首輪の紐がほどけてる 結
義理?の兄弟で赤黒
赤司くん(16才)と黒子くん(28才)です
これだけ異常に長いです。すみません。ですがこれでラストです

僅かな期待と共に帰宅するが、屋敷にテツヤの姿はなかった。

そのことを、征十郎は落胆しつつもしょうがないことであると諦めていた。今までのテツヤを考えると、本人から姿を現そうとしない限り、征十郎が自力で見つけるのは難しいだろう。
昨日は冷静ではなかったから思い当らなかったが、あの手紙や写真が自分の手に渡ってしまったことすら、テツヤの思惑通りなのではないかと征十郎は考えていた。
あの手紙を見て、新たにわかったことは自分の出自だけ…。けど、それを自分が知ることがテツヤにとって何の意味を持つのか征十郎はわからなかった。
征十郎は自分の父親を直接的には知らない、テツヤが憎み忌まわしいと思った父親を、征十郎はまったく知らないのだ。だから、征十郎にはテツヤにとって父親が、母親がどういう意味を持つのかわからなかった。征十郎が思う以上に、テツヤは父親を、そして自分自身を軽蔑しているということに。


それからも征十郎はテツヤがいつ帰宅するのだろう、と思いながら過ごした。以前にだって何度もテツヤが長く家を空けることはあったのにこんなに不安な気持ちになったことはない、と征十郎は自嘲したくなった。
屋敷に入ってくる車や人の気配にいちいち反応をして、もしかしてテツヤが帰って来てやしないかと思いながら何度も窓から外を確認する。そして望んでいる人物ではないとわかると、直視できないとばかりに征十郎はすぐに視線を逸らすのだ。

それでも、征十郎は極めていつも通りに過ごした。学校はもちろん部活にも出て大会にも出場し、誰かに話しかけられれば友好的に話し返す…ずっと、今までもしてきたこと。心の奥底ではここではない、テツヤのいる場所に今すぐにでも行きたいと願いながらも…。


「兄さんが、明日?」帰宅すると、征十郎は執事から「明日の朝にテツヤが帰る」という旨を聞いた。テツヤがあの日に家を空けてから、三週間と少しくらいのことだった。
メイドに制服を預けながら、征十郎の胸は期待に膨らんでいた。やっと、帰ってくるのだ。
帰ってきたら、すぐにでもあの手紙と写真のこと、自分の出自のこと…いろんなことを聞いて言いたいと思っていた。いままで見えてなくて、わからなかったことや今もわからないこと。
そして、出来れば昔のように優しく笑ってほしいということ。

そんな征十郎の期待を跳ね除けるように、テツヤは帰ってきた。朝、話しかけようとすれば厳しい顔つきで「学校から帰宅後にしなさい」と言った。それに征十郎は多少納得いかないものの学校に登校し、急ぎ足で帰宅すると、いつになく険しい表情で、テツヤは征十郎を着替えた後にゲストルームに来るようにと言ってきた。
誰か来ているのだろうと征十郎は思い簡単に身支度を整えると、メイドから促されゲストルームへと入った。そして、ゆっくりと見渡した広いゲストルームの一番大きなソファに、テツヤの傍に一人初老くらいの男が座っていることに気づいた。男は征十郎の姿を見ると、立ち上がって軽く会釈をしてきた。

「初めまして。君が赤司征十郎くんだね」
どこか聞き覚えのあるような声で、征十郎はわずかな違和感を持ちながら握手を求めてきた男に応じた。

「はい。初めまして……」
面識はあっただろうか、いや、覚えはない。そう思いながら応じていると、テツヤが立ち上がった。


「征十郎くん。この人は僕の叔父で、母の弟に当たります。君が会うのは初めてですね」
にこやかに叔父に笑いかけて、その笑みのまま征十郎の方に向いたテツヤに、どきりと征十郎は動揺した。
「今日、叔父上を呼んだのは君と会わせたかったからです」

座って、と促したテツヤに言われた通り、征十郎は叔父の目の前に座った。改めて顔を見て気づいたのだが、この初老の男――叔父の容貌はテツヤに似ていた。白髪交じりだが、空の色をした髪の毛や瞳の色など、一目で血縁者だろうとわかるほどだ。先程声に聞き覚えを感じたが、それはテツヤに似ているのだ。

そのことに気づいてからなんとなく征十郎の身体には緊張が走った。
ふかふかとしたソファに身を落としながら、座り心地が悪いとばかりに思う。

「征十郎くん、君も知っての通り、君はまだ正式には黒子家には入っていません」
叔父の隣りに座っていくつかの書類を示したテツヤに征十郎は頷いた。
「今日は、君に正式に黒子家に入ってもらおうという話をするために叔父上を呼びました」テツヤが、じっと征十郎の瞳を見据えた。
いつもの、鋭利な瞳だった。

