夕食
昼前から作り始めて煮込んでいたシチューに最後の一手間を加えていると、食堂に三人の兵士さんがやって来た。
リーゼントに必要な髪の量はどれくらいだろうと見ていればぎろりと睨まれる。
「何だよ」
「いえ、何も……」
「聞いたぜ? リヴァイ兵長と結婚した相手ってのがお前なんだろ?」
「はい、そうですが……」
リーゼントさんがじろじろと私を上から下まで眺める。正直あまり良い気分ではない。
「へー、ほー、ふーん、お前みてえなちんちくりんが兵長の奥方だとはとても信じられ――あだっ!?」
「初対面の相手に失礼なことを言うもんじゃないよ」
リーゼントさんが飛び跳ねる。男性か女性かわからない中性的な兵士さんが向こう脛を蹴っ飛ばして黙らせたのだ。
私が目を丸くしていると、髭を生やした兵士さんがやれやれと息をついてから口を開く。
「邪魔して悪いな。跳ねてるのがゲルガー、黙らせて席を取りに行ったのがナナバ。俺はトーマだ」
「いえ、あの、私はリーベと申します」
聞けば皆さんはミケさんの班員らしい。分隊長の班ならばさぞや精鋭なのだろう。
「いってえな! 何しやがるナナバ!」
だがしかし本当に精鋭なのだろうかこの人は。ええと、ゲルガーさんだっけ。
「俺は思ったことを言ったまでだ。見てみろ、こいつガキじゃねえか」
するとトーマさんが呆れたように嘆息して、
「お前は身長で判断してるだけだろう。確かに若いが落ち着いた女性だ」
「そうかあ?」
「ええと、夕食の用意をしますね?」
「おい待てよ、話は終わってねえぞ」
夕食を出そうとすれば、ぐいっと三つ編みを引っ張られた。ゲルガーさんだ。乱暴な力ではないけれど地味に痛い。なぜこんな目に遭わなければならないのか。
「あの、放して下さい」
「引っ張りたくなるような髪をしているのが悪い」
「や、そんなこと言われても……」
つい眉を寄せた時、選んだ席に腰を下ろしていたナナバさんが立ち上がった。何度も助けられるのは忍びないと思っていると、今朝聞いたハンジさんの言葉がよみがえる。
『困った時に床へ落として、ぎゅっと目をつぶってね』
指先がポケットに入れっぱなしだった『それ』に触れた。
何が起きるのかわからないけれど、今は『困った時』だ。
私はポケットから取り出した小さな卵に似たものを手から離す。それが床へ落ちる前に指示通り目を強く閉じた。
すると――
「ぎゃあああああっ」
ゲルガーさんの叫び声が聞こえたので慌てて目蓋を上げる。
「目が、目があああ!」
顔を押さえてのたうち回る姿に私はぎょっとした。
「え、えっ? あの、一体何が……」
何が起きたのだろう。わからない。落としたものはきれいさっぱり消えている。わけがわからない。
床を転がるゲルガーさんに私が距離を置いていると、
「さっきのはハンジが発明した護身用グッズ。昼夜問わず強い光を発して不届き者の目を一時的に潰すのが目的らしいよ。効果は抜群だね」
落ち着いた解説はナナバさんによるものだった。いつの間にか私のすぐそばに立っている。
「ええと……ナナバさんとトーマさんは大丈夫だったんですか?」
「ああ、『これ』のこと知ってたから。だから君と同時に目を閉じた」
「ごめんなさい、私、どういうものか知らずに――」
使い道を間違えたと申し訳ない気持ちになっていると、トーマさんがひらひらと手を振った。
「気にするな気にするな。ちょっかい出してたゲルガーが悪い」
「はあ……」
「――ところでさ」
恐縮しているとナナバさんが私の耳元へ唇を寄せて来た。突然のことにどきりとする。
「教えて欲しいんだけど、夜とかどうなの?」
「夜、ですか……?」
よくわからずに聞き返せば、
「夫婦の営みってヤツだよ。腰とか大丈夫? さすが人類最強って感じ?」
「え!? な、あの……!」
何を突然この人は!
私は硬直して何も言えなくなる。
さらっと自然に、中性的な人でもあるせいかいやらしい感じは全くしないけれど焦る。戸惑う。どうしよう。
「ふ、普通です!」
深く考える前にそう答えて、自分の顔が赤くなるのがわかった。
何を言っているんだろう、私は。何も言わなければ良いのに。
そもそもこんなことは人に話すようなことじゃない。大体、基準なんて私にはわからないのだ。リヴァイさんしか知らないし、知りたくもないし。
どうしよう、はしたない、恥ずかしい。
両手で顔を押さえていると、ナナバさんがじっと私を見て目を細める。
「ふうん。兵士長を相手に『普通』と言ってしまえるなら大したものだね」
それから私の背中をぽんと軽く叩いた。楽しそうな表情だ。
「体力もあるだろうし、兵士だったら結構な手練れになれるかも。さっきの護身用グッズを知らなくても迷わず使った判断力と度胸も優れてる。――今からでもどう? 考えてみない?」
「兵士、ですか」
私はすぐに首を振った。
「考えられません。だって、戦う理由とか……巨人を前にした時、きっと何も出来ないと思いますし……」
「そう? 案外向いてる気がするけれどな。これは直感だけど――」
その時だった。
「お前たち、ここにいたのか」
「ん? どうしたのミケ」
やって来た兵士の人は――とても大きかった。ものすごく大きかった。私が小さいから大きく感じるわけではなくて、とにかく大きい。
ナナバさんにミケと呼ばれていたということは、この人がミケ分隊長?
挨拶しようと口を開けば、ぬっと顔が近づいて来た。驚いて後退ると、
「ミケ、お前の班にエルヴィンが用立てらしい。――行け」
リヴァイさんが食堂の入り口にいた。
「了解した」
ミケさんは顔を離し、言葉通りにさっさと行ってしまった。
その後に続いたナナバさんは私にウィンクをして、トーマさんは悶絶したままのゲルガーさんを引きずって食堂を出て行く。夕食は後でまた取りに来るのだろう。
その姿が見えなくなってからリヴァイさんが私のそばに来た。
「ミケは隙あらば人の体臭を嗅いで鼻で笑うから用心しろ」
「……変わった趣向の方ですね」
とはいえ調査兵団に『変わった方』は大勢いますが、とは言わないでおこう。
それよりも言いたいことがあった。
「朝にハンジさんから頂いたのは護身用道具だったみたいでびっくりしました」
「使ったのか? 何をされた。何があった」
矢継ぎ早に質問されて、
「いえ、あの……ゲルガーさんにちょっとからかわれただけです」
見れば引っ張られた三つ編みが少し乱れている。仕方ないので編み直しているとリヴァイさんは仕方なさそうな声で、
「あいつは気に入った相手によく絡むからな」
「うーん、気に入られたのかな……?」
髪を整え終えて、私は手を洗ってから鍋の様子を確認する。
「ナナバさんは男性ですか? 女性ですか?」
気になることを思い出して訊ねると、リヴァイさんはなぜか少しむっとして、
「別にどっちでも良いだろうが」
「まあ、そうですけれど」
ナナバさんはナナバさんだということだろう。別にいいか、それで。
『教えて欲しいんだけど、夜とかどうなの?』
ナナバさん関連でふと思い出した言葉を慌てて振り払っていると、頬をするりと指先で撫でられる。
「何を言われた?」
「え?」
「顔が赤い」
「これは、その……!」
言えるわけがない! 私は必死に首を振る。だがそれで終わらないとわかっているので話を少しだけずらした。
「兵士に勧誘されたんです。私、見どころがあるんですって」
嘘ではないから誤魔化せるだろうと思っていると、リヴァイさんの視線が鋭くなった。
「俺は反対だ」
思いがけず強い口調だった。
「お前に『自由の翼』なんかあったら――どこへでも行っちまいそうだ。俺のいない所にだって構わずに」
「……前にも言ってましたね、それ」
私はつい笑ってしまう。
おかしくてたまらない。
だって、そんなことはあるはずないから。
「私に兵士だなんて、務まるはずがないじゃないですか」
(2015/04/11)