2011 越前誕記念小説
やたらとながいです!

まぶたを差すようなあかるい朝日に、リョーマを身じろぎをして窓に背中を向けるかたちで寝返りをうつ。その拍子にリョーマのそばで人肌を求めるように丸くなっていたカルピンが、とがめるような鳴き声をあげて飛び降りた。
「まぶしい……」ともぞもぞ動いてうなるようにもらしたリョーマは、ようやく耳に入ってくる目覚ましのするどい音に気がついた。ぱちりと勢いよく目を覚まし、しろい天井を見つめながらちかくでいまだに鳴り続けている時計に手を伸ばして、上部にあるスイッチを容赦なく叩いた。しん、と一気に静かになった空間に、リョーマはまたまどろみの世界へと誘われているのをかんじた。このまま……もうしばらくねむっていたい。そう思いながらとろとろと眠りの世界へとひたっていると、カルピンが起きなきゃだめだとでもいうように眠るリョーマの意識をさますように鳴き声を上げる。それでも眠さのほうがつよいのか、リョーマは起きようとはしない。もうそろそろ寝息をたててまた寝始めそうなようすだった。

「リョーマさん、起きてますか?」
こんこんと部屋のドアを叩く音がしてから、菜々子の声がなかにいるリョーマに向かってかけられる。声をかけられたリョーマはというと、半分眠りの世界へと入り込んでいるので返事も適当になってしまっている。まだねむい。寝かせておねがい、とはっきりしない口調でつぶやくと、菜々子はすこし笑ったようなようすを見せ、ドア越しのまま口を開いた。
「そろそろ起きないと朝練に間に合いませんよ」
優しげな菜々子の声はリョーマを眠りから覚ますものではなくて、リョーマはいまだに布団のなかでまるくなっている。どうやら起きないつもりらしい。
「もうちょっと……寝かせて、菜々子さん」
リョーマの起きているときは見せないような甘えた声色に、菜々子は微笑ましくおもいつつもやはり起きなければ困るのはリョーマであると、ごめんなさいね、と言いながらドアを開けた。カルピンはお腹が減っているのか、エプロンをつけたままの菜々子の足元にすり寄ってきて鳴き声をあげる。

「グラウンド、走らされちゃいますよ。部長さんに」
「……っ!」
そう言った途端、先程までのうわごとが嘘のように、布団を蹴散らかすように起き上がったリョーマに、菜々子は微笑みかけた。
「ご飯、できてますよ」
してやられた、とリョーマはまだ六時過ぎをさす時計の針を見ておもった。まだ時間は遅刻するまで優にある。菜々子はこうやって三年の先輩たちが部活を引退したあとも、リョーマを起こす方法として『部長』というワードを持ち出す。人一倍手塚のことを意識していることを知っていることもあって、リョーマを起こすには欠かせない方法に違いない。実際、リョーマは幾度となく繰り返されるこの方法にまんまと騙され続けているのだ。
菜々子が出て行ったあとで、リョーマはスウェットを脱いで制服に着替えた。まっしろなシャツはのりがはっていて、着ていて気持がよい。きっと菜々子がアイロンをかけてくれたのだとおもうと、毎度毎度あの従姉妹には世話になりっぱなしの自分がいることに気付く。
「………………………………」
ぼうっと突っ立っているリョーマに、ほあら、とカルピンが足元に縋りつく。そのカルピンを着替え終えてから抱きかかえ、リョーマは部屋を出て階段を駆け足でおりていった。肩にはいつものようにラケットバッグを背負っている。リョーマには大きすぎるように思えるそれも、いまではなんだか見あっているように思える。

リビングにはいると、もう南次郎は起きていて菜々子のつくった朝ごはんをつまんでいる。弁護士をしている母の倫子は三日前から出張でいない。だから自分や南次郎の身のまわりのことは、いつも以上に菜々子にまかせっきりになっているのだ。