「君には、叔父上と養子縁組を組んでもらいたいと思っています」
驚きで、征十郎は目を見張った。震えそうになる声を叱咤して、やっとのことで絞り出した。それでも、手は強張っていた。
「……どういう、ことです? 僕が?」
縋るような瞳で自分を見つめた征十郎に、テツヤは揺るがなかった。そんなことにも気づいてないとでも言いたげに、テツヤは話しを続ける。

「そのままです。父が生きていたなら本当は君は父と養子縁組を組む予定だったんですが、父は十年も前に死にましたから……どのみち、高校を卒業すれば君は叔父上と養子縁組するはずでした。少し早くなったと思えば、そう違和感のあることでもないでしょう」
そう言いながら、淡々と事務処理でもするかのように書類を並べていく。
そのどれを見ても頭の中には入らずすり抜けていく。征十郎は動揺しきったまま、首を横に振った。


「なん、で………。ここのところ、ずっと家を空けていたのは、全部、このためだったんですか…?」

項垂れて、顔を俯かせたまま征十郎が暗い声で聞いてきた。征十郎の心は乾いていた。

「そうです」
テツヤが、無感情にそう言う。

その無感情な声色に、征十郎の心は抉られた。
今更、どうしてこんなに傷つくのだろう。こんな風に言われるのは初めてのことではないのに…。

「…………僕は、そんなに兄さんに嫌われていましたか?」
肩を震わせて泣きそうな声でそう言う征十郎に、テツヤは初めてわずかに動揺の色を見せた。それでも俯いていた征十郎は気づかず、それを目にしたのは叔父だけだ。

「来月には、君には叔父上と暮らしてもらいます。わかりましたね」
それでもやはり、テツヤは冷たい声のままそう言った。どうみてもそれを快く受け入れてはいない征十郎の姿を目にしてもである。

征十郎は、すぐに顔を上げることは出来なかった。
項垂れたままの征十郎に、やがて痺れを切らしたテツヤが叔父と共に退室しても、征十郎はしばらくソファに座ったままだった。


ようやく部屋に戻り、ベッドの上で寝そべりながら、やはり自分は兄に嫌われていたのだと、征十郎はそう思った。でなければ、あんなものを見せた後に、わざわざこのタイミングで養子に出し、その上義父となる人と暮らしてもらうだなんて言うはずがない。
今までの態度からそう思うこともあったのだが、いざそのようにはっきりと示されると、なかなか堪えるものだなと征十郎は思う。一緒に暮らすことさえ出来なくなるなんて、ベッドに寝転んでいた身体を起こして、征十郎はデスクにおざなりに置いていた書類を取り上げた。そこには養子縁組に関することがびっちりと文字で書き起こされていて、征十郎は本当に自分は兄と離れて暮らすのかと再認識させられた。
ちらと思い浮かぶのは兄の母の弟にあたる叔父の顔。笑った顔が、少し昔の兄に似ていた…。


しばらくすると、屋敷が騒がしいことに気付いた。
しかもその声は玄関ホールから響くもので、聞きなれない声と似つかわしくない喧騒に征十郎は眉をひそめて部屋を出た。廊下には人っ子一人いないが、玄関ホールへと続く方からは人の声が複数する。
その中に混じるテツヤの声に、征十郎は足をはやめた。

「〜〜どういうことです、テツヤさん!」
女性の怒鳴り声に、征十郎はぱっと身を潜めた。
少しだけ顔を出してホールの方を見ると、高そうな身なりの中年女性が立ってテツヤに向かって怒りをむき出しにした顔で怒り狂っていた。

「家督を譲るなんて、そんな馬鹿なことをあなたがするなんて!」
声が大きいのが女性のせいで征十郎は真っ先に女性の存在しか気づかなかったが、よく見ると他にも何人かいた。誰もがテツヤより年上の中年から初老にかけてくらいの男女ばかりで、征十郎は姿を現せずにいた。

「そうだぞ、テツヤくん。君が継ぐというからあのときは文句は出なかった。だが、あの子ねえ……」

男性が渋い顔で唸った。

後姿でしかわからないテツヤは、いつも通りの淡々とした口調で返す。

「どこから聞きつけたか知りませんが、征十郎くんが黒子家を継ぐのは正当な権利となります。あなた方が口出しすることではありません」
「口出し? するに決まってるじゃない! こんなの納得いかないわ」
吠えるように言う女性に、テツヤは首を横に振った。

