お誕生日おめでとう



 時計の長針と短針が真上を少し回った。普段なら一日の疲れを労うために熱い紅茶を飲んでいる時間。しかし今日ばかりは私は大きなケーキの置かれ真新しいテーブルクロスの敷かれた机についていた。
 白いホイップに真っ赤なストロベリー。2色のやわらかなコントラストはドレスのように華やか。
 顔を近づければただの砂糖よりもうんと上等な香りがする。甘い匂いは幸せに直結するとどこかで聞いたことがあるがその通りだと思う。

「誕生日おめでとう。」

 蝋燭に丸い火が灯る。年の数には到底足りない数だけれど、十分。薄明りの部屋の中煌々と輝く明かりに胸が疼いた。
 ケーキの甘い匂いを打ち消すからこの蝋の燃える香りが嫌いだという人もいるけれど、私は好きでたまらない。
 私が揺らぐ火をうっとりと見つめていると、その横でクザンは足の長いグラスにワインを注いだ。遠く離れたボトルとグラスを細く赤い糸を紡ぐようにワインが繋ぐ。空気を絡み合ったアルコールは辺りに芳醇な葡萄の香りを醸した。 
「ケーキに赤ワインだなんて、贅沢なのか何なのかわかりませんね。」
 ふふ、と笑いかけると相手も同じように笑う。
「ホントは食事のときに開ける予定だったんだが...まさか食堂で済ましちゃうなんて思わなくて。」
 悪い事をしたなあ、と私は頬を掻いた。仕事が立て込んで忙しかったので仕方がないけれど、優しい彼の事だ。きっと美味しいお店でも予約してくれていたのだろう。

「新しい一年に。」
 クザンがグラスを傾げて差し出したので自分も同じようにして近づけ、チンと乾杯をした。
「なんだかニューイヤーみたいですね。」
「何言ってんの。今日から○○○ちゃんの新年でしょう?」
 たしかにそうかもしれない。今日から1つ年を取った新しい私の生活が始まるのだ。ああ、今年はどうやって過ごそう。

 赤いワインを口に含むと花束を抱いているような華やかな香りが口に広がった。花束の向こうにまぶしい太陽と土の色、収穫を祝う音楽、ヴィオリンやアコーディオンの音色を感じた。ワインが喉を流れていく悦楽。自然と目じりがとろけていく。
「美味しい。」
 その一言に尽きる。
「良かった。このワイン、○○○ちゃんの生まれた年のものだよ。」
「!」
 驚いてボトルを見ると確かにその通り。私の生まれた年を示す数字が印字されていた。
「まさかの同い年!」
「自然と体になじむのかもね。」
「なんだか不思議な感じ。私の人生初めての1年間に遠いどこかで収穫された葡萄が、こうやって何十年もして私の手の中にワインとなって存在するんですよね。まるでアナログなタイムマシンです。」
 何しろこのボトルの中には私が生まれた年の空気が詰まっているのだ。
「面白い事言うね。」
「クザンさんが面白い事してくれたからです。」
 にへら、と笑った。

 いつの間にか子供じゃなくなって、赤の他人だった人と寄り添って。今年も1つ年を取る。
 つらい事なんて両手では足りないほどたくさんあるし、投げ出してしまいたいことも星の数ほどある。でもたまにちょっとした喜びが転がっていて、何だかんだ蛇行しながらも前に進んでいける。女としては老いに向かっていくのは少し苦笑いが出るけれど、一歩一歩階段を上がるように進むのは贅沢で楽しくはないだろうか。嬉しいことだけならきっと途中で飽きてしまう。

 ふう、と息を吹いて蝋燭を消した。
 


「ケーキ、どれくらいに切ろうか。」
「これくらいお願いします。」
 私は親指と人差し指を広げてものさしにした。こんな時間にこんな大きなケーキを食べるなんて、誕生日だからこそできる暴挙だ。だから、どうせならドンと大胆に。
「そんなに?」
「そんなに。」
「任せて。」
 くすり、と笑ってからクザンは三角のナイフを白いクリームのに差し込んだ。
 


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mokuji

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