いつか羽ばたく未来の翼たち
「兄さん、『今日の夕食は俺が作るから何もするな』って朝に言っただろ」
ぎろっと睨まれてたじろいだ。こいつ、父さんに似て目付きが怖いから迫力があるんだよな。
オレは鋭い眼光と机の上の惨状から目を背けながら、
「あー、確かにそう言われたけど、お前忙しそうだったし? それにほら、今日はマシな出来だぜ? なぜかもっちゃりした食感だけどな」
「食材に対する冒涜だと思う」
吐き捨てるようにそう言って、オレがせっかく作った料理もどきを鍋へ戻した。作り直すつもりらしい。オレ、頑張ったのに。
近くの椅子へ腰を下ろして何もなくなった机へ上半身を倒せば、ため息が出た。
「……何でだろうな、オレは父さんや母さんやお前と違って掃除は下手だし洗濯も好きじゃないし料理まで上手くないって」
「さあ?」
心底どうでもいいというように返された。割と真剣だったのに、ひでえ。
火の爆ぜる音を聞いていると、これなら最初から何もしない方が良かったかもしれないと思う。オレなりに気を遣ってやったつもりだったけど、こいつの手間を増やすことになった。
そんな風に考えていると低い声が耳に届いた。
「……昔、俺たち二人、遊びに行った山で遭難しただろ」
「うわ、懐かし。お前よく覚えてるな」
「あの時、兄さんが捕まえて作った鹿鍋は美味しかったのに」
「料理ってより解体だけどな。そういうのは好きなんだよな、オレ。外で何か作るなら身体が勝手に動くというか」
「家の中でも同じようにすれば?」
「無理」
「それじゃあいつまで経っても――」
断言すれば呆れたように顔をこっちへ向けて、
「……兄さん、何それ。汚ねえ紙」
オレの手元へ視線を落として、目を眇める。
「ん? これか? 街で配ってた手配書。白昼に一般人ばかり狙ってナイフで滅多刺しする凶悪犯だってさ。都市伝説にある《切り裂きケニー》みたいな?」
「《切り裂きケニー》は憲兵しか殺してなかっただろ」
「あー、そうだっけ?」
何となく時計を確認する。昼下がりの午後。
「父さんたち、今頃何してるかなー」
今日は二人で朝から出かけている。母さんは四人で一緒に行こうって誘ってくれたけど、無言の父さんが母さんと二人で行きたいオーラ全開だったし遠慮した。
最近『倦怠期』って言葉を覚えたけど、我が家には無縁だと思う。父さんが母さんを好き過ぎる。
昔は何で父さんが母さんを好きになったのか不思議だった。母さんは兵士でもない、普通の一般人なのに。でも、わかったんだ。つまり、関係ないんだってこと。母さんが地下街の人間だろうと貴族だろうと王族だろうと父さんは好きになっただろうって。
並んで出かけて行った今朝の二人を思い出して、つい頬が緩んだ。気恥ずかしくなるしたまに呆れることもあるけれど、悪くない。
「だけどさ、オレ、お前はついて行くんだと思ったけどな。昔から母さんを父さんと取り合いしてるし」
「――もう子供じゃないんだから、そんなことしない」
そのうちオレが作ったものとは段違いの香ばしい匂いが漂った時、玄関の扉を叩く音がした。結構荒っぽい。誰だろうな。来客の予定はないし、配達か?
とりあえず立つのが億劫で居留守を決め込んでいたら、玄関へ向かう足音がした。ほっときゃいいのに。
「はい、何かご用で――」
言葉が途切れた違和感に玄関へ顔を向ければ、そこにはさっき紙で見たばかりの顔があった。つまり手配書の顔――刃物を振りかざす男がいた。
「!」
次の瞬間、床を蹴ったオレは一気に距離を詰めて、男の前で完全に硬直している背中へ手を伸ばし、襟首をつかんで後ろへ突き飛ばした。
位置が入れ替わり、今度はオレが凶刃の前へ。
「兄さん!?」
珍しいな、こいつがここまで大声出すの。
自分でもびっくりするくらい冷静にそんなことを考えながら、目の前の鈍い光を見据える。
まずいな。このままだと振り降ろされるナイフは避けられない。
でも、こんな時、どんな風に身体を動かせばいいか――『わかる』!
「はっ!」
両手を鋭く合わせて――白刃取り!