「出自のことを言っているなら心配には及びません。生前父がそれについてはよく確認していたので……彼は父の子です」
征十郎は自分のことを話しているのだとわかった瞬間、その場に飛び出したくなった。
けれど、話しから察するに、自分は黒子家を継ぐことになっているということに驚いて身を固くしていた。養子縁組に加えて今度は兄が家督を譲る…。その言葉に、征十郎は唇を震わした。
「能力のことをおっしゃっているなら、彼の素質は十分過ぎるほどです。…征十郎くんは、僕よりもずっと賢くすべてにおいて秀でてる。そしてあなた方は彼に及ばない……」
その言葉には声を荒げていた女性も呆れたようで、ぽかんと口を開けてテツヤの顔を凝視している

「テ、テツヤくん。あなた、本当に黒子の家を譲るの?」
「はい。父の遺志でもあります」
頷いたテツヤは、にっこりと親戚一同に微笑みかけた。

「これ以上言葉は受け付けません。どうか、お帰り下さい」
そう言って、テツヤはその人々を追い出させた。使用人にもよく言い付けて、中に通さないようにと注意していた。まだ扉の向こうには人の気配がするが、しばらくすると諦めて帰って行ったようだった。

テツヤがそれを確認した後、どこかへ行こうとしたのでたまらず征十郎は飛び出した。「兄さん!」と大きな声で声をかければ、テツヤは驚いた様子もなく振り返ってじっと征十郎を見つめた。何を考えているのかわからないみなものような水の色の瞳に、征十郎はぐっと息をつめた。

「……養子縁組の、次は…それですか…………」
はは、と乾いた笑いをもらした征十郎に、テツヤは肩を竦めた。
「隠していたわけではありません。ただ、あまり言いふらすのもああやって厄介な方々が家に訪ねてくるのが好ましくないからです」
「……兄さんは、どうするんですか?」

征十郎はじんわりと目頭が熱くなるのを感じた。けれど、どうしてもテツヤの前では涙を見せたくなくて、頬に滑り落ちそうになる涙を溜めて、落ちないようにと堪えた。

「僕に家督を譲って、それで、どうするんですか? …兄さんは、もう黒子の家から離れるということですか……?」
「……そうです。僕は黒子の家からは離れます」

君とも、会うことはありません。
その言葉に、征十郎は涙が頬に伝うのがわかった。酷いと思った。養子縁組を組ますだけではなく、家を捨ててそれらを自分に委ね、二度と会わないなどと言うのだ。
自分はこんなにも離れたくないと確かに思っているのに、何度もそれを打ち砕くような言葉を投げつける。

階段をゆっくりと踏みしめるように下りて、征十郎はテツヤの前に立ち塞がった。
涙をその白い頬に流す征十郎に、テツヤはわずかに躊躇する様子を見せた。

「せい、」とテツヤがその言葉を言い切る前に、征十郎はテツヤに手を伸ばした。一瞬の抵抗も出来ないうちに、その自分よりも小柄なテツヤの身体を抱きしめる。ぎゅっとテツヤよりも大きくなった腕が背中にまわって、その存在を確かめるように触る。
濡れた頬が、テツヤの頬を掠める。

「お願いです……兄さん…。どうか、俺のそばにいて下さい。あなたと離れて暮らして……ましてや二度と会わないだなんて信じられない。耐えられない!」
「征十郎くん…」
テツヤは困ったような、慌てたような声を出した。泣き出した征十郎に動揺してしまっているのだ。

「義理でも、兄弟でも、どっちでも良かったんだ…。好きだった…ずっと昔から……」

熱に浮かされたような征十郎の声色に、危険を感じ抵抗しようとした腕を取られて、テツヤは口を塞がれた。
薄い冷たい唇が、テツヤの唇を塞いで優しく啄む。征十郎の泣き顔を、テツヤは目を見張って見つめていた。
そして、その赤い唇がゆっくりと自分から離れているのを見た。その唇が、自分に触れていたのが信じられないとテツヤは頭の片隅で思った。

茫然として、テツヤは呟いた。

「……君は、大馬鹿者です」
征十郎がその言葉にテツヤを見ると、テツヤは悲しそうに笑っていた。その表情が昔のテツヤの表情に酷似していて、征十郎は酷く錯覚した。征十郎くん、と優しい声で呼んでいた頃の姿が頭に過った。

「君は全てを持ってる人なのに…僕みたいな出来損ないを繋ぎ止めて良いことなんて何もないのに……愚かしいという他ない」
テツヤは宙に放り出されている征十郎の手を握り、懐かしそうに目を細めた。

「僕の方がずっと君のことを…昔から、君が思うよりもずっと、愛していましたよ」

そのテツヤの言葉に、征十郎はぽかんと口を開けて大層間抜けな顔をして穴があくほどと言ったようすでテツヤを見つめた。その顔は、もしかして嘘じゃないか、僕を騙そうとしてるんじゃないかと言ったような疑いの眼差しが込められており、これまでの自分の行動言動を鑑みると仕方がないことだと思いながらテツヤはかぶりを振った。

