「代償」-1P
小説「代償」2016年改版
「お誕生日おめでとうございます。月君の家に行きたいです」
会話に気乗りしない僕の無愛想な態度など一向に構わず、竜崎は普段は口が裂けても言わないそんな言葉を易々(ヤスヤス)と口にした
二人で来たことのある喫茶店
そして大抵、その時一緒に座ったこの人目のつかない奥の席に僕がいることを竜崎は知っていた
僕は腰掛けたまま、背後に立つ竜崎を振り返ることもせずに読みかけた本をバタリと閉じた
「ダメ。」
簡潔な断りに、丸い目を瞬かせる様が浮かぶ
「どうしてですか?」
「どうしても。大体おめでたいなんて気持ち、お前には微塵(ミジン)もないくせに」
僕は呆れたように淡々と事務的に応対した
「月君、月君」
心に潜めた意図を感じとろうとするこちらの嗅覚を麻痺させるような甘えた声
こいつの性格は僕が誰よりわかっている
大好物をねだる時、竜崎は普段完璧なあらゆる防衛線をいとも簡単に投げ出した
「ライト君、チョコレート欲しいです」
後ろから僕の肩に顎(アゴ)を乗せ、かつてない至近距離で訴える
今年もバレンタインデーに、例年通り大量のチョコレートを貰い僕がそれを持て余していることも、僕が甘いものをあまり食べないことも、竜崎はよく知っていた
他の男が勝ち取ったその余剰物が欲しいという
「お前には男としてのプライドがないのか?」
「そんなものありません」
「ああそう、そういう時だけな」
まったく
甘味が自分の世界の全てと言わんばかりだ
滑稽(コッケイ)にすら映る愚かなその行いを疎(ウト)みながら、僕は肩越しに聞く竜崎の呼吸音で同時に救い難いほどに卑猥で、あるまじき想像に思いを巡らせた
「キスさせろよ」
肩に顔を乗せていた竜崎を、僕は唐突に振り返った
「……」
竜崎は意外に驚きもせず黙って立ち、告げた僕を観察するような目で伺った
「… したら自宅にあるチョコレート、全部くれます?」
「あの量を?…はは。食べれるものなら、全部食べてみろよ」
いける、と僕は思った
今なら竜崎に触れることができる
判断して僕は椅子ごと竜崎に向き直り、手を伸ばしてその体を強く引いた
「あ」
反射的に漏らして膝に馬乗りになった竜崎と視線が合い見つめ合う
瞬時に放つ雰囲気を切り替え表情を削いだその顔に僕は手を添え、目の前の唇を憧れにも似た眼差しで見つめた
「あのですね…私とのキスはそんなに安くありませんよ」
静かに低く、大人の余裕を垣間見せる
僕はいつでもあっという間に、竜崎が予告なしに放つ謎に満ちたこの気配の虜になった
「今日はあなたの誕生日。お母さんと粧裕さんが自宅で作るケーキ、それにミサさんが焼いて持ってくるだろうお菓子も上乗せし…」
「黙れよ」
よく喋る竜崎を途切って僕はその繊細な唇に優しく口づけた
よく食べるくせに極限まで削がれたその腰を腕で包囲し、逃げ場を絶つ
まるで今まで口にした甘味が滲み出でもしているかのように竜崎の唇は甘く感じられ、僕は心を震わせた
忙しい外界など置き去りにして、無二の高濃度な蜜を飢えたその口で食む
「ちょ……月君、」
際どい体勢と強引な求愛に竜崎は身をよじった
「はい、おしまいです。代償の支払いはここまで」
竜崎は顔を反らし、僕の行為にストップをかけた
「もう?こんなのじゃ全然足りないな」
「舌まで入れておいて、文句言わないでください」
思わずこぼした本音に約束は約束と立ち上がり、僕の手を掴んで、いそいそと落ち着きなく場を去りたがる
「月君早く、早く行きましょう…!チョコレートとお菓子が待っています」
「まったくお前は…」
僕は言いながらも、その手が放れてしまわないように握り返して席を立った
いつか
代償などと呼ばずに、愛しているという言葉と共に僕にくれないか
お前の巧みで高潔な、その甘い口づけを
「代償」加筆修正版
2017.2.14
Fin.
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