青い空は凛と澄んで



この夏、私は長野にある彼の田舎に一緒に帰省することとなった。結婚報告だとかそんなものじゃなくって、緊急出動だった。

私は陸上自衛隊に所属し、普段は市ヶ谷駐屯地に勤めている。けれど直属の上司・陣内理一が長野の実家に帰省するという情報を手にいれ、こっそり松本駐屯地へと避暑に来ていた。松本と彼の実家のある上田じゃ結構距離があるのにそれでも同じ長野の空気を吸えることが嬉しかった。
「東京よりずっと空気がおいしい!最高!」
「サクラ、仕事しろ」
 5歳年上の沖田先輩にシャープペンシルの頭でぽんと叩かれる。ぺしん、と可愛い音のわりにそこそこ痛い。
「私、長野に遊びに来たんです」
 嘘じゃない。本当のことだ。
「よーしいい根性だ。始末書な」
「なっ」
 はははと笑って私の肩を叩くと、先輩は喫煙室へと歩いて行った。
「私ここの人間じゃないのに!むしろいざという時の助っ人に来たんだから重宝してほしいとこなんだから!」
 沖田先輩の出て行ったドアに向かってぎゃん!と吠えた。
(...決して陣内さんを追いかけてきたなんて言わない)
 陣内さん、今頃どうしてるかな。
「スズさん、荒れてますね」
「荒れてないよ。先輩が意地悪いだけ」
 この人は永井くんだ。沖田先輩もそうだけれど、彼らとは過去に何度か面識がある。ちょっと詳しくは言えない私の部署ではいろいろな駐屯地や関係者に顔が広い。私がこうして松本でのんびり楽しむことができるのもそういう理由からだ。
 永井くんに飴玉をいくつかあげて、私はむし暑い廊下へ出た。
(これ以上、仕事邪魔しちゃいけないもんね)
 遊びに来たとはいったもののこの職場の厳しさは十分理解している。だから茶化すのもほどほどにしてフリーのコンピュータースペースへと移動した。この場所だと携帯の電波がばっちり届くのだ。
 パカッと開いた携帯画面に私のOZのアバターが映し出されこちらへメールを突き出した。ところどころ花を散らせたもこもこした羊のアバターはこの気温の中では熱中症で倒れてしまいそうだ。
(そうだ、着替えさせてあげよう)
 もっとスリムな服。いや、羊毛はないだろうか。私はOZの中のアバターショップのリンクへとんだ。そしてOZの町に足を踏み入れたとき、私はあの事件に巻き込まれる。

 目の前で、誰かのアバターが修行僧のようなアバターに食われた。何か、そういうイベントがあっただろうか。思考は良いことだけを洗い出そうとする。しかしその場に響くのは恐怖の悲鳴ばかりで、吹き出すチャットはいろいろな国の言葉で「みんな逃げろ」と告げている。
 化け物のようにいろいろなアバターにとびかかるそいつを見て、この場にいるみんなが逃げ出そうとしている。手に持ったアイテムはさっき買ったものなのだろう、店のブランドが書かれたそれを惜しげもなく投げ出して逃げるアバターが横を通り過ぎた。私も逃げなくては。
 けれど間抜けな私は、パブロフの犬のように条件反射で化け物がこれ以上馬鹿なことをしないよう握りしめた拳で奴の顔を殴っていた。
 私のアバターは格闘ゲームやスポーツゲームに適すようには作成していない。もこもこの体から生えた短い手の精一杯のパンチは、敵の顔を少しゆがませるだけで、そして、
私のアバターはそいつに食べられた。

次の日から、現実にOZの騒ぎが伝染し拡大していった。
(情けない)
苦虫を噛み潰したように私はニュースを流すテレビを睨んだ。私の可愛い分身を食べた張本人は「ラブマシーン」というらしい。なんてふざけた名前。こんな奴に、こんな奴に。
(情報の収集と操作が私の武器なのに)
 アバターなしではネット上を自由に動き回ることができない。駐屯地の電話やパソコンで仮アバターを取るわけにもいかず、私はこの騒ぎへの手出しができない。
(手一杯の各機関に手伝いに行っても彼らをさらに混乱させるだけだ)
 どうしたら、とうなだれた時。駐屯地の中がざわつき始めた。

「ここの高機動車を借りていく」
 聞き焦がれた声に、私の心臓が高鳴った。
「陣内さん...!」
「え?あれ、スズ!なんでこんなとこに?」
「バカンスに」
 周りにいた隊員の数人がおいおい、と笑うのが聞こえた。
「君は変わった休暇の取り方をするんだな。ところで手は空いているか?」
 俺と一緒にこい、と返事を聞くより前に私の服の袖を引っ張って車庫のほうへと私を連れていった。
「どこ行くんですか?」
「内緒」
 んふふ、と笑う陣内さんはとてつもない色気を孕んでいて。私はどこまででもついて行きます!と心の中で叫んだ。
 けれど着いた先の車庫で私は絶句する。
「まさか、JMRC-C4搭載車を持っていく気ですか」
「うん。」
 どこから持ってきたのか車のキーを差し込み、彼は慣れた動作で車内に入った。
「だめですよ、個人の持ち出しなんて!」
「もう話は通してるよ」
 私は陣内さんの腕を引っ張った。が、引っ張り返された。
「わっ、」
 私の腕力は彼に到底敵うわけもなくバランスを崩した。そして見計らったように抱き上げられる。
「何で電話もメールも通じなかったの?」
 互いの鼻先が触れるか触れないかの距離で目を見つめられる。口元に笑みが浮かんでいるのがうかがえるが目が笑っていない。
「何度も連絡したのに」
 どうやら機嫌が悪いらしい。
「...ラブマシーンに食べられちゃって」
「...」
 きょとんとした陣内さんは無言で私の頭を撫でる。この人に対してはすっかり従順な私ははたから見るとまるで犬のようなのだろう。
「どうせ自分から手を出しに行ったんだろう」 
(そ、その通りです...)
 あまりに的確な指摘に私は言葉に詰まった。
「まあいいや。一緒にいるならOZなんて必要ない」
 そう言って隣の座席に私を置き、車のドアを閉める。先ほどドアを開けた鍵をハンドルのそばに差し込みエンジンを点火させる。
「どこへ?」
 こんな隊の重要機材を持ち出して彼はなにをするつもりなのだろうか。

「合戦」

 彼はいつもの色気たっぷりの顔でそう教えてくれた。
(か、合戦...?!)
 私がその意味を知って、彼とその家族とともに世界に命を懸けるのはもうすこし後。


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[ 4/7 ]
mokuji

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