「嘘ではありません。君を愛しています、今も昔も」
「……っ」
征十郎が恥ずかしげもなく言い切ったテツヤを前に、動揺を隠せなかった。包み隠さず告げられる愛の告白に頬をやや赤く染め、照れたようなようすをうかがわせている。

「本当に…?」
涙で濡れたままの頬を、擦りながら、征十郎は訝しげに問う。

「兄さんはいつからか僕に冷たかった…今更、どうして」
征十郎はテツヤからぱっと視線を逸らしながら問う。視線を逸らしたのは、見つめてくるテツヤの瞳に、隠しようもない征十郎への愛情があらわれていたからだ。
その瞳を見つめていられるほど、征十郎はテツヤから向けられる情熱に慣れてはいなかった。
それを見越していたテツヤは、繋いだままの手を握り返して頷いた。

「理由を言えば君はどう思うかな………すこし、怖いです」
「怖い? 兄さんが?」
驚いたように言う征十郎にテツヤはゆっくりと頷く。

「君は信じてくれないと思いますが、僕は君のことに関してはいつも臆病で及び腰です」
「……………………」
「臆病で、どうしようもない奴なんです。僕は」
征十郎のさらさらとした長くなった髪の毛を指で梳いて、テツヤは瞼を伏せた。
今度はテツヤからそっと征十郎の唇へとキスをし、離れてから困惑気味の征十郎に笑いかけた。柔らかで優しげな笑みは、征十郎に昔を思い出させた。

「話の続きは僕の部屋でしましょう。ここで話すのもなんですから」

そう言ってテツヤは征十郎を自室へと案内した。
あの手紙や写真を見つけて以来久しぶりに入るテツヤの部屋に、征十郎はどぎまぎとした。あの時に感じた熱を思い出して、わずかに羞恥で赤く頬を染める。
それを微笑ましく眺めて、テツヤはソファへと誘う。隣りに征十郎を座らせて、テツヤは一度立った。座ったばかりだがすぐに立ち上がろうとする様子を見せた征十郎に、テツヤは座ってなさいと言った。
「すぐ戻ってきますから」
「え? あ、はい……」

そう言ったまま部屋を出て数分、テツヤが普段メイドが使っているトレイを持ってやってきた。そのトレイの上にはマグカップが二つ載っている。もしかして自分で入れたのだろうか。
それをソファの前にあるテーブルに置いて、ひとつを征十郎に渡した。ふんわりと薫るミルクの匂いに、征十郎はマグカップの中身を見た。

「……………………」
思わず無言になってマグカップの中身を凝視する征十郎に、テツヤは苦笑した。
「ホットミルクです。玄関ホールは冷えてましたから」

その言葉で征十郎はようやく自分の身体が酷く冷たくなっていたことに気付いた。テツヤに比べて薄着のせいもあり、征十郎はぶるりと身体を寒さで震わしてから、ありがたくそのホットミルクを口に含んだ。

「…甘い」
「砂糖は多めにいれましたから」
テツヤも同様にホットミルクを口にして、甘いのが好きなのか満足そうにそれを飲んでいる。しばらくどちらも口を開くことはなく、甘いミルクの匂いが部屋に香ることしかなかった。
どうしよう、自分から話すべきか?と思いながら征十郎がそわそわとしていると、テツヤが口を開いた。

「先程のことですが、僕は…君に嫌われようと必死でした。だから、冷たくするしかないと思いました。君は何も悪くないのに……」
テツヤの言葉に、征十郎は不思議そうに視線をやった。
「どうして……?僕はてっきり、なにか僕が粗相でもしたのかと」
その征十郎の言葉に、テツヤはおかしそうに笑った。
「いえ、それはありません。僕とは違い、君は何事にもソツがない」
「そんなことは…」
否定しようとした征十郎に、テツヤは首を横に振った。
「君と僕は違う。……僕は昔から何をしても平凡で、影が薄くて目立たなくて………父にはよく幻滅されたものです」
なんと返答すればわからなく、征十郎はテツヤを見つめ返すしかなかった。
テツヤも何か言葉を求めているわけではなく、ただテツヤの話しを聞けば良いようだった。

「父が僕の代わりに君を引き取ろうとしたのも、僕が凡庸だったからです。…父は、君と直接会うことはなく亡くなりましたが」
冷たい指先を征十郎の頬に伸ばし、優しく撫でてテツヤは微笑んだ。

