(仙蔵と伊作)
仙蔵は普段なら留三朗と伊作が使っているであろう長屋の壁に背中を預けて座り髪に櫛を入れていた。
文次郎と留三朗が問題を起こしたせいで、二人は普段、文次郎と仙蔵が使っている長屋に閉じ込められている。
どうやら文次郎と留三朗は明日まで長屋からは出して貰えない、らしい。
その為、仙蔵は留三朗と伊作が使っている長屋に泊まらざるを終えなくなった。
櫛を入れる乾きかけの濡れている髪は紫掛かった黒色で、仙蔵はどうしてこんな色なんだろうとため息を吐いた。
そっと戸が開く。
髪を拭きながら、気持ちよかったぁと言って長屋に入って来た伊作に仙蔵はすっきりしたか?と声を掛ける。
「うん、すっきりした」
伊作は笑って言うと仙蔵の隣に腰を下ろした。
「仙蔵」
「なんだ?」
「僕の髪もとかしてくれない?」
「いいぞ」
「やった!」
伊作が腰を上げていそいそと前に進み仙蔵より少し前の辺りに腰を下ろすと仙蔵はその後ろに回って伊作の髪に櫛を入れる。
柔らかくて、ふわりと揺れるその髪が仙蔵は好きだった。
「ふふっ、やっぱり仙蔵にやって貰うのが一番だね。前にやって貰った時から思ってたんだ」
「誰がやっても同じだろう」
「僕、自分でやるとどうしても絡まっちゃうんだ。…なんでだろ?」
「それは伊作が不器用だからだ」
「言ったな、このぉ!」
怒ったふりをして拳を作る伊作に仙蔵が悪い悪いと笑うと、伊作はよろしい、と座りなおした。
素敵な人だ、と思う。
こうして一緒にいるだけで胸の奥がほっと温まって、嬉しくなる。
それに比べて、自分は。
こんないい人と自分を比較して、勝手に落ち込んで、やきもちを妬いて。
どろどろとした感情は内に籠もり、仙蔵を腐らせていく。
自分の姿が醜く歪んでいるように思えて、伊作の髪に額を押し付けた。
「仙蔵?」
「…悪い」
「仙蔵、濡れちゃうよ」
「…」
伊作の肩がすとんと落ちて、それからすうっと呼吸に合わせて上がった。
「仙蔵、ちょっと離しなさい」
「…あ、わ、悪い」
仙蔵が慌てて身を離すと、伊作はくるりと身を反転させる。
うん、と満足そうに頷いてそれから、正面から仙蔵を抱きしめた。
「これでよし」
とんとん、と背中を叩かれて涙がこみあげてくる。
伊作の事、凄く好き。
そう思う。…なのに。
「…私な、伊作の事が羨ましいんだ」
「ん?どうして?」
「どうしてって、…伊作は優しいし、真っ直ぐでとても強くて」
「僕、強いかな?六年生で腕相撲しても誰にも勝てないよ」
そう言うんじゃなくて、と言うと、ごめんわかってる、と少し笑った。
背中を叩く一定のリズムが懐かしくて、胸の内がぽろぽろと零れてくる。
「…私は伊作みたいになりたい。こんな羨ましがってるだけの私じゃなくて」
う〜ん、と伊作が間延びした特有の唸り方をした。
汚い自分を見せてしまったことが悲しい。
伊作は少し首を傾げた。
「僕も仙蔵が羨ましいよ」
「え?」
仙蔵はどうして、と聞く。
ほらどうして、だ、と伊作が笑う。
「僕、力も体力も余りないから。皆と肩を並べて隣で戦える仙蔵が羨ましい」
「…伊作は手当てが上手いじゃないか。文次郎も留三朗も皆も頼りにしているぞ」
「仙蔵みたいに火薬や火器に詳しくないし」
「伊作は薬草に詳しいじゃないか」
ぎゅうぎゅうと抱きついて言う伊作の肩越しに仙蔵は言う。
「それに仙蔵の髪、羨ましい」
「…どうして?私は伊作みたいな髪がよかったのに」
「仙蔵はくせ毛の苦しみわかってない」
少し憎らしそうに言って、伊作は仙蔵の髪に指を滑らせた。
「真っ直ぐで、艶やかで。闘ってる時もしなやかで。綺麗だなぁってずっと思ってた」
指の間から流れた髪が、さらりと仙蔵の肩に落ちる。
仙蔵は伊作の背中に手を回した。
「私たちは羨ましがりあっていたん、だな」
「そうみたい」
ふふっ、とどちらからともなく笑いが零れる。
仙蔵の背中を撫でながら、だからね、と伊作は言う。
「仙蔵にしか出来ない事がいっぱいある。僕にしか出来ない事が、あるように」
「そう、だろうか」
「うん、…教えようか?」
「…自分で、見つける」
「偉いっ」
よしよし、と小さい子にするように頭を撫でられて、仙蔵は温かさに少しむず痒くなる。
私にしか出来ない事。
私がしたい事。
なんだろう、と思う。
「じゃあ、ヒントをあげるよ。仙蔵は文次郎たちになにをしてあげたい?」
その質問を頭の中でこだまさせる。
じっくり考えてから仙蔵は答えを出した。
「…支えて、やりたい」
伊作もそうなんだろう?そう聞くと、伊作はゆっくり首を振った。
「少し違う。僕は留たちを守りたい」
静かな声なのに、その言葉は凛と仙蔵の中に響いた。
「…伊作は、強い。強いな」
「そう?…じゃあ、どうして強くなれるんだと思う?」
わからない。
仙蔵は少し悩んで首をかしげる。
「ぶっぶーっ、時間切れ」
「答え、教えてくれるか?」
「しょうがないなぁ」
伊作が仙蔵の肩に頭を寄せ、囁く。
「仙蔵の事も、守りたいから」
優しすぎる響きに、仙蔵はいたたまれなくなって、どうしようもなく愛おしくて。
伊作の背中を強く抱いた。
「いたたっ。仙蔵、ちょっと強過ぎ」
「あ、わ、悪い!」
慌てて体を離すと、伊作が背中を押さえながらふう、とため息を吐いた。
悪い、と仙蔵がもう一度謝ると、馬鹿力だな、と伊作に茶化された。