「おはようございます」と菜々子振り返った菜々子に言われて、リョーマはおはよう、とまだ眠気のとれていなさそうな声でかえした。リョーマの指定席であるところの机の上には注いだばかりのみそしるがゆらゆらとしろい湯気をたちあがらせていて、しろくひかる米は食欲をそそった。迷わずにリョーマは椅子へと座ると、手をあわせて口へと運ぶ。菜々子のつくるみそしるは、出汁がきいていてとても美味しい。
リョーマの無意識に緩んだ頬に菜々子は気が付いていて、それを目にするとうれしそうに微笑んだ。
焼き上がった魚を皿のうえに装いながら、菜々子は口を開いた。
「今日はお友達と寄ってかえったりするんですか?」
白米を口に運びながら、リョーマは生返事をした。
「ん……わかんない」
「そうですか……わかりました」
なにかをごまかすように取り繕うような笑みを浮かべた菜々子に、リョーマは内心首を傾げたが、実際には時間がもう迫ってきていることもあって追及することはなかった。菜々子自身も聞かれない方がよかったのか、そんなリョーマを前に安堵したようなようすを見せている。

「……やばいっ!行ってきますっ」
最後にのこっていたみそしるを最後まですすって、リョーマはバッグを背負って駆け出した。ばたばたと埃がまいそうなほどににぎやかな足音に、南次郎はやや呆気にとられながら靴のかかとを踏みつけたまま、玄関を出て行ったリョーマの後ろ姿を眺めている。
「あんなに遅刻しそうになるなら、もうちっとはやく起きればいいってもんだろーよ」
呆れたようにつぶやく南次郎に菜々子は笑いをこらえずに、「あら。おじさまにそっくりだとおもいますよ」と言った。
ひどいなあ。菜々子ちゃん!とおどけた調子で南次郎は笑いながら、カルピンを抱き上げた。

以前ならばときたま迎えに来てくれていた桃城も、三年生から部活のことを引き継いだいまはリョーマだけにかまってやれる時間はなかった。ただでさえ以前から遅刻ぎりぎりにきたり遅刻したりということをしでかしていたリョーマが、遅刻せずに朝練にはいれるということもあるわけがなく、やはりときどきは遅刻しているのだった。その光景を海堂はレギュラーなのに示しがつかないと顔をしかめてこっぴどく叱るが、桃城はリョーマの遅刻癖になれているせいか、苦笑いをしながら軽く叱るだけなのだ。リョーマ自身もこのままじゃいけないとはわかっているのだが、くせというものは直らないもので、数か月経ったいまでもこうやってぎりぎりに来てしまう。
部室ではもう堀尾たちは着替え終わっていて、朝練まであとすこしという時間にやってきたリョーマにおはようと声をかけていた。朝から全力疾走で学校までやってきたリョーマはわずかに息を乱しながら返事を返した。
「越前〜今日もぎりぎりかよ!もうちょっと余裕もってこいよなあ」
からかうように言う堀尾に、カチローのたしなめるような視線が向けられる。
「もう今更だよ、堀尾くん。リョーマくんがはやく来たらきたでなんかこわいし……」
さりげなく失礼なせりふを言ってのけたカチローにも、リョーマはとくになにもおもうこともなくスルーする。それよりも、はやくコートへとはいることが先決だったのだ。
ものの二分で着替え終えると、リョーマはまだ話している三人を置いてさっさと出て行った。本当にはやくしないと、また海堂に怒られてしまうからだ。
駆け足でコートへとはいると、そこにはもうストレッチをはじめている部員が大半だった。そのなかにリョーマも混じって体をほぐしはじめる。
間に合ってよかった……。そう思いながら、リョーマが運動をしていると、上からずっしりとした重みがかかる。覚えのあるこの重みは、あの人に違いない。
すこし意外だな、という気持を抱きながらリョーマは上を仰いだ。

「何してんすか、菊丸先輩」
「あれれー。なんでわかったの?おちび」
「こんなことしてくる人なんてあんたくらいのものですから」
ふう、とリョーマが呆れたように溜息をつくものの、菊丸はとくに怒るようすもなく笑っている。にこにこと笑う人好きのする笑みは久しぶりに見るもので、リョーマは懐かしさも感じながらそれを見つめた。
部活を引退した三年生とめぐりあうことは、同じ棟とはいっても、学内ではあまりないのだ。

「それにしても、どうしたんすか。こんな朝早い時間から…」
じとっとした視線でとがめるような意味をふくめて見つめてみると、菊丸はぷうと頬をふくらまして不機嫌そうな顔をするが、リョーマの言葉に慣れているせいもあってたいして気にしてはいない。
「これあげる!」
満面の笑みつきでリョーマの手に渡されたのは、可愛らしい袋だった。てのひらサイズのそれは半透明の袋で、透けて見えるなかには綺麗にやけたドロップクッキーがはいっていた。その袋の中身をみとめたリョーマは、きょとんと眼をまるくして菊丸を見上げた。