「僕は君の賢さに、完敗だった……。比べるのさえおこがましいと思いました。あまりにも手放しに誉めるものだから、征十郎は恥ずかしくなって視線を逸らした。

「こっちを見て。征十郎くん」
けれど、背いた顔をテツヤの手により向かされ、征十郎は赤みの差す頬をテツヤに向けた。真剣な眼差しでテツヤはじっと見る。

「僕は君を引き取って、君を黒子家を継げる存在に育てようと躍起だったんです。それが僕に残されたやるべきことだとわかっていたから……」
一呼吸を置いて、テツヤは続ける。
「けれど、僕は君のことを兄弟とか、家族の意味ではなく好きになってしまったから……僕は君から離れようと思いました。それに、冷たくすればきっと征十郎くんも僕のことを嫌って……いくら僕が好きでもどうしようもなくなるんじゃないかって…………」

酷い理由でしょう?とテツヤが言った。
そのテツヤの表情があまりにも悲壮感漂うものだから、征十郎は怒りの感情がわくよりも、この目の前の青年を哀れに思えてしまっていた。その悲しみの色を溜めた瞳に見つめられると、抱きしめたくなってしまった。
その本能に逆らうことなく、征十郎はテツヤの背中に手を伸ばして自分の方へと引き寄せた。テツヤも抵抗なくされるがままである。

「……兄さんは酷い。けど、そうでなければ…僕は一生兄さんと会うことはなかった。はじめの理由はどんなものであれ、僕にとっては……兄さんと会えたことが大切だ」
「征十郎くん」
耳元で、テツヤの声がする。
征十郎は相手の体温を感じながら、その温もりを再度確かめるように抱きしめなおして、身体をゆっくりと離した。

「僕は、兄さんと一緒にいたい」

そして今度は目を逸らさずに真剣にテツヤを見つめた。

「それでも兄さんは、僕を養子縁組させてしまうんですか?」
「……………………」
テツヤは無言になった。苦しそうに顔をしかめて、それから困ったように眉根を下げた。

「します。その決定が覆ることはありません」
「……なぜ?」
わずかに動揺した征十郎は、問う。
「君がそう言ってくれるのはとても嬉しいです。僕も君と一緒にいたい気持ちは一緒です」
話すテツヤの表情は穏やかで、けれど確固たる揺るがぬ決意が見え隠れしていて、征十郎はきっと何を言っても同じなのかなとちらと思った。
その征十郎の思い通りに、テツヤは言葉を続けた。

「生々しい話になりますが……僕は女性と性行為をしても子を生すことが出来ない身体なのです。そのことも含めて、君がこの家を継ぐことが正しい」

はっとなって、征十郎はテツヤを凝視した。信じられないとばかりに見つめて、怒ったような表情を浮かべた。

「僕に、黒子家を継いで…誰か見知らぬ女性と結婚をして子を生せと言うのですか……?」
テツヤは何も言わなかった。けれどその無言こそが肯定のような気がして、征十郎はふつふつよ怒りが湧いてきた。やっと気持ちが伝わったと思ったら、またどうしてこの兄はこういうことを言い出すのだろう。

「一緒に、いたいというのは嘘じゃないんですよね…?」
必死な目で征十郎が見つめると、テツヤはゆっくりとだが頷いた。

「すみません。これが僕の答えになります」

それからどんなことを言って部屋に戻ったのか、征十郎は覚えていなかった。最初は怒りの気持ちが湧いたが、今はただ悲しくて、やっぱりテツヤが一緒にいてくれることはないんだと再認識して、あの場にいられない気持ちになったことは覚えていた。
じとりと誰もいない空間を睨みつけながら、征十郎はベッドに伏した。ベッドの柔らかさが、いまは妙に恋しかった。


朝、起きてから食事をしていると、またいなくなってしまっていただろうと踏んでいたテツヤが現れた。いつもなら先にいることが多い上に、なんとなく服装に違和感を感じていると、じっと見つめてくる征十郎に視線を移したテツヤが口を開いた。

「今週の土日に部活動などの予定はありますか?」
思わぬことを聞かれて、征十郎は驚きつつも答えた。
「いえ…ありません」
「では、そのまま予定は入れないでください。今週末はパーティを開きますので」

ごくん、と生唾を飲み込んで、征十郎はなんとなくわかっていたが問う。
「…何の、でしょう?」
「君のお披露目…とでも言うべきでしょうか。僕が黒子家の家督を君に譲ることはもう多くの方が知っていますが、正式に僕から公言することでいらぬ横槍をなくすことが目的です。もちろん君にも挨拶をしてもらいます」

多くの知らない人間の前でそういうパフォーマンスのようなものをやることに、征十郎は抵抗はなかった。こなせることであったし、出来ないという意味での不安はまったくないとも言っていい。…ただ、ひとつ不安があるとするなら、そうすることでいよいよテツヤが本当にいなくなってしまうのだということだ。
そのことに対しての躊躇いに気付いているのか、テツヤは有無を言わせまいとばかりのようすだった。
昨日の告白も、キスも忘れてしまっているのだろうかと、征十郎はちらりと思った。


