Levi
昔の夢を見た。近頃は見なかった夢だ。考えれば当然か。――すぐそばにリーベがいたから。
つまり、何だ。
あいつがいねえからあの頃の夢を見たのか?
そんなことを考えながら目蓋を押し上げる。浅い眠りから目覚めた。誰もいない家の中で。
「…………」
貴族屋敷で育ったリーベの行く当ては多くないはずだ。結果、俺が訪ねられる当ても少なかった。単に俺が知らねえだけの話かもしれねえが。
念のため地下街へ向かっても当然無駄足に終わった。だから帰って来た。誰もいない家へ。そのうち座ったまま寝ていたらしい。リーベの小さな手で丁寧に掃除された空間でもあいつがいねえと物足りない気分になる。
『あなたのそばにいます』
『「ここ」にいます。どこにも行きませんよ』
『ずっと、一緒にいたいです』
『いつも、とても幸せですから』
リーベの言葉を思い出すだけで込み上げる感情があった。それはやわらかく、あたたかい。
「…………」
だが今はそれよりも本人がここにいることを強く求めてしまう。
リーベはどこへ行ったんだ?
『もしも浮気を疑っているなら彼女もまだまだ若いし尊重してあげたら?』
仮にもしあいつが他の誰かに惚れたとして、俺との生活を壊すほど愚かじゃねえだろ。そいつと俺の二重生活を成り立たせようとする馬鹿でもない。そう思いたいだけじゃねえかと言われたらそうかもしれない。それでも絶対に違う。ハンジが話していた倦怠期にも当て嵌まらない。リーベは俺が不在の間に家を空けているだけで俺に対して疎むことも避けることもしてねえからな。
だとすれば何かを隠しているのか?
『ある病にかかった奥さんが治療の甲斐なく残りわずかな寿命を悲嘆した末に失踪して――』
ニファの言葉を思い出して目の前がまた暗くなる。
リーベは兵士じゃねえから死とは無縁の場所にいると思っていた。だがそれは間違いだ。生きている人間はいずれ死ぬ。早いか遅いかの違いだけで壁の内側に居ようと避けられることにはならねえ。
疲弊しているくらいしか気づかなかったが、それが病状だとしたら?
病に対して出来ることは限りある。俺は医者じゃねえ。
「…………」
もしもリーベが一人どこかで苦しんで泣いていたらと考えると、思わず強く拳を握ってしまう。
「……リーベ」
お前の名前を呼ぶ度に、俺は教えられる感情があるんだ。
それを失いたくない。
『君は結婚しただけで彼女を手に入れた気になっているんだ?』
あいつの言葉が意図したことはわからねえが、リーベのすべてを手に入れることは出来ない。何をどうしても不可能だ。それはわかっている。
だから、せめて――
「!」
その瞬間、家の前に立つ気配にはっとした。即座に立ち上がる。もうわかった。そこにいるのが誰なのか。
わかっていても確かめずにはいられなかった。外から鍵の回る音と同時に俺が先に扉を開けた。
「わ、リヴァイさん?」
予想通りだった。リーベだ。勝手に開いた扉と俺を見て目を丸くしている。
気が付くと抱き締めていた。細い首筋に顔を埋めていた。
自分の身体が思い通りにならねえことは今までなかったのに。
どんな時も自分の身体を把握出来ていたし、それを活かして生きてきたのに。
それが今は無理だった。
腕の力を抜けねえ。リーベを離せない。力加減も難しい。
リーベは俺の行動に戸惑いながら、
「お、遅くなってごめんなさい、今日はお帰りが早かったんですね。――食事にしますか?」
「…………」
「リヴァイさん?」
昔の夢で思い出した。何も知らねえまま失うことになるのは二度と御免だ。
そもそも、何も知らずに現状が改善されるわけがねえだろ。
どんな答えだろうと聞く覚悟は出来た。躊躇いも不安も捩じ伏せた。
「……リーベ。お前、どこに行ってたんだ」
強い意思で訊けば、リーベはあっさり答える。
「憲兵団師団長ナイルさんのご自宅です」
「……ナイル?」
何であいつの名前が出て来る。
抱きしめた状態のまま顔だけ離してリーベを見下ろせば説明が始まる。
「はい。奥様のマリーさんが――」
そいつが三人目を孕んでから調子が悪いらしい。家仕事以外にもガキ二人の面倒を見るには難しいからその手伝いに行っているとのことだった。
「…………」
だが、それがどうした。だから何だ。納得出来ねえ。
「お前がしゃしゃり出る義理はねえだろ。あいつの家なら金がねえわけじゃ――」
「それは、その……」
リーベの顔が赤い。何を照れているのか不思議だった。
「私には親がいませんし、ゲデヒトニス家にはお子様がいなかったので、子供を育てることがどんなものかわからなくて。使用人の中でも私が一番幼かったんです。それで、子育てについて勉強したくてお手伝いさせてもらっていました」
