かわいいあの子の紐を手繰り寄せるのは
神の子とリョーマちゃん

向かい側の座席で隣りのスーツ姿の社会人に寄り掛かりながら眠りこけている深く帽子を被った少女の姿を認めて、柳は読みかけの文庫本を閉じてそのようすを眺め始めた。柳の横では向かいの少女と同様に、眠気に耐えきれずに寝入ってしまった赤也が車内の冷房の効き加減に身震いしていた。しょうがない、と思いながら赤也が脱いでいたジャージを上からそっとかける。これですこしは寒さを紛らわせるだろうとおもいながら、手のかかる二年生エースのくるくるとした癖っ毛を、柳はすこし口元に笑みを浮かべて見つめた。隣りの社会人もちいさな少女を起こすのは忍びないと思ったのか、寄り掛かってくる少女は起こさずに放っておいている。十分もすれば向かいの少女がおりるはずであろう青春台駅に着いてしまったのだが、少女はおりる気配も見せずにすやすやと寝ている。
( 起こさないというのも、可哀そうだろう。 )
柳は膝に置いていた文庫本を座席に置いて立ちあがった。隣りで動きがあったものの、眠りの世界へとはいりこんでしまっている赤也は起きる気配はない。

「越前さん。君の降りる駅じゃないのか?」
とんとんと肩を叩いてみるが、リョーマは起きる気配を見せなかった。それどころか叩いてきた柳の手をちいさなてのひらでぱしりと叩き落して、身体の向きを変えて顔をしかめてまた寝入る。
「うるさい……もうちょっと寝かして…………」
誰に言っているのかよくわからない寝言に、柳は肩を落とした。
「越前さん」柳の耳には駅の発車ベルが鳴らされ、あと十秒もすれば出てしまうことが分かっていた。ピイィィと人の出入りが激しい喧騒のなかでもよく聞こえる笛の音が耳を貫く。
なのに、リョーマは起きない。すやすやと気持ちよさそうに寝てしまっている。
「越前さん、」
柳がまずいとおもって腕をぐいっと引いたところで、電車のドアが音を立てながら閉まっていく。すると、それと同時に寝ていたリョーマがやっと目を覚まし、腕を掴んでいる柳の姿を認めた。

「…………立海の……やなぎ、さん?なんすか……?」
眠気のとれていない声で、ずれた帽子を直しながらこちらを呆けた表情で見つめ返してくるリョーマは、なぜ腕をつかまれているのかわからずに不思議そうに柳の名前を呼んだ。閉まってしまい進みだした電車のドアを眺めながら柳はつぶやく。
「いや、きみは青春台で降りるんじゃないかとおもってだな……」
気まずげに視線をそらして言う柳に、リョーマは苦笑した。
「今日は青春台でおりるわけじゃないっすよ。むしろ、用があるのはそっちに」
にやりと笑ってこちらを見上げるリョーマに、柳はわからずに疑問符を浮かべた。そんな柳に、リョーマは楽しげに笑う。
「立海に用があるんすよ」