「誕生日おめでとうっ。おちび」
お前もついに十三歳なんだね〜。と笑いながら頭をぐりぐりと撫でられて、リョーマは目を白黒させながらされるがままだった。今日は十二月二十四日、世間ではクリスマス・イヴでもあるのだが、リョーマにとっては自分の誕生日であったのだ。
( ああ。だから菜々子さんは…………。 )
朝に今日は寄ってかえってくるのか、と聞いてきた菜々子のようすが思い浮かんで、きっと誕生日だから聞いてきたんだろうなと思ってリョーマはうれしくおもった。正直自分の誕生日はイヴということもあり、アメリカでは現地の宗教のせいかクリスチャンはミサに出てクリスマスは日本のようにどんちゃん騒ぎをすることはないし、リョーマ自身もあまり意識していなかった。プレゼントこそおなじスクールの生徒からもらっていたこともあったが、まわりのみんなのようにパーティを開くことも少なかったせいか、誕生日をこうやって他人から祝ってもらうことは、気恥しくて、心がくすぐられるようなおもいになる。
リョーマは純粋に祝ってくれる菊丸を前に、いつものような態度をとることもなく、うれしそうにわずかに微笑んで「Thank you」と言って頬にキスをおくった。
そのリョーマの行動に菊丸は照れたようにわらって、「ぜーったい美味しいから!俺の自信作!」と言った。
「楽しみにしてるっす」とリョーマは口の端をあげて笑い、そのクッキーを割らないためにもそれを部室へと置きに行った。すこしだけ袋からもれてにおう甘いバターのにおいに、再度頬を緩めた。甘いものが特別に好き、というわけではなかったけれど、純粋に祝ってくれる気持がなによりうれしかったからだった。

朝練を終えて、ホームルーム前の教室へとはいると、まだリョーマの荷物しかおいていない机の近くで桜乃がうろうろさまよっていた。何しているんだろう、とリョーマはその光景を訝しげに見ながらちかづいていった。
「……そこ、俺の席なんだけど。どいてくれる?」
「へっ。あ、ご、ごめんね!」
ぱっと桜乃ははじかれたように慌ててどいて、リョーマはその慌てふためきっぷりをひっそりと笑いながら席へとついた。席へついてもなお、桜乃は自分の席へとは戻らずに横に立ったままなにか言いたげに視線を泳がせている。こういうときに小坂田がいれば、きっと桜乃が口を開く前になにか先手をきるのだろうが、桜乃のおとなしい性分が災いし、桜乃はなかなか話しを切り出せなかった。
それをまどろっこしく思ったのか、リョーマは自ら「ねえ」と声をかけた。
「そろそろホームルームはじまるし、戻ったら?なにか用があるならべつだけど」
「…………う、うんっ。それはわかってるんだけど、」
頬を真っ赤に染めながら、恥ずかしげに桜乃はうつむいた。ぷるぷると震える腕が、緊張の度合いを物語っていた。

「これっ。リョーマくんにっ」
意を決したように、桜乃は両手で手に持っているものをリョーマの前に差し出した。包まれたかわいらしい包みは、大きさこそ違うものの朝に菊丸から受け取ったものを連想させた。
「今日、誕生日だよね!おめでとう…っ!」
顔をこれでもかというほど真っ赤にしながら、一生懸命つむがれた言葉に、リョーマは目を丸くしてそれを見つめた。ほかにも覚えているひとがいるだなんて、思っていなかった。
( みんなマメだな……。覚えておかなきゃいけないものでもないだろうに。 )
桜乃からのプレゼントを断る理由もない。リョーマはありがと、と言葉短くそうつげて受け取ると、そんな素っ気ない言葉にも桜乃は嬉しかったらしく、ふにゃんと笑って嬉しそうな表情をしていた。相変わらず頬は真っ赤だったが、そこには照れも混じっているように思われた。
そのあと、すぐにはいってきた担任から「竜崎、はやく席につきなさい」と言われ、今度はまたべつの意味で顔を真っ赤にしながらすごすごと自分の席へと戻っていたのだけれど。