テツヤが今週末を開けておけと言ったのを皮切りに、瞬く間にその準備がテツヤの手によりされていった。週末の親類を呼んでこの屋敷で催したパーティでさえ一部でしかなく、征十郎はテツヤにより色々なところへと駆り出されていった。
その忙しさと以前のように隙のない姿となったテツヤを前に、征十郎はなかなか話を切り出せずにいた。それでも学校もあり、部活もあり、そしてまた親類との顔合わせなどもあり征十郎はテツヤに対してやきもきしつつも日々を過ごしていた。

そして、いつの間にかテツヤが言った来月という期限が差し迫っていたのだった。

***

叔父が屋敷に訪れてから二週間と少し、征十郎が帰宅すると、叔父が屋敷へと訪れていた。
叔父は征十郎の姿を目にすると、にこやかに微笑んだ。見る者を不快にさせないその人好きのする笑みはなんとなくテツヤに似ていて、自然と征十郎は視線を逸らした。

「こんにちは」
それでも挨拶はすると、叔父は頷いた。
「今日は君に会いに来たんだ。早く慣れてもらいたいからね…」
その言葉に、征十郎はうまく言葉を返せなかった。この場合は愛想の良い顔でもして「そうですね」と相槌をうつのが正しい反応なのだろうけれど、テツヤの顔が頭に過って征十郎はそうは立ち振る舞えなかった。
その動揺に気付いているのか、叔父はさして気にする様子もない。叔父が来ているならばいるだろうと征十郎はテツヤの姿を探したが、どうやら今日はいないらしい。
その様子に気付いた叔父は口を開いた。

「ああ。テツヤくんには言ってないからね、今日来ることは…」
「そうなんですか……」
「今日は君に話があったんだ、赤司征十郎くん」
座ろうか、と続けて言われて、征十郎は大人しく叔父の目の前の椅子に座った。

「テツヤくんの目がないときに君と話がしたくて……。いいかな?」
そう言われて、征十郎は内心複雑な思いだった。どうもこの叔父とやらが、どういう思惑で動いているのか見当が付かないからだ。
その感情の読みにくさは、テツヤによく似ていた。

警戒心たっぷりの様子でいる征十郎に、叔父はおかしそうに笑って深く頷いた。

「君は本当にテツヤくんのことを好きなんだね」

その言葉にぱっと顔を上げて、気まずそうに視線を逸らした。
「別に、そういうわけでは」
「隠さなくてもいい。……君たちは、意外にもよく似ているから、わかりやすい」
「……………………」
「君を私の養子にするということも、テツヤくんからの頼みだ。その意味、わかるね?」
認めたくはありませんが、と付け加えて征十郎は言った。
「兄はおそらくここを離れるつもりでしょう。きっと、遠いところに」
すぐには見つからないような、と心の中だけで言って、征十郎は視線を下げた。
征十郎は畏怖していることがあった。それは、自分を養子に出した後、おそらく兄が姿をくらますだろうということだった。これまでの様子を鑑みるに、最悪、兄は黒子家と絶縁するつもりなのかもしれない。

「そうだ。私も本人からはすべてのことを聞いたわけではないが、おそらくそうするだろう。…そこで君に聞きたいのだが、君はこの家を継ぎたいと思っているのかな?」じっと見下ろしてくる優しげな瞳に、征十郎はこの人はわかっててこの質問をしているのだろうと思った。
そしてきっと期待しているだろう通りに、征十郎は答えた。

「いいえ。家もなにも、財産も、地位も名誉もいりません。僕は」
じっと前の男を見据えて、征十郎は言い切る。
「兄と…共にいたいだけです。一緒にいれるなら、どこでもいい。そう思っています」

その征十郎の言葉に、叔父は深く息を吸うと、満足そうに頷いた。楽しそうに口元に笑みを浮かべている。
「そうか…………」
そして、懐かしそうに目を細めた。その瞳は、征十郎を通して誰かを見ているようだった。

***

夜も明けない時間に、テツヤは最後の荷造りをしていた。
こうやって自室の部屋を片付けていると、この約一か月間、征十郎を後継者に仕立てるために奔走したのも懐かしく思えてくる。
色褪せた古い懐かしいものを分けて、持ち物をなるべく少なくしようとしていた。
こうして見ると、必要なものというものはほとんどないと言っていい。学生時代は一時期腐っていたし、思い出深く離したくないものも皆無と言っていい。
持っていきたいものと言えば、母の遺品くらいだ。