「…………」
そんなことをする理由を考えてから、俺は視線を下げてリーベの腹を見る。
「……ガキが出来たのか?」
確認すればリーベは慌てて首を横へ振った。
「いえ、あの、まだですけれど。ええと、子供を育てるって簡単なことじゃないと思うので、だから勉強を――」
「そんなことしなくてもお前ならうまくやるだろ」
すると困ったようにリーベが笑う。
「買いかぶり過ぎですよ。私、家仕事なら一通り出来ても子育ては素人です」
誰だろうと最初は素人だ。そう言いかけて、やめた。もしガキが生まれたとしたらリーベに任せることになるだろうし、無責任なことを口にするわけにいかねえ。
今まで一度もガキについて考えなかったと言えば嘘になる。だが、リーベほど真剣に考えてはいなかった。これが男と女の違いなのか、単にリーベが真面目に考え過ぎているのかはわからねえが。
何にせよ、
「それくらいさっさと言え。心配したじゃねえか。日中ほとんど家を空けるわ夜はすぐに寝るわ――」
つい咎める口調になればリーベが済まなそうに頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。まさかそんなに色々気付かれていたなんて……でも、だって、あの……」
「何だ」
「一人で先走って張り切ってるみたいで、恥ずかしくて」
それまで赤かった頬がさらに赤くなる。目も普段より潤んでいた。
「…………」
リーベのこういった顔を見る度に思うことがある。
こいつは可愛い。表情も仕草も何もかも。だから愛しくて、たまらなくなる。
笑った顔をいつまでも見たいと思うし泣き顔も実は好きだ。熱心に掃除する姿も抱きしめたくなる。こいつが淹れた紅茶の味がいつも恋しい。
心の在り方も、俺が慈しみたいものすべてがリーベにあると思えるから、隣にいるだけでどうしようもないほど胸が満たされる、最初は戸惑ったこの感覚が今は心地良い。
だから何でもしてやりてえのに、こいつは多くを望まないから。
それが時々もどかしくて仕方なくなる。だが、それがリーベだ。
「……身体の負担になることは止めろよ。最近お前、疲れ溜め込んでるだろ」
せめて望みがあるならそれを叶えたい。
俺の言葉にリーベは安堵してから嬉しそうに頷いた。
「わかりました、気をつけますね」
幸せそうな笑顔だった。
それを見た瞬間、呼吸を忘れた。心臓も一瞬止まったような感覚に陥る。
「リヴァイさん? どうかされましたか?」
「……何でもねえ」
なあ、リーベ。
お前が兵士なら自由の翼を背負ってどこまでも行っちまうんだろう。前からそう思っていた。だが翼なんかなくたってお前はどこにだって行くんだ。自由にどこまでも。――俺はそれを知ってる。同時にそれを恐れていた。
だが、もしも帰ってくることがなければ、俺が迎えに行けばいい。前に貴族野郎の家まで行った時のように。たとえそこが壁の外だろうと俺は行くから。あの地下街から地上に出ることも出来たんだ。不可能じゃねえよ。
何でここまでリーベに惹かれて必死になっているんだと昔の自分なら思うだろうな。だが、時間が経てばそいつにもわかるだろうから俺は何も言わない。
「ところで言い忘れていましたね」
「何だ」
「ただいまです、リヴァイさん」
ああ、そうだな。お前は戻って来てくれた。俺のいる場所へ。
「――おかえり」
柔らかい頬を包むように撫でれば、一層感情が高まるのがわかった。
「リーベ」
抱きしめていた腕に力を込めて、顔を近付ける。その時になって貴族野郎から何か届いても開けずに返送するように言う必要があることを思い出したが、後回しにしようと決めた。
「あ、そういえば」
鼻先だけが触れ合った瞬間、何か思い出したようにリーベが口を開く。諸々に雪崩れ込もうとした矢先に止められた。
「私たちに生まれるのは男の子が二人だそうですよ。長男は母親似、次男は父親に似るらしくて。『父親と次男が母親を取り合ってたら遠くへ遊びに行ってた長男が帰って来て母親に抱きつくような家族になりそう』ですって」
「……何だ、その情報は」
とりあえず今日も凝って編んであるリーベの長い髪をほどきながら怪訝に思っていると、
「ウォール・シーナに有名な占い師さんがいるでしょう? その方に言われたんです。あとは生まれてからのお楽しみですって」
よくわからねえ話だ。
だが、その妙な占い師にわざわざ言われるまでもなくわかることがあった。
俺とリーベはこれからも一緒に生きていくということだ。
(2016/07/25)
-----原作沿い礼拝堂地下編突入直前記念