赤也は立海大附属の最寄り駅に着いてから、柳のとなりでしれっとした顔で歩いているリョーマの姿が気になって仕方がなかった。声をかけようにも親しい間柄ではないので、どうにも声をかけにくく感じてしまう。いや!こんなの俺らしくないけど……。と赤也はそう思いながらもちらりと横目で見て視界にはいるリョーマは、以前青学との試合で見かけたときと変わらず可愛らしく、すこし跳ねぐせのある髪の毛は帽子からぴょんと出ている。
ぼんやりとリョーマに見惚れながら歩いていると、ちょうどリョーマが赤也のほうに顔を向けて、思いっきり顔をしかめた。
「…………なんか用っすか?」
訝しげなようすのリョーマに、赤也は頬を染めながら首を勢いよく横に振った。まさか、相手から話しかけてもらえるとは思っていなかった。
「べべべ、べつに!なんもねえよっ」
照れながら慌ててそう言った赤也に、柳は微笑んだ。
「赤也は越前さんのことが気になって仕方がないようだな」
「や、柳先輩っ」
なんてことを本人の前で言ってくれるんだ、と赤也は真っ赤になりながら柳に掴みかかるが、赤也よりも上背のある柳はそれをあっさりいなしてしまう。
柳の隣りでは、その言葉を聞いたリョーマが不可解そうな表情を浮かべていた。意味をよくわかっていないようだった。
「俺はべつにお前のことなんかちっとも気にしてないんだからな!勘違いすんじゃねーぞ!」
びしぃっと指をさして大きな声でそう宣言する赤也に、リョーマは呆れた顔で肩をすくめて柳を見上げた。
「なにこれ。切原さん、全然意味わかんないし」
「さあ。俺にもわからないな」
顎に手をあててうなずいた柳は、仕方なさそうに笑う。てっきりなにか言ってくれるかと思いきや、赤也が期待していたことではないことを言った柳に赤也は眉根をさげた。心なしかくるくるとした髪の毛もしぼんでしまったように見える。
「ところで、今日はなぜ立海に用があるんだ?俺のデータでは、立海に君の友人はいないはずだが……」
柳の言葉に、リョーマはすこしだけ得意げな顔をして純粋には可愛らしいとは評しにくいすこしあくどいにやりとした笑みを浮かべた。
「ふーん。柳さんって乾先輩みたいにデータマンだからてっきりわかってるのかと思ってた。意外」
そんな生意気なようすにも赤也にとってはそういう風に映るだけではないのか、じっとその顔を見つめているだけだ。頬もすこし赤い。
「立海に君の知り合い……?」
ううん、とうなる柳にリョーマは首を横に振る。
「知り合い、じゃない。でもきっとわかんないよ。いくら柳さんでも!」
わからない、と言われれば逆に知りたくなるのが人間の性、柳は自分のデータ収集が甘いなどと言われるのがたまらなかったのか、それとも別の意味で知りたい理由があるのか閉じていた瞳を開眼させて首をひねった。
「ふむ。それはぜひデータとして追加したいものだ」と柳がひとりごちたところで、横にいた赤也がぎゃあ!と叫び声をあげてすっ転びかけた。身体が倒れてすっ転びかけた赤也を引きとめたのは、赤也がすっ転ぶ原因となった丸井だった。

「おいおい。こんなんで倒れるとか鍛え方たりないんじゃねーの?赤也」
「いや、お前が突っ込んできたら真田くらいしかもたないだろう」
自分のしたことは棚に上げてそんなことを言ってのける丸井に、ジャッカルが呆れたように言葉を返した。それを言われた丸井は、怒ったように眉をつりあがらせて「ジャッカル!」と声を荒げた。
「冗談だろ。そんな怒るなよ」
非難するように唇を尖らして不満げな顔をしている丸井を宥めながらジャッカルがそう言うと、柳の横で目を丸くしてこちらを見ている短髪の少女に気がついた。帽子の影からのぞく猫のような瞳は、丸井とジャッカルを観察するようにくるくると動いている。
「あれ?お前って青学のやつじゃね?」
ジャッカルが口を開くよりもはやく、丸井がリョーマを指さしながら聞いた。指を指されたリョーマはその指先を睨みながら渋々といったようすでうなずく。
「なんでこんなところいんの?つーか、柳の知り合い?」
矢継ぎ早に質問攻めしてくる丸井をわずらわしいと思ったのか、リョーマは不愉快そうに顔をしかめて首を横に振った。
「柳さんと切原さんは偶然。俺は立海のひとに用があってきたの」
つんとしたそっけない態度で返したリョーマに、丸井は首を傾げながらふうん、と気のない返事をして赤也の横に並んだ。