それからは何事もなく、いつも通り授業も全部すすんでいって、リョーマ自身がまた誕生日だということを忘れ始めた。菊丸から受け取ったクッキーも、鞄のなかで割れないようにしている。桜乃からのプレゼントはまだ見ていないが、柔らかかったので気にする必要もない。部活の時間が差し迫っているということもあって、リョーマは急ぎ足で部室へとむかった。急がないと、海堂に怒られて走らせられるからだ。
こんな日まで走るなんて、勘弁したい。そう思いながらドアノブをひねって部室を開けると、もうそこには誰もいなかった。きっともうコートに整列している。
「やべっ……」
ぼそっとそうつぶやいて、リョーマはいそいそと着替え始めた。冬の寒さが汗ばんだ身体によく染みて、わずかな寒気がくる。ジャージを着こんで、素早い動作で部室から出てコートへと向かう。今日は寒いし、誰かと試合をしたいな…と思っていると、コートのなかに見慣れぬ姿があった。以前ならばたしかによくいたけれど、いまならば菊丸と同様にすこし珍しい人物だった。

「おそいよ。越前」

優しげな笑みを浮かべてこちらに声をかけてきたのは不二だった。声をかけられたリョーマはなぜここに不二がいるのか理解できず、青学ジャージにつつまれた不二の姿を食い入るように見ているだけだった。そのリョーマにしては珍しい表情に、不二はくすくすと笑い声をもらした。
「そろそろ僕も身体がなまっちゃってね。相手、お願いできるかな」
不二のその言葉に、リョーマははっきりとは出さないもの「いいっすよ」という声に混じる喜色は隠し切れていなかった。以前不二と試合したときは中断してしまったし、結局不二が部活を引退するまでに再度することはなかった。だからこんな突然であるけれど、不二との試合は最近退屈さを感じていたリョーマにとっては喜ばしいことに違いなかったのだ。

「海堂先輩、不二先輩と試合、してもいいっすか」
うずうずと喜びを隠しきれない様子で聞いたリョーマに、海堂は「ちゃんと準備運動してからだったらな」と言っただけだった。てっきり渋い顔をされかねない、と思っていたリョーマはあっさりすぎるその反応に肩透かしをくらったようなおもいだったが、許可ももらったということでいそいそと準備運動をはじめた。
不二はもう終えてしまったのか、そのようすを横から微笑んでながめている。
「……そんなじろじろ見られると、気になるっす」
言外にやめてほしいと伝えると、察しが良い不二はごめんね、とかるく謝罪した。
「なんだか懐かしいとおもってね。ほら、もう引退したし……久しぶりにコートにはきたから」
そう言う不二の姿を、ほかの部員が物珍しげにながめている。やはり他のひとも不二がいることを不思議がっているに違いない。
「べつにそんな遠慮することないんじゃないっすか。来たければ来ればいいじゃないっすか。とめる権利なんてだれにもないし」
「うーん…。越前ははっきりと言うね」
「性分ッス」
準備運動はもう終わったとばかりにラケットを取り出して、いまから手合わせするとはおもえない不二の穏やかなようすに、「先輩、はやく!」と急かした。いつになくせっかちなようすを見せるリョーマに、不二はそれだけリョーマが自分との対戦を望んでいたんだと再認識して頬をゆるめた。

「じゃあ、はじめようか。越前」
「いつでも、いいッスよ」
口の端をあげて楽しげに笑いかまえたリョーマに、不二はやはりいつも通りやわらかに微笑んで打球を放った。


「あー。もう、ほんっと……どこがなまってるんすか。全然動いてるじゃないッスか」
珍しく肩で息をするリョーマは、絶え間なく汗が垂れるのも気にせずに楽しそうに不二に声をかけた。不二自身も本人の言う通りに比較的「なまっていた」のか、いつになく息を乱している。
もう時刻は夕刻で、不二とリョーマはあまりにも試合に熱中しすぎていたことに気がついた。ほかの部員は、もう帰宅の準備をはじめていて、コートの外ではもう制服姿に着替えてかえりはじめているものもいる。長くなっている自分の影が、もう時間が遅いということを明確に告げていた。