改めてまとめた荷物を見て、テツヤはその量の少なさに肩を竦めた。少ないだろうとは思っていたが、こうも少ないものだろうか。
そのことにやや皮肉なものを感じつつ、テツヤは部屋を出た。時刻は早朝で、起きている使用人も少なかった。というより、使用人はこの一か月で続々と解雇させたのである。そう、今日のために。


玄関ホールに向かっていると、階段を下りかけたところで見慣れた姿があることに気付いた。

「早いですね。おはようございます」
そう言えば、深い皺を刻み込んだ壮年の顔に穏やかな笑みを浮かべていた。
「これが私の仕事ですから」

それにテツヤは言葉に詰まって、気まずそうに苦笑いを浮かべた。「……すみません、ここのところ、仕事が多く大変だったでしょう」

解雇させた使用人のしわ寄せは、この老人に集中したことは言うまでもない。それでもそうせざるを得なかった、とテツヤは思う。
この屋敷の名義はテツヤだったが、この屋敷含め土地の売却の手続きももうしてしまった。執事に関しては引き続き征十郎の方についてもらうつもりだったが、ここで働いていた使用人のほとんどはどの道行き場はなくなる。それならば早めに解雇し次の働き口を手配するというものがテツヤに出来るせめてものことだった。

テツヤは手伝おうとする執事を下がらせて、屋敷のドアを開けた。立派な装飾の取っ手をつかんで、押すと、朝日の光が差し込んできた。
その眩しさに目を細めながら、テツヤは振り返った。この屋敷を訪れることも、もうない。

「……行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、テツヤ様」
深くお辞儀をし、きっと自分の姿が見えなくなるまでそうしているのだろうと、テツヤは思った。

わずかな感傷がテツヤの涙腺を緩くしようとしたが、テツヤはぐっと涙を引っ込ませた。こんなにも嫌だと思っていた屋敷なのに、いざ離れるとわかると思うとどうしてか胸が締め付けられそうになった。どうしてだろう。

右手に持ったトランクケースを持ち直し、強く握りしめるとテツヤは屋敷の門まで一度も振り返らなかった。


それからタクシーに乗って、最寄りの駅まで行くと電車に乗った。モノレールに乗りながら、まだ朝早いせいですし詰め状態ではない車内で、窓に寄りかかりぼんやりと外を眺めた。屋敷を出る際は日の出を迎えたばかりだったが、だいぶ太陽高度は高い。
その眩しさに目を細めて車内に視線を戻して、テツヤは小さく溜息をついた。テツヤは後悔していた。ああやって征十郎に言っておきながら、甘い自分が今からでも遅くはないから征十郎のもとへ戻りたいと言っている。

そうしてぼんやりとしていると、いつの間にかあと二駅ほどで空港に着く頃になっていた。がたがたと音を立てて荷物を出し入れする乗客の音がする。
そしてアナウンスが告げて、テツヤはトランクケースを持って降りた。多くの降車客が空港へと向かうエスカレーターに行くのと同様にテツヤもそうして、空港のターミナルに向かい搭乗手続きを済ませると、すぐにセキュリティチェックの近くの待合所の椅子に座った。手荷物はあまり大きくない鞄のみ。
スーツを着た会社員や私服の若い学生らしき姿もちらほらいる中、隅っこのほうでテツヤは案内板を眺めて時間を待っていた。
セキュリティチェックの時間まで、後30分ほどもある。

落ち着かない心を落ち着かせようと、黒子は持ち込んでいた文庫本を取り出した。細かい文字を追いながらそうしていると、隣りに誰かが座ってきた。わずかに揺れて、テツヤはちらりと隣りに視線を移した。

「兄さん」
すると、思いもよらない人物が座っていた。こちらをじっと見つめてくるのは、屋敷にいるはずの征十郎だった。

「せ、征十郎くん……?なぜここに?」
ぽとっと文庫本を手から落として、テツヤはぽかんと口を開けて茫然と呟いた。

「なぜって…。そんなの決まってるじゃないですか」
その言葉に、テツヤは周りを見渡した。少し離れた場所に、叔父が何食わぬ顔で立っていた。
してやられた、と思いテツヤは深く溜息をついた。

「……君は僕を止めに来たんですか?」
じとっとした目で見つめると、征十郎は静かに首を横に振った。
「いいえ。見送りに来ました」
きっぱりとそう言った征十郎の顔には、何の感傷も見られないように見える。なぜ今日発つことを知っていたのかは置いといて、征十郎はもう自分には何の気持ちもなくなってしまったのだろう。
それにショックを受けていることに、テツヤはたまらなくなった。自分からそうしておいて傷つくだなんて、勝手過ぎる。…当然だ、自分は征十郎の気持ちを踏みにじったと言ってもおかしくない。
わずかに俯いたテツヤに、征十郎は焦ったように慌てた後、手を口元に当てて考え込んだような顔をして小首を傾げた。

