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もうすぐ昼食の時間かという頃、無礼な客が屋敷に現れた。前触れもなく突然のことだ。こちらの都合というものを考えて欲しいよ。僕だって暇じゃない。事前に予定を確認して、会う日時を約束してもらわないと。だからこんな風に突然訪ねられても困る。追い払っても良かったが次期ゲデヒトニス家の当主としてそんな狭量な人間でありたくはないので仕方なく迎えてやった。
「一体何の用かな? ――聞くまでもないか。君が一人でここへ来るなんてリーベに関すること以外ありえないだろうしね。僕としても彼女の話じゃなければ早急に帰ってもらうし」
リヴァイ兵士長は苦虫を噛み潰したような顔をして僕を睨んだ。来たくて来たわけじゃないことがありありとわかる。
崇め奉れとは言わないけれど、この態度を見ていると少しは敬意を払ってもらいたい気持ちになる。調査兵団への出資分を別のところに回したいよ。ゲデヒトニス家の資産からすれば微々たるもの、目くじらを立てる額ではないとはいえ有意義に使いたい。まあ、今すぐ考えなくてもいいか。
やがて口を開いたリヴァイ兵士長によると、最近リーベが日中の時間帯になると家を空けているらしい。どこへ出かけているのかまるでわからないという。
「単に君との生活に嫌気が差して出歩いているだけかと思うけれど」
「それは違う」
その自信はどこから出て来るんだろう。
「根拠のない自信ほど愚かなものはないと思うよ」
僕の大事な女の子、純粋で真っ直ぐなリーベは一体この男のどこに惹かれたのだろうと心の底から首を捻っていると、
「リーベがどこにいるかお前は知っているはずだ。何せ俺がいねえ時はあいつを常に張ってやがるからな」
ゲデヒトニス家で働く人間には二通りある。以前のリーベのようなメイドといった屋敷仕えの表側と《王の火薬庫》として間諜など秘密裏に、時に武力を用いて動いてもらう裏側。
隠密行為に相応しい裏側の人間をリーベには付けていた。
これくらいはとっくに気づかれているだろうと思っていたので認めるが、言い方が気に食わない。
「見張っているわけじゃない。見守っているんだ。先日の《貴族専門何でも代行人》のようなことはもうないだろうけれど念のため」
それに実は人気なんだよね、リーベの護衛って。いつも男女一組で組ませていたらこれまで任務に着いた彼らは72%の確率で恋人同士になっているらしい。仕事を疎かにされると困るとはいえ恋愛禁止を強いているわけじゃないから自由にさせている。
「どちらでもいい。やっていることは悪趣味に変わりねえ。……だがお前はリーベがどこで何をしているか知っているな?」
「まあね。ここに書いてあるけれど読む?」
「…………」
最近の報告書を差し出せば、相手はわずかに躊躇してから開く。しかし中身を確認するなりそれを机へ叩きつけた。一連の動作が滑稽で笑ってしまう。
「馬鹿だな、暗号化して関係者しか読めないようにしてあるに決まってるじゃないか」
声に出して笑えば射抜くように睨まれた。僕はその程度で怯む臆病者じゃないのに無駄なことを。
「教えないよ。どうして君に教えなければならないんだい? ――少なくとも危険な目に遭ったりはしてないから安心するといい」
報告書を戻し、カップを手にとって口をつけた。自分の領地で採れた茶葉は馴染みがあって飲みやすい。同じものをリヴァイ兵士長にも出しているが、彼が手を出す気配はなかった。別に身体に悪いものは入れてないのに。
「俺は、あいつが一人で何か抱えているんじゃねえかと思って――」
「悩みや秘密が一つもない人間ってなかなかいないと思うけれど」
まさか、結婚したんだからリーベの何もかもを知ることが当たり前だとでも思っているのだろうか。だとしたら狭量な男だ。
僕だってリーベの心の中まではわからないのに。
そこで目の前の男が何を案じているのか想像してみた。
「もしも浮気を疑っているなら彼女もまだまだ若いし尊重してあげたら?」