海沿いの道を十分ほど歩いたところで、角をまがるとそこには立海大附属の校門が見えた。時刻は、昼過ぎ。日曜日ということもあり、制服姿の学生はすくなく、いてもそれはユニフォーム姿の部活生ばかりだ。
たまに見かける濃い緑色のブレザーを物珍しそうに眺めながらリョーマはとぼとぼと校内を歩く。その後ろ姿を半ば微笑ましい気持ちで見つめていたジャッカルが口を開いた。
「もし校舎内にでも用があるなら、柳生を呼んでなかに入ることも出来るけど、どこに用事なんだ?」
ジャッカルの気遣いのある言葉に、リョーマは首を横に振った。
「大丈夫っす。部活で外にいるだろーし」
リョーマの言葉に、黙っていた赤也が反応する。
「部活生?でも、今日はテニス部とサッカー部くらいしか屋外で練習してないぜ。サッカーに女子部はないし、女テニは今日は遠征だ」
不思議そうな四人に、リョーマもおなじような表情をした。
「ていうか、別に誰も会いに来た目的が女子とかいってないし。用があるのは、男子テニス部。あんたらのとこだよ」
「ええっ!それってまさかおおおお男?!つ、つき、付き合ってる?!まさか!」
動揺でどもりながらリョーマに問い詰める赤也に、リョーマは平然とうなずく。その顔は、半ばあきれているようにも見える。
そんな赤也のあからさまな動揺しているようすを後ろから眺めながら、柳も丸井もジャッカルも、まったくだれか見当つかずに頭をひねっていた。

「――それって、僕のことかい。越前さん」
さっそうと優しげな微笑とともにあらわれた幸村の姿に、リョーマは赤也の後ろに立っている幸村を眺めた。ほかの四人も驚いていきなりあらわれた幸村を見つめている。
( まさか、越前の男っていうのは部長ぉ!? )
赤也は驚きと一瞬で散った自分の初恋に別れを告げながらふたりを眺める。幸村がリョーマの腰に手を伸ばしかけたところで、その手がリョーマの手によって叩き落された。
「! なにをするんだ……越前さん」
叩かれた手をさすりながら悲しそうな表情を浮かべる幸村に、リョーマはべっと舌を出した。
「なに言ってんの。あんた幸村さんじゃないでしょ」
――――仁王さん。
リョーマの言葉に、幸村は大きな溜息をついて肩をすくめた。
「失敗ぜよ、柳生。やっぱり幸村の真似はいっちょう難しいき」
「……そもそも他校生の女子生徒を騙す、というほうが反省するべき点です。仁王くん」
壁にもたれかかって仕方がなさそうに言う柳生に、幸村の姿をした仁王がかぶっていたかつらを外す。幸村じゃない、ということがわかった赤也は驚いて口をぽかんとあけている。
「仁王くんがとんだ失礼を……。申し訳ありませんね」
リョーマのことを気遣うような言葉を投げかける柳生に、騙した本人である仁王が頬をふくらました。
「こらっ柳生。お前だって騙すのに賛成したぜよ。それを相手が越前だとわかったからって手のひら返しとは、紳士の名は嘘っぱちってことじゃきぃ」
「おや。私にはなにを言っているのかさっぱりわかりませんね……。そもそも実行したのはあなたではないのですか?仁王くん」
しれっとそう言いながらさらりとリョーマをエスコートしようとする柳生に、仁王はむっとした表情を隠さずに幸村の髪をしたかつらを柳生の頭にかぶせる。
「お前も同罪じゃ!」
「これは仁王くんのですよ」

