シュテルディヒアインしよう
「リーベ、出かける支度をしろ」
その言葉で今日は幕を開けた。
お気に入りの春らしいワンピースドレスを着た私は、エルミハ区へ着くなり少し後悔した。
「ん……」
「どうした」
「風が吹くと肌寒いですね。日差しが暖かいので、ちょっと薄着で来てしまいました」
苦笑してそう話せば、リヴァイさんは一件の店へ向かった。もちろん私はついて行く。
着いたのは割と活気のある仕立て屋さんだった。店の奥で裁断師の人がせっせと仕事をしているのが見える。
「お前、何の色が好きだ?」
「え? うーん、やさしい色が好きです」
するとリヴァイさんは少し考えて、畳まれていた一着のカーディガンを手に取る。
「これはどうだ」
「素敵だと思います」
そう感想を漏らせば、
「ならこれを買うから着ておけ」
「え、でも家に帰れば服はありますし」
するとリヴァイさんはむっと眉間に皺を寄せる。
「お前、まだ俺の服より数が少ねえじゃねえか」
「でも私には充分な数です」
「急だったから一通り揃えるのはハンジに頼んだが……一着くらい、俺に選ばせろ」
そう言われたら何も言葉を返すことが出来なくて。
お礼を言ってから、私は買って頂いたカーディガンを羽織る。とてもあたたかくなった。
パン屋さんを見つけて、広場の空いた場所でお昼を食べる。お弁当でも用意したかったのだが、突然のお出かけだったので作る時間がなかったのだ。
でも、美味しいパンだった。
「それにしても、どうして急にお出かけを? せっかくのお休みですから家でゆっくりされると思ってました」
「…………」
リヴァイさんは何も言わない。
まあいいかと私はまたパンを頬張る。細かく切った野菜を詰めたサンドイッチだ。具に染み込ませたドレッシングが知らない味だったので、きっとあの店特製のものなのだろう。
「美味しいですね」
「……お前が作った方がうまい」
「じゃあ次のお出かけの時は私が作りますね」
するとリヴァイさんは私へ顔を向けて、
「約束だぞ」
「はい」
とても嬉しくて、私は笑顔で頷いた。
食べ終えて一息ついてから、
「ごちそう様でした。――次はどちらへ行かれます?」
訊ねながら立ち上がって、右足を踏み出した瞬間に異変は起きた。
「!」
何が起きたのかわからないまま、悲鳴も上げられずに私の身体は前へ傾ぐ。そして地面へ転倒するより先に、力強い腕に抱き留められた。
「す、すみません……!」
「どうした? 具合が悪いのか」
「いえ、何だか靴が――あああ!」
見れば、右足のブーツが靴底と離れ、靴紐も切れているし革の生地ももうほとんど分解していた。
「靴って一気に壊れるものなんですね……」
あまりの崩壊ぶりにしみじみ呟いてしまう。が、それどころではない。これでは歩けない。どうしよう。
頭を悩ませる前に、突如視界が変化した。
「な、リヴァイさん――っ!?」
気づけば片手で抱き上げられていた。いつだったか、立体機動装置で運ばれた時の姿勢だ。リヴァイさんは空いた手に私の潰れたブーツを持っている。
「お、下ろして……!」
「歩けねえだろうが。大人しくしてろ」
身じろぎすればそう言われ、その通りにするしかなかった。周囲を行き交う人々がびっくりした顔をしてから私の足を見て「ああなるほど」と納得する顔を見るのが恥ずかしい。視線をどこへやればいいのかわからない。
すぐに靴屋さんが見つかったのは不幸中の幸いだと思った。
履き慣れたブーツと似たようなものがあったので、早速それを試させてもらう。歩き心地は申し分ない。よし、これにしよう。
するとリヴァイさんの声がした。
「これはどうだ」
彼が示したのは一見すると、ぺたんとしたやわらかい靴だった。可愛らしい花の型押しがされていて、胸がときめく。
「可愛らしいですね」
「履いてみろ」
せっかくの機会なので言われた通りにした。
「わ、これ、履いている気がしないくらいに軽い……! それに思ったよりも歩きやすいです」
ぺたぺたと適当に歩き回れば、リヴァイさんは店主の方に顔を向けた。
「これとあれにする。いくらだ」