「…見送りといっても、ちょっと違うかな」
その言葉に、不思議そうにテツヤは征十郎を見上げた。
「約束をしに来たんです」
ざわざわと人の行き交う音がする。けれど、テツヤは自分の周りは水を打ったように静かだと感じた。
こんなにもざわついているはずなのに、征十郎の声だけが聞こえる。

「いつか僕は、兄さんに会いに行きます」
征十郎が手を握ってきた。すこし皮の分厚くなったてのひらが妙に温かく感じる。
「絶対に。……だから、約束してください」
なにを?と震える声でテツヤを聞いた。頬に熱いものが流れるのを感じた。ああ、ずっと泣いてなかったのに、こんなときに泣いてしまうものか。征十郎が今から言おうとしている言葉がそうさせるのか、それとも瞳に宿るその満ち溢れるひたむきな感情がそうさせるのか。
ひっくと嗚咽してしまう。目立ってしまうから溢れる涙を抑えたいのに、言うことをきかない。

「僕があなたに会いに行けたら、今度はずっと一緒にいてくれると」
征十郎の声は震えてなかった。口調は穏やかであるのに、どこか情熱的で激しく、テツヤは胸を震わした。嬉しかった。征十郎にこんな風に言ってもらえて、嬉しかったのだ。

テツヤは落ちた文庫本を拾って、手の甲で涙を拭った。鼻は痛いし嗚咽はまだ止まっていない。情けない顔をしているのは重々承知だったが、テツヤは征十郎を見返した。

「ありがとう。君の言葉は、とても嬉しい…」
征十郎が微笑んだ。それがあんまりにも嬉しそうなものだったから、テツヤはまた泣きそうになった。
「また会えることを願ってます。僕も」
ぎゅっと握り返すと、征十郎は顔を綻ばせた。その綺麗な笑みに、テツヤは瞼を伏せた。
この子はやはり、自分にはないものを持ってる。そしていつもこんなにも自分を一喜一憂させる。
( 僕が嬉しいと思うことも、悲しいと思うことも、君のことばかりだ。 )


テツヤはしばらくの間、征十郎と手を握ったまま座っていた。お互いにもう何も言わずにぼんやりと人の行き交う姿を眺めて、そうして搭乗アナウンスが流れた。
テツヤはそっと握っていた手を離した。

「……じゃあ、行ってきます」
まだ目元や鼻は赤いだろうが、ここは空港であると思って許してほしいと思った。別れを惜しむのは、おかしくない。
テツヤは振り返りたかったが、ここで振り返ればまた泣いてしまうと思い、踏みとどまった。後ろから、征十郎の声がする。

「いってらっしゃい。兄さん」
征十郎の声は震えていない。ならば、自分だってこんなに弱弱しくなってしまってはダメだ。そう思い、テツヤは歩を進めた。
そしてセキュリティチェックを抜けて、振り返った。ガラス越しに、座っていた椅子のところで、征十郎がじっとこちらを見つめているように見えた。
見えているのだろうかわからない、小さくなってしまったその姿を眺めてテツヤは小さく手を振った。見えてなくてもいい、自己満足だった。

***

「君が行こうと言えば、準備する余力はあったんだがね」
空港から帰る車の中、征十郎は叔父にそう言われた。この叔父は、それが言いたくて仕方がなかったらしい。
その不満そうな顔を見て、征十郎は肩を竦めた。
「知っていました。けど、そうしたら負けたみたいじゃないですか」
目を丸くして叔父は征十郎を見つめた。
「僕は負けるのは嫌いなんです。まあ、今まで負けたことってないんですけど」
最後の言葉に叔父は表情を崩した。君もそういうことを言うんだな、と意外そうに呟いてまた懐かしそうに目を細めた。
征十郎は叔父のこの表情に、きっと母を思い出しているのだろうと思った。自分の母はどうやら生前、テツヤの母親と親しかったらしいし、そのテツヤの母の兄弟であるこの人が知っていたとしてもおかしくはない。父似ではないなら自分の顔を見て懐かしむなら母くらいであろう。
この人が手伝ってくれたのは、自分ではわからない理由があるに違いない。きっとそのことをこの人は話す気はないし、征十郎は無理やりに聞く気もなかった。

正面に視線を戻して、征十郎は叔父に礼を言った。
「ありがとうございました。あなたが教えてくれなければ、僕はあのままでした…。きっと後悔した………」
それに微笑んで、叔父は「どういたしまして」と言った。

END.

おまけへ行く
- - - - - - - - - -
PIXIVより再録。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -