首輪8

***

この期に及んで、征十郎はこの養親縁組に関すること全てが茶番ではないだろうかと心の隅で思っていた。けれどもそれは紛れもない真実であり、テツヤの叔父がまた屋敷に訪れているのを目にして征十郎はようやく目が覚めた。どうも事実から目を逸らしがちだ。

征十郎の姿を目にすると、叔父はにこやかに微笑んだ。見る者を不快にさせないその人好きのする笑みはなんとなくテツヤに似ていて、自然と征十郎は視線を逸らした。

「こんにちは」
それでも挨拶はすると、叔父は頷いた。
「今日は君に会いに来た。これから住むことになるからね」
その言葉に、征十郎はうまく言葉を返せなかった。この場合は愛想の良い顔でもして「そうですね」と相槌をうつのが正しい反応なのだろうけれど、テツヤの顔が頭に過って征十郎はそうは立ち振る舞えなかった。

その動揺に気付いているのか、叔父はさして気にする様子もない。
征十郎はテツヤの姿を探したが、どうやら今日はいないらしい。その様子に気付いた叔父は口を開いた。

「ああ。テツヤくんには言ってないからね、今日来ることは…」
「そうなんですか……」
「今日は君に話があったんだ、赤司征十郎くん」
座ろうか、と続けて言われて、征十郎は大人しく叔父の目の前の椅子に座った。

「テツヤくんの目がないときに君と話がしたくて……。いいかな?」
そう言われて、征十郎は内心複雑な思いだった。どうもこの叔父とやらが、どういう思惑で動いているのか見当が付かないからだ。
その感情の読みにくさは、テツヤによく似ていた。

警戒心たっぷりの様子でいる征十郎に、叔父はおかしそうに笑って深く頷いた。

「君は本当にテツヤくんのことを好きなんだね」

その言葉にぱっと顔を上げて、気まずそうに視線を逸らした。
「別に、そういうわけでは」
「隠さなくてもいい。……君たちは、意外にもよく似ているから、わかりやすい」
「……………………」
「君を私の養子にするということも、テツヤくんからの頼みだ。その意味、わかるね?」
認めたくはありませんが、と付け加えて征十郎は言った。
「兄はおそらくここを離れるつもりでしょう。きっと、遠いところに」
すぐには見つからないような、と心の中だけで言って、征十郎は視線を下げた。
征十郎は畏怖していることがあった。それは、自分を養子に出した後、おそらく兄が姿をくらますだろうということだった。これまでの様子を鑑みるに、兄はもしかしたら黒子家と絶縁するつもりなのかもしれない。
あの口ぶりと手紙などから察するに、兄の父親に対しての親子としての感情は普通のものではない。母親に対しては愛情があったようだが、それも征十郎だけでは量れないものだろう。

「そうだ。私も本人からはすべてのことを聞いたわけではないが、おそらくそうするだろう。…そこで君に聞きたいのだが、君はこの家を継ぎたいと思っているのかな?」
じっと見下ろしてくる優しげな瞳に、征十郎はこの人はわかっててこの質問をしているのだろうと思った。
そしてきっと期待しているだろう通りに、征十郎は答えた。

「いいえ。家もなにも、財産も、地位も名誉もいりません。僕は」
じっと前の男を見据えて、征十郎は言い切る。
「兄と…共にいたいだけです。一緒にいれるなら、どこでもいい。そう思っています」

その征十郎の言葉に、男はすぅーっと深く息を吸うと、満足そうに頷いた。
「そうか…………」
そして、懐かしそうに目を細めた。その瞳は、征十郎を通して誰かを見ているようだった。

***

そのとき、テツヤは最後の荷造りをしていた。
こうやって自室の部屋を片付けていると、この約一か月間、征十郎を後継者に仕立てるために奔走したのも懐かしく思えてくる。
色褪せた古い懐かしいものを分けて、持ち物をなるべく少なくしようとテツヤはしていた。こうして見ると、必要なものというものはほとんどないと言っていい。学生時代は一時期腐っていたし、思い出深く離したくないものも皆無と言っていい。
持っていきたいものと言えば、母の遺品くらいだ。

改めてまとめた荷物を見て、テツヤはその量の少なさに肩を竦めた。少ないだろうとは思っていたが、こうも少ないものだろうか。
そのことにやや皮肉なものを感じつつ、テツヤは部屋を出た。時刻は早朝で、起きている使用人も少なかった。というより、使用人はこの一か月で続々と解雇させたのである。そう、今日のために。

玄関ホールに向かっていると、階段を下りかけたところで見慣れた姿があることに気付いた。

「早いですね。おはようございます」
そう言えば、深い皺を刻み込んだ壮年の顔に穏やかな笑みを浮かべていた。
「これが私の仕事ですから」

それにテツヤは言葉に詰まって、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「……すみません、ここのところ、仕事が多く大変だったでしょう」

解雇させた使用人のしわ寄せは、この老人に集中したことは言うまでもない。それでもそうせざるを得なかった、とテツヤは思う。
この屋敷の名義はテツヤだったが、この屋敷含め土地の売却の手続きももうしてしまった。執事に関しては引き続き征十郎の方についてもらうつもりだったが、ここで働いていた使用人のほとんどはどの道行き場はなくなる。それならば早めに解雇し次の働き口を手配するというものがテツヤに出来るせめてものことだった。

テツヤは手伝おうとする執事を下がらせて、屋敷のドアを開けた。立派な装飾の取っ手をつかんで、押すと、朝日の光が差し込んできた。
その眩しさに目を細めながら、テツヤは振り返った。この屋敷を訪れることも、もうない。

「……行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、テツヤ様」
深くお辞儀をし、きっと自分の姿が見えなくなるまでしているのだろうとテツヤは思った。
右手に持ったトランクケースを引いて、テツヤは屋敷の門まで一度も振り返らなかった。

2013/12/05 23:13



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