自分のとなりで言いあいをはじめた仁王と柳生に、リョーマは呆れて肩をすくめた。リョーマからすればどちらも似たようなものだったからだ。
このふたりに対して差はない。どっちもどっちだろう。
言いあいをしているふたりを余所にリョーマはさっさと足を進めてグラウンドがあるだろうと予測される、部活生の声のするほうへと向かっていった。その後ろを赤也たちが、まだ言いあいをして後ろで足をとめている仁王たちをちらりと見て、リョーマの背中を追いかける。
その間も四人たちの脳裏に浮かぶのは、リョーマの付き合っているらしい異性のことだ。どう思い出しても、立海にそれらしき関係をもっていそうな部員はいないし、ましてやいまこの場にいない真田が女の子と付き合うことは想像できないし、幸村の好みからも細くて小さなリョーマは外れている。(幸村の好みの女性のタイプは健康的でスタイルが良いということだ。)
じゃあいったい誰だ……?と思ったところで、グラウンドのちかくに設置されているコートで下級生の指導にあたっていた真田が、誰かが近づいてくるのを悟って顔をあげた。その顔が、訝しげにしかめられる。
「……越前リョーマだったか。お前がなぜここにいる?」
不思議そうなようすの真田は、後ろにいる柳たちに目を向けるのだが、四者ともわからないといった風に首を傾げた。
「ちょっと……人に会いに来たっす」
帽子をかぶり直して真田を見上げながら言うリョーマに、真田は「誰だ?部室にいるやつもいるから、呼んでくることはできるが」と聞いてきた。
その真田の言葉に、リョーマはうーんと迷うようなようすを見せ、真田の後ろを見ると「あ」と声をあげた。振り向きかけた真田の横を、リョーマがするりと通り過ぎて笑う。
「ちょうど来たから、問題ないっす。……幸村さーん!」
手を振ってリョーマが迎えたのは、部室から出てきてこちらへと向かっていた幸村だった。いつもの優しげな微笑を浮かべて、手を振ってくるリョーマにたいして嬉しそうに微笑みかけた。まわりでは、幸村に親しげに話しかけたリョーマに、呆気にとられている者もいた。
立海の黄色いジャージの裾をつかんで、リョーマはすこし首を傾けてうかがうような仕草をした。
「約束の時間よりはやくなったけど、良かった?幸村さん」
すこし心配そうにも見えるようすに、幸村は安心させるような笑みを浮かべてそっと頭を撫でた。
「ふふ。君は遅く来る方が多いから、こういうことがあると逆に不安だよ。……でも、君と一緒にいる時間が増えるのは嬉しいかな」
にっこりとほほ笑んでそんなことを大勢の前で言ってのける幸村に、リョーマは気恥しく思ったのか耳朶を赤くして顔をしかめた。リョーマの後ろでは、大勢の部員が呆気にとられてふたりを目に穴があくくらい見つめている。
「みんな、何ぼーっとしてるの?暑いからって、動きが悪すぎるよ」
と、幸村は白々しくそんなことを言って呆けている部員たちを追い立てて部活を再開させた。

「ほら、真田も。こんなことで動揺しているなんて、らしくないよ」
「あっああ……?」
わけがわからないまま幸村に追い立てられるようにまた下級生の指導へと戻った真田に、リョーマは眉を下げて幸村を見上げた。

「……なんか、あんたってちょっと酷いね。いつもこうなの?」
げんなりしたようすのリョーマに、幸村は首を横に振った。
「まさか。いつもはもっと優しいよ」
「ふうん…………」
どうだか、と幸村の言葉をまったく信じていないリョーマは肩をすくめた。そんなリョーマに、幸村はそっと耳元に口を寄せる。他の人には聞こえないようにぼそぼそと伝えられた言葉に、リョーマはすこしだけ頬を緩めた。

「……それ、ほんと?いいの?」
「うん。じゃないと、今日会った意味がないしね。たまにはいいんじゃない?」
にこにこと人の良い笑みを浮かべる幸村に、リョーマも嬉しそうにはにかんだ。
「じゃあ、あとで家に電話いれとく……。親父は、なんか言うかもしれないけど」
備え付けのベンチに座って、嬉しそうに緩んだ表情で見上げてきたリョーマに、幸村も嬉しそうに微笑み返した。
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素敵なリクエストありがとうございました!

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