「今日は本当にありがとうございました。楽しかったっす」
握手を求めてくるリョーマの表情は晴れやかで、口元はゆるやかな弧を描いている。満足そうな表情に誘った不二自身も心のなかが満たされていくような気がして、微笑んだ。
「こちらこそ。やっぱり君はつよい」
「不二先輩こそ。油断も隙もないっす」
「そんなつもりは、あまりないんだけどねぇ」

お互い同時に立ちあがると、もうひとの少なくってしまったコートから出て部室へと向かう。試合が終わるまでは姿のあったはずの海堂や桃城もすでにいなくて、リョーマはすこしだけ視線をまわりに向けた。よく見ると、いつもなら試合を見ている堀尾やカチローたちの姿がない。
( …………もう帰ったのかな。珍しい。 )
いつもならばリョーマが試合しているときは、やはり同じ学年ということで他の人以上に興味もあるのか、最後まで見ていることが多い。リョーマ自身もかれらが自分の試合を観戦することに抵抗はすこしもないので、今日は最後までいなかったことを不思議に思ったのだった。
そんなことをぼうっとしながら考えつつ、リョーマは部室のドアノブをひねった。がちゃりと音を立てて開けると、同時に耳をふさぎたくなるような破裂音がちかくで炸裂した。それと同時に色とりどりおカラーテープが顔や身体に容赦なくふりかかる。
「…………っ……?!」
驚いたリョーマが振り仰ぐと、そこには見慣れた――懐かしい姿の先輩たちがそろっていた。ほかには堀尾やカチロー、カツオの姿が存在していて、こっちを見て笑っている。手にはパーティーグッズのクラッカーが握られていた。
音の正体はこれだったのだ。

「「「えちぜーん!お誕生日おめでとうー!」」」
野太い声だとか、高い変声期前の声だとかがふりかかってきて、リョーマは事態が飲み込めずにその光景を口をあけたまま眺めているだけだった。そんな放心状態のリョーマに、後ろにいた不二が声をかける。
「驚いた?なかなかだろう」
不二がさしているのは、部室の机にある店で売っているようにきれいなデコレーションケーキのことだった。かわいらしくつくれたマルチパンのサンタは、こちらを見て笑っている。

「こ、これ……どうしたんすか?」
説明を求めるように不二を振り返ると、不二は不思議そうに目を瞬かせた。
「どうって……君は今日、誕生日じゃないか」
再度前を向くと、そこにはやはり懐かしいひとたちが混じっていた。朝に誕生日祝いだといってクッキーをくれた菊丸。いまでも心労は絶えないのかわからない、穏やかな表情を浮かべている大石。家業を継ぐからといって、大会の後部活をすぐにやめた河村も、今日は来ていた。しかも、板前姿だ。

「越前を驚かせようとおもってね。どうだい、驚いたろう」
感情の読めない淡々とした口調で告げてきた乾の手には、いつもとはちがうきちんとした色合いの飲み物が握られていた。青かったり緑だったりする、あの特製乾汁ではない。
「…………それは、」
リョーマがちらりと視線を向けると、乾はにこやかに笑った。
「興味あるなら飲んでみるかい?ハッピーバースディ、越前」
差しだされたコップを、リョーマは顔をひきつらせながら後退して首を横に振った。

「あーっっ。もう乾ィ。だめじゃん!今日はおちびの誕生日なんだからさあ!」
リョーマが受け取るのを拒否したコップを、菊丸は唇をとがらせながら奪い取った。あまりにも自分に集中する非難に、乾は眉を下げて情けない声で「……これ、改良型なのに」とつぶやいた。確かに以前よりも色合いの良くなった汁は、見た目だけなら普通のジュースの色だった。けれど前科が前科か、誰も乾汁が美味しいかもしれないなどという可能性は考えてはいない。
肩を落として菊丸が奪い取ったコップを処理しようとした乾に、リョーマは声をかけた。
「えーっと……じゃあ俺が飲むっすよ」
「えっ!?おちびぃ!何言ってんの?乾汁じゃんっ。あれ!」
「まあ乾先輩も改良したっていってるし……さすがにこんな日まであんなものはつくらないだろうし…」
じゃあいただきます、と言ってリョーマはコップを受け取った。心なしか、立ち上ってくる匂いは普通のフルーツジュースのような気がする。
「やめとけよぉ、おちび!」
悲惨な声をあげてとめようとする菊丸を振り切って、リョーマはそのコップを呷った。決心が鈍らないようにか、喉が鳴るように飲み干すそのようすは、ある種鬼気迫っているようにもおもえる。