「リーベは浮ついた女とは違う」
「知ってるよ。だからその場合、君に非があることは間違いないから肝に銘じておくことだね。リーベは何も悪くないし間違ってない」
浮気を疑っていないなら何を心配しているんだろうと考えているうちに相手は席を立つ。
「……まあいい。今回の件にこの家とお前が絡んでいないことがわかっただけで充分だ」
そして足早に扉へ向かった。せっかくこちらが時間を作ってあげたのに礼も詫びもない。礼儀は強いるものではないとはいえこの態度は如何なものか。
せめてリーベに伝言してもらうことにしよう。
「今度リーベに贈り物をするから受け取るように伝えてくれないかな」
「……何を渡す気だ」
足を止め、不機嫌そのものの声に対して僕はにっこりと笑って見せた。
「指輪をあげようと思って。あの子はひとつも持ってないだろう? どれが似合うかと考えたら――」
「ふざけるな」
地を這うような声。そして大概の相手を怯ませる視線だろうが、僕は動じてやらない。
「それはこっちの台詞だよ。結婚したのに指輪のひとつも贈られていないなんてかわいそうだと思わないのかい? 既婚女性の嗜みだよ、嗜み。嘆かわしいったらないね」
「お前の物差しで測るな」
「いくら財政難の調査兵団でも給料は支払われているはずだろう?」
「金の問題じゃねえよ。……指輪は、あいつがいらねえって言ったから――」
謙虚だなあ、可愛いリーベは。
そして馬鹿だな、リヴァイ兵士長は。
指輪くらい贈ってあげたらいいのに。
「じゃあ君はリーベに言われた通りにしていればいいじゃないか。僕はそんなこと言われてないから何をあげようと僕の勝手だよ」
すると相手は不服そうな顔になる。愉快な気分だと思っていると、
「なあ。お前、本当はリーベに惚れてねえだろ」
リヴァイ兵士長が唐突にそんなことを言った。僕は首を傾げる。
「おかしなことを言うね。人が人を愛する形に決まりなんてないだろう?」
「そうだとしても妙だ。違和感がある。あいつがもう結婚して自分のものにはならねえのに護衛なんざ付けたりまだ執着する姿勢が理解出来ねえ」
「――君は結婚しただけで彼女を手に入れた気になっているんだ?」
唇の端が自然と吊り上がるのがわかった。
「……何がおかしい」
「いや、何でもないよ」
怪訝な表情になった相手を前に軽く手を振って、少し考えた。
「でも、君が次の壁外調査で死んでくれたら、僕がリーベと結婚出来る余地はまだあるんじゃないかな。いくら人類最強と呼ばれていても不死身ではないだろうし」
話を置き換えようとしても向けられていたのは探るような眼差しだった。
「――お前はリーベの『何』が欲しいんだ?」
「…………」
僕がリーベに何を求めているかだって?
そんなこと――
どうして『お前』に話さなければならないんだ。
「一番欲しいのは、あの子の幸せだよ」
リーベ。
生きていてくれるだけでいい。
幸せでいてくれるなら充分だ。
少なくとも『僕』にとっては。
リヴァイ兵士長が部屋を出てからすぐに指を鳴らして執事を呼んだ。
「現在の護衛組へ連絡を取れ。彼女が今どこにいるか、それだけでいい」
「かしこまりました」
命令すれば執事は素早く立ち去った。直に戻るだろう。
窓の外を眺めると、晴れた空が広がっていた。鳥が何羽か北へ飛んでいく。
最近はレイス家の動向が気になる。だがもうウーリおじさんはいないし、ロッドおじさんは何かあればその場しのぎに手近な人間を利用するだけの無能だから心配ないだろう。あの人、もう少し考えて行動すればいいのに。
そんなことを考えるうちに執事が戻って来た。最速の伝達手段を使ったのだろう。リーベの居場所を簡潔に話す。
「――どうされますか?」
またそこにいるのかと思った。ここ最近ずっとだ。しかし心配するようなことはなさそうだった。
「何もするな。その家なら問題ない」
「かしこまりました」
執事が部屋を出て、一人になる。
それにしても――
「リーベはどうしてそんなところにいるのかな?」
(2016/02/10)