素早く横に逸らして、切っ先をずらす。そこで今度は相手の手首をつかんだ。外側へ捻って、相手が体勢を崩しかけたところで側頭部を鋭く蹴っ飛ばした。倒れてからすかさず背中を押さえつけて、両手も締め上げて拘束する。
「ロープ!」
叫ぶと同時に飛んできた。前に習ったやり方で両手両足を縛り上げてから外へ出て、非常事態を知らせる煙弾を空へ撃つ。
少ししてからたまたま調査兵団へいたらしいナイルおじさんとハンジさんが部下の人と来てくれた。ナイルおじさんは顔面蒼白だったけど、オレたちの無事を確認するとほっとしてから、大きくなったなあとお決まりの台詞でオレたちの頭を雑に撫でた。
「無事で何よりだけど、本当に大丈夫? リヴァイとリーベに早馬出して帰って来てもらう?」
ハンジさんの言葉に、
「しなくていい」
「絶対にやめて」
オレたちは全力で拒否した。
手配犯を引き渡して駆けつけてくれた全員が帰って、疲れたなあと欠伸をしていると、
「一瞬だったんだ。動けなくなったのは。次の瞬間には動けたんだ。でも、その時はもう兄さんに後ろへ引っ張られてて」
訥々と語る声に、オレは肩をすくめる。
「助かったよ、すぐロープ投げてくれて。まあ、お前はちょっとだけ突発的なことに弱いだけだから気にするな」
「それ、致命的な弱点だと思うけど」
何を言っても仕方ないかなと思って、話をずらすことにした。
「今回巻き込まれたのが母さんじゃなくて良かったよな」
「母さんならゲデヒトニス家の人たちが守るんじゃないの」
それもそうかとオレが納得していると、思い出したような声を上げる。
「そういえばアルトおじさん、結婚するって」
「へえ、そりゃめでたいな」
「利害が一致する人がいたとか」
「いかにも貴族って感じの考え方だな」
「別にどうでもいいけど」
「そんなことねえだろ。父さんに何かあれば頼る家だ」
「必要ない。俺たちもそこそこ大きくなったし、母さんだって子供じゃないし」
そう言いながら台座を運んで戸棚の上にある救急箱を出した。そのままオレの前に来て、箱を開ける。
「何だよ」
「兄さん、さっきナイフ捉えた時に手のひら切っただろ」
「……ばれてた?」
確かに薄く切れていた。誰にも悟られないようにしてたのに。
「ほら、やっぱり」
「あ、鎌かけやがったな」
思わず舌打ちすれば、
「兄さんは嘘と隠し事が巧くて狡いから」
「舐めたら治るって」
「手当した方が治る」
「包帯は母さんが心配するから嫌だ。やっとオレたち二人置いて外に出る気になったのに。それに母さんが心配した分だけ倍化されて父さんに叱られるし――」
「これくらいなら包帯するほどじゃないだろ」
「じゃあ、まあ、消毒くらいなら……」
されるがままに手当を任せてそれが終わったら、机に料理が並べられた。オレが作ったのと全然違う。違いすぎる。すげえ。母さんの料理もすごいけど、目の前にあるのもすごい。こいつ、腕上げたな。
「どうかした?」
「へ?」
「兄さん、笑ってたから」
「ああ――」
生きていると腹が立つこと、気にくわないこと、面倒だなと思うこと、山ほどある。
毎日いいことばかりじゃねえけどさ。
でもさ、それでも。
「幸せだなって思っただけ」
窓の外を見れば、どこまでも青い空が広がっていた。
「あの子たち、今頃どうしているでしょうね。二人だけで大丈夫でしょうか」
「何かあれば兵団から早馬が来るだろ」
「早馬が来る頃にはもう『何か』があった時でしょう」
「心配しても仕方ねえだろうが」
「でも……」
「リーベ」
「はい、何か――」
促されて視線を向けたら、言葉が出なくなった。
そのまま私が目の前の風景を眺めていると、
「どうだ?」
問いかけに仰げば、静かな瞳が私を見ていた。
「世界は……とても、広かったんですね……こんな場所があるなんて……」
言葉にならない。どうすればこの想いを伝えられるのかわからない。
「……胸が、いっぱいです。――あなたと来られて、良かった」
頬を撫でるような風の感覚に、そっと目を閉じて、次に考えるのはかけがえのない宝物のことだった。
遠くを眺めて、想う。
「あの子たちにも、見せてあげたい。この景色を」
「見ようと思えばすぐに見られる。あいつらはもう、望めばどこへでも行けるからな」
「……そうですね、どこへでも……。少し、寂しいですけれど」
すると、優しくて力強い手が触れた。私の隣にいることが確かなものだと証明するように強く握られる。
そのことが嬉しくて、幸せで、自然と頬が緩んだ。
「――ありがとう、あなた」
私と一緒に生きてくれて、ありがとう。
これからも、この愛しい世界で、あなたと一緒に生きられますように。
大空の英雄と地上の小鳥-後日談- 了
(2017/04/25)
(2017/04/25)