「……うん。大丈夫ッスね」
コップを乾に渡して、リョーマは普通のひとが聞けば失礼ともとれる言葉で反応した。心配をしていた桃城は、おそるおそるといった風に「実は時間差とかで、あとで効くんじゃねーのか?」とつぶやいた。もっともらしいその言葉に、菊丸は乾の襟につかみかかって前後に激しく揺さぶった。
「もーっっ乾!おちびが倒れちゃったら、乾のせいだかんね!」
「倒れない確率100パーセントのつもりでつくったから心配はないぞ、菊丸」
眼鏡を押し上げながら勝ち誇ったようにつぶやく乾に、菊丸は首を横に振った。

「ほんとに大丈夫?おちびっ」
「大丈夫っすよ……本当に普通のジュースの味だったし。別に吐き気もないし」
自分から飲むと言いだしたリョーマ自身が自分の身をもってして大丈夫だということを確認したあとも、おそるおそる腹部に手を伸ばした。いつもならこみ上げる芝生のにおいだとか、酸っぱくて舌が触れたとたんに卒倒しそうになる味は本当になかったのだ。

「まあ、今回は乾もしでかしたわけじゃないし。つづき、はじめようか」
「そうっすね!ほら!越前、お前が今日は主役だぞ!」
椅子から立ち上がった桃城が、たすきをリョーマの身体にかけてくる。たすきに書かれた文字を目にして、リョーマは顔をしかめてそれを脱ごうと突っぱねた。
「こんな恥ずかしいもんつけれるわけないっす。やめてください」
「んなこと言うなよー。今日はお前が主役なんだから。つけなきゃいけねーな。いけねーよ!」
にやにやと面白がっている風にも見える桃城に、リョーマは苛立ちを隠さずに「いやっす」と譲らない。結局、押し切られるかたちでやや不満げな顔のリョーマが桃城の言うことを受け入れたのだが。わいわいと絶えず誰かが騒ぎ、みなが持ち込んだジュースやらお菓子やら、河村の握った寿司やらを口に運びながら楽しんでいると、突如扉が音を立てて開いた。騒ぎに気付いた教師かなにかかと思い、中にいた全員が慌てて視線を向けると、そこにはすこし肩を上下させて呼吸を乱した手塚がいた。

「……悪い。おくれた」
どうやら生徒会の帰りだったようで、引き継ぎの資料を脇に抱えている。
「遅いよ手塚。引き継ぎなんて、先月くらいに終わらせとけばよかったのに」
口を開いた不二がそうつぶやいて、微笑んだ。なんだかんだいって全員そろったことに満足しているらしい。
不二に申し訳なさそうにちらりと視線を向けた手塚は、扉の近くで立っていたリョーマに向き直って口を開きかけるが、おもむろに閉じてまた開いてを繰り返した。何を言うべきか迷っているらしく、珍しく口調は歯切れが悪い。

「うん………その。なんだ。今日が誕生日なんだな」
「はあ。まあそうっすね」
手塚の今更の言葉に、リョーマは首をかしげながら頷いた。
もともとこういうイベント事に弱いのか、それともただの口べたなのかうまく言い表せれないともごもごとしている手塚は、まわりをやきもきさせた挙句、やっとのことで言葉を絞り出した。

「……十三歳の誕生日おめでとう、越前」
他の人間から言わせれば、なんのひねりもないものかもしれないものだった。けれどそれがあのくそがつくほどの真面目な手塚で、あまり必要なこと以外口に出さない手塚だったからこそ、意味のある言葉になる。
面映さを感じながら、リョーマはその言葉に頷いた。今更ながら、こうやって祝ってもらうことは新鮮で嬉しくもあるけれど、どこかくすぐったい気持ちだった。温かくて、家族はないけれど、安心できる空間。
( でも素直に言うなんて、癪だから言わないでおこう。絶対このひとたち、調子に乗るし。 )
リョーマは心の中でそっと微笑んで、ろうそくの灯されたデコレーションケーキを見つめたのだった。
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越前くんハピバ!

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