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「ぎゃあああああああああ!」
「うわあああああああああ!」
「――うるせえな」
ゲデヒトニス家の一室で、私はメイド長と向かい合って座っていた。一通りの近況を話し終え、今は先ほど元メイド仲間たちを絶句させた内容と同じことを話していた。
「しかしリーベ。確かあなたの過去は、あなた自身も知らないのでしょう?」
「ええ、知りません」
紅茶を味わいつつ、私は頷いた。
メイド長の言う通りだ。
私は自分の過去も、その出生も知らない。
物心つく前のことも、ゲデヒトニス家へ来る前のことも――何も知らない。
「あなたがなぜこの家へ来たのか、長くお仕えしている私も知りませんからね。――つまり知らないことは『話さない』ではなく『話せない』のですよ。後ろめたく思う必要はありません」
「違いますよ、メイド長。私は自分が『話せない』からあの人に何も聞かなかったのではありません。なぜならこれまでの私は――」
カップを置き、私は眼鏡の奥にある瞳を見つめながら続ける。
「知らないことに甘んじていました。知らないことを言い訳にしていました。知らないことは都合が良いと思っていました」
知ることがただ怖くて、不安だった。
「だから自分のことも、あの人のことも知ろうとしなかった。――知らないことは決して『なかったこと』にならないのに」
そこでリヴァイさんのやさしい声がよみがえる。
『俺が慈しみたいものすべてが、お前だと思った』
あんなにも私を想ってくれるあの人を、騙しているような、欺いているような――そんな気持ちになってしまう。
嬉しいのに――不安になる。
幸せなのに――とても怖い。
だって私は『何も知らない』から。
自分のことを。
自分のことなのに。
「……あなたは過去を良からぬものだと考えているようですね」
メイド長が小さくため息をついた。
「ならば仮に、彼の過去が思いもよらないものだったら――」
その言葉に私は即答する。断言する。
「問題ありません。私はあの人の過去がどんなものでも、まだ知らない一面でも……受け入れて、向き合いたいです。心からそう思います。ずっと、あの人のそばにいたい。例えば……童話にあるように、もしもあの人の正体が人間以外の生き物でもこの気持ちは変わりません」
「妙な比喩を出しますね」
「そして、私はそうでも……あの人は違うかもしれません。本音を言えば少し怖いです。――それでも、大丈夫だと私は信じられる。あの人だからこそ」
きっと、リヴァイさんはまっすぐに向き合ってくれると思う。
いつも、どんな時も決して目を逸らさない人だから。
誰よりもやさしくて、誰よりも強い人だから。
「だから私は向き合いたい。あの人と、自分自身に」
「――そうですか」
優雅にカップを傾けて、メイド長が言った。
「愛することと信じることは異なりますからね。そのどちらも出来るのなら幸福なことです。簡単なことではありませんから」
「メイド長……」
「一生を連れ添うことになった二人があまりに互いを知らないようではこれから先が思いやられますし、関係を深めるのでしたら良い機会でしょう。――知らない方が良かったと思うこともあるかもしれませんが」
「その可能性はあります」
私はぐっとスカートの上で拳を握った。
「でも、いつまでもこのままではいられません」
私はまっすぐにメイド長を仰いだ。
「だから、私は」
そして意を決し、声にする。
「自分の過去を知るために、今日はゲデヒトニス家へ来ました」
(2014/06/20)