「あの、リヴァイさん。二足も必要ありませんよ」
断ろうとすると睨まれた。
「馬鹿か。毎日同じ靴を履いてやがるからすぐ潰れるんだ。せめて交互に履け。少しは長持ちするだろ」
「う……」
反論なんてもちろんすることは出来なくて、私はまたリヴァイさんに甘えることになった。
裸足で歩くわけにもいかないので、買って頂いたばかりの靴を履いて店を出る。リヴァイさんが見立ててくれた方だ。ちなみに壊れたブーツはお店で処分してもらうことにして預けた。
一歩足を踏み出す度に、足の軽さに驚く。まるで羽根が生えてようだ。
その感覚が嬉しくて、つい頬が緩むのがわかった。
リヴァイさんがじっと見つめてくるので、私は笑いかける。
「大切にしますね、リヴァイさん」
「ああ。――少し休むぞ」
「はい」
いくつかの店を回り、教会近くの花畑に腰を下ろす。青と白の花がとても綺麗な場所だった。そこへ風がやさしく吹いて、いつまでも眺めていたい景色だと思った。
やがてゆっくりと、私は切り出すことにした。
「……今日はどうされたんですか?」
どうしても気になって、再びリヴァイさんへそう訊ねれば、
「ミケが……」
「え?」
「分隊長で鼻が利く男だ。そいつが言ったんだよ。恋人らしいこともせずに結婚したならそこを踏まえて大事にしてやれ、だと。何が恋人らしいのかと訊けば、一緒に出かけることがそうじゃないか、とも言われた」
「…………」
わざわざそんなことをされなくても、充分なのに。
私は毎日毎日、たくさんたくさん大事にされていることがわかっているのに。
「とはいえ、連れ出したものの何すりゃいいかわからなかったからな。お前が寒がったり靴を履き潰したことは助かった」
「ええと……」
どんな言葉を返せばいいのか迷っていると、リヴァイさんの顔が近づいて来たので、私は目を閉じて受け入れる。やさしく唇が触れて、離れた。
「――リヴァイさん。私、とても嬉しかったし、楽しかったです」
「なら良かった」
愛されること。
慈しまれること。
大切にされること。
どれも、当たり前のことではない。奇跡そのものだ。私はそれを知っている。
もう一度唇を重ねて、
「――どうして、私が良いと求婚して下さったんです?」
まだ鼻先が触れ合うくらいに近い距離で、そんな言葉が口を突いて出た。
「何だ、急に」
「理由なんて、一緒にいられるなら必要ないんですけれど……気になって……だって、あなたは、その、とても強い方だし……」
ゆっくりとうつむいて、声を絞り出す。
どうしてこんな私をそんなにも想ってもらえるのか。
そこまでしてもらえる理由や資格が私にあるようには思えなくて。
「――なあリーベ」
リヴァイさんは私の頬を指先でそっと撫でた。
「戦う力や強さ、特別なことだけがすべてじゃない。俺は、そう思う。掃除をしたり、食事を作ったり……そんな風に、当たり前に生きることが、そんな些細なことが大事で――それが俺にとって大切にしたいものだ」
彼の言葉が胸の奥底まで沁みて、あたたかくなるのがわかった。
「そんな風に俺が慈しみたいものすべてが、お前だと思った」
なぜか泣き出したくなった。きっと、この人の心がやさしすぎて、あたたかくて、ずっと忘れずに宝物にしたいような、そんな想いがたくさん伝わってきたからだと思う。
「――リヴァイさん」
しばらくして、私はやっと声にする。
「ありがとう」
この人の傍にいられて、本当に私は幸せだ。こんなに心が満たされることはないだろう。
私も想いを言葉にしたいのに、うまくそれが出来ずにいれば、落ち着かせるようにまた唇が重ねられた。無理をする必要はないのだと言葉よりも雄弁に伝わる口づけに、私はそっと安堵する。
やがてゆっくりとリヴァイさんの顔が離れて、私は言った。
「――家へ帰りましょうか?」
「もう帰るのか?」
意外そうな声の響きに私はうなずく。
「はい。夕食の材料を買って帰りましょう。リヴァイさんにご飯を作るのが私は好きなんです」
幸せな日々が、今日もまた連なる。
シュテルディヒアイン…デート
(2014/04/03)
(2014/04/03)