも今晩抱いた女性の体付きが余程良く、私の体など見たくないという事だろうか。ならば納得出来るのだが。そう思いそのまま素直に尋ねてみると、W様の顔は見る見ると歪んでいった。
「馬鹿か、テメェは」
 これも違う、と。なら一体なんだというのだろう。まさか、と思い、一応浮かんだ幽かな可能性を問い掛けてみる。
「まさか、とは思いますが」
「あァ?」
「私の裸を見るのが恥ずかしかった、等とのたまいませんよね」
 口にした瞬間、拳が遠慮なく向かってきた。咄嗟に右手で受け止める。それから私は思い至った。
(そう言えば、タオル押さえてたのって右手だっけ)
 ぱさ、と音を立ててタオルが床に落ちる。W様はまた驚いたような顔をして、すぐに視線を背けた。全くらしくない。あまりにもW様らしくないので、私は仕方なく再びタオルを体に巻くと今度は落ちないようにしっかりと止めた。
 どうやらこれは大分酔っているらしい。普段のW様ならここまであからさまな言動はしないし、寧ろ私が嫌がろうとタオルをひん剥いて廊下に放り出すだろう。この場で吐いたり暴れたりしないだけマシだが、酔っ払いと言うのは厄介なものだ。どうせW様の事だから明日酔いが覚めてから今夜の事を思い出して頭を抱えるに違いない。
(――それはとても実に面白い)
 なんて馬鹿で可愛らしいんだろう、W様は。折角の就寝前の時間を邪魔されたのだから、多少意地悪をしても罰は当たるまい。
 相変わらず下着姿のまま顔を逸らしているW様の身体へ手を伸ばす。触れた肌は温かく、頬と同じように僅かに朱へと染まっていた。瞬間、W様が眉を顰める。私が彼の体に刻まれた痣に触れたからだ。其処彼処に残る紫の痕にゆっくりと指を這わせると、小さく彼の肩が震えた。
「ッ……おい、止めろ……!」
「お断りします。……私が付けた痕ならば、私が慈しんでも問題は無いでしょう?」
 痣を慈しむ、というのは聞いた事が無いが酔っ払い相手なので構わない、と思う。現にW様は然したる抵抗を見せない。一番真新しそうな紫の痕に唇で触れる。彼の肌には、痣以外の痕は一つもない。キスマーク一つ刻ませないW様が、私の刻む痣は甘んじて受け入れている。その事実がどうしようもなく、心地良い。
「綺麗」
「……ハッ、何処がだよ」
「全て、ですよ。お分かりになりませんか、W様」
「生憎と俺には自分の痣を眺めてうっとりするような趣味はないねぇ」
「でしょうね」
 く、と喉を鳴らしてW様が笑う。私は相槌を打つように笑う事もせず、彼の胸に、腹に、幾つもの痣に口付けた。膝立ちになり脇腹の痣へと最後の口付けを落とし、私は思う。
 ――ああ、本当に綺麗だ。私のつけた痣で、紫に、青に、黄色に、様々な彩に溢れた肌。彼の商売道具の一つとも言える顔や服から見える範囲には決して傷をつけないが、もし叶う事ならその端整な顔にも美しい紫を刻みたい。紋章ではなく、私の手で。血の赤と、瞳の赤。一体どちらがより美しいだろう。痛みに歪んだW様の顔はきっと壮絶な程に艶やかに違いない。殴って、弄って、痛めつけて、泣かせて、歪めたい。恐怖に歪んだ顔で懇願されたなら、私はきっとどんな願いでも叶えてしまうだろう。可愛い人。
 不意に、W様の手が私の頬を撫ぜ、そのまま後頭部へと添えられる。それからW様は片膝をついて私と視線を合わせた。血のように紅く、血よりももっともっと美しい瞳が私を捉える。縮む距離を享受すると、そのまま唇を重ねられた。いつもより熱を持った舌が私の唇を舐め、噛み付くように荒々しい口付けを交わされる。――口内に広がる甘い味はカクテルか、それとも先に抱いた女のものか。ふわり、と馨った知らない香りに、私はそっと瞼を閉じた